第87話『必中の槍』


「ガルルルグオオオオオオオオ!!!」

ワーガルルモンの雄叫びが木霊する。
どれだけの時間が経過したかは判らない。
何時間も、何日も戦い続けてる気さえする。
しかし、実質は数十分程度。
だが、既にカイザーネイルを四発、フォックスファイアーを三発放っている為か、眼に見えて動きが悪くなっている。
だが、それは輝夜とイルゼにしてもそうだった。
人間の体力とワーガルルモンの体力を計り間違えたのだ。
圧倒的に、後者の法に軍配が上がる。
イルゼの場合はマナを吸収できるが、それでも、心臓は破裂するかの様に痛く、汗は滝の様に流れている。
輝夜にしても同じだった。
と言うよりも彼女は異常だった。
魔力のバックアップも、人外の体力も無しに、イルゼとワーガルルモンと渡り合ったのだから。
そして、ワーガルルモンは何時しか残忍な視線では無く、どこか好奇心に満ちた目をしていた。
その視線は輝夜に向けられていた。
体力は三者共に限界に近い。
輝夜は髪を振り乱し、メイド服はボロボロになっている。
露出部分からは血が零れ、汗でメイド服はグッショリと濡れている。
イルゼの方は、エヴァンジェリンの魔術礼装(ミスティックコード)のおかげで服や肉体部分のダメージは少ないが、それでも露出している袖からグローブ
に掛けてと、頭部にはかなりの傷が出来ている。
だが、ワーガルルモンは疲弊はしているが、完全な無傷の状態だ。

「ハァ…ハァ…ッ!」

イルゼは握ったファルクスに力を篭めた。
既に、カイザーネイルとフォックスファイアーを吸収し、十二分にエネルギーは溜まっている。
イルゼはワーガルルモンの背後から通常の状態でファルクスを薙ぐが、ワーガルルモンはそれを容易く避けて円月蹴りを繰り出す。
それを、後ろに跳び避けると、輝夜のナイフがワーガルルモンの視界を塞ぐ。
輝夜は荒く息を吐きながら、無数の出現するナイフを投擲し続ける。
輝夜のナイフは、一度に両手で挟める合計六本のナイフが凄まじい威力を持ってワーガルルモンの周囲を飛翔する。
だが、決して当てる事は無い。
それは、ナイフが戦闘のフィールド上に落ちない様にする為だ。
ワーガルルモンはナイフが落ちていてもなんとも無いが、イルゼと輝夜は違う。
更に、輝夜の攻撃は一切効いていないのだ。
眼の中に刺されば少しは違うだろうが、ワーガルルモンのミスリル並の毛皮は並ではない。
高すぎる強度に、輝夜もイルゼも舌打ちがしたくなる。
だが、頭に血を登らせる暇は無い。
冷静に、必殺の一撃を命中させる為に動くしかないのだ。
しかし、イルゼは未だにワーガルルモンの動きを眼では終えても、体が反応する事は出来ていないが、輝夜は既に動きを見切っていた。
疲弊した肉体に鞭を打ちながら、ワーガルルモンの動きを眼で追い、衝撃の範囲外に体を逸らす。
イルゼは今では少し離れればファルクスを片手に、ベレンヘーナの片方を出現させては、足元と視界を奪い、すぐに格納してファルクスで攻撃出来るよう
になっている。
だが、ワーガルルモンも然る者で、イルゼと輝夜の動きに、まるで空気の流れを読んでいるかの様に避け続ける。
故に、ファルクスを当てる事が出来ないのだ。
本来は、その防御力ならば特攻をすればいい筈なのにしない。
矛盾に満ちた戦闘方法を取るワーガルルモン。
だが、その疑問も、戦闘中はイルゼと輝夜は忘却した。
疲弊して尚もワーガルルモンの戦闘力は侮っていいレベルでは無いのだ。
距離を離せば、ワーガルルモンは神速でイルゼと輝夜を捉えるだろう。
地面の強度。
それだけが、ワーガルルモンの動きを制御しているのだ。
三者全員の動きが悪くなっていく。
それでも、三者全員が必殺の構えを解かない。

――視界を常に覆われているのに距離を離さない。未熟なのか…、それとも試しているのか…。

輝夜は思考しながら、動き続けた。
そして、回転しながらファルクスを薙いだイルゼが、距離を取ると同時に、左手にベレンヘーナを持ち、足元を崩す。
そして、そのままワーガルルモンの周りを走り始めた。
視界を塞がれた状態で、イルゼの動きを追うワーガルルモン。
そして、イルゼは輝夜に一瞬だけ近づくと、言った。

