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第78話『人形作り』
それは、ある昼下がりの事だった。
イルゼと木乃香は京都に里帰りしている。
本当は、エヴァンジェリンも着いて行く筈だったし、木乃香とイルゼは最後まで愚図ったが、さすがにエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの来訪は、歓迎
されなかったのだ。
仕方なく、エヴァンジェリンは二人を見送り、暇を持余していた。
そして、エヴァンジェリンは買物に出掛けている所だった。
最近は、幻術で大人の姿でいる事が多い。
近右衛門の幻術固定の魔具と同じ物を、エヴァンジェリンも使う様になったのだ。
そして、ショッピングエリアに向かって歩いていると、途中でフェイに出会った。
「あっ!おばあ…エヴァンジェリンさん!」
驚いた様にエヴァンジェリンを見て駆け寄って来るフェイに、エヴァンジェリンはクスリと笑った。
「おばあちゃんで良いよ」
優しく言うと、フェイは嬉しそうに破顔して頷いた。
「おばあちゃんは何処に行くんですか?」
「敬語も要らない。私は今から文房具店で人形作りの材料を買いに行く所だ」
「人形作り!?おばあちゃん、人形を作れるの!?」
エヴァンジェリンの言葉に、フェイは目を見開いて聞いた。
その様子に、エヴァンジェリンは苦笑しながら「ああ」と頷いた。
そして、エヴァンジェリンは「そうだ」と閃いた様に言った。
「フェイは人形作りって興味あるか?」
エヴァンジェリンが聞くと、フェイはおずおずと頷いた。
「でも、難しそう…」
そう言うフェイの頭を撫でると、エヴァンジェリンは笑い掛けた。
「そんな事ないぞ。意外と簡単なんだ。どうだ?一緒にやってみないか?」
「いいの!?」
エヴァンジェリンの提案に、フェイは目を見開いて聞いた。
「勿論だ。丁度、最近は暇を持余していてな。一緒に居てくれると助かる。フェイは家に帰らないんだろう?」
エヴァンジェリンが言うと、フェイは一瞬だけ顔を曇らせたが、直ぐに頷いた。
「ならいいかな?折角だ。一緒にイルゼ達が帰って来るまで遊ぼう」
エヴァンジェリンが言うと、フェイの顔に喜色が膨らんだ。
そして、「うん!」と頷いた。
それから、エヴァンジェリンはフェイを連れてショッピングエリアの巨大な雑貨店に向かった。
「何を買うの?」
フェイが聞くと、エヴァンジェリンは「これだよ」と言って、大きな発泡スチロールを指差した。
「最近は、こう言うのが手軽に買えるからいいな。昔は木を削っていたモノだが…」
「何に使うの?」
フェイが聞くと、エヴァンジェリンは答えた。
「人形の中身を空洞にする為にな。私が今度作るのは『球体関節人形』なんだ」
「球体関節人形?」
「そうだ。人形の関節を球体にした人形でな。自在にポーズを取らせる事が出来るんだ」
「へぇぇ、凄いねぇ」
フェイが尊敬の眼差しを送ると、エヴァンジェリンは擽ったそうに笑った。
「さて、これを部屋に送って貰おう」
そう言うと、エヴァンジェリンは大きな発泡スチロールを買って、部屋に送らせた。
それから、エヴァンジェリンはフェイを寮では無く、昔のエヴァンジェリンのログハウスの在った場所に連れて来た。
そして、その入口に入ると、エヴァンジェリンはフェイに聞こえない様に呪文を唱えた。
眠りの呪文だ。
そして、エヴァンジェリンは眠ったフェイを抱き抱えたまま、寮の部屋に転移して、そのまま修行場に入った。
そして、フェイを眠らせた場所に似た場所で、フェイを立たせると、指を鳴らしてフェイを起した。
「ふえ!?あ、あれ…?」
「どうした?」
眼を覚ましたフェイは、戸惑った様に辺りを見渡したが、やがて混乱した様に首を捻った。
フェイを、エヴァンジェリンは強引に引っ張り、修行場のエヴァンジェリンのログハウスに連れて来た。
「ここが、私の家だよ」
「うわあぁぁ」
