第60話『始まりの音』



眼を覚ましたアスナは自分が何処に居るか分からなかった。
辺りを見渡してすぐに自分の知る青年を見つけた。

「ねぇ、タカミチ。ここはどこ?」

寝惚けた様に周囲を見渡しながらアスナはすぐ横で膝を折って目線を合わせているタカミチに声を掛けた。

「明日菜…いいえ、お姫様。今、どの変まで覚えていますか?」

タカミチの言葉に、アスナは眉を顰めた。

「?どういう意味?…ねぇ、私は記憶が封印されるんじゃなかったの?」

「……その時点からですか。説明します」

困惑するアスナに、タカミチは二ヶ月前の封印の儀式、それから一般知識を身に付けながら今に至り、イルゼと喧嘩を始め、記憶が蘇った事を記憶の
投影によって説明した。
簡単に言うと記憶を共有したのだ。
勿論、秘めるべきは秘めての事だ。
説明を聞いたアスナは視線を落とした。

「私…」

「お姫様、お願いがあるんです」

「……お願い?」

タカミチの言葉に、アスナは首を傾げた。

「はい。お姫様」

「何?」

「僕に、お姫様を護らせて貰えませんか?」

タカミチの言葉に、アスナは驚いて眼を丸くした。
冗談かと思い、タカミチに視線を向けると、タカミチの眼は真剣だった。
冗談や洒落では無い事が分かる。

「いきなり…告白?」

アスナに言われ、タカミチは慌てた。

「うぇ!?こ、告白!?ち、違いますよ!僕は唯、貴方を護りたいんであって!」

「それって、何時までなの?」

「え?」

タカミチの言葉に、アスナは問い返し、タカミチは間抜けな声を出してしまった。

「だから、何時まで護ってくれるの?って聞いてるのよ」

ポカンとしているタカミチにジト目でアスナがもう一度聞いた。

「何時まで?」

タカミチが首を傾げながら聞くと、アスナは呆れた様に見た。

「だ、か、ら!何時までって聞いてるのよ!アタシを何時まで護ってくれるのって聞いてるの!ナギや…ガトウに言われて護ってくれるって言ってるんでし
ょ?それなら、別にいらない。それでも、タカミチは私を託されたから責任を果たさないといけないんでしょ?だから、それが何時までなの?って聞いてる
の」

淡々と聞くアスナに、タカミチは「違う!」と叫んだ。
大声に驚き、目を丸くすると、アスナの肩をタカミチが掴んだ。

「ぼ、僕は責任だけであなたを護りたいんじゃない!ぼ、僕は!!」

「タカ…ミチ?」

「僕は、君を護りたいんだ!何時までだって護ってみせるよ!一生、僕は君を護ってみせる!!」

アスナは、タカミチの言葉に呆然とした。
そして、顔を赤らめながら言った。

「やっぱり…、告白じゃない…」

「へ?」

あまりにも一直線な告白の言葉に、アスナも満更でもない表情だった。
タカミチは呆然としながら、自分の言葉と、アスナの言葉を頭に反芻していた。

「タカミチよ…歳の差など気にする必要はないぞい?なぁに、二十を過ぎれば何歳離れていようが誰もとやかく言わんよ」

近右衛門はイルゼ達をソファーに寝かせながら言った。

「が、学園長!?」

近右衛門の言葉に、タカミチは慌てて叫んだ。

「まぁ、私は実際はあんまりタカミチと歳は変らないけどね」

慌てるタカミチに、アスナは何処か嗜虐心を刺激され、悪戯心で言った。

「お、お姫様!?」

「いやぁ、若いっていいのう」

近右衛門の言葉に、タカミチは更に慌てた。

「ちょ、ちょっと!学園長!?」

すると、アスナは突然クスリと笑った。

「ねぇタカミチ」

「な、なんですか?」

「……ううん。何でもない…」

「?お姫様?」

「アスナ」

「へ?」

呆気に取られるタカミチに、アスナが言った。

「もう、お姫様じゃない。私の名前はアスナ」

「……すみません。アスナちゃ…」

「敬語もいいし、ちゃん付けはやだ」

「……はい、…いや。うん、判ったアスナ。もう一度聞くね。君を僕に護らせてくれないか?強くなるから。絶対に、誰にも君を傷つけさせない様に、つよく
なるから頑張るから…」