「一瞬だけ離れる」

イルゼの言葉に、輝夜は眼を見開き、すぐに頷いた。

――全く、容赦の無い後輩ですね…。

一人で刹那とは言え、ワーガルルモンを足止めしろとイルゼは言ったのだ。
だが、それを可能だとイルゼに思わせる輝夜の力は、紛れもなく一般人の枠に当て嵌まらないだろう。
だが、確かに輝夜は魔力も気も使っていない。
最低限の動きなどさせてもらえない相手を相手にして、これだけの運動量で音を上げない輝夜に、イルゼは驚きと共に尊敬の念を抱いていた。
そして、信じた。
一人でワーガルルモンを相手にし、イルゼにワーガルルモンが追わない様にさせられると。
イルゼが離れる為に両足にエネルギーを集中させ、地面を蹴ると同時に、輝夜は眼を見開き、信じられない動きを始めた。
ナイフとナイフを弾き合わせ、今度はワーガルルモンに当たらない様に投げていたナイフを、当たる様に投げ始めたのだ。
全てのナイフがだ。
ワーガルルモンの動きが戸惑いに満ちた。
目の前で攻撃している輝夜と、遠くに離れたイルゼ、どちらもいない方角からナイフが来るからだ。
そして、毛皮が全てを弾き返すが、依然、視界は塞がれたまま。
そして、輝夜のナイフは眼球を目指す動きも始めた。
ワーガルルモンは頭を振るが、その振った方向からもナイフが飛んでくる。
片腕でナイフを振り払っても、その手と眼球までの隙間にナイフが飛び込んでくる。

「グオオオオオオオオオオン!!」

雄叫びを上げ、左腕で顔を覆い、ワーガルルモンは右手を目の前に存在している輝夜に振り続けるが、当たらない。
縦横無尽に無数のナイフが責め続ける。
すると、突如闇夜を切り裂く閃光が迸った。




離れたイルゼはすぐにカードを取り出した。

「アデアット!」

出現した韋駄天に跳び乗ると、イルゼはマナを限界以上に取り込んだ。

――これが最後の攻防だ。頼むぜ…、俺に答えてくれよ…韋駄天!!

――ギア3じゃ駄目だ…、4でも遅い…。

「ギア…6!!アクセル全開!!」

現在の限界ギアを二段階も上回るギアを、イルゼは開放しようとした。
だが、ギアは4で止まったまま動かない。

――頼む、頼む、頼む、頼む、頼む、頼む!!

イルゼが祈る様に心で叫び続けると、韋駄天のパネルが点灯を始めた。
そして、画面に文字が浮かび始めた。

『Gefahr!Ich gebe ihm einen Auftrag, die ?ffnung von einer Ausr?stung zu beginnen das ?bersteigen Ihrer Grenze.
Wie f?r Gere, der mit Ihrer physischen F?higkeit verwendbar ist, wird ein limiter f?r mehr als es zu 4 gesetzt.』

その文章は、イルゼには見覚えが無い物だった。

――何だこの文字!?

「分からない、日本語か英語にしてくれ!」

焦った様に言うと、文章は変った。

『Danger! I order by the opening of a gear exceeding your limit. 
As for your Gere who is usable with physical ability, a limiter is put for more than it to 4.
(危険!貴方の限界を上回るギアの開放を命令しています。
貴方の身体能力で使えるギアは4まで、それ以上はリミッターが施されています。)』

――さっきのは…?それより、リミッター?クソッ!

「限界を超えていい!!頼む!!」

イルゼが叫ぶ様に言うと、文章が変った。

『Roger. Then I remove a limiter. ……But I will set a deadline. When I do not have you approve it, I cannot do the limit cancellation.
(了解しました。それでは、リミッターを解除いたします。……ですが、タイムリミットを設定させて頂きます。承認していただけない場合は、リミット解除は
いたしかねます。)』

「それでいい!!アイツまで、ギア6で飛んでくれればいい!!頼む!!」

イルゼが叫ぶと、文章が再び変化した。

『……The master who understood it. 
Then I start application of the limit cancellation. I remove a model, vehicle type Arty fact, a limiter of temporary name "Skanda" at one time in 1940. 
I set it for three seconds in a time limit. I return to a card forcibly after progress in a time limit. 
Application of the limit cancellation was completed. Reboot is necessary. 
For reboot, please advocate my name. My Chinese characters are "Behemoth".
(……了解、マスター。
では、リミット解除の申請を開始します。1940年モデル、乗り物型アーティファクト、仮名称『韋駄天』のリミッターを一時解除します。
制限時間は3秒に設定。制限時間経過後、強制的にカードに戻ります。
リミット解除の申請が完了しました。再起動が必要です。
再起動には、私の名前を唱えて下さい。私の真名は、『ベヒーモス』です。)』

「ベヒー…モス…?」

文章を読むと、イルゼは最後の韋駄天の真名を告げた。
その瞬間、韋駄天が閃光に包まれた。
そして、光が途切れると、韋駄天の姿は変っていた。
漆黒のボディーに、幾つ物管が着いている様なゴツゴツしたボードに変った。
そして、パネルに文章が浮かんだ。

『The first limiter cancellation. Transfer of "Skanda / two sets" that the accommodation is completed to treasure tool of the magic guild "tuning", 
and "Skanda" who is the first bare body of "Behemoth" is the second bare body of "Behemoth" at the same time is completion. 
Opening to gear 10 is possible, but the above-mentioned order will reject gear 6. With an order, a time limit is started. 
Please call me "Skanda / two sets" in this state.
(第一リミッター解除。"Behemoth"の第一素体である『韋駄天』が魔術ギルド『調律』の宝具殿に収容が完了、同時に"Behemoth"の第二素体である『韋
駄天・弐式』の転送が完了。
ギア10までの開放が可能ですが、ギア6以上の命令は却下させて頂きます。命令と同時に、制限時間が開始されます。
この状態では『韋駄天・弐式』とお呼び下さい。)』