エヴァンジェリンのログハウスを見ると、フェイは感激した様に声を上げた。
「凄い…」
切なく溜息を吐く様に、フェイは感嘆の声を漏らした。
その様子に、エヴァンジェリンは満足気に微笑んだ。
「さあ、中に入ろう」
エヴァンジェリンに言われて、フェイは中に入った。
ログハウスの中はスッキリとしていた。
随分前に、後片付けをして、殆どの人形は、寮の新しく作った人形部屋に移したのだ。
それから、エヴァンジェリンは何処からかブルーシートを取り出して、ログハウスの窓を開けた。
すると、エヴァンジェリンは「少し待ってろ」と言うと、入って直ぐの広いスペースにフェイを残すと、二階に上がっていった。
だが、すぐに大きな紙を持って降りてきた。
「それは?」
フェイが聞くと、エヴァンジェリンは開いて見せた。
そこには、大きな少女の体のパーツが、正面から見た図と、横から見た図でそれぞれあった。
「これは、人形の簡単な設計図さ。デザインなんかは、顔を作る段階までに決めればいいんだ」
そう言いながら、エヴァンジェリンはブルーシートの上に人形の設計図を乗せた。
そこには、少女の体の上に幾つもの線や数字が書き込まれている。
かなり古い紙で、エヴァンジェリンが昔から使っていた物なんだと、フェイには察しがついた。
それから、再び二階に上がると、エヴァンジェリンは大きな発泡スチロールを持って来た。
「え?さっき注文したばかりなのに!?」
フェイが驚いた様に言うと、エヴァンジェリンはクスッと笑った。
「これは元からあったやつさ。買いに行ったのは、残りが少なくなってたからだよ」
そう言うと、エヴァンジェリンは発泡スチロールをブルーシートに乗せた。
それから、色々な道具が入れてある工具箱を二人分用意した。
そして、エヴァンジェリンは二階から持ってきた紙の内、何も描かれていない紙を、人形の設計図と共に1セットで渡した。
「まずは、何も書いてない紙。『トレーシングペーパー』と言うんだが、下にある絵を映して見る事が出来るだろ?それを使って、設計図のパーツ毎に5m
m程度内側にアインをなぞるんだ」
「5mm程度内側に?」
フェイが聞くと、エヴァンジェリンは頷いた。
「これは、後で発泡スチロールを削る為のモノでな。その上に特殊な粘土を盛るから、その為の厚さを減らさないといけないんだ。出来るな?」
「……うん。やってみる…」
そう言うと、フェイは工具箱から赤鉛筆を取り出した。
そして、四つん這いになって、設計図の上にトレーシングペーパーを重ねて写し始めた。
それを見ると、エヴァンジェリンも自分のトレーシングペーパーに慣れた手付きで写し始めた。
エヴァンジェリンはほんの数分で終わらせたが、フェイは思う様にいかずに、何度も失敗して、一時間掛けてようやく満足のいく結果が出来た。
それから、エヴァンジェリンははさみで線に沿って切る様に言った。
「本当は、この小さく映したのが何枚かあるんだがな。最初だから、キチンと初めからやらせたかった。切ったら、後でコピーしておこう。コピー機もあるか
らな」
「うん!」
それから、二人は黙々と作業した。
外から蝉の鳴き声が聞こえるが、以外とログハウスの中は涼しくて快適だった。
それから、紙を切り終わると、エヴァンジェリンがフェイの切った紙を印刷した。
そして、フェイ専用の引き出しを用意して、そこに仕舞いこんだ。
そして、切った紙を発泡スチロールに貼り、その周りをサインペンでなぞった。
「どうだ?」
エヴァンジェリンが聞くと、フェイは自信無さ気にエヴァンジェリンに自分の書いた型を見せると、エヴァンジェリンは感心した。
「ちゃんと出来ている。巧いぞ」
エヴァンジェリンに褒められ、フェイは嬉しくなり、それから黙々と作業を続けた。
それが終わると、エヴァンジェリンは『電気スチロールカッター』を取り出した。
「これは電気スチロールカッターと言ってな。電気の熱でスチロールを溶かして切るんだ。危ないから、刃は絶対に触っちゃ駄目だぞ」
