第61話『大人の時間』


深夜遅く、警備の仕事が終り、タカミチ、エヴァンジェリン、近右衛門、さよの四人は近右衛門邸に居た。

「お茶が入りました。どうぞ」

そう言って、さよがそれぞれにお茶を渡していく。

「すまんな」

エヴァンジェリンはお茶を受け取りながら礼を言った。

「粗茶ですが」

「ありがとうございます」

さよからお茶を受け取り、タカミチも感謝の旨を伝えた。

「はい、近右衛門君」

さよが近右衛門にお茶を渡すと、近右衛門は頬を緩ませた。

「ありがとうさよちゃん」

「ククッ、なんだそのだらしない顔は。もっとキリッとせんと愛想尽かされるぞ?」

その様子にエヴァンジェリンが茶々を入れると、近右衛門は咳払いをして誤魔化した。

「そ、それよりもじゃ。イルゼの事で話たいとは?」

近右衛門が聞くと、エヴァンジェリンは真面目な顔になった。

「ああ、桃子がグリーンの仕事に向かって解散した後の話なんだが、イルゼが暗黒進化をしようとしていたんだ」

「……どういう事じゃ?」

エヴァンジェリンの言葉に、近右衛門も目付きを鋭くした。
すると、タカミチが遮った。

「あ、あの…。暗黒進化って何ですか?」

聞き慣れない言葉に、タカミチが疑問を口にすると、近右衛門とエヴァンジェリンは互いに顔を見合わせた。

「どうするかのう…。タカミチ君は信じるに置ける人物だと思うが…」

「否定はしないが…なんかヘタレっぽさがどっかでウッカリして…とかがある気してしまうんだが…」

エヴァンジェリンの言葉に、タカミチは肩を落とした。

「ヘタレって何ですか…。それに、ウッカリなんてしませんよ僕は!」

タカミチの抗議を無視して近右衛門は口を開いた。

「まぁ、いいじゃろう。どちらにせよ、タカミチ君に頼むのじゃろ?」

「まぁな」

近右衛門の言葉に、エヴァンジェリンは頷いて答えた。
それに、タカミチは首を傾げた。

「何ですか?僕に頼みたい事でも?」

タカミチが聞くと、近右衛門が口を開いた。

「タカミチよ。お主、強くなりたいと申したじゃろ?」

「え?ええ、まぁ」

近右衛門の言葉に曖昧に頷くと、タカミチは「それがどうしたんですか?」と聞いた。

「修行をするにも場所なんかが必要だろう。それに、師が居ればそれだけ強くなれる」

タカミチはエヴァンジェリンの言葉に困惑した様に首を傾げた。

「それはそうでしょうけど…」

タカミチはエヴァンジェリンの言いたい事が判らなかった。
すると、エヴァンジェリンが言葉を続けた。

「簡単な事だ。修行場を貸してやる。代わりにお前は私の弟子であるイルゼ、木乃香の修行を手伝え。そうしたら、時々は私がお前に稽古をつけてやる」

「え?エヴァンジェリンさん、本当ですか!?」

エヴァンジェリンの言葉に、タカミチは信じられないという表情を浮べた。

「嘘を言ってどうなる。少し色々と事情が混み合っていてな、少しでもあの子達が強くなれる環境を整えてやりたいのさ」

「……」

「どうした?」

エヴァンジェリンの言葉に、タカミチは呆然とした様に固まってしまった。

「いえ、少し驚いてしまい。ナギと行動していた時は、貴女はナギばかりを見ていて、それでもどこか冷たい雰囲気でした。封印されて、すぐの一年も共に
同級で過ごしましたが、貴女は近寄り難かった。だけど、今の貴女は昔とは全然違う印象を持ちました」

「どういう印象だ?」

「とても、穏やかで優しい。そして…昔以上に強大な存在に感じます」

クッと笑いながらタカミチは言った。

「どう…だろうな。私も成長したと言う事だ。タカミチ」

「なんです?」

「時代は…動いているぞ。私や爺ぃ…いや、近右衛門、ナギ、ルーク、世界で最強を名乗っていても、直に新たな夜明けが来る。追い付かれない様に、
私達も強く在らねばならない。護る、それは最も難しい事だ。護るべき者、得たのならば何があっても護り抜け。その為に必要なら全てを利用しろ。私も、
近右衛門も、世界のあらゆる者、物を利用し尽くせ。ナギの生き様を思い、それでも、見つけろ。お前自身の道をな」