タカミチの言葉に、アスナは首を横に振った。

「アスナ…」

タカミチはその反応に気を落とした。
すると、アスナは口を開いた。

「それじゃあ駄目。私も強くなるから」

「え?」

タカミチには、一瞬アスナの言葉の意味が判らなかった。

「タカミチ、私を護りたいなら、私より強くなってもらうからね?」

「!…はい!僕は、絶対にお姫様を護れるように、お姫様よりも強くなってみせます!」

「だ・か・ら!私の事はア・ス・ナ!って呼びなさい」

アスナの言葉に、タカミチは慌てて頭を下げた。

「ご、ごめんなさいお姫様!…じゃなかった!アスナ!…うぅ、慣れないよ…」

「ヘタレ…」

「うっ!」

アスナの容赦の無い言葉に、タカミチは呻いた。

「とにかく、私より強くなるって言ったからには、頑張ってよね?」

「!はい!」

アスナの言葉に、タカミチは決意に満ちた瞳で答えた。

「ホッホッホ。して、アスナちゃんよ、これからどうするかの?」

「これから?」

近右衛門の言葉に、アスナは首を捻った。

「祭りじゃよ。そろそろイルゼ達を起さんと、そろそろ二時になってしまうでな」

「そうですね。お…アスナ、みんなと一緒にお祭りを回らない?きっと楽しいと思うよ」

タカミチが言うと、アスナはクスリと笑った。

「ええ、いいわよ」

アスナの言葉に、タカミチは嬉しそうに頷くと、近右衛門に合図した。

「うむうむ、良き事じゃ。さて…」

微笑みながら、近右衛門はイルゼ達を起した。
直ぐに、四人は眼を覚ますと、寝惚けた目で周りを見渡した。

「あれ?俺達どうしたんだ?…ここは、学園長室?」

目覚めたイルゼは口を開いた。

「あれ?本当だ。僕達確か…」

と学が思い出すように言うと、亜里沙が口を開いた。

「確かアタシ達はタカミチの車に乗って…」

亜里沙の言葉に、フェイもコクコクと頷いた。

「うぅん、っと!じいちゃん!」

イルゼはソファーから立ち上がると、直ぐ近くの近右衛門に気付いて声を掛けた。

「おぉ、イルゼや。ようやっと、眼を覚ましおったか。お主達、タカミチの車の中で眠ってしまったらしいのう。頑張るのも良いが、キチンと体力を温存せん
とな」

「眠った?車の中で?…そうだったかな?…まいっか」

近右衛門の言葉に首を傾げながら、イルゼは肩を竦めた。

「それよりさ、そっちの子がアスナちゃん?」

学がタカミチの隣に立つアスナを見て聞いた。
タカミチが頷いて答えると、アスナがイルゼに近づいた。

「アスナよ。神楽坂明日菜」

アスナの言葉に、イルゼはニッと笑って答えた。

「俺はイルゼ、イルゼ・ジムロックだよろしくな」

それに、亜里沙達も続いた。

「僕は伊集院学。よろしくね、アスナちゃん」

「ぼ、僕、フェイ・アリステア・エバンスって言います」

「アタシは寿亜里沙だぜ。よろしくな!」

「…よろしく」

四人がそれぞれ名乗ると、アスナは無表情を僅かに崩して微笑んだ。

「そうだ!今何時!?僕達どのくらい寝ちゃったの?」

学が慌てたように言うと、近右衛門が口を開いた。

「まだ二時じゃよ。まだまだ時間はたっぷりあるぞい」