そう言いながら、エヴァンジェリンはフェイに一つ渡すと、フェイと対面するように崩した正座をして自分の発泡スチロールを切り始めた。
最初に、直方体に切り出してから、最初に正面、次に横の図面に沿って切る。
エヴァンジェリンはスイスイと終わらせるが、フェイは思うようにいかず、間違えて切っちゃいけない所を切らない様に慎重に、なるべく外に向けて切って
行った。
エヴァンジェリンが終わって、それから二時間も掛かって、ようやくフェイは自分の発泡スチロールを切り終わると、時計が6時を回っていた。
だが、外は未だ明るかった。
「今日はこの辺にしておくか。フェイ、学も家に帰っているのだし、今日はここに泊まっていかないか?」
エヴァンジェリンはそう言った。
すると、フェイは嬉しそうに頷いた。
そして、二人でカレーライスを作り食べた。
眠る時も、エヴァンジェリンが一緒に寝ようと提案して、二人はログハウスの二階のエヴァンジェリンの寝室で一緒に眠った。
フェイは幸せに浸りながらすぐに寝付いてしまった。
そして、エヴァンジェリンはフェイが眠った事を確認すると、作業を始めた。
フェイが起きない様に魔法を使ってから、ログハウスの周りに魔法陣を描いた。
別荘等も全て寮や修行場に移動したので、ログハウスの中は本当に一般家屋と変わらなくなっていた。
そして、エヴァンジェリンは長距離物質移動の準備を終えると、寮に戻り、ログハウスの元在った場所に向かった。
そこは、前よりも結界が強固になっていた。
この場所は元々強い結界があったのだが、長い間エヴァンジェリンが居住して、エヴァンジェリンが結界を組み替えていたので、殆どエヴァンジェリンが
居ない状態では迂闊に近づく事の出来ない一種の魔境になっていたのだ。
そして、エヴァンジェリンはログハウスのあった場所に長距離物質移動の受信の為の魔法陣を描くと、魔法を発動させた。
すると、フェイごとログハウスが転移されてきた。
そして、それを満足気に見つめると、エヴァンジェリンは夜の仕事に向かった。
翌朝、フェイが眼を覚ますと、エヴァンジェリンに抱かれた状態だった。
まるで、母親の様な温もりが背中に当たり、フェイはエヴァンジェリンの腕を抱きしめた。
「ママ…」
そして、何時の間にか再び寝息を立て始めた。
そして、薄目を開けてエヴァンジェリンはそんなフェイの様子を見ていた。
そして、安らかに眠れる様にフェイの頭を優しく撫でた。
結局、二人が起きたのはお昼で、一緒にホットケーキを作って食べた。
そして、人形作りを続けた。
「今度は、このスチロールカッターを使って、角を削る。見てろ」
エヴァンジェリンは言いながら、まるで鋸鮫の角の様な変ったナイフで発泡スチロールを削り始めた。
フェイも真似する様にゆっくりと削り始めた。
サッサと終わらせると、エヴァンジェリンはフェイが間違えない様に見守り、間違えそうになると待ったを掛けて、よく説明して、間違いを正した。
お昼に始めて、半分が削り終わると夕方になってしまった。
それから、二人で夕食の買い物をしに出掛ける事になった。
「何か食べたい物はあるか?」
エヴァンジェリンがフェイに聞くと、フェイは驚いた様に目を丸くすると「えっと、えっと…」と慌てて考え始めた。
その様子に一瞬だけ表情を曇らせると、エヴァンジェリンは優しくフェイの頭を撫でた。
「慌てなくてもいい。ゆっくり考えればいいさ」
エヴァンジェリンがそう言うと、フェイはエヴァンジェリンを見つめて頷いた。
スーパーに着くと、フェイは言った。
「あの…、ハンバーグを…」
もじもじしながら言うフェイに、エヴァンジェリンはニコリと笑い掛けた。
「ハンバーグか。いいぞ。じゃあ、一緒に作ろうか」
エヴァンジェリンに言われ、フェイは花が咲く様な笑みを浮かべた。
それから、挽肉や玉葱を買うと、エヴァンジェリンとフェイはログハウスに戻った。
