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第83話『到着』
イルゼが眼を覚ましたのは船の客室の中でだった。
「あれ…?ここどこだっけ…」
イルゼは起き上がると、見慣れぬ部屋に戸惑った。
かなり広い部屋で、床は絨毯が敷いてある。
大きな窓があって、イルゼの周りには学、フェイ、亜里抄が眠っていた。
イルゼは起き上がると、窓の近くの椅子で座って小説を読んでいる千里を見つけた。
その近くではボルクがコーヒーを飲んでいる。
「千里さん。ここって…?」
イルゼが聞くと、千里は小説から眼を上げずに答えた。
「船の中よ。貴方達が眼を覚ますのが遅いから、高等部の先輩達とここに運んだのよ」
「そっか…。部長達は?」
イルゼが聞くと、千里は小説のページを捲った。
「部長は輝夜さんとデッキに行ったわ。蓮さんと嵐さんは船の探検中。高等部の人達はこの部屋の隣の部屋に居るから、後で挨拶をしておきなさいね。
それで、質問は終わり?」
千里は早く切り上げたそうに言った。
イルゼは「最後にもう一個」と言った。
「何読んでんの?」
イルゼが聞くと、千里は開いているページに親指を挟んで、本を閉じて表紙をイルゼに見せた。
「バーティミアス。結構面白いわ。読むなら、読み終わった後に貸して上げるわよ?」
千里が言うと、イルゼは首を振った。
「俺、本とか読むの苦手だからいいや。んじゃ、俺、学達起して隣の部屋行って来るよ」
「そう。別に、私はどうでもいいから気にしないけど、高等部の先輩達には敬語をつけなさいね」
それだけ言うと、千里は小説に視線を落とした。
そして、イルゼは「はぁい」と言うと、学達の下に歩み寄った。
そして、眠っている学を揺すった。
「起きろぉ」
イルゼが何度か体を揺すると、学は瞼を動かした。
「んん…、あれ?僕、何時眠ったんだっけ…?」
学は目を覚ますと、辺りを見渡して首を傾げた。
そして、イルゼを見つけて言った。
「眠ってたんじゃなくて、気絶してたんだよ…。俺もさっき目を覚ましたばっかだ。それより、フェイと亜里抄起こして、三郎丸さんとこに挨拶に行こうぜ。自
己紹介くらいしとかないとな」
イルゼが言うと、学は頷いた。
そして、キョロキョロと辺りを見渡した。
「あれ?僕の眼鏡しらない?」
学が聞くと、イルゼは肩を竦めた。
「知らないぞ。鞄の中か…」
イルゼが言うと、ボルクが近寄ってきた。
「ここだ。眠っている時に割れたら拙いからな」
ボルクは無表情でそう言うと、学に眼鏡を渡した。
「あ、ありがとうございます」
学が礼を言うと、ボルクは頷いて千里の下に戻った。
そして、学は感動した様に言った。
「僕…、初めてボルク先輩の声聞いた気がする…」
「俺も…」
イルゼも少し感動していた。
そして、イルゼと学は二人でフェイと亜里抄を起こした。
そして、亜里抄は目を開けると、「後5分」と言ってまた眠ってしまった。
フェイは眼を覚ますと「おはよう」と言って眼を擦っている。
イルゼは二度寝してしまった亜里抄の頬を軽く引っ張った。
「後5分じゃねえよ。起きろ」
イルゼがそう言うと、亜里抄は情けない声を発した。
「いひゃい…」
そして、学は呆れた様に言った。
「後5分って言って、5分で起きた人はいないよ…」
そして、亜里抄も眼を覚ますと、大きく欠伸をした。
ちなみに、亜里抄の服は黒のワンピースで、亜里抄の金髪に良く似合っていた。
「んじゃ、隣の部屋行くぞ」
イルゼが言うと、亜里抄とフェイが首を傾げた。
「何で?」
フェイが聞くと、イルゼは答えた。
「部長と輝夜さんはデッキでデート中。蓮さんと嵐さんは船の中探検中で、高等部の人達はここの隣の部屋に居るらしいんだ。だから、まずは高等部の