近右衛門がカラカラと笑いながら言うと、亜里沙とフェイはホッとした。

「あっぶねぇ。アタシ達は四時から店だからな。遊ぶ時間無かったら本当に泣く所だったぜ…」

亜里沙の言葉に、フェイも頷いた。

「僕も…イルゼと一緒に麻帆良祭回りたい…」

フェイの言葉に、イルゼはフェイの頭に手を置いた。

「なぁに、まだ時間はあるんだ。遊びに行こうぜ」

イルゼが言うと、フェイは「うん」と頷いた。

「んじゃ、早速行こうぜ?タカミチとアスナは準備は大丈夫か?」

「ああ、問題ないよ。ね?アスナ」

「ええ、問題ないわ」

「あれ?タカミチ、さっきまでアスナの事アスナちゃんって言ってなかった?」

アスナとタカミチの言葉の掛け合いを聞いて学が首を傾げた。

「タカミチのちゃん付けは怖気が走るから」

「…厳しいなぁ…」

アスナの言葉に、タカミチはガックリと肩を落とした。
その様子に、イルゼは苦笑した。

「なるほどね、『キツイ』、か」

その言葉に、アスナはタカミチを睨んだ。

「どういう意味?」

「え?あ…あの…イ、イルゼ君!」

アスナに問い詰められ、タカミチはイルゼに文句を言おうとしたが、アスナはタカミチのネクタイを掴んだ。

「ど・う・い・う・事?」

その迫力に、タカミチは折れた。

「すみません…。で、でも!こ、言葉の綾でして!」

「そうそう、その後優しくて幸せになって欲しい!とか力説してたしねぇ」

タカミチの言い訳に、学がニヤニヤと笑いながら言った。

「あっ!そ、それは…」

「へぇ…。ふぅん。そっかぁ」

アスナは学の言葉にを聞いて睨んでいた眼差しを緩めた。

「ひ、じゃなかった…アスナ?」

「まぁいいわ。許してあげる。それじゃあ行きましょう?」

そう言うと、アスナは一瞬だけ微笑みイルゼに近づいた。

「イルゼって呼ばせてもらうわね?これから何処に行くか決めてあるの?」

「いいぜ。そうだなぁ、とりあえず近くの…」

言いながら、イルゼはパンフレットを見た。

「ここはどうだ?」

言って、イルゼは中等部のお化け屋敷を指差した。

「お化け屋敷か、いいねぇ」

学もパンフレットを覗き込むと言った。

「んじゃ、行こうぜ。戻る時間も考えたらここだけっぽいな…」

ガッカリした様に亜里沙は言った。

「半分は俺のせいだしな…。ごめんな」

イルゼが頭を下げると、亜里沙は首を横に振った。

「いいって。そうだなぁ、埋め合わせに夏休みはいっぱい遊ぼうぜ!それで許してやるぜ!」

「それならお安い御用だ!」

イルゼは亜里沙にニッと笑って答えた。

「んじゃ、行こうぜ!」

タカミチやアスナも頷き、六人は近右衛門に別れを告げると出て行った。
それから、麻帆良学園本校女子中等学校の一年生のやっているお化け屋敷を覗き、亜里沙とフェイを店まで送りながら遅い昼飯と夕飯を兼用して屋台
で食べた。
イルゼやフェイ、アスナは屋台の食べ物が珍しく、タカミチ、学、亜里沙に教わりながら、
リンゴ飴、チョコバナナなどを総なめにした。
お店に戻り、イルゼと学、アスナ、タカミチだけとなり、四人は祭りの喧騒から離れ、街路樹が両側に並ぶ並木道を歩いていた。