そして、一緒にハンバーグを作り、エヴァンジェリンはフェイのハンバーグを猫の顔の様な形にして焼いた。
「イルゼは熊で、木乃香は花形なんだ」
エヴァンジェリンがそう言って、フェイに「どんなのがいい?」と聞いたのだ。
フェイはおずおずと「猫」と言った。
それから、二人は夕食を一緒に食べた。
暖かい時間が流れる。
一緒にお風呂に入り、また二人で一緒に眠った。
また朝を迎えて、フェイはゆっくりと時間を掛けて丁寧に発泡スチロールを削り終わった。
細かい所もヤスリで削っていく。
最後に静電気防止スプレーを掛けた頃には、外は既に夕暮れになり、全てのパーツをサランラップで包み、火で簡単にあぶると、エヴァンジェリンとフェ
イはまた一緒に買物に出掛けて、今度はビーフシチューを一緒に作った。
そして、また一緒に眠った。
フェイは、こうしてエヴァンジェリンを独り占め出来るのが少し嬉しかった。
木乃香やイルゼも大好きだし、一緒に居たら絶対に嬉しいし楽しかっただろう。
それでも、エヴァンジェリンが自分一人だけを見て、愛情を注いでくれるのが、堪らなく嬉しかったのだ。
そして、エヴァンジェリンもそれに気がついていた。
だから、二人が帰って来るまでの間だけは、たった一人の…娘として扱った。
息子としては扱い難かっただけだが、風呂で確認しなければ本当は女の子で、男の子だと言うのは冗談なんじゃないかと思ってたほどだ。
それから、人形作りは何日も掛かった。
具体的に言えば、パーツごとにエヴァンジェリンの秘蔵の特殊な粘土を貼り付けていく作業だ。
特殊な粘土で、ドールマスターとしての彼女の人形を作る為の粘土だ。
これで作ると、魔法に対する抵抗力や強度、柔軟性、肌触りがすこぶるいいのである。
そして、これだけで三日間も掛かってしまった。
それを乾かすのにさらに一日。
人形を作り始めてから一週間が経った。
イルゼ達が京都に行ったのは八月の二十日だ。
帰ってくるのは三十一日で、まだ後数日残っている。
「それじゃあ、この円盤ノコギリを使って、丁寧に線の部分を切るんだ。真っ二つになるようにな。ゆっくりでいい。焦るなよ」
エヴァンジェリンに言われて、フェイは慎重に円盤ノコギリを使って切り始めた。
何度も何度もガイドラインをなぞり、削っていく。
地味な作業で、慣れているエヴァンジェリンでさえ、時間が掛かったが、それでもフェイは根をあげなかった。
それどころか、エヴァンジェリンとの人形作りはそれだけで幸せな時間だった。
巧くいけば褒めてくれて、一緒にご飯を作って食べて、抱き締めて一緒に寝てくれるエヴァンジェリンが、フェイは益々大好きになっていった。
それから、お昼を過ぎる頃になってようやく切り終わった。
「ふぅ…」
息を吐くと、エヴァンジェリンが冷たいウーロン茶をフェイに差し出した。
「お疲れ。もうすぐ完成だぞ。後は、今くっ付けて乾かしているのが完全に乾いたら、割れている部分を粘土で埋めていく。そうしたら、細長い粘土でノリ
の代わりにして真っ二つにしたのをくっつけるんだ。それが終われば、顔の造形なんかが待っているぞ」
エヴァンジェリンの言葉に、ようやく完成が見えて来たのを悟り、寂しい反面、嬉しい気持ちが勝った。
「もうすぐなんだ…」
「ああ…、よくやったな」
エヴァンジェリンがフェイの頭を撫でると、フェイは目を細めて受け入れた。
お昼はお蕎麦を食べると、エヴァンジェリンはワサビを汁に入れ過ぎて目頭を押さえて悶えた。
「この感覚が癖になるんだが…。今回は入れ過ぎたな。強烈過ぎるぞ…」
「あは…ははは…」
そんなエヴァンジェリンに苦笑いしながら、フェイもワサビを入れてみた。
「〜〜〜〜〜〜!!」
すると、わずかな量だったが、フェイもアワアワと悶絶した。
「やはり、市販はいかんな。今度はちゃんと摩り下ろすか…」
そんな感じでエヴァンジェリンが言うと、二人は残りのお蕎麦を食べた。
食事が終わると、二人は作業を再開した。