人達に挨拶しとこうと思ってな」
イルゼが言うと、フェイと亜里抄も納得した様に頷いた。
そして、イルゼ達は部屋を出ると、そこは外だった。
ちなみに、部屋には左右に二つずつ扉があり、イルゼ達が出たのは右側の扉だ。
「うわぁぁ」
「凄げぇ」
フェイと亜里抄は吹き付ける風に煽られながら、燦々と輝く太陽が反射して輝く海に歓声を上げた。
イルゼと学も柵に手を置いて眼前に広がる大海原を眺めた。
「おおおおおお!!!!」
イルゼは大はしゃぎで海を眺めた。
「あっ!イルゼ、あそこあそこ!!」
すると、学がイルゼの肩を揺すって、少し離れた場所を指差した。
「あれってクラゲじゃね!?」
イルゼが叫ぶと、亜里抄とフェイも柵に手を置いて「どれどれ」と学の指差す先を見た。
「あっ!本当だ!」
とフェイもクラゲを見つけて歓声を上げた。
「うわぁ、デカ!?」
亜里抄はその予想外の大きさに吃驚した。
そして、学は急いでカメラを取り出した。
「記念に撮っとこ」
そう言って、カメラでクラゲを写した。
「なんの記念だよ…。にしても…、きっもちいいなぁ!」
イルゼは深呼吸しながら言った。
「潮風が気持ちいいねぇ」
学がフェイが言うと、亜里抄も頷いた。
「ホントだぜ。でも、潮の香りって臭いって聞いたんだけどな」
亜里抄が言うと、学が口を開いた。
「それは潮じゃなくて、磯の香り。あれは、海草が腐った臭いなんだよ。でも、うぅん!なんか、空気も綺麗でいいねぇ」
学も満足気に言うと、背伸びをした。
「そんじゃ、三郎丸さんのとこ行こうぜ」
イルゼが言うと、学達は頷いて答えた。
すぐ近くの扉を開くと、そこには固まって何かを相談している高等部の面々が居た。
「ん?おやぁ、君達か。眼が覚めたんだね」
三郎丸はそう言うと、優しく微笑んで近寄って来た。
「気分は悪くなったりとかしてないかい?」
三郎丸が言うと、学が「大丈夫です」と言った。
「そうかい。それじゃあ、折角だし皆の紹介をするよ。おぉい!皆、ちょっと来てくれ!」
三郎丸が大きな声で呼び掛けると、固まっていた面々が近づいて来た。
「ここに居るのが、僕と同じ高等部のミス研のメンバーさ。一人ずつ紹介するね」
三郎丸が言うと、一人の少女が口を開いた。
「自己紹介くらい、自分で出来るわよ。まずは、三郎丸。アンタが最初にしなさいよ」
少しキツイ感じのするショートカットと言うには少し長い感じの黒髪の美人が言った。
三郎丸は「りょ、了解」と言うと、小さく咳払いをした。
「えっと、じゃあ改めて自己紹介するね。よく考えたら、守森村でも禄にちゃんとした自己紹介をしてなかったしね。僕は三郎丸健史。高校三年生だよ。改
めてよろしくね」
そう言うと、三郎丸はニッコリと笑った。
そして、今度はさっきの少女が口を開いた。
「私は水城桜。三郎丸と同じ三年生よ。一応、高等部のミス研の部長をやってるの。よろしくね」
桜はそう言うと後ろの三人に顔を向けた。
そして、三人の内の一人の少年が頷くと、一歩進んでイルゼ達に顔を向けると口を開いた。
「僕は白峰明。明るいって書いてトオルって読むんだ。ちなみに…」
黒髪で、平凡そうな顔をしている明は、そう言うとポケットからトランプを取り出した。
「一枚引いてみて」
そう言って、トランプのデッキをイルゼに引く様に言った。
「えっと…、んじゃこれ」
そう言うと、イルゼは適当にトランプを引いた。
すると、明はニヤリと笑った。
「ハートの7」
「え?」
明の言葉に、イルゼは目を丸くすると、トランプを表にした。
すると…。
「ハートの7だ…。え!?どうやったんだ!?」
イルゼは眼を見開いて聞くと、明は右手の人差し指を口元に持ってくると言った。