「はぅあ…、なんだか疲れちゃったな…」

学が目を擦りながら言った。

「その…、学も悪かったな。俺が大学のアトラクション見に行こうぜ、なんて言わなきゃもっと遊べたのによ…」

イルゼが謝ると、学はニッと笑った。

「無問題だよイルゼ。どうせ、まだ二日あるんだし、これから僕達がこの学校を卒業するまで何度だって麻帆良祭はあるんだからさ」

学の言葉に、イルゼは「サンキュ」と言った。

「でも…、僕は今日は疲れちゃったよ。先に帰るね」

学の言葉に、イルゼは「送って行くか?」と聞いたが、学は首を横に振った。

「ううん。イルゼはもう少し楽しんできなよ。それじゃあ、アスナちゃん、タカミチ。短い間だったけど楽しかったよ。明日、僕達のクラスの劇があるから是非
観に来てね」

そう言うと、学は学生寮の方に歩いて行った。
学が去るのを確認すると、タカミチが口を開いた。

「そう言えば、イルゼ君はエヴァンジェリンさんに弟子入りしてるって聞いたけど本当なのかい?」

タカミチの言葉に、イルゼは顔を向けた。

「イルゼだけでいいって。それよりも、何で知って、って…そうか、タカミチとアスナは魔法使いなのか?あっ!もしかして、あの時いきなり学が帰ろうとし
たのって結界?…でも、亜里沙とフェイはそのまま行こうとしてたし…」

イルゼが考え込むように言うと、タカミチも首を捻った。

「うぅん、結界の効き目が薄かったのかな。生まれ付きの対魔力が高かったのかもしれない。麻帆良学園にはそういう子が集まるからね。各所の結界を
強める様に進言しておこうかな…」

「ねぇ」

「ん?」

突然、アスナがイルゼに声を掛けた。
イルゼがアスナに視線を向けると、アスナは口を開いた。

「エヴァンジェリンって?」

「ああ、ばあちゃんの事か?俺の師匠で、んで!俺のばあちゃんだ!」

イルゼが言うと、タカミチは絶句した。

「ば…ばあちゃん!?あの、エ、エヴァンジェリンさんを相手に…ばあちゃん!?」

「何アホ丸出しの顔してるの?」

タカミチが大口を開けて固まっているのを見て、アスナは呆れた様に言った。

「へ?あ、アホ丸出しとは何ですか!って、それよりも、だってあのエヴァンジェリンさんですよ!?」

「敬語…」

「あ…すみません…じゃなかった。ごめん」

タカミチが慌てた様に言うと、アスナはタカミチの口調を注意した。
そして、タカミチは咳払いをすると口を開いた。

「あ、あのだね。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルと言えば!た、確かに悪い人って言い切れはしないけど、闇の福音とか、童姿の闇の魔王とか、禍
音の使途とか言われて、"魔法界のなまはげ"なんて言われてる人なんだよ!悪の化身とかって感じの人で…」