エヴァンジェリンの言葉に、タカミチは目を瞑りながら何度も反芻した。

「そう…ですね。知っていますか?魔法世界でも、今新たな局面を迎えているのを」

「ほう?」

タカミチの言葉に、エヴァンジェリンは興味を示した。

「『紅き翼』のメンバーとなって、ナギ達の生き方を見て、僕の世界は広がった気がします。師匠の死で、また僕は視野が狭くなっていました。でも、思い
出しました。ナギも、ラカンも、アルや師匠も皆、間違いなく僕にとって無敵で最強の憧れの人達です。皆も、彼等に憧れている。でも、教えて貰ったんで
す。世界には、未だに誰も見たことも無い場所があるって。魔法生物世界や魔界や霊界以外にも、世界はある。そして、今続々と『立派な魔法使い』を目
指す魔法使い達が生まれる傍らで、そう言った世界に飛び立つ者達も居るって」

「知ったのか」

「はい。開拓時代、今の魔法世界『ムンドゥス・マギクス』以外にも、候補となった幾つかの世界、それらも独自の成長を遂げ、現在はそれらが一つに成
ろうとしています。ムンドゥス・マギクスは現在は北の『ヘラス帝国』と南の『メセンブリーナ連合』の間の確執が解消し切れず、他の世界との結び付きは論
外な状況です。最もこの世界に近い世界でありながら…」

タカミチの言葉に、感心した様にエヴァンジェリンはタカミチを見た。

「なるほど、広い視野を持っているな。私の情報は古いのだが、今はどのくらいの世界が繋がっているんだ?」

エヴァンジェリンが聞くと、タカミチが答えた。

「開拓時代に候補に上がった世界は5つ。一つは『ムンドゥス・マギクス』であり、他のは強力な魔物や、立地条件、天候操作の難しさから主眼を置かれな
かった世界。残り四つの世界は既に互いに繋がっているそうです。元々、開拓者自体も少なく、世界を管理出来るシステムを作るのだけでも大変だった
様で、人と人との繋がりはとても強いそうです。最も小さな世界で、最も管理システムが完成された『闘争の世界・シャベリア』は、巨大な闘技場が有名だ
そうです。他にも、アルが教えてくれた話が、僕に世界の広さを教えてくれたんです」

「なるほど、私の知る情報では未だに繋がりを作る最中だったが、そうか…」

「実際、他の世界を知っている人は少ないそうですね。魔法生物世界を知らない人も多いらしいですし」

タカミチの言葉に、近右衛門が口を開いた。

「そうじゃのう。仕方無いとも言い切れぬが、良い意味でも、悪い意味でもあの世界は広過ぎるのじゃよ。自分達の世界を管理するだけでも大変なのじ
ゃ。それをこの世界の管理にまで手を伸ばそうとするから難しくなってしまっておる。なかなか、世の事とは巧く行かぬものじゃよ」

近右衛門の言葉に、タカミチも「そうですね」と答えた。

「でも、必要な事じゃ。魔法使いの悪行を食い止められるのは、やはり魔法使いだけじゃからな。…今は未だ…と言う話じゃがな」

「魔法で不可能な領域に踏み入れるのは、科学の力だろうな。そうなれば、私達の存在は意味を為さなくなる。とは言え、本当に先の話だ」

近右衛門の言葉に、エヴァンジェリンも苦笑しながら言った。

「さて、話が逸れてしまったな。どうする?タカミチ」

突然、エヴァンジェリンに話を振られ、タカミチは一瞬呆然としたが、直ぐに何を聞かれたのかを察して口を開いた。
その目には決意が篭められて…。

「僕は、お姫様…いや、アスナを護る。その為に、僕に力を貸して欲しい。代わりに僕も、貴女に力を貸す!」

その言葉に、エヴァンジェリンは優しく笑った。

「良い目だな。クッ、ならば、修行には私達の修行場を自由に使え。ただし、イルゼや木乃香の邪魔はせず、代わりに修行を手伝え。その条件で、私も
お前に力を与えてやる」

「!…お願いします!」

エヴァンジェリンの言葉に、タカミチは確りと頷いた。
そして、エヴァンジェリンは口を開いた。

「タカミチ、これから話す事は他言無用だ。いいな?」

「!…はい!」

エヴァンジェリンの突如発した只ならぬ雰囲気に、タカミチは息を呑んで頷いた。

「まずは、デジモン…と呼ばれる存在の説明から入るか…」

そうして、エヴァンジェリンは話始めた。
イルゼの事、デジモンの事を。
タカミチは信じられない気持ちでそれを聞いていた。
だが、魔法でも気でも無い力を間近で見た事もあり、納得した。

「そして、ここからが本題だ」

説明が終わると、エヴァンジェリンが言った。

「暗黒進化。一体…」

近右衛門も眉を顰めた。

「イルゼは、アスナちゃんと昼にも喧嘩をしおった。互いを認めないと叫び…。そして、夜…」

近右衛門が思い出す様に言うと、タカミチも頷いた。

「僕が、エヴァンジェリンさんを…その…侮辱してしまったから。イルゼ君は怒って暗黒進化?と言うのをしようとした」

「……気になるのは、イルゼがどうしてアスナと言うのに対してそこまで嫌悪するのかだな。それに、暗黒進化。あれは…イルゼは自分で発動出来る力
だったのか?以前は、木乃香の不安定な心が原因だった筈だが…」