「内緒さ。僕はマジシャンでね。これでも、結構な腕だって自負してるんだよ」
そう言うと、明はウインクして見せた。
そして、次にもう一人の少年が前に出た。
「んじゃ、次は俺だな。俺は郷田信二だ。明みたいな芸当は出来ないが、特技はパズルだ。よろしくな」
そう言うと、慎二はニッと笑った。
そして、最後にもう一人の少女が口を開いた。
少女は黒髪を腰まで伸ばしていて、カチューシャをしている。
黒いブラウスに黒いスカートを着ている。
「私は鷺宮里香。よろしくね。一応、大学は医学部を目指してるから、少しの怪我や病気くらいなら診て上げられると思うの。調子が悪かったりしたら言っ
てね?」
そう言うと、里香はニッコリと微笑んだ。
そして、三郎丸が口を開いた。
「ちなみに、三人は二年生なんだ。一年生は…今年は入って来なくてね…」
三郎丸は後頭部を掻きながら苦笑して言った。
「私達はちょっと向こうでのゲームの打ち合わせがあるの。だから、貴方達は船の中を探検してくるといいわ」
「ゲームですか?」
桜が言うと、フェイが首を傾げた。
「そうよ。ちょっと、面白い企画を考えてるの。だから、楽しみにしててね。後、船の中だけど、地下は行っちゃ駄目よ。危ないからね。まぁ、機関室と、船
の乗務員の人達の部屋しかないから、あんまり行っても楽しい所じゃないわ。確か…、ここは二階で、三階には操舵室があるんだけど、操舵室にも行っ ちゃ駄目。邪魔しちゃ悪いからね。一階には、簡単な遊戯室と、視聴覚室があるから、そこで映画を観るのもいいわね」
桜の言葉に、イルゼは「了解」と言った。
「それじゃあ、邪魔しちゃ悪いし、僕達は一階に行こうよ。デッキには行かないようにしてね」
学が言うと、亜里抄とフェイも頷いた。
「それじゃあ、失礼します」
亜里抄が丁寧にお辞儀をしながら言うと、イルゼ達も習った。
そして、高等部の面々に見送られながら、イルゼ達は部屋を出た。
そして、イルゼは直ぐ近くに船の見取り図を見つけた。
「えっと…、階段は後ろと前にあるんだね。ここからだと前の階段が近いみたいだ」
学が言うと、亜里抄が口を開いた。
「まずは、遊戯室に行くか?」
亜里抄の言葉に、イルゼは「そうだな」と言うと、階段に向かって歩き出した。
「ビリヤードか卓球台でもあればいいけどね」
学が言うと、亜里抄は肩を竦めた。
「つっても、そこまでちゃんとした設備は期待しない方がいいんじゃないか?パチスロとか、インベーダーとか在ったらマシってくらいに思っとこうぜ」
亜里抄の言葉に、イルゼは肩を落とした。
「インベーダーとか、パチスロとか、やってもすぐ飽きるだろ…」
そう言いながら、イルゼ達は階段を降りた。
「結構急だな。皆、気を付けろよ!」
イルゼが言うと、学達は頷いて手摺を握りながら階段を降りた。
そして、すぐ目の前に、『遊戯室』と書かれた部屋を見つけた。
遊戯室に入ると、イルゼ達の予想は良い意味で裏切られた。
そこには、キチンとした卓球台があったのだ。
他にも、ダーツや、チェステーブルが置いてあった。
「おっ!結構揃ってるじゃん」
イルゼが喜色を浮かべて言うと、亜里抄も驚いた様に言った。
「へぇ、凄いな。そういや、この船って麻帆良学園のなのか?」
亜里抄が聞くと、学は首を捻った。
「どうなんだろ。僕は知らないよ」
学が言うと、突然後ろから声がした。
「違うぜ。この船は元々は客船だったんだが、引退してな。それを、我がSチームが修理したんだ。高等部の面々は、前は小さな船に送って貰っていたそ
うだが、今回は俺が船を提供したのさ。ちなみに、この船のクルー達は皆Sチームのメンバー達だ」
イルゼ達が振り向くと、そこにはサムが居た。
「あっ!爆走バス野郎のサムさん」
学が呼ぶと、サムは「ノンノン」と指を振りながら舌打ちをした。