乾いて割れてしまった部分を彫刻刀で削ってから粘土で埋める作業は、割りと速く終わった。
それから、細長い粘土で真っ二つに割ったパーツをくっつけていった。
それが乾くのを待たなければいけないので、その日の作業はそれで終了だった。
夕方になって、エヴァンジェリンとフェイは二人でショッピングエリアを歩いていた。
「夕飯は塩焼きにでもするか?」
エヴァンジェリンが聞くとフェイは頷いた。
「よぉし、それじゃあ鯵を買うか。ん、にしてもまだ早いしな、少しショッピングをして行くか」
エヴァンジェリンはそう言うと、フェイを連れて『紅い夢』と言う怪し過ぎる洋服店に入った。
「えっと、おばあちゃん?」
フェイは周りに吊るされている異様な服に戸惑っていた。
ゴシックロリータやドレス、果ては
するとエヴァンジェリンが言った。
「もうすぐ人形も完成するからな。ここで服を買っておいた方がいいだろう。それに、こう言うのは子供の内じゃないと着れないからな。フェイなら似合うだ
ろうからな」
鼻歌を歌いながら店に入っていくエヴァンジェリンは何時もよりテンションが高めで、フェイは恐る恐る続いた。
「いらっしゃいませー!」
すると、中に入った拍子に店の奥からメイド服を来たツインの三つ編みで丸い眼鏡を掛けた女性が出て来た。
「あっ!エヴァンジェリンさんじゃないッスかー!!」
「あれ?この喋り方…」
店員の口調に、フェイはデジャブを感じた。
「おぉ!この可愛い娘ちゃんはエヴァンジェリンさんの娘さん?」
店員の冗談めかした言葉に、エヴァンジェリンは苦笑しながら首を振った。
「残念ながら違うよ」
「………」
その言葉に、フェイは少しだけ寂しく感じた。
だが、エヴァンジェリンの言葉はまだ続いた。
「だが、まぁ実の子みたいに可愛く思ってるさ。他の二人と同様にな」
「あぁ!木乃香ちゃんッスねー!でもでも、今度はイルゼ君も連れて来て欲しいッスー!実は、私の弟と妹がイルゼ君の部活の先輩で、よく話を聞いてる
んスよー!」
エヴァンジェリンの言葉に、フェイは顔を赤くしてハニカムと、店員の言葉に目を丸くした。
「もしかして、蓮先輩と嵐先輩の!?」
フェイが驚いた様に聞くと、店員はマジマジとフェイを見た。
「もしかして…君はフェイ…君?ええええええ!?話には聞いてたけど…本当に男の子?も、勿体無い…」
最後の方になるとブツブツと独り言の様に喋りだし、フェイは少し怖くなった。
すると、エヴァンジェリンが呆れた様に言った。
「おい、愛実…。いい加減にしないとフェイが怖がってるぞ…」
エヴァンジェリンの視線の先には、ハァハァと変質者の様に息をしながらフェイに迫っている。
後退するフェイに徐々に距離を詰めていた愛実はエヴァンジェリンに言われてようやく正気を取り戻した。
「すまんな。昔からの馴染みでな、悪い奴ではないんだ。許してやってくれ」
エヴァンジェリンに言われ、震えていたフェイはブンブンと首を振った。
迫り来る愛実は中々の迫力だったらしい、少し涙目になっている。
「それで、今日は何の御用ッスか?店長を呼んだ方がいいッスかね?」
「アイツは…いいや。なんかめんどくさいし…」
エヴァンジェリンは疲れた様に言った。
「店長さん?」
フェイが首を傾げると、エヴァンジェリンは嫌そうな顔をした。
「ここ、『手芸屋・秋葉』の店長で、利賀秋葉だ。とにかく一緒に居ると疲れる奴でな。悪い奴では無いと…?思うが…」
苦々しい表情で言うと、エヴァンジェリンは愛実に言った。
「ちなみに、こいつは武藤愛実だ」
「よろしくッス!お察しの通り、私は蓮と嵐のお姉ちゃんッスよ!」
そう言うと、愛実は右手をフェイに差し出した。
その手をゆっくりとした動作で取ると、フェイは愛実と握手した。
「よろしくお願いします」
フェイが挨拶を返すと、愛実はジロジロとフェイの体を眺め回した。
「それにしてもいいッスねぇ。着せ替え甲斐があるッスぅ!!」
愛実がハイテンションに叫ぶと、エヴァンジェリンが頭をパシンッ!と、叩いた。
