第58話『高畑.T.タカミチ登場』


時刻は午前から午後に移り、蓮と嵐、亜里沙とフェイが店にやって来た。

「ヤッホー!交代しに来たッスよ」

桃色の髪が印象的な武藤姉弟の姉、武藤蓮が手を振りながら人の波を掻き分けてくる。

「おっし!イルゼ、学。もう大丈夫だから行っていいぞ。明日の午前中も頼むからな」

秀が包丁で野菜を切っているイルゼと学に行った。
二人の手は絆創膏で一回り膨れていた。
まな板上には僅かな血痕が付着している。

「あぁ、まずは僕達はまな板を洗う事から始めるべきみたいだ」

嵐の言葉に、蓮は苦笑いを浮べながら「そうッスね」と言った。
イルゼと学はフェイと亜里沙と一緒に秀達に手を振りながら歩き出したが、フェイと亜里沙がイルゼと学の手を見てそのまま保健室に連れて行った。
保健室に入ると、既に先客が一人騒いでいた。

「だから、僕が由希に会いに来たんだよ?分からないの?どうして君は僕に質問しているの?」

騒いでいるのは男性だった。
ブロンドの短髪がしわくちゃで、着ているのはくたびれた背広だった。
男性の言葉に、保険の山上友恵は困り果てていた。
全く話が通じないのだ。
すると、保健室に生徒達が入って来たのを理解した。

「あのぉ、すみません!」

亜里沙が男性の向こうに居る友恵に聞こえる様に声を張り上げた。
友恵は唸りながら「どうして?由希はどこなの?」と呟き続ける男性に「少しだけ待って下さい」と言って、亜里沙達に「どうしたの?」と聞いた。

「あの、イルゼと学が怪我をしたので…」

「あら大変。見せてみて」

亜里沙の言葉に、友恵は驚いた様に眼を見開くと、隣に居るイルゼと学とフェイに視線を向けた。

「貴女がイルゼちゃん?」

友恵が聞いたのはフェイだった。
イルゼの名前は、女性の名前にも使われる上に、イルゼとフェイを見比べたら、どう考えてもイルゼは日本人にしか見えない。

「違います。イルゼはこっちです。手を怪我してるの」

フェイがイルゼの手を取って言った。

「ああ!大変だ。痛いよ。怪我痛いよ!大丈夫?痛いよ!怪我は痛いよ!」

突然、男性が騒ぎ出した。

「え?何!?」

イルゼは自分の手を取りながら突然涙を流しながら叫び始めた男性に驚いた。

「痛いよ!手がこんなに!大変だよ大変だよ大変だよ大変だよ」

「待って待って!パーカーさん!」

騒ぎ続ける男性をパーカーと呼び、友恵は押さえつける様に言った。

「でも、痛いよ!可哀想だよ!手当てしてあげなきゃ駄目だよ!」

癇癪を起したように叫び続けるパーカーに、友恵は困り果てた。
すると、イルゼが口を開いた。

「大丈夫だよ。こんなのへっちゃらさ。ありがとう、心配してくれて」

ニッと笑いながらイルゼが言うと、パーカーは疑わしげにイルゼを見た。

「本当に?我慢は毒なんだよ?痛いの我慢しちゃ駄目なんだよ?」

パーカーの言葉に、イルゼは絆創膏だらけの手を振って見せた。

「全然痛くない。俺はイルゼだ。おっちゃんは何て呼べばいい?パーカ?」

イルゼが聞くと、パーカーはニコヤカに笑った。

「そうだよ。僕はデリック・パーカーだよ。でも、みんなはどうしてか僕をディックって呼ぶんだ。僕はデリックだよ?僕はデリックだよ!どうしてみんなディッ
クって呼ぶんだ?」