「俺の事は、ただの爆走バス野郎と呼んでくれ。ちなみに、この船の自動販売機はボタンを押すだけで出てくるからお金を入れる必要は無いぞ。それじゃ
あ、俺は操舵室に行く。俺は現れるのも早いが、去るのも早い。じゃあな」
そう言うと、サムはサッサと部屋を出て行ってしまった。
「輝夜さんの叔父さん…、ちょっと変わってるな」
イルゼが言うと、学も「そうだね」と言った。
「まぁ、いいじゃん。それより、何か飲もうぜ。自動販売機はタダらしいし」
亜里抄が言うと、イルゼも「そうだな」と言った。
そして、遊戯室の壁際にある自動販売機で、イルゼ達はジュースを選んだ。
ちなみに、フェイはオレンジで、亜里抄はコーラ。
学とイルゼはコーラにした。
それから、イルゼ達はビリヤードやチェス、ダーツをプレイして時間を過ごした。
「よっと!」
イルゼはダーつを投げるが、中々的に当たらなかった。
「結構難しいな」
イルゼがダーツを投げると、やはり外れてしまう。
「イルゼは力いっぱい投げ過ぎなんだよ。もっと、肩の力抜かなきゃ」
学はそう言うと、真ん中には当たらないが、それでも的の中には入っている。
そして、フェイと亜里抄はチェスをプレイしている。
「むむむ…。フェイ、中々厭らしい手を使う奴だぜ…」
ナイトを巧みに操るフェイに、亜里抄は悩みながら言った。
「亜里抄が歩兵を特攻させてばっかりだからだよ」
フェイは余裕な表情で言った。
「むむむ…、ええい!全軍で総攻撃だぜ!!」
そう言うと、亜里抄はナイトやルークを次々に進めて行った。
そして…。
「負けたぜ…」
「亜里抄はもうちょっと、戦術を立てなきゃ駄目だよ」
フェイが言うと、亜里抄は溜息を吐いた。
「だって、突撃は美学だろ?」
「そんな美学聞いた事ないよぉ」
亜里抄の言葉に、フェイは呆れた様に言った。
そして、一時間くらいして飽きてくると、四人は視聴覚室を探した。
「そういや、後どのくらいで着くんだ?」
イルゼが聞くと、学が答えた。
「しおりを見てないのかい?船は二時間の筈だから、後一時間も無いと思うよ」
「んじゃ、映画は無理か。アニメなんかあるかな?」
イルゼハそう言いながら、遊戯室から出てすぐ隣の部屋が視聴覚室だと分かった。
そして、視聴覚室に入ると、大きなテレビがあり、壁に沢山のビデオが並べられている。
「おっ!忍空があるぜ!」
イルゼが言うと、亜里抄が別のビデオを持ってきた。
「こっちのセーラームーンがいいぜ!」
「忍空!」
「セーラームーン!」
「「むむむむ…」」
イルゼと亜里抄が睨みあっていると、突然テレビの電源が付いた。
「やっぱりガンダムでしょ」
学はそう言うと、お菓子の自動販売機でポップコーンを買って食べながらソファーに座った。
「ああっ!学、卑怯だぞ!」
「ずりいいい!!」
イルゼと亜里抄が文句を言うと、学は妖艶に微笑むと言った。
「早い者勝ちだよ」
そして、イルゼ達は尚も文句を言ったが、結局は一緒にガンダムを見て、船は目的地の花崎島にやって来た。
そして、船が花崎島の港に到着すると、イルゼ達は下船した。
秀達や三郎丸達、そして、イルゼ達が降りると、サムも下船しようとして、突然赤いジャケットを着た男がサムに近寄って来た。
「リーダー!………」
「何?…、……」
サムは近寄って来た男と二、三言葉を交わすと、申し訳なさそうに輝夜に言った。
「済まない輝夜。事件が起きてしまって、一端セントラルハイウェイに戻らないといけなくなってしまった」
「戻って来れるのですか?」
輝夜が聞くと、サムは「それは問題ないさ」と言った。
「俺は行くのも早いが戻るのも早い。今日中か、明日には戻ってくるさ」
サムが言うと、輝夜は目を瞑り言った。