そこまで言って、止まった。
イルゼが殺気立ちながら左手に火の玉を作り出し、タカミチに向けていたのだ。

「どう言うつもり?」

アスナが聞くと、イルゼは不快気に顔を歪めた。

「どう言うつもり…だぁ?ソッチこそどういうつもりなんだよ!ばあちゃんの悪口言い出しやがって!ばあちゃんの事何にも知らないくせに、知った口聞い
てんじゃねえ!!」

睨む様に言い放つイルゼに、アスナの方も不快気にイルゼを見返した。

「知る訳ないじゃない。コッチは会った事もないんだから」

「だったら!ばあちゃんの悪口言う事ねえだろ!」

イルゼが怒鳴ると、アスナも苛立つ様に怒鳴り返した。

「うっさいわねぇ。そんな風に言われる様な事して来たのは事実なんじゃないの?だから、悪の化身なんて呼ばれんでしょ!」

「んだと!」

その瞬間、イルゼは足にエネルギーを集中させた。
『ダダダダキック』によって、大地を蹴り、右手にエネルギーを集中する。

「ちっ!」

イルゼの拳が当たる間際、アスナは最低限の動きでイルゼの動きを捌いた。

「そんな一直線の攻撃、効くわけないでしょ!」

そして、イルゼの腹に、アスナは自身の膝を向けた。
そのまま、回転するようにイルゼの腹部を蹴り、イルゼを吹き飛ばした。

「ぐはっ!」

それを見て、唖然としていたタカミチは慌てて追い討ちを掛けようとするアスナを止めた。

「待って、待って待って待って!どうしたんだアスナ!いきなり喧嘩するなんて。悪かったのは僕なんだから、攻撃しちゃ駄目だよ!」

タカミチの言葉に、アスナはタカミチが抑えていた手を振り払った。

「アイツ、やっぱりムカつく」

「く…はははは…、はっ!同感だぜ。俺もなんか知らねえけどムカつく。なんでだろうな。自分でも判らねえ。だが!」

そう言うと、イルゼはアスナを睨み付けた。

「理由なんてどうだっていい!ばあちゃんを侮辱すんなら俺の敵だ!」

そう言うと、イルゼの体を、黒いエネルギーが漂い始めた。

「そうだ。来い…来い…来い!!力…、力…、…力!!」

「チッ!このジャンキー!左手に魔力、右手に気!」

イルゼが狂った様に叫ぶのを前に、アスナは咸卦法の体勢に入る。

「ちょ、ちょっと!止めるんだ二人とも!どうしたって言うんだ!?もう、偽者うんぬんは関係ない筈じゃないのか!?」

タカミチの叫びは、どちらの耳にも入ってはいなかった。
イルゼの体から溢れる黒いエネルギーは、イルゼの体を侵食する。
そして、アスナは左手の魔力と右手の気を一つに合わせた。

「咸卦法!」

その瞬間、金色のオーラがアスナの体を覆った。
凄まじい力が溢れ出す。
そして、イルゼは殺気を放ちながら叫んだ。

「ここだ!俺は、ここに居る!!来い!!お前も、俺の一部なら力を、力
寄越しやがれええええ!!!」

その瞬間だった、イルゼの体から、暗黒の光が周囲を照らし始めたのだ。
そして…。

「インプモン、ダーク・エヴォリュー…」

イルゼが、自身の意思で暗黒進化を発動しようとした瞬間、上空から無数の氷弾が大地に降り注いだ。

「なっ!?」

イルゼは驚いて暗黒進化を中断した。
そして、アスナとタカミチもその場に棒立ちとなった。
凄まじい圧力が空間を支配する。
そして、上空から、この世に於いて最強にして最美なる真祖の吸血鬼が姿を現した。
その顔は、溢れる魔力や圧力とは違い、どこまでも憂いを秘めた眼差しだった。
エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。
彼女が大地に降り立つと、イルゼは冷静になり自分の使用とした事を考え、自己嫌悪した。
一度は、エヴァンジェリンを傷つけようとしてしまった力。
それを、無闇に使わない事を誓った筈なのに、使おうとしてしまった事を…。

「イルゼ…」

エヴァンジェリンが声を掛けると、イルゼは掠れた声で答えた。

「ば…あちゃ…ん…」

顔を上げずに居るイルゼを見て、エヴァンジェリンはアスナとタカミチを睨み付けた。

「何をした?」

凄まじい殺気が空間を支配した。
エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルと言う存在が空間を軋ませる。
タカミチも、アスナですらも言葉を発するどころでは無い。
汗がボタボタと流れる。
タカミチは恐怖していた。
自分の知っているエヴァンジェリンとはあまりにかけ離れているからだ。
一度は、一緒に中学生活を送った事もある。
だが、エヴァンジェリンは必要以上に近づく事は無く、彼女の本質を掴むには至らなかった。
だが、目の前の存在は巨大過ぎた。
大戦の時も、ここまでの圧力を体験した事は一度としてない。
そして、気が付いた。

「どう…して…?」

「何がだ?」

タカミチが声を振り絞ると、エヴァンジェリンが問うた。

「どう…し…て、貴女が…封印されて…いた筈じゃ!?」

肩で呼吸をしながら言うタカミチに、エヴァンジェリンはつまらなそうに言った。

「そんな物、とっくに壊れて意味をなしていないさ」

エヴァンジェリンの言葉に、タカミチは絶句した。
そして、エヴァンジェリンの圧力下にありながら叫んだ。

「なら、どうしてこの学園に残って居る!貴女がここに居るのは封印と、ナギとの約束が理由の筈!なら、どうして貴女は封印が壊れたと言うなら!」

タカミチが叫ぶと、エヴァンジェリンは鼻で笑った。

「別に、ナギとの約束や、封印の為に今、ここに居るわけではないさ」

「なら、どうして!」

「私にも、大事な者が出来たのさ。この子と、木乃香とそれに…友人も出来た。もう一度聞くぞ!イルゼに何をした!!この子が暗黒進化をしようだなん
て只事ではないんだぞ!」