「そりゃ呼ぶさ。だって愛称でしょ?デリックの。ディックは愛称なんだから、そっちで呼んでもらうのはそれだけ親しいって事だと思うけど?どうして嫌な
の?」

学はディックの言葉に首を捻りながら言った。

「愛称?」

ディックが首を傾げながら聞くと、学は「そうさ」と言った。

「愛称、ニックネーム。分かる?好きだから呼ぶんだ。それを嫌がるのはおかしいよ」

学の言葉に、ディックは分けが分からないといった表情だ。

「好き?でも皆僕に言うよ?出来損ない、能無し、ノロマ、みんなが呼ぶんだよ?それなのに、僕を好き?」

ディックが言うと、学は困った顔をした。

「うぅん、それはどうだろう?それは愛称じゃないよ。それを言う人はディックが嫌いなんだ。でも、ディックって呼ぶ人はディックが好きなんだと思うよ?」

学が言うと、ディックは泣きそうな顔になった。

「分からないよ!分からないよ!分からないよ!ディックは好き?でも出来損ないは嫌い?」

ディックが喚き散らすと、イルゼが言った。

「好きも嫌いもどっちもディックに感心があるから言うんだぜ?本当に嫌いなら話してくれないよ。出来損ないも能無しもディックに感心があるから言うん
だ。どっちも、差はあっても、ディックが好きなんだと思うぜ?」

「僕を好き?でも嫌い?わからないよ」

ディックは声のトーンを落として言った。

「それを分かるには、ディックも呼んでくれる人を好きにならなきゃ。ディックは今日は何をしに来たの?」

学が聞くと、ディックは言った。

「ディックは由希に会いに来たんだよ?なのに会わせてくれないんだ。僕は会いたいのに!会いたいのに!」

再びディックが喚き散らすと、亜里沙は首を傾げた。

「どうして会わせてくれないんだぜ?」

「何度も言ってます!私は由希と言う子が誰か分からないの。だから、その子は誰なの?って聞いているの!」

癇癪を起した様に、友恵は怒鳴った。
すると、フェイがディックに聞いた。

「由希は何歳なの?」

「6歳だよ!僕の由希は今年で6歳になった筈だよ?ちゃんと数えてるんだ。ママが由希と一緒に長くお出掛けする事になってからも数えてるよ。毎日数
えてる!」

その言葉で、ムッツリしていた友恵や、亜里沙、学も理解出来た。
フェイとイルゼにはまだよく分かっていなかったが。

「あ…貴方」

友恵は何を言えば良いか判断出来なかった。
すると、イルゼが聞いた。

「由希の苗字は?パーカーなのか?」

「苗字はパーカーじゃないよ。アカハネだよ。由希はアカハネなんだよ!」

「アカハネ?もしかして、それって赤羽?」

ディックの言葉に、学は聞き返した。

「そうだよ!ママも由希もアカハネなんだよ。アカハネ、でも…僕は違うよ。僕だけ…パーカーなんだよ」

寂しそうに言うディックにフェイが言った。

「それってもしかして、僕達のクラスの由希君かも」

その言葉に、亜里沙が目を丸くした。

「お前達のクラスなのか?」

「ああ、確かに居るぜ。俺達と同い年、って事は当然6歳だし」

イルゼが答えると、ディックはまた騒ぎ始めた。

「知ってるの?由希は何処?約束したんだよ?僕は会いに…会いに行くって!お手紙で書いてくれたんだよ?来てって。会えるから来てって。ママとは会
えないけど一緒に遊べるよって!!」