「分かりました。まぁ、高等部の方々もいらっしゃいますから、問題は無いと思います。では、戻って来れそうでしたら、連絡をお願いします」
輝夜が言うと、サムは「了解」と言うと、船に戻って行った。
そして、船が去って行くと、秀が手を叩いた。
「よし、んじゃ行くぞ!」
秀が言うと、イルゼ達は秀の後に続いた。
「それじゃあ、私達も行くわよ」
高等部の部長である桜もそう言うと、歩き出した。
そして、一同は港から山道に向かって行った。
歩いている途中、マジシャンの明がイルゼ達に顔を向けて口を開いた。
「この島は、今は住んでいる人がいないんだけど、結構怖い話が残ってるんだよ」
「怖い話って、もしかして殺人事件があったっていう?」
学が聞くと、明は頷いた。
「そう。元々、この島は無人島でね。危険な生き物もいないし、毒を持った生物や植物も少ない上に空気も綺麗でサナトリウムを建てるには絶好の場所
だったんだ」
明が言うと、その後ろから縞々模様のシャツの慎二が口を開いた。
「所が、実はこの島にサナトリウムが出来たのには、もう一つ理由があったんだ」
「理由?」
イルゼが聞き返すと、慎二は「ああ」と答えた。
「実は、この島は軍の研究施設だったって言う話があるのさ」
「軍って…日本軍?」
フェイが聞くと、慎二は頷いた。
そして、明が口を開いた。
「元々、この島に収容されたのは結核の患者ばかりだった。そして、結核の患者と言うのは、割と昔は悲惨でね。助からない場合が多かったんだ。特に、
戦時中は薬や食料が少なかったからね。サナトリウムに収容された患者は、殆ど死ぬのを待つばかりだったんだよ。それに、見舞いに来る人間も少な い。感染する可能性があるんだ」
「感染する可能性?」
亜里抄が聞くと、後ろから医学部志望の里香が口を挟んだ。
「結核に罹った場合、胸のX線検査をすると肺に穴が空いているの。痰を染めて調べると顕微鏡で結核菌が見つけられる状態なってしまった患者さん
は、咳をしたり、くしゃみをしたり、大声で歌ったりすると、結核菌の混じった飛沫が周りに飛び散ってしまい、大きな飛沫は重いのですぐ落下しますが、 小さい飛沫は、水分が蒸発して、結核菌だけが軽いので何時までも空中に残ってるんです。周りの人がこれを吸い込むと移ってしまいます。それに、戦 時中ですと、今の様に医療もまだ進んでおらず、下手に防菌服を着ても感染してしまう可能性もあったのです。薬の効果もあまり強く無く…」
里香が言うと、慎二が口を開いた。
「そんな訳で、ぶっちゃけ助からない。且つ、見舞い客も少ない結核患者ってのは、人体実験の材料には最適だったわけさ。どんなに惨い扱いをしても、
助けも呼べない。それに、助けも来ないし。来たとしても、無理やり感染させて、見舞い客も患者にしちまうって事があったらしいんだ」
慎二は皮肉気な表情で言った。
そして、イルゼ達は気分が悪くなる思いだった。
「なんか…、デジャブを感じるな…」
イルゼは何となくそう重い呟いた。
「そう言えば、麻帆良山と言い、守森村と言い、実験施設に縁があるね…僕達」
学が言うと、フェイは不安そうに明に聞いた。
「あの…ここでは、何の実験をしてたんですか?」
フェイが聞くと、明は言った。
「君達、日本が戦時中に何処の国と組んでいたか知ってるかい?」
「知ってるか?学」
明の言葉に、イルゼは首を傾げながら学に聞いた。
「えっと…、第二次世界大戦中なら日本はドイツとイタリアと防衛同盟を組んでたんじゃなかったっけ?」
「防衛同盟って?」
フェイが聞くと、学は困った顔をした。
「僕も、そこまで詳しく無いんだけど、要は他の国から三国の内の一国が襲われたら、他の二国は助けに行かないといけないって言う義務があるんだよ」