エヴァンジェリンの言葉に、近右衛門が口を開いた。

「いいや。エヴァンジェリンよ、最初にイルゼが暗黒進化を発動したのはのう、木乃香と、もう一人の友達を護る為にある魔法使いに一人で挑んだ時だそ
うじゃ。婿殿が言っておったのじゃが、イルゼの心が闇に染まった時も暗黒進化は発動するようなのじゃ」

「!魔法使いに挑んだ!?聞いていないぞそんな話!!」

近右衛門の言葉に、エヴァンジェリンは激昂した。
そして、エヴァンジェリンの怒鳴り声に近右衛門は「すまぬ」と頭を下げた。

「そう言えば、どうしてイルゼと木乃香をお主に預ける事になったのか…。言っておらんかったな」

「どういう意味だ?」

近右衛門の言葉に、エヴァンジェリンは眉を顰めた。

「本当はのう、木乃香は魔法に関らせるつもりはなかったのじゃよ」

「なに!?どういう事だ!」

「婿殿は、あの子に普通に生きて欲しかったのじゃ」

「!」

その言葉に、タカミチの肩が震えた。
そして、それに気付かずに近右衛門は話を続けた。

「事が起きたのは去年の春の事じゃ。イルゼ、いや…インプモンがこの世界に来た日に、木乃香と、友人の刹那と言う少女が、川の近くで遊んでおった
そうじゃ」

そうして、語ったのは、イルゼと木乃香が麻帆良に来るまでに至った顛末だった。

「やはり、木乃香の力は普通に生きるには重過ぎる…。故に、婿殿はイルゼに護る様頼み、刹那に修行を課し、木乃香自身にも修行するように言ったの
じゃ」

「……どうしてでしょうね…」

「?さよちゃん?」

それまで、黙って話しの外に居たさよは悲しげに言った。

「どうして、まだ子供なのに生まれ持った力の為に危ない世界を歩かなくちゃいけないんでしょうね…」

その言葉に、近右衛門は長い鬚を弄り、タカミチは顔を伏せ、エヴァンジェリンはお茶を飲み干した。

「ままならぬ事が世界には溢れている。私達の周りだけではない。確かに、木乃香もアスナも、それにさよ、お前や私の人生だって幸せとは言い切れな
いかもしれない。だがな…、それでも生きる道がある。それすらも無く、殺されたり、死よりも酷い目に会う子供も居るんだ。それら全てに、どうして?と問
いかけても詮無き事だ…。正義の味方。そんな存在ですら、世界を救うなんて夢物語なんだ。そう言うのを呑み込んで、前に進むしかないんだよ」

エヴァンジェリンの言葉に、さよは辛そうに頷いた。

「まぁ、これもただの諦めでは?と、聞かれれば私も否定出来ないがな…」

「僕は、アスナに幸せになってもらいたい」

タカミチは呟く様に言った。
それに、エヴァンジェリンも目を瞑り頷いた。

「私も、子供達が幸せになって欲しい。少なくとも、私が安心して看取ってやれるくらい、幸せな人生を謳歌して欲しい。そうして、出来るなら…一緒に死に
たい…」

その、エヴァンジェリンの言葉に、近右衛門も、さよもタカミチも、誰一人声を出せなかった。
そして、エヴァンジェリンが小さく息を吐くと、口を開いた。

「問題は、イルゼとアスナがどうして互いを殺そうとする程に互いを嫌悪するのか…だな」

「……そうですね。咸卦法を使ってまで、あんなアスナは見た事が無かった。なんだか、イルゼ君の存在が気に入らないような…」

タカミチも思い出すように言った。

「ふむ、昼は、互いを偽者と呼び合っておった。じゃから、記憶を消したアスナちゃんと、…イルゼの場合は人の姿をしたデジモンと言う特殊な状態故に、
互いに自身の存在の食い違いによるストレスを爆発させた…そう思ったのじゃが…」

近右衛門が首を捻りながら言うと、タカミチが口を開いた。

「いえ、もしかしたらそれで正解かもしれませんよ」

「ほう?」

「アスナは特殊な力を持っています。それは、魔法無効化能力だけではありません。時折、旅の途中に未来を夢で視る事もあるそうなんです。それ故に、
師匠の死を視てしまい…防げなかった事で、アスナは…。自身の制御は出来ないようなんですが、アルは仙人の力に近いモノがあると言っていました」