最後の方になると、ディックは掠れた声になっていた。
すると、イルゼが言った。

「だったら会いに行こうぜ?由希も何処かに居ると思うからさ」

「そうそう。僕も構わないよ。一緒に探そう。それに、もし見つからなくても明日は絶対に会えるよ?だって、由希は魔女役で劇に出演するからさ」

学が言うと、ディックは驚いた。

「劇に出るの?僕の由希だよ。僕の由希が劇に出るの?俳優さんになるの?由希凄いよ!由希が俳優さんになるなんて!」

「違うよ。由希君は俳優さんじゃなくて、皆の友達なんだよ」

フェイが言った。

「お友達?俳優さんじゃないの?」

ディックが聞いた。

「そうさ。僕達と一緒に劇をやるんだ。クラスの皆と。皆と友達だから、一緒に劇をやるんだ」

学の言葉に、ディックは嬉しそうに口を開いた。

「みんなと一緒?由希、友達と一緒?僕の由希は友達たくさん!由希には友達が一杯いるんだ!由希には友達がたくさん!」

あまりの喜びように、イルゼ達はつい噴出してしまった。

「それじゃあ、探しに行こうぜ?」

イルゼが言うと、亜里沙はイルゼの手を取って「その前に!」と友恵の前に連れて行った。

「ちゃんと治療して貰え。痛くないって言ってもちゃんと消毒しないとまずいだろ?」

「そうだよ、学もちゃんと消毒してもらいなよ」

とフェイも学の手を持って言った。

「へいへい」

「あいあいさー」

イルゼと学は適当に返事をしながら友恵に手を見せた。

「あららら、これは酷いわね。ちょっと待ってなさい」

そう言うと、友恵は二人の絆創膏を剥がし始めた。
二人の治療の間、フェイと亜里沙はディックと話した。

「ディック、由希とは別に探さなくても明日会えるんだし、どうする?アタシ達は遊ぶついでに探すって感じになっちゃうぜ?」

亜里沙が言うと、ディックは困った顔をした。

「明日会える?由希に会えるの?」

首を上下左右に振りながらディックは聞いた。

「そりゃ会えるさ。なんたって、明日が僕達や由希にとっての本番なんだから」

学が治療を終えて包帯を巻かれた手を動かしながら言った。

「じゃあ、僕は帰るよ。僕は迷惑だから僕は我慢するよ。ちゃんと出来るよ。我慢が僕は出来るよ」

口を大きく動かしながら必死に考えを伝えようとするディックに、治療を終えたイルゼが「わかった」と言った。

「明日は、麻帆良第三劇場だぜ?場所を教えるくらいはさせてくれよな?」

イルゼの言葉に、ディックは満面の笑みを浮べた。

「ありがとう!由希は良い友達を持ったよ!ディックは嬉しいよ。君はイルゼだ。ちゃんと憶えてるよ!ずっと由希と友達で居てよ。頼むよ?」

ディックの言葉に、ウインクしながらイルゼはニカッと笑った。

「勿論だぜ、ディック。んじゃ行こうぜ」

イルゼが言うと、皆も頷いた。
友恵にそれぞれ別れを告げると、五人は校舎を出た。

「こっちだぜ」

亜里沙とイルゼがディックの両手をそれぞれ掴み引っ張った。

「行こう行こう!」

ディックも満面の笑みで引っ張られるまま歩き始めた。

「明日は由希に会える!明日は由希に会える!わおおおお!」

大声で叫ぶディックにイルゼ達も真似をした。

「わおおおおお!」

「わおおおおお!」

大声で騒いでいるので何人かが振り向いたが、誰も気にしなかった。
由希に会えると大喜びしているディックは素晴らしい父親だと確信したからだ。
変っていても、イルゼ達はディックが好きになった。
五人で大声で騒ぎながら劇場まで戻って来た。

「ここが劇場だよ。これ持ってって」

そう言って、学は持っていたショルダーバックから一枚の紙を取り出した。

「それを見せると、家族席って言うのに座れるんだ。受付で見せるんだよ。入って直ぐのカウンターに居る人。分かる?」

学が丁寧に説明するとディックはニコヤカに笑って親指を突き出して頷いた。

「分かったよ。皆ありがとう。ディックは明日来るよ。由希に会いに来るよ!皆にも会いに来るよ!」

その子供の様な笑顔にイルゼ達も笑顔で頷いた。

「それじゃあね、ディック!」

「またね、ディック!」

「ディックまた明日な!」

「またね、デッィク!」

亜里沙、フェイ、イルゼ、学がそれぞれ別れを告げると、ディックは手を大きく振りながら離れて行った。
見えなくなるまでディックは手を振り続けていたので、イルゼ達も負けじと手を振り替えしていた。

「ディックは良いお父さんみたいだね…」

「だな、母親の方がどうかはわからないけど」

学の言葉に、亜里沙はつまらなそうに言った。

「どうせ、ディックを捨てたんだぜ。アタシはそんな母親よりも、ディックみたいな父親の方が好きだな。あんだけ愛してくれるんなら」

「?…亜里沙?」

「アタシは両親なんていないからな。似た様なのは居たけど、アレはとても親なんて呼べないぜあんな『強欲』なんざ…」

最後の方は誰にも聞こえない様なブツブツと、まるで独り言の様に言う亜里沙の言葉に、学は眉を顰めた。

「亜里沙?」

イルゼとフェイが亜里沙と学に近寄り、亜里沙が難しい顔をしているのに気が付いたイルゼが声を掛けた。

「ん?」

「どうしたんだ?難しい顔して」

「ちょっとな。それより遊びに行こうぜ!夕方まで時間はあんまりないし」

イルゼに肩を竦めて見せると、亜里沙は言った。

「まずは何処に行こうか?」

学が麻帆良祭のパンフレットを見ながら聞いた。

「これなんかどうだ?『魔銃体験、君もソイルを感じよう!』だってさ。『マギステル科学技術部』の出し物で開発中の召還銃だってさ」

「召還銃って、玩具か何かだろうけど、なんか面白そうだね」

イルゼの提案に学も賛成した。

「場所は…、あん?大学部エリアの先かよ。滅茶苦茶遠いぜ!?」

パンフレットを見ながら亜里沙が言った。
フェイも亜里沙の横から覗き込んだ。

「うわぁ、本当に遠いよぉ?」

「でも面白そうじゃん。行って見ようぜ!」

イルゼが言うと、フェイと亜里沙も諦めた様に頷いた。

「よっしゃ!じゃあ電車乗って行こうぜ。遠いたって電車の乗り場からはそんな遠くないだろうしな」

そう言って、イルゼの先導で学達は大学部エリアの駅を更に一つ越えた駅で降りた。
麻帆良学園の中でも麻帆良樹海に近いので人はかなり疎らだ。
それから、地図に習って歩き始めたが、縮尺がおかしいのか見た目以上に歩かされた。

「ど、どこが近いんだよ!!」

学が天に向かって吼えた。

「あっれー?何でだ?地図だとそんな離れてない筈なんだが…」

イルゼが地図を再び覗き込みながら言った。
すると、フェイが視線の先に建物があるのを発見した。

「あ!あれじゃないかな?」

フェイの指差す先を見ると、イルゼにも発見出来た。

「おっ!あれか!」

イルゼも遠目に建っている二階建ての天井がドームになっている建物を見つけた。

「え?どこ?」

「お、あれだな?」

学は分からない様だが、亜里沙は直ぐに見つかった。

「だからあそこだって」

イルゼが指を指すが、学は首を捻るばかりだった。

「んん?とにかく行こうぜ」

「う、うん」

イルゼの言葉に頷きながらも、どうしてか学は気が進まないようだった。

「?どうしたんだ?」

しばらく歩いていると、突然学が後ろを振り向いて歩き出した。

「え?あれ?」

学自身も自分の行動が分からない様だった。

「学?」

フェイも心配気に学を見た。

「いきなり後ろを振り向いてどうしたんだ?」

亜里沙が聞くと、学は首を捻った。

「あれぇ?なんだかいきなりここに居たくなくなったんだ。どうしてだろう」

学が首を捻りながら言うと、突然青年の声が響いた。

「君達!」

「ん?」

声の方向にイルゼ達が首を向けると、そこには背広を着た白髪のオールバックの青年が歩いて来た。

「ん?なんか用か?」

イルゼが聞くと、青年は困った顔をした。

「ごめんね、ここから先はちょっと立ち入り禁止でね」

手を合わせて謝る青年に、イルゼは首を傾げた。

「立ち入り禁止って、パンフレットに載ってたアトラクションだぜ?」

イルゼの言葉に、青年は目を丸くした。

「読めるのかい?おかしいな、関係者以外は読めない筈なんだけど…。あっ!もしかして、君はイルゼ君かい?学園長が言っていた」

突然手を叩いて言う青年に、イルゼは驚いて目を丸くしながら頷いた。

「そ、そうだけど?」

「僕はタカミチ。高畑.T.タカミチだ。昨日ここに来たんだけど、学園長に挨拶をしに行った時に君の話が出てね」

「じいちゃんに挨拶?」

「うん、僕が預かってる女の子が来学期からここに編入する予定でね。麻帆良祭っって言う機会に恵まれたから見学しに来たんだ。ついでに古い親交が
ある学園長先生と挨拶もね」

「へぇ、んじゃ何でこんなとこに居るんだ?」

イルゼが聞くと、タカミチは困った様に首を掻いた。

「実はちょっと学園長に仕事を頼まれちゃってね。ここの『マギステル科学技術部』が麻帆良祭規範に違反したらしくてね。その警告をしてきたんだ。だか
らさっきは立ち入り禁止って言ったんだよ。ちょっと危ないからね」

「ふぅん。ちぇっ、