学が言うと、明は驚いた様に言った。
「凄いな。その歳でそこまで知ってるなんて。その通りだよ。当時の憲法には、第三条に、
『(前略)三締結國中何レカ一國カ、現ニ欧州戦争又ハ日支紛争ニ参入シ居ラサル一國ニ依リ攻撃セラレタル時ハ、三國ハアラユル政治的経済的及軍
事的方法ニ依リ相互ニ援助スヘキ事ヲ約定スル。』
っていうのが在ったんだ。ちなみに、日独伊、つまりは日本、ドイツ、イタリアだけど。その三国は当時の連合国、つまり、主要五カ国だったアメリカ合衆
国、イギリス、フランス、中国、それに四年前に解体された、ソビエト社会主義共和国連邦…、まぁロシアの事だね。その五カ国とそれに従う国々の事 で、その連合国に敵対して、枢軸国って呼ばれていたんだ」
明が説明すると、イルゼが首を傾げた。
「それで、この島で在った実験と何の関係があるんだ?」
イルゼが首を傾げると、慎二が口を開いた。
「つまり、日本はドイツと組んでいた訳だ。ドイツの当時のリーダー、アドルフ・ヒトラーを知っているかい?」
慎二が聞くと、学だけが頷いた。
「確か、ユダヤの人達に酷い事をした、ドイツの初代総統だって聞いたけど…。かなり酷い独裁者だったらしいよ」
学が言うと、慎二が肩を竦めた。
「まぁ、実際に彼が行ったのはかなり惨たらしい悪魔の所業だったさ。だけど、彼は一国のリーダーとしては…、有能な部類に入ったんじゃないかな?そ
れに、自国のアーリア民族の事は深く愛していたし、何よりも彼は紳士だったらしい。差別主義者だったのは確かだけど、他の国だって、もっと酷い差別 が横行していた国もあるんだ。今でこそ、黒人差別は少なくなって来たけど、それでも少なくなって来ただけで、まだまだ根深い所に巣くっているんだ」
慎二は一端口を閉じると小さく息を吐いた。
「実際、彼を悪と断じる権利があるのはユダヤとドイツの人達だけだよ。他の国の人間がとやかく言う権利は無い。トップに居ると言うのは重い責任を持
つ事と同義だからね。自国の為ならば何でもする。そう言う人間だったからこそ、そこにカリスマ性も確かにあったんだ。後に不名誉として浸透したけど、 彼の『高貴な狼』と言う意味のアドルフの名は、当時は大人気だった」
そこまで語ると、慎二は首を振った。
「いや、済まない。話がずれてしまった…。俺が言いたいのは、彼、アドルフ・ヒトラーが戦時中に研究していた事だ」
「ヒトラーが研究していたモノ?」
学が首を傾げると、明が言った。
「つまり、超常的な存在の事だよ。信じられない話かもしれないけど、彼は本気で霊魂や超能力、超常の存在を信じていたんだ。まぁ、ヒトラーに限った話
じゃないけどね。世界中で、戦争に超常の力を用いろうとした国家のトップは少なくなかった。でも、特にヒトラーの執心っぷりはかなり有名だったんだ」
明がそう言うと、慎二が口を開いた。
「例えば…そう。君達は、悪魔、死神、子鬼、不死者といった、奇怪な化け物をどう思う?そんな悪魔や怪物どもが、この世に存在する事を、無条件に頭
から信じる事が出来るか?」
慎二の試す様な視線と口調に、学は首を振った。
「無条件では無理ですよ。何でって?そう、教えられてるからです。この世には存在しない者達であると、そう教え込まれてる以上、僕達がそれを信じる
のは難しいと思いますけど?」
学が言うと、明が苦笑した。
そして、学は「本気ですか?」と言った。
「まぁ、そうだろうな」
慎二はそう言った。
そして、慎二はイルゼに顔を向けた。
「お前はどう思う?」
イルゼは、慎二の問いにどう答えるべきか迷った。
無論、イルゼは信じている。
というよりも、実際に存在する事を知っているからだ。
だが、もしも知らないと言う条件でこの質問をされたらどうか?