その言葉に、近右衛門は「なるほど」と頷いた。

「確かに、仙人には六通完通と呼ばれる感覚がある。それは、未来視すらも可能であり、それに近いならば、存在の本質を見抜く事も出来よう」

その言葉に、エヴァンジェリンは口を開いた。

「黄昏の姫御子か…。どちらかと言えば巫女に近い気がするが、モノの本質を見抜く能力と言うなら、確かにな…」

「恐らく、アスナはイルゼ君の存在そのモノの齟齬を感じてしまい、胡散臭い眼で見てしまったんでしょうね。それが、イルゼ君にも判って…」

タカミチの言葉に、エヴァンジェリンは頷いた。

「子供は中々にデリケートだからな。それに、イルゼは元々普通とは言い難い存在だ。情緒が不安定なのは仕方無い事だが…」

「何か、対策を練らねば、イルゼもアスナちゃんも拙いじゃろうな」

近右衛門の言葉に、エヴァンジェリンは頷いた。

「イルゼは未だ子供だ。だが、それでも成長しなければいけない。なんとか…不安を取り除いてやりたいのだが…」

「エヴァ…」

落ち込むエヴァンジェリンに、さよが近寄り肩を抱いた。

「少なくとも、貴女が居る事は助けになっている筈ですよ」

「さよ…」

さよはエヴァンジェリンをエヴァと呼ぶ。
それは、桃子がエヴァンジェリンの事をエヴァと呼び始め、さよにも許したのだ。
昔なら、絶対に許しはしなかっただろうに。

「イルゼ君は、デジタルモンスター。でも、今は人間なんです。だから、悩んだり、甘えたり、怒ったり、悲しんだり、苦しんだり、不安になる事もあります。
それらを全部取り除く事は、きっと出来ません。人の思いを全て取り除く事なんて出来ませんからね。それでも、一緒に居て、自分を護ってくれる存在
は、それだけでどれほどの助けになるか…」

「…ああ、そうだな。イルゼは人間だ。同時にデジモンでもあるが、心を持っているんだ。不安を取り除く…そんな安易な考えじゃ駄目だな…」

さよの言葉に、エヴァンジェリンも気を落ち着けて言った。

「そうですよ。桃子も言っていたでしょ?親は子供を包み込むモノだと。悩みがあるなら、一緒に悩みを解決出来る様に頑張ればいいんです。…なんて、
子供もいない私が偉そうに言ってしまって…」

さよは恥しそうに頭を下げたが、エヴァンジェリンはさよの手を取った。

「ありがとう。やはり、友と言うのは良いモノだ。得難いし、離れるのは辛いが、それでも…」

「エヴァ…」

それから、互いに笑い始めた。
何がおかしいのか判らない程、二人は大きな声で笑った。
自分の不安も恐れも消し飛ばすように。

「イルゼ君の事は、エヴァ…貴女にしか解決出来ない。でも、その助けはきっと私にも出来る。だから、私や桃子を頼ってくださいね」

さよが言うと、エヴァンジェリンは苦笑した。

「そうだな。なぁ、敬語は止めて欲しい。只の友達なのに、敬語なんて変だろ?」

ニッと笑いながら、エヴァンジェリンは言った。
その言葉に、さよもニッコリと笑った。

「うん!」

さよの笑顔に、エヴァンジェリンもフッと笑うと、近右衛門に言った。

「そう言う訳だ。さよは私の友達。泣かせたら、殺すからな?」

邪悪な笑みを浮べて言うエヴァンジェリンに、近右衛門は苦笑した。

「怖いのう。じゃが、心配は無用じゃよ。儂は誓ったのじゃからな」

「ほう、何時の間にだ?」

近右衛門の言葉に面白がるようにエヴァンジェリンは聞いた。
それに、さよは顔を赤らめながら言った。

「あの…昨日の夜…激しかった…」

さよはモジモジしながら思い出す様に言った。
そして、近右衛門もさすがに恥しくなり顔を赤らめた。
その様子に、エヴァンジェリンは大声で笑った。

「なるほどな!やるじゃないか。クハハハハハ!」

その様子に、タカミチはギョッとした。

「え?え?え?えええええ!?が、学園長!?だ、だってそんな…と、歳の差何歳!?」

馬鹿みたいに驚き口をこれでもかと空けながらアホ面を晒しているタカミチに、エヴァンジェリンは呆れた様に近右衛門に言った。

「なんだ…まだ見せてなかったのか?」

エヴァンジェリンの言葉に、近右衛門は頷いた。

「そうじゃのう。タカミチ君にならば見せても問題ないじゃろ」

そう言って、近右衛門は幻術を解いた。
その姿に、タカミチは再び静寂な夜の闇を切り裂く様な大声で叫び声を上げた。






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