「よし、頼むぞ…。ギア6セット!!」

その瞬間、韋駄天・弐式のパネルに6の文字が浮かび上がった。
そして、ワーガルルモンは韋駄天のリミッター解除に反応し、イルゼに向きを変えた。
だが、その瞬間に韋駄天・弐式が起動した。
イルゼはファルクスの刃に、ワーガルルモンの技から吸い取ったエネルギーの刃を発生させた。

――いくぜ…。

イルゼは心を殺した。
ただ只管に、ワーガルルモンを殺す事という目的だけを見定めて。
ファルクスを左に構える。そして、全身にエネルギーを満たす。
そして、輝夜はイルゼの考えを理解した。
輝夜の位置はイルゼに顔を向けているワーガルルモンの背後。
地面に伏せると、その状態のまま無数にナイフを投擲し、ナイフ同士をぶつけ合い、ワーガルルモンの視界を完全に封鎖した。
そして、イルゼは韋駄天でワーガルルモンに向かう。
その速度は最初からトップ。
時速60km。
その速度は、十数mの距離に置いては超スピードになりかわる。
一瞬でワーガルルモンに接近する。

「グヲオオオオオオオオ!!!」

ワーガルルモンは雄叫びを上げながら、カイザーネイルを発動する。

「しまった!?イルゼ!!」

両腕を振り上げたワーガルルモンに、輝夜が叫ぶと、輝夜の頭上を韋駄天・弐式だけが通過した。

――え!?

そして、頭上を見上げると、そこには上空からファルクスを振り落とすイルゼの姿が在った。
そして、イルゼのファルクスの斬撃は、ワーガルルモンの振り上げた右腕を切り落とした。

「グギャアアアアアアアアアア!!」

凄まじい悲鳴が木霊する。
だが…。

――しまった!!

凄まじい反動に、体力のギリギリのイルゼはファルクスを手放してしまった。
だが…未だにファルクスの刃は七色の刃を噴射し続けている。
ワーガルルモンのカイザーネイルとフォックスファイアーのエネルギーを吸収したファルクスのエネルギーが切れるまで、残り数秒。
そして、イルゼの手から離れたファルクスを…。

「ハアアアアァァァアアア!!」

輝夜が叫び声を上げながら地面に刺さった状態のファルクスを持ち上げた。
右肩から血を噴出するワーガルルモンは、左腕からカイザーネイルを無茶苦茶に放ち始めた。
だが、輝夜はワーガルルモンよりも遥かに背が低い。
輝夜は転ぶ様に地面に伏せると、その状態から体を反転させながらファルクスを振り上げた。
だが…。

「グッ――!」

凄まじい硬さに、ワーガルルモンの右脇腹に突き刺さった状態でファルクスは輝夜の手から離れてしまった。

「アギャアアアアアアアア!!!」

悲鳴を上げながら、ワーガルルモンは輝夜にカイザーネイルを振り落とそうとする…が!

「ヲオオオオオオ!!」

イルゼは全力で輝夜の腕を掴むと、遠くに放り投げた。

「キャッ!」

放り投げられた輝夜の体は、森の木に激突し、輝夜は悲鳴を上げたが、イルゼはそれを無視して突き刺さったままのファルクスを引き抜いた。
そして、暗黒オーラが噴出しながら、イルゼはマナを滅茶苦茶に吸収し、全身から進化せずにマナを取り込みすぎた反動で体を循環するエネルギーが
暴走し、体中から血が噴出した。
口からも血の塊を吐き出した。
そして、眼球を血走らせたまま、ファルクスを暴れまわるワーガルルモンの首に当てた。

「これが俺の最初の必殺技!!!」

そして、全身全霊のエネルギーを爆発させて振り落とした。

「『首…狩り』!!!」

ファルクスを振り切ると、ワーガルルモンの首が飛んだ。
だが…。

――ナニッ―!?

首が飛んだというのに、ワーガルルモンの体はまだ存命し、カイザーネイルが放たれた。

「グオオオオオオオオ!!!」

ファルクスでカイザーネイルを吸収させる。
だが、全エネルギーを篭めたのか、そのカイザーネイルはファルクスの刃にぶつかった瞬間に暴れ狂い、イルゼの全身を切り裂いた。

「ウアアアアアアアアア!!!」

叫びながら、必死に耐えると…見てしまった。

――何でだよ…何で!!!

「首が飛んだのに生きてやがんだよ!!!」

イルゼが叫ぶと、ワーガルルモンは自身の首に向かって歩いていた。
そして、イルゼは理解した。

――そう言う…事かよ!!

「舐めてんじゃ…ネェェエエエ!!!!」

イルゼは、荒れ狂うカイザーネイルの奔流を…………ずらした。

――全部吸収する必要は無いんだ!!