そう考えると、イルゼは口にした。
「……俺は、伝説や神話を頭から否定する気はない。御伽噺や童話には、その話の元となる事実が内に秘められてる事が多いって聞くしな。まぁ、実際
は判らないけどさ」
イルゼが言うと、慎二は「そうか」とだけ言うと、口を開いた。
「だが、信じている者は多く居る。ヒトラーの研究には黒魔術的なモノも数多くあった。例えば、ヒトラーの作り上げたとされる怪物の中に、死人ってのが居
る。こいつは、人を殺して生きるんだ」
「人を…殺して生きる?」
意味が分からず、亜里抄が首を傾げた。
「そうだ。生きる…というよりも、生き延びると言った方が正しいな」
慎二が言うと、イルゼが聞いた。
「死人って何なんだよ?」
イルゼの疑問に、明が答えた。
「死人…、シビトはシニンでもあるんだ」
明がミステリアスな口調で言うと、フェイが困惑した様に言った。
「あの…意味が分からないんですが…」
フェイが言うと、慎二は苦笑した。
「まぁ、そうだろうな」
そして、学が自分の仮説を言った。
「よく分からないけど。言葉の響きだと、ヒトラーの生み出した怪物って、別に超常の存在じゃなくて、自分と言う存在を抹消した自分の名前も身分も家も
家族も捨てたスパイとか暗殺者とかじゃないんですか?そっちの方がピンと来るんですけど」
学が言うと、明がニヤリと笑った。
「確かに、そう言う意味でなら分かり易かっただろうね。だけど、僕達が言っているのはそうじゃないんだ。本当の化け物の話さ」
そう言う明の目は、表情は唇の端を上げて笑顔を取り繕っているが、何処までも真剣だった。
そして、明が口を開いた。
「文字通りの『死人』だよ。この話は、決して嘘偽りじゃないんだ。確かに、神秘的だし、怪奇的な要素に満ち溢れている。だが、この死人と言う存在は、
数年前にパリを実際に騒がせたんだよ」
「ッ―!?現実にですか!?」
明の言葉に、学は目を丸くした。
そして、イルゼは目付きを鋭くし、明と慎二の話を注意深く聞く事にした。
そして、慎二が口を開いた。
「この事件は、その性質上、あまり世間には大々的には公表されなかった。だけど、俺達は訳あって、この事件を知った。この、恐るべき神秘と怪奇に溢
れた奇妙奇天烈摩訶不思議な謎をな」
慎二の言葉に、イルゼ達は知らず唾を飲み込んでいた。
そして、明が言った。
「君達は、ナチ狩りって知ってるかな?」
明の言葉に、学も首を傾げた。
それを見て、慎二が言った。
「まぁ、名前から推測出来るだろうが。アドルフ・ヒトラーの率いたナチス・ドイツの生き残りであるナチを狩る事だ。ナチの追跡者と言うのがいてな。彼ら
は、逃亡したナチを捕獲して制裁を与えたんだ」
慎二が言うと、イルゼは首を傾げた。
「俺、ナチってのがどんな悪い事したのか分からないけど、逃げたのを追跡してまで制裁を与えなきゃいけなかったのか?」
イルゼが聞くと、明が頷いた。
「そうだね。そこから、説明しようか。ヒトラーの率いたナチスは、元々はドイツの一つの政党に過ぎなかったんだ。正式な名称は国民社会主義ドイツ労働
者党。労働者を中心に、ナショナリズム、反マルクス主義、反ユダヤ主義の立場獲得を目指して結党されたのが、このナチスなんだ」
明が言うと、慎二が口を開いた。
「ちなみに、ヒトラーは最初からこのナチスを率いていた訳じゃない。彼は、1919年に入党して、一気に頭角を現したんだ。その同時期に、ナチスは大々
的な宣伝活動を行った。そして、組織の拡大を図り、党員の軍事化を急激に行い、一気に軍隊化したんだ。そして、最終的にはナチスは政権を握り、武 力と恐怖によって、国を支配したのさ」
慎二が言うと、明が口を開いた。
「ヒトラーと、彼が従えるナチスは、ゲルマン民族による世界支配、俗に『第三帝国』と呼ばれるのを標榜したんだ」
「第三帝国?」
亜里抄が聞くと、慎二が答えた。
「西フランク王国…、あぁ、つまりはフランスの昔の名前だ。ちなみに、その前はローマ帝国の属州で、ガリアと呼ばれていた。その、フランクの王カール
大帝が興した西ローマ帝国、ビスマルクが興したドイツ帝国に続く、ヒトラー自身の手による第三の偉大なドイツ民族統一政権の事だ」
慎二の言葉に、イルゼや学は信じられないと思った。
「馬鹿じゃねえか…?そんな事出来る訳…」
「そうだよ…。世界を敵にするって意味でしょ…?それって…」
イルゼと学の言葉に、慎二は「まぁな」と言った。
「だが、事実だ。アーリア民族の優等性と、他の民族…、特に酷かったのが、ユダヤ人の劣等性を主張した。そして、それを理由に、ゲシュタポ…、国家