「痛ったぁ」
「目の色変り過ぎだ…」
右手で顔を覆いながら呆れた様にエヴァンジェリンは溜息を吐いた。
「とりあえず、この子に合う服を探したいんだ。ついでに、人形の服もな。大体、フェイよりも一回り小さい程度だ」
「了解ッス!エヴァンジェリンさん!」
それから、愛実とエヴァンジェリンは次々にフェイに色々な種類の服を着せ替えていった。
色取り取りのフリル一杯のゴシックロリータや、赤頭巾の衣装やお姫様のドレス、他にもぬいぐるみからありとあらゆる種類の服を着せ替えて、何時の間
にか辺りが暗くなるまで続いた。
そして、フェイがヘトヘトになって汗だくの状態で倒れてしまうとようやく目の色が変って危ない変質者状態になっていた二人は正気に戻って慌てた。
「ししし…しまった!!つい調子に乗って…。フェイ、おぉい!大丈夫かぁ!?」
「やばいッス!眼を回してるッスよ!」
エヴァンジェリンと愛実は慌ててフェイの体を拭いて、濡らしたタオルをフェイのおでこに乗せてソファーに眠らせた。
「ちょ…ちょっと、やり過ぎたッスね…」
「うう…すまんフェイ…」
タハハ…、と笑う愛実に、エヴァンジェリンは深刻そうな表情で俯いた。
それを見ると、愛実は一瞬だけ驚いた様に眼を見開くと、口を開いた。
「それにしても…驚いたッスよ…」
「ん?」
愛実の言葉に、エヴァンジェリンは片側の眉を上げた。
「だって、あのエヴァンジェリンさんとこんなに楽しい時間が過ごせるなんて思わなかったッスよ…。木乃香ちゃんと遊びに来た時も穏やかな表情に驚い
ちゃったッスけど…。あの時は、それで木乃香ちゃんを着せ替え出来なかったのが悔やまれるッスが…」
そう言うと、愛実は唇を尖らせてブツクサ言った。
そして、エヴァンジェリンをチラリと見た。
「私は、闇の福音とか、童姿の闇の魔王とか、そんな二つ名が付いてようがエヴァンジェリンさんの事は友達だと思ってたッス。店長も勿論ッスよ?でも、
こんな風に笑って一緒にこんな風に楽しめるなんて思わなかったッス。だから、ちょっと調子乗っちゃったッス…」
「愛実…」
愛実の突然の言葉に、エヴァンジェリンは目を見開いた。
「そうッス!今日は特別の私がこの前作った自身の一品をフェイ君にプレゼントするッスよ!楽しかったお礼ッス」
「……ありがとうな」
「ついでに、他の服も少しおまけするッスよ。また来て下さいッス。今度は、三人共一緒に連れて来て欲しいッスね。店長が居る時に」
「………考えとくよ」
エヴァンジェリンはそう言うと、フェイに着せた服を全てと、暴走する前にフェイに選ばせたのを含めた人形用の服を買い求めて、転移魔法でログハウス
に送った。
そして、愛実が持って来た水色の可愛らしい普段も着れる様なワンピースを着せておぶった。
「それにしても、お前にしてはまともな服だな。てっきり、フリル盛り沢山かと思ったが」
「フフフ、見た目はちょっと地味ッスけど、その分性能が凄いんスよぉ」
「性能?」
エヴァンジェリンが聞くと、愛実は怪しく笑った。
「フフフフ、この服は特殊な素材で作ってるッス。防水、防火、防刃、防弾、防魔に優れて、それなのに重さは殆ど普通の服と同じかそれ以下!その上、
困った時のSOS機能が搭載されてるんッスよ」
「SOS機能?」
エヴァンジェリンが聞くと、愛実は誇らしげに豊満な胸を強調した。
それに、少しだけエヴァンジェリンは顔を引き攣らせた。
それから自分の幻術で見せている偽者の胸を見て、何故か切なくなった。
――今度…、魔法薬の研究にでも手を出してみるかな…。
そんな事を思いながら…。
「このSOS機能は、フェイ君みたいな魔法使いじゃない子供でも使えるんッスよ!心の中で、一番思っている人に助けを呼べるんス。名付けて!『ピンチ
の時に助けに来て!白馬の王子様!機能!』ッスよ」
「………ま、まぁ、悪くない機能だな…」
ネーミングセンスに顔を引き攣らせながらも、実際に悪くない機能なのでエヴァンジェリンは少し引っ掛かりながらも言った。