イルゼはファルクスに七色の刃を顕現させる。

「終わりにしてやる……『死人』!!!!」

イルゼは叫ぶと、ファルクスに残された全エネルギーを開放した。

「必殺技…第二弾!!!」

そして、巨大な刃を出現させたファルクスを振り上げると、柄を挟んで刃の反対側から七色の光を放出させた。

「『大円刃』!!!」

反対側から放出された凄まじいエネルギーの爆発によって加速されたファルクスの刃は、一気に縦にワーガルルモンの体を切り裂いた。
だが、それで終わりではない。
未だに、ワーガルルモンは生きているのだ。

「人の同胞の体使って………舐めた真似してんじゃねえええええ!!!!」

イルゼは憎悪に満ちた怒鳴り声を上げると、大円刃でワーガルルモンの体を横に、斜めに切り裂き続けた。
徐々にエネルギーが切れるまで、何度も何度も。
そして、ワーガルルモンがただの肉塊になると、イルゼは切り裂くのを止めた。

「ハァ…ハァ…グッ―!」

全身から血を止め処なく流し、膝をつくイルゼの眼前に、ワーガルルモンの肉体から白い霧の様な物体が現れた。
ソレは、イルゼの周囲を泳ぎ始めた。

――こいつが…死人!?

浮遊する死人は、まるでイルゼが死ぬのを待っている様だった。

「巫山戯んじゃ…ねえええええ!!!!」

イルゼは叫ぶが、全身に力が入らなかった。

――死ぬ…?俺が…。俺が死んだら…、コイツはッ―!!

歯を噛み締め、イルゼは無理矢理に力を篭めた。
だが、膝は振るえ、両腕は上がらなかった。

――頼むよ…。コイツを…コイツを倒す力を…俺に!!

イルゼが心の中で叫ぶと、ワーガルルモンの肉体が光の粒子となって消えた事に、死人を睨むイルゼは気付かなかった。
そして、ワーガルルモンのデータが、イルゼの体に吸収された。

――えッ―!?

突然光に包まれたイルゼは目を丸くすると、突然、力が湧き出した。
そして、右腕に凄まじいエネルギーが凝縮された。

――これは…この力は!?

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
ア!!!!!!!!!!」

イルゼは全身全霊で雄叫びを上げた。
そして、ギンと死人の魂を睨み付けた。

「ワーガルルモン…お前の力、使わせて貰う!!」

イルゼは右腕を後に逸らした。

――感じる…。自分の肉体を弄ばれた…ワーガルルモンの無念が…。

歯を噛み締め、憎悪と共に、イルゼは死人の魂を睨み付けた。

「喰らい尽くしてやるぜ!!!!」

イルゼの五本の爪に紫の光が宿る。
そして、危機を感じたのか、死人の魂は逃げる様にイルゼから離れていく。
しかし…。

――誰が逃がすかあああああ!!!

「カイザーネイル!!!」

イルゼが右腕を左に薙ぐと、紫の斬撃が飛んだ。
その威力は、ワーガルルモンのソレとは天地程の差があった。
だが、それでも、劣化した死人の魂を切り裂くには十分だった。
死人の魂は紫の斬撃を受け四散し、二度と蘇る事は無くなった。

「ハァ…ハァ…ハァ…」

そして、カイザーネイルを放った体勢のまま、イルゼは崩れ落ちた。
全エネルギーをカイザーネイルに注ぎ込み、イルゼの体は少しも動かなくなってしまった。
そして、そんなイルゼに、輝夜が近寄って来た。

「お見事です。後は私に任せて、今は眠りなさい」

輝夜の優しい声を聞くと、そのままイルゼは意識を手放した。





夢を見ている――。
それは、とても幸せな夢だった。
あるデジモンの物語。
デジタマから孵ったそのデジモンは、赤く、頭に三つの角を持っているその赤ちゃんデジモンは、同じ種族の仲間と幸せに暮らしていた。
そして、村を護るメタルガルルモンに憧れていた。
毎日、村の肉の畑を管理しているガブモンが皆にご飯をくれる。
そして、直にツノモンに進化したプニモンは、仲間のツノモンやプニモンと、ガブモンやガルルモンに愛される毎日を生きていた。
どれだけの時間が経過したのだろう。
ツノモンは立派なガブモンに進化し、今度は自分が子供達を護る番になった。
時折、ワーガルルモンやガルルモンに戦う方法を教わり、普通に生きて、普通に遊んで、普通に寿命を迎える。
そう思っていたし、そうなるだろう筈だった。

――どうして…こんな事になっちゃったのかな…?

ソレは、誰の声なのか、イルゼには分からない。
その声は、酷く悲しげで、寂しげで、辛そうだった。
聞いている自分の方が押し潰されてしまいそうなほど。
これは夢だ。
イルゼはそう思いながらも、他人事に思えない悲しみが胸を衝く。
ある日の事だった。
ガブモンの村は一体のデジモンに襲われた。
それでも、誰も恐れなかった。
村には最強のメタルガルルモンや、戦う事が大好きだけど、とっても優しいワーガルルモンが村を護ってくれるから。
だけど、その日は違った。
見た事も無いデジモンだった。
巨大な一つ眼と赤い翼を持ち、両の掌にも目がある。
化け物だった。
両の掌の邪眼から死の矢が飛び、次々に仲間達がロードされていく。

――やめて…。

木霊する悲鳴は、この世の終わりを思わせた。
プニモンもツノモンもガブモンもガルルモンもグルルモンもその時村に居たドリモゲモンやツノモン、幼年期も完全体も成熟期も何もかも関係なく虐殺され
ていく。

――やめてよ…、

ソレを、イルゼはそのガブモンの眼から見ていた。
悲しみと怒りに心が支配されていく。
次々に殺されていく同胞の魂(データ)は、デジタマになる事も許されない。
全てを、そのデジモンが吸収していくのだ。

――なんでだよ…。

気が付くと、駆け出していた。
止める声が聞こえる。
だけど止まれない。
叫んだ。
止めろ!!と。
すると、そのデジモンはガブモンに気が付き、両手から死の矢を放った。
それを…。

――嫌だ…。

――どうして…?