秘密警察と強制収容所を作り、抑圧的且つ…、非道で残虐で醜悪な虐待体制を敷くことを完成させてしまったんだ」
そして、明が口を開いた。
「その結果、ヒトラーに導かれたナチスは、傍若無人の名を冠するに正に相応しい程に残酷無比の暴虐を尽くしたんだよ…。ヨーロッパの地に多大な荒
廃と人的被害を、彼らは齎したのさ。ナチスの被害の数値は、色々と説がある。600万人のユダヤ人虐殺なんて、その最たるものだよ。他にも、スラブ人 を従属させる為に、ポーランドやソビエト連邦の占領地でも、民族皆殺しと言う、蛮行を繰り返した」
明が口を閉ざすと、慎二が口を開いた。
「まぁ、そう言う事をした結果は、当然だが、ナチスは戦後にその悪魔的な行いの背景から、その中枢を担ったナチス親衛隊員の戦争犯罪が裁かれる
事になった。まぁ――当然だわな」
そう言って、慎二は肩を竦めた。
「そうか…。それで、ナチスは逃亡を図ったんだな?裁かれるのを嫌がって」
イルゼが言うと、慎二が指を鳴らした。
「ご名答。その通りだ。まぁ、十万人に及ぶ容疑者が逮捕されて、そのまま殆どが処刑されたんだがな。それでも、頭の回る奴は、ドイツが降伏するまえ
にトンズラした訳だ。他国に渡って、別人に成り済まして潜伏した奴も大勢居た」
「それを狩るのが、ナチの追跡者という訳ですね?」
学が言うと、明はウインクした。
「正解。まぁ、ナチ狩りについては分かって貰えたと思うから、次に進むよ?」
イルゼ達が頷くと、明が話しを進めた。
「パリで起きた事件を調査していた刑事がいたんだけど…。その刑事は何と、そのナチの追跡者だったんだ。シャルル・アルダン刑事。彼は元々はドイツ
人で、本名は分からないけど、シャルルの名前も、アルダンの姓も、フランスに渡ってから名乗り始めたらしいんだ。彼は、ドイツに居た頃、愛し合ってい た恋人が居たんだ。それこそ、結婚を前提にしていたね。だけど、ある日彼女が連れ去られてしまったんだ。ナチスの兵士にね」
「どうして!?」
フェイが思わず叫ぶと、慎二が口を開いた。
「彼女の母方の血筋に、ユダヤの血が発見されてしまったんだ。ナチスは潔癖症と言ってもいいほどの純血主義だったらしい。そして、彼女はユダヤ人
の収容所で、ナチスの兵士達に弄ばれるだけ弄ばれ、悲惨な最期を送った…。そして、シャルル刑事自身は、彼の友人が無理に彼をフランスに亡命さ せたらしい。そして、その友人も、彼を亡命させた罪で処刑されたそうだ…。ユダヤの者と身を交わした者は純潔に非ず。これは、ヒトラーの意思を歪曲 させた一部のナチスの暴走と言う話もある」
慎二はそこまで一気に話すと口を閉ざした。
そして、明が口を開いた。
「そして、シャルル刑事はナチスに深い復讐心を持った。誰一人、逃がしはしないと言う明確且つ深遠な憎悪と殺意を持って、彼は次々にナチスの残党
を狩って行った。それこそ、全くの容赦も無くね」
すると、慎二が口を挟んだ。
「ナチの追跡者には、特別な権限が与えられていたんだ。ナチを相手にする場合、ある程度の無茶が許されるっていうな。シャルル刑事は、それこそ、
ナチを捕まえる為には、ナチの恋人を人質にした事もある。それこそ、その場で恋人諸共処刑した事も数え切れないほどだったらしい。それだけの深い 憎悪を燃やした彼は、それでも狡猾に身分を隠した」
そして、明が口を開いた。
「ナチの追跡者は、その身分がバレタ場合、逆に命を狙われる立場にあるからね。だから、彼らの存在もかなり曖昧で希薄だったんだ。それこそ、忍び
寄るファントムの様に現実感が無く、それでも確実に、ナチスの残党に恐怖を与え続けた。ある時は火事と称して家ごと爆破すると言う在り得ない程、一 見して目立つ方法を取った事もあるらしい。だが、彼の、ナチの追跡者の顔は、誰にも気付かれる事はなかった。彼らの支援者はかなり居てね。ナチの 追跡者の行動は、余程の事が無い限りは彼らが揉み消してくれたんだ」
そして、慎二が口を開く。
「そして、彼が生前に追い掛けた最後の獲物は、彼が生涯を賭して捕獲出来なかった最強の敵だったのさ」
「最強の…敵?」
フェイが首を傾げると、慎二はニヤリと笑った。
「そう、それこそが『死人』だったのさ」
「ッ――!」
イルゼ達はようやく話が繋がったのを理解した。
そして、明が話し始めた。
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