「それじゃあ、私は帰るよ。帰りに鯵も買わないとな」
「あいあい。今度一緒に遊びに行くッス」
「ああ、またな」
愛実に別れを告げると、エヴァンジェリンは秋葉から出た。
夜風を浴びながら、エヴァンジェリンはショッピングエリアの魚屋に向かった。
「おっ!エヴァンジェリンさんじゃないか!おやぁ?イルゼ君や木乃香ちゃんじゃないねぇ?」
魚屋の店主とはすっかり顔馴染みになってしまった。
「ああ、この子はイルゼと木乃香の部屋の隣の子でな。イルゼと木乃香は実家に帰ってしまったし、この子も家にちょっと訳あって帰れなくてな。それで私
が面倒を見る事になった訳だ」
「なるほどねぇ。そういや、木乃香ちゃんとイルゼ君は京都に親御さんが居るんだっけな?一緒に仲良く買い物に来るから、本当の親子みたいに思っち
まったよ…。そっか、そんじゃ、その子に今日は料理を作ってあげる訳だ。よぉし!一押しのネタがあるんだ。このカンパチ!新鮮だよ!今日仕入れた ばっかなんだが、夏休みだからかねぇ、全く客が来ないんだよ。エヴァンジェリンさんにサービスしちゃうぜ!刺身良し、スシ良し、照り焼き良し、塩焼き良 し、しゃぶしゃぶでも良しなこの季節じゃ最高のネタだぜ。お安くしますぜ」
魚屋の親父の言葉に、エヴァンジェリンは背中にフェイをおぶりながら、カンパチを見た。
「成程、おいしそうだな。よし!二匹…いや、夜は刺身にして、明日の朝に塩焼き…いや、照り焼きにするか…」
「どんな風に調理してもおいしいですからねぇ。お薦めは刺身で食べて、塩焼きで魚自体の味を楽しむのが乙ですよ。でも、しゃぶしゃぶもいいですよ」
「ふむ、しゃぶしゃぶは二人だと少しな…。親父、カンパチは二学期になってから買えるか?」
エヴァンジェリンが聞くと、魚屋の親父は頷いた。
「大丈夫でさぁ!」
「そうか、なら、今日は四匹買って行こう」
「毎度ありー!」
それから、エヴァンジェリンはフェイを揺らさない様に器用に魚の袋を持つと、ログハウスに戻って行った。
ログハウスに戻ると、フェイをソファーに寝かせてエヴァンジェリンはキッチンに立った。
「さて、刺身など久しぶりだが…」
エヴァンジェリンはカンパチを流しでウロコを落としてからまな板の上に置いて内臓を抜き取った。
それから、再び流しで洗うと、慎重に切っていった。
「なかなか…、難しいな。だが、案外覚えてるもんだ…」
そう言いながら、エヴァンジェリンは一昔前に武術を教えてくれた親父から習った魚の捌き方を思い出しながら切っていった。
それからしばらくして、フェイが目を覚ますとエヴァンジェリンが刺身とそれにつける醤油、ポン酢、カルパッチョ用のドレッシングなどを用意した。
「起きたか。今日はカンパチだぞ。中々うまそうだ」
「うわぁ…。おばあちゃん、このドレッシングみたいなのなぁに?」
「それはカルパッチョ用のドレッシングさ。作り方は今度教えてあげるよ。イタリア料理でな。おいしいぞ」
「へぇ…」
二人は席に着くと、箸を取った。
フェイは早速カルパッチョ用のドレッシングに刺身を付けて食べた。
「うわぁ、凄く美味しい!」
フェイは感激した様に次々に刺身を口に入れた。
「ふむふむ、買って正解だったな。これは、本当にいいな。親父に感謝だ」「
カンパチを食べ終わると、二人はお風呂に入って再び眠った。
そして、翌日はカンパチを塩焼きにして食べると、エヴァンジェリンは何枚かの女の子の顔の絵をフェイに見せた。
「これから、人形の顔を完成させるんだが、その中から好きな絵を選んでくれ。なんだったら、自分で描いてもいいだろうが…絵を描くのは練習が必要だ
からな。今日はこの中から選んでくれ」
「あ、はい!」
フェイはエヴァンジェリンが受け取ると、少し目付きの鋭い、綺麗な顔立ちを選んだ。
そして、作業に入ると、難しいからと、顔のパーツに顔の絵を写すのはエヴァンジェリンがやった。