その姿に、タカミチは先程とは別の意味で呆然とした。
知っている彼女ではないからだ。
別に、今の彼女の大人の姿を指して言ってるわけではない。
彼女の幻術による大人の姿は、一度ならず見ている。
そうではない。
彼女の言葉は、彼女の瞳は、大切な存在を護らんとする眼だ。
それに気が付き、タカミチは口を開いた。

「僕は…貴女を侮辱してしまった。信じられなかった。僕の知ってる貴女は…悪い人ではないと判っていた。だけど、常識としてしっていた貴女の噂や、貴
女の性格を考えて、貴女が弟子を取るなんて思わなかった。それに、イルゼが貴女をばあちゃんと呼んだ。昔の貴女では、それを許すとは思えなかっ
た。…だから、貴女を貴女の弟子の前で侮辱してしまった。…すみません…」

言って、タカミチは地面に頭を付けた。
タカミチの土下座に、エヴァンジェリンも「そう言う事か…」と納得し、気を静めた。

「すまん…」

すると、突然エヴァンジェリンが謝った。
それが、誰に向けての言葉かを、イルゼ、タカミチ、アスナは判断しかねた。
すると、エヴァンジェリンは口を開いた。

「私の昔の行いがあまり模範的とは言えなかったからな…。侮辱されてもしかたない。悪かったな、イルゼ。私の為に怒ってくれて。それに、タカミチも、
殺気を向けてすまなかった」

その言葉に、いるぜは首を横に振った。

「ち、違う!俺は!」

イルゼは、自分がキレた理由はそんな綺麗な理由じゃないと叫んだ。

「俺は、ただアイツが気に入らないからって…。どうしてか判らなかった…。だけど、だから、俺は…。ばあちゃんが謝る必要なんてないんだ…ごめん」

耐え切れなくなり、涙が溢れてきたイルゼの頭を、エヴァンジェリンが優しく撫でた。

「全く、仕方ない奴だな。男の子がこんな所で泣いたらみっともないぞ?ほら、これを使って涙を拭け」

そう言って、エヴァンジェリンはポケットからハンカチを取り出した。
その姿を見て、タカミチは自己嫌悪に陥った。

「僕は…馬鹿だ。よく知りもしないで…」

「…ごめんタカミチ」

「え?」

すると、突然アスナが謝った。

「私、タカミチをダシにした。アイツと同じ…。何でかな?遊んでる時は気にならなかったのに…。いきなり、アイツの事が気に入らなくなった。だから…」

「アスナ…」

タカミチは目を瞑ると、立ち上がった。
そして、アスナの頭に手を乗せた。

「!タカミチ?」

アスナがタカミチを見上げると、タカミチはエヴァンジェリンに歩み寄った。

「エヴァンジェリンさん、本当に申し訳ありませんでした。それに、イルゼ君も、すまなかった」

そう言って、タカミチは頭を下げた。
イルゼは「俺の方こそ…ごめん」と頭を下げ、エヴァンジェリンは「構わん」と微笑んだ。

「タカミチ、その娘は?」

エヴァンジェリンが聞くと、タカミチが言った。

「アスナ…、神楽坂明日菜…いえ、アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア。僕が、護ると誓った子です」

「ほぉ」

タカミチの真っ直ぐな言葉に、アスナは顔を赤らめ俯いた。
それを見て、エヴァンジェリンは優しく微笑んだ。

「護るべき者。中々に得難いぞ。大事にしろ」

そうとだけ、エヴァンジェリンは言った。
その言葉に、タカミチは再び頭を下げた。

「はい」

そうとだけ言って…。





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