――何で…僕なんかを…。

その死の矢はガブモンに到達する事も無く、ガブモンの目の前で、ワーガルルモンが光となっていくのだった。

――嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

頭が破裂しそうな程の怒りが、心を支配する。
そして、ワーガルルモンがガブモンを見た。

『逃げなさい…』

その言葉と共に、ワーガルルモンのデータは、謎のデジモンに喰われた。
その瞬間、ガブモンの心は壊れた。
只管に憎悪と悲哀に身を任せた。
そして、ガブモンは怒りのままに進化を遂げた。
ワーガルルモンへのワープ進化。
漆黒の毛皮を持つワーガルルモンは、謎のデジモンに攻撃した。
凄まじい攻撃の嵐を浴びせる。
だが、謎のデジモンは全くのダメージも無く、ワーガルルモンを掴み、言った。

『お前は…使えそうだ』

まるで、ワーガルルモンを心を持たない道具の様に言い、謎のデジモンは、その手をワーガルルモンの頭に置き、その瞬間、ワーガルルモンの意識は
飛んだ。
そして、気が付くと、目の前には親友の怯える姿があった。

――何…コレ…?

周りを見渡すと、同胞の姿は何処にも無い。
そして、信じられない事が起きた。
自分の意思に関係なく体が動き――。

親友のガブモンを――殺シタ。

目の前が真っ暗になった。
ガブモンのデータは、謎のデジモンに回収され、ワーガルルモンは、自分の意思に関係無く連れて行かれた。
そして、連れて来られたのは真っ暗な部屋。
そこには、一体の長い鬚の大きな杖を持つデジモンだった。
巨体のワーガルルモンは、老人の姿をしたデジモンを見下ろし恐怖した。
あまりにも恐ろしい気配を感じ、ワーガルルモンは動けなくなった。
そして、老人はワーガルルモンを手招きし、身の毛もよだつ笑みを浮かべ、ワーガルルモンを異界へと送った。
そして、ワーガルルモンは気が付くと、真っ暗な世界で、死ぬまで幽閉され続けるのだった。
長い時間…。
お腹が空き、体は全く動かせない。
真っ暗な世界で、喋る事も出来ず、ワーガルルモンはただ、殺してしまった友達に心の中で謝り続けた。

――ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめ
んねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい
…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめん
ねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…
ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんね
さい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…。ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ご
めんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさ
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んねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい
…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめん
ねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…
ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…。ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんね
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…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…ごめんねさい…。

時間の感覚も無くなり、喉が乾き、腹が空き、苦しみだけが、生きている事を教える。

――死にたい…。

何度願ったのだろうか。
誰でもいいから殺して欲しかった。
これが罰なのだろうか。
ワーガルルモンを自分の為に死なせ、友や同胞を葬った自分の…。
救いは無い。
死を待つだけの自分は、何時しか個体の概念を無くしていた。
そして、ワーガルルモンの命は消えた。
イルゼは心が裂けてしまいそうだった。
自分の倒した相手、その全てを見せられたのだ。
何も悪くない。
ただ、悪いデジモンに教われ、皆を護ろうとして操られて、皆を殺して…。
どれほど辛かったのだろか…。
魂の尊厳も与えられず、心を癒す間も与えられず、懺悔する機会も与えず。
イルゼはワーガルルモンの眼から見たデジモンの姿を眼に焼き付けた。

――殺してやる…。

心に灯ったのは憎悪の炎だった。
決して許さない。
そして、イルゼは真っ暗な世界に立っていた。
目の前には、ワーガルルモン。
ワーガルルモンはジッとイルゼを見ていた。

『絶対に…お前をこんな目に合わせた奴を殺してやる…だから…』

――俺の中で安らかに眠ってくれ…。

そう紡ごうとした
だが、ワーガルルモンは首を振った。
そして、口を開いた。

『ありがとう……戦うしか出来なかったけど…楽しかった…。十分だよ…。』

そして、ワーガルルモンは微笑んだ。
心の中に直接声が聞こえる。

――君と…友達になりたかった…。

そうして、ワーガルルモンの気配は完全に消えた。
ワーガルルモンが、イルゼに合わせていたかの様に感じたのは、ソレだったのだ。
死人に操られていたのかもしれない。
だが、ワーガルルモンはイルゼと輝夜に合わせて、精一杯楽しんだのだ。
戦いを。
彼に戦いを教えたワーガルルモンの様に…。
だから、アノ時、ワーガルルモンの瞳は好奇心に満ちていたのだ。

『俺だって…』

イルゼは涙を流しながら呟いた。

『俺だって…お前と友達に……』

そうして、イルゼは真っ暗な世界から現実の世界へと戻った。
涙を溢れさせて、泣きじゃくると、暖かい存在を感じた。
ソレが、エヴァンジェリンだと解り、イルゼは抱きついて泣き続けた。
ずっと、エヴァンジェリンはイルゼの頭を撫で続けていた。
ずっと…。
ずっと…。
…………。





時は、イルゼが輝夜に抱かれて花崎館に向かった時にまで遡る。
戦いの舞台を一望出来る大木の枝に、二人の男が居た。
一方は、分厚く大きなコートを着て、オレンジのサングラスを掛けて、青い髪を風にたなびかせている。
もう一方は、長めの銀髪を風に揺らして、美しい顔で微笑んでいる。

「全く、大した者ですね、あの少年…それに少女も」

銀髪の青年は、クスクスと笑いながら、もう一方の男に話し掛けた。
男も、気さくそうに返事をした。

「ああ…。育て甲斐がある」

唇を吊り上げて、男は爛々と輝く瞳をサングラスの奥に宿して言った。

「あの少年、既に我等『調律』以外にも、教会の『イングランド国教会』の『ペンドラゴン』や『ドイツ教会』の『破壊者』、魔術ギルドの『蛇』が、既に動き出し
てるし、彼には『真祖』の『お母様』までついてるんだ。『極東最強』や我等が『介入者』様、『サムライマスター』に魔法生物世界の『最強』までも、彼に肩入
れしてるらしいじゃないですか。手を出そうたって簡単にはいきませんよ?」

青年は心底楽しそうに言った。
すると、男は笑った。

「いいのかい?そこまで私に教えてしまって」

「構わないですよ。だって、その程度の情報なら持ってるでしょ?まぁ、実は皆今は様子見状態なんですよ。うちのお姫様も『安易なる介入は許されない』
なんて言うしね。でも、ソレってあの『イルゼ・ジムロック』君に対してだけなんですよねぇ」

青年はもったいぶる様に、どこか媚びる様な口調で言った。

「ふむ、何が言いたいのかな?」

男は愉快そうに唇を吊り上げると、青年に顔を向けた。
すると、青年は一冊の書を右手で開き、左手を男に指し示していた。

「そう言えば、自己紹介がまだでしたね」

そう言うと、青年は笑顔で男を無数の魔法陣で取り囲んだ。
男は冷や汗を流しながら呆れた口調で言った。

「おいおい…、やりすぎじゃないか?」

青年はクスクスと笑うとウインクした。

「僕は魔術ギルド『調律』の『歩く魔道書図書館』こと、『ルクレーシャ・ウッドヴァイン』でぇす♪あっ!勿論偽名ですけどね♪」

ニッコリ笑いながらルクレーシャは言うと、持っている本を開いていった。

「それは何だい?グリモワールだとは思うけど」

男が言うと、ルクレーシャは人差し指をビシッと男に指した。

「ピンポンピンポン大正解!!僕の自慢の魔道書『コアトリクエ』ですよ♪」

ルクレーシャの惚けた言葉に、男は呆れた様に言った。

「南の星の親にして、生と死、及び再生の女神。全ての天の者を生む地球の大母神を冠するとは…些か傲慢じゃないかい?」

男の言葉に、ルクレーシャはウフフと笑った。

「貴方が気にする必要は無・い・で・す・よ♪何故ならここで死ぬからでぇす♪」

「おいおい、どうして私が殺されないといけないのかな?」

男がヘラヘラと笑うと、ルクレーシャは答えた。

「分かってるんじゃないですかぁ?麻帆良に出没したと思ったら、例の魔鳥の観測時にも貴方の姿が確認された。少年には手は出せないし、僕としても
手を出す所か手助けしてあげたいくらいキュートなんだ・け・ど♪」

ニコニコしながら話すルクレーシャは、突然冷徹な視線を男に浴びせた。

「ここで貴方を殺しておけば、それで万事解決って気がしません?」

無表情で目を細め、ルクレーシャは魔道書を開き、挿してあった栞を手に取った。

「やれやれ、私は別に彼に試練を与えてるだけなんだがね。それに、私を殺しても、彼が成長しなければ色々と面倒になると思わないかい?」

男の言葉に、ルクレーシャは無言で栞を開放した。
魔道書とは、一種の魔法陣の集合体だ。
魔術の使用方法が記された書物。原典と写本が存在する。 
著者や地脈の魔力を使い、本そのものが小型の魔法陣と化しているため破壊や干渉を受け付けない。 
有名な魔術師、陰陽師、仙人、魔王、鬼、神、天使が記したものは、干渉を感知すると自動的にその実行犯に対し迎撃術式を発動する。
ただし、使用者となれた場合にのみ、その絶大な力と共に強力な魔術を得る事が出来る。
通常は、魔道書は自筆する事で、自身の魔術の詠唱や術式の形成をスキップする反則的な使い方の為に存在するが、『魔道書(グリモワール)』を記す
には、専門の知識と、実力が必要だ。
通常は、術式を書いただけではただの書物に過ぎない。
魔道書と魔術書は違う。
例えるならば、『死霊秘法(ネクロノミコン)』『食人祭祀書』『ネームレス(無名祭祀書?)』『抱朴子』『法の書』『金枝篇』『Mの書』『ヘルメス文書』『秘奥の
教義』『テトラビブロス』『エイボンの書』『ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)』『創造の書』『死者の書』『暦石』などが魔道書に分類される。
逆に、魔法の教科書、並びにコメニウスの記した『世界図絵』を原典とする魔法百科事典『世界図絵』は、その形式上は魔術書に分類される。
そして、ルクレーシャの持つのは紛れも無い魔道書だ。
自身で執筆した数千の魔術が記されている、近世に於いては最高レベルの魔道書なのだ。
魔道書は、エヴァンジェリンですらも作成は不可能な技術なのだ。
そして、ルクレーシャは既に『マウソロス霊廟』という包囲網集中結界を発動している。
そして、栞を解くだけで、高位の術すらもシングルアクションで可能なのだ。

「無用な心配ですよ。彼は真祖に加護を受けている。今代はたしか六回目の転生でしたか。本来なら、眠っている『彼女』は肉体が一定に成長するまで
に目覚めるのですが、コリン・ビーンですか、厄介な事をしてくれるものです」

「それはどうかな?」

男の言葉に、ルクレーシャは首を傾げた。

「そのコリン・ビーンの働きは、運命の鍵の一つなのではないか?彼女…Evangeline.Athanasia.Kitty.McDowell…。彼女の物語に欠かす事の出来ないピ
ースだったのではないか?」

男の言葉に、ルクレーシャは興味深げに目を細めた。

「面白い事を言うのですねぇ。物語ですか…そう言えば、我等の姫君も同じ事を言うのですよ。『本来の物語は瓦解し、新たな物語に世界は動いている』
…と」

「アカシャにリンク出来るメイガスが君の所にも居るのかい?」

男の言葉に肩を竦めた。

「さて、それはどうでしょうね。必要だからこそ、能力に目覚める者が居る。偶然ではなく必然が世界を覆っている様な気がするんですよ、僕は。だから
…」

ルクレーシャはそう言うと、男に微笑みかけた。

「その必然を壊したくなるのが人情と言うのでは無いですか?この国の言葉では」

「さて、その様な人情は聞いた事が無いな。まぁ…」

男はニヤリと笑うと、次の瞬間に結界が破壊された。
そして、男の手には大きな魔銃が握られている。

「マジックガンナーですか、意外ですね」

ルクレーシャが言うと、男は「そうかい?」と唇を吊り上げて肩を竦めた。
そして、ルクレーシャは栞を解くと、周囲に光の模様が広がった。

「位相結界ですよ」

聞いても居ないのにルクレーシャは言った。

「これで、彼らに我々の存在は気付かれない」

――その意味、分かりますよね?

言外に、ルクレーシャは言った。
そして、男は魔銃を構えて笑った。

「仕方ないな。まぁ、君を殺すと、後々面倒になりそうだ。両手両足を砕き、喉を潰し、ついでに尊厳を犯して二度と私に近づく気になれない様にしてやろ
うか」

邪悪な笑みを浮べて、男は言った。
ルクレーシャは妖艶な笑みを浮べて返答を返す。

「フフフ、僕は女性の好みも男性の好みも五月蝿いのですが、貴方は僕の好みじゃない。残念ですけど、ここで死ぬのは…ア・ナ・タです♪」

そう言うと、突如男は魔銃を自身の右方向に放った。
すると、そこには無数の多種多様な属性の矢が男を襲おうとしていた。

「なるほど、これが結界を張る前に解いた栞の魔法か。火、水、氷、雷、風、光、闇、重力、磁力、天力、地力、混沌、無色、星、月、太陽他にも色々か
…。栞を解くだけでこんな術を使えるなんて、反則じゃないか?」

男は飄々とした笑みを浮べながら言った。

「まさか、只の一撃で全てを落とされるとは、些か予想外でしたよ。防がれるのは分かっていてもですが」

ルクレーシャも、笑みを崩さずに言った。
そして、魔道書から栞を三枚引き抜く。

「連続でいきますよ♪紅き破壊よ降り注げ、『ヘルカタストロフィ』。タロスより来たれ、核は一つにして千の弾丸『イベントホライズン』。彼方より来たれ、白
亜の魔刃『コンセントレイション』」

三枚の栞を解きながら、ルクレーシャはそう唱えた。
別に、呪文は必要無いが、気分を盛り上げる為には必要な趣向だ。
日本語なのは、自身の立つ地の言語だからだ。
栞が解けた瞬間、男に向かい、紅い閃光の雨が降り注ぎ、同時に二つの光球が男の左右に出現すると、そこから無数の矢が放たれ、同時に百の巨大
な魔力の円盤が凄まじい回転をしながら男に向かっていった。
まさしく刹那の間に、男は無数の魔弾に囲まれたのだ。
だが、男の余裕の笑みは崩れない。
縦から横から斜めから。
全方位から無数の魔弾が男に降り注いだ。
だが、ルクレーシャが瞬きをした瞬間に、男の姿は消え、直ぐ後で魔銃のトリガーを引いた。
だが、ルクレーシャの姿は魔銃から弾丸が放たれる前に消えていた。

「ほぅ…」

男は感心した様に言うと、上を見上げた。
そこには、栞を解いたルクレーシャの姿があり、男の周囲には多い尽くすように魔法陣が出現していた。

「暗黒神の爪よ、敵を切り裂け『ブラックロープインフェルノ』」

ルクレーシャが呟くと、男の体はズタズタに切り裂かれ消滅した。
だが…。

――フェイク…。

ルクレーシャは次の栞を解き、一瞬で距離を取った。
すると、男は凄まじい威力の魔弾を放った。

――威力はランクに換算するとCクラスか…それを連発となると…。

魔術、陰陽、魔法、仙術、あらゆるモノはランクが存在する。
ランクFが最下位であり、それぞれ三つずつ並んでから上に上がる。
AAAから上はS,SS,SSS,Ex,Xがある。
ちなみにXは測定不能だ。
サギタ・マギカは単発では精々ランクはFF程度。
雷の暴風や闇の吹雪でランクD、千の雷でランクBであり、神の雷でようやくランクAに届く。
ルクレーシャの使った術はどれもランクDD止まりだ。
ランクCよりも2ランク落ちる。

――でしたら、動きを止めるまでですね。

ルクレーシャは栞を引き抜くと解いた。

「捕らえるは神狼を縛りし第一の鎖『レーディング』」

ルクレーシャの手元に出現した六芒星の魔法陣から、無数の鎖が伸びる。
結界内を縦横無尽に伸び続けるレーディングの鎖は、徐々に男へと狭まっていく。
だが…。

「その程度の鎖で縛れる男がお前の好みか?」

ニカッと笑い、男は鎖を魔銃の一撃で粉砕した。
だが…。

「レーディングを砕いた時、第二の鎖が出現する。神狼縛りし第二の鎖『ドローミ』」

ルクレーシャは涼しい笑みを浮べながら呟いた。
すると、砕けた鎖の中から新たな鎖が産み出た。

「おいおい、激しいのが好きなのか?中々、組伏せる時は面倒が掛かりそうだな」

呆れた様に微笑みながら、男は魔銃を放った。
すると、鎖は最初と同じく砕け散り、光の粒子となって空間を漂った。

「フェンリルを捕らえるのは最後の紐だったか…?」

男が言うと、ルクレーシャはニヤリと笑った。

「第二の鎖が破壊され、思考した大神が小人達に作らせし拘束の紐『グレイプニル』」

光の粒子は結び付き、男の体に纏わり付いた。
男は冷や汗を流しながら魔銃を放つが、光の粒子であるグレイプニルには効果が無かった。

「反則だろ、破る度に強度を増すなんて」

男の言葉に、ルクレーシャは目を細めると言った。

「ここで殺せば、全ては終わる。『黄昏に呑まれし神の槍、我が血を喰らいて我に従え』」

ルクレーシャの詠唱に、男は冷や汗を流した。

「おいおい…その詠唱は…」

「『奈落より出でて万象を穿たんと欲すれば、我が御手より一条の真紅貫け。字の果てまで等しく真赤く染め抜き…』」

「チッ―!」

男は忌々しそうに舌打ちをすると、ルクレーシャを睨み付けた。
白銀の髪が魔力の波動に揺られている。
長い睫と整った顔立ち、それら全てを憎憎しく感じている。
ランクAAAの大魔術。
ランクAAの『神雷の氷柱』をも上回る。
魔道書から十枚の栞を引き抜き解いて尚、詠唱を必要とする術だ。

「『今ここに、終焉を迎えん事を…。其は大神の右腕にして千里を越える滅びの矢とならん』」

詠唱が完成した。
ルクレーシャの手に、紅く染まった先が螺旋状になっている魔槍が顕現する。
邪悪な魔力と、巨大すぎる圧力を発するソレは、あらゆる存在をひれ伏せさせる。

「『スピア・ザ・グングニル』」

真名を唱えた瞬間、空間に亀裂が走る。
凄まじい真紅の魔力が、ただ男を殺す為だけに爆発する。

「神の槍を持ち出すとは…業が深すぎるのではないかい?」

それでも尚、軽口を叩ける男の強さに、ルクレーシャは微笑を漏らした。

「グングニル。意味は、投げれば必中を約束される。かの最強の聖剣の原典すら破壊した極上の神槍を御堪能あれ」

ニッコリと笑みを浮かべ、ルクレーシャは魔道書を閉じると、懐に仕舞い両手でグングニルを操った。
そして、男に槍先を向け、グングニルを投擲した。
間近で爆発したかの様に、グングニルの反動は凄まじかった。
そして、空間ごと貫かんと凄まじい爆音の如き摩擦音を響かせ、グングニルは男に迫る。
その時、男は…。






笑った。






そして、ルクレーシャには何が起きたのかが理解できなかった。
視覚で知覚したのは、グングニルがまるで、解ける様に四散した光景で、残りは自分の両腕と両足を切り落とされた痛感による知覚のみだった。

「ア…アァ…………………………ガッ!」

そして、両腕と両足を奪われたルクレーシャの肉塊を、男は抱き、ルクレーシャの肉体は、露出した肉や骨に至るまでありとあらゆる場所を蹂躙され、痛
めつけられた。
心が壊れるまで。
そして、男はクスリと笑った。

「中々の玩具だな。まさか、人形をここまで作り込むとは。自分が本物だと思っていたんじゃないか?」

男の言葉に、ルクレーシャは笑みを浮べた。
絶命している筈なのに。

『玩具なんて酷いですねぇ。スキルニル。大神の作りし人の模造品。言ってみればもう一人の僕なんですよ?しかし、偽者と分かっててあそこまで喘がせ
るとは、中々に怖い人ですねぇ♪少し、実際にお相手したくなっちゃいましたよ♪』

ルクレーシャの言葉に、男は苦笑すると、ルクレーシャの人形の頭部を踏み砕いた。

「思ったよりも早かったか…。だが、種子は55年前に撒き終わっている。後は、アイツを導くだけだ…」

そう呟くと、男の姿は霞の様に消えてしまうのだった。




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