そして、防塵マスクをしながら粘土を持っては削っていき、目や頭部に穴を開けて棒状に伸ばした粘土を糊にして人形用のエヴァンジェリンが用意した特
別な仮目をくっ付けた。
それから、エラを付けたり、耳などを作って、体のパーツを全て整えていくと、日付は変わり、関節をゴムと金具で繋いだ頃には、31日のお昼になってい
た。
「ついに…ここまで来たな」
エヴァンジェリンはフェイの作った人形を見て感心した様に言った。
「実際、初めてでこんな短期間に出来るとは思わなかったな。後は髪の毛を貼り付けて、服を着せるだけだぞ」
エヴァンジェリンに言われて、フェイは顔を綻ばせた。
そして、エヴァンジェリンが用意した特殊なカツラを切って、スプレー糊で固めて少しずつ貼り付けていった。
「なんだか…落ち武者みたい…」
貼り付けは下から順にやるので、落ち武者の様な状態になってしまい、フェイは顔を引き攣らせた。
「まぁ…これが人形作りの一番辛い瞬間だな。だが、これが終われば可愛い人形が完成するぞ」
エヴァンジェリンに言われ、フェイは頷くとゆっくりと髪の毛を貼り付けていった。
そして、最後にゴシックロリータの服を着せると、肌白な、肌触りがまるで人の皮とそっくりな感触な、可愛らしい人形が完成した。
「さぁ、最後の作業だな。イルゼ達を迎えに行かないといけないし、早くしないとな」
「最後の作業?」
「そうだ。名前を付けるんだよ」
「名前?」
フェイが首を傾げると、エヴァンジェリンは頷いた。
「そうだ。フェイ、名前と言うのは存外に大切な物だ。ソレがソレである為にな」
「ソレが、ソレである為?」
フェイが聞き返すと、エヴァンジェリンは「そうだ」と頷いた。
「フェイがフェイである事。私がエヴァンジェリンである事。木乃香が木乃香である事。イルゼがイルゼである事。皆、名前があるから存在が安定するん
だ。名前が無ければ存在は凄く不確かな物になってしまうのさ。だから、折角作ったんだ。その人形に、お前が名前を付けてあげるんだ」
「僕が…名前を…」
エヴァンジェリンに言われて、フェイは人形を見た。
金色の髪に、赤いカチューシャを付けた人形。
どこか、エヴァンジェリンをモデルにした人形で、それを知られるのは恥しくてカチューシャを付けさせた。
そして、フェイはジッと人形を見つめると言った。
「ティファニー…」
「ッ――!?…その名前は…?」
フェイが口にした名前に、エヴァンジェリンは目を見開いた。
そして、動揺を表に出さない様にしながら聞いた。
その名前は、矢部の妻であり、1948年に亡くなった女性の名前だ。
そして、エヴァンジェリンは心の中で呟いた。
――やはり…この子は…。
「分からない。…でも、時々夢の中に出てくるの…。女の人と男の人が…。女の人はティファニーって呼ばれていて、男の人はアナタって呼ばれてて名前
は判らなかった…。きっと、お母さん。僕の…本当の…」
フェイは、悲しそうな表情で言った。
それに、エヴァンジェリンは「そうか…」とだけ言うと、フェイの髪を優しく梳いた。
「良い名前だな」
「………うん」
そうして、フェイは人形にティファニーと名付けた。
そして、エヴァンジェリンは愛称で呼ぶ様に言った。
『ティファ』と。
そして、フェイが言っていた知らない内に周りを切り傷だらけにしてしまうと言った言葉。
エヴァンジェリンは、何時か、フェイも弟子にする事になるだろうな、と漠然と思った。
――二代目ドールマスター、なんてな…。
その後、二人は駅までイルゼと木乃香を迎えに行った。
すると、学達も帰って来て、その日はちょっとしたパーティーになり、エヴァンジェリンは魚屋でカンパチを大量に買ってしゃぶしゃぶにした。
フェイは、ティファを自分の部屋の机の横に置くと、眠る時に学が恐怖に絶句するのを苦笑し、布団に入って、エヴァンジェリンの居ない夜を寂しく思った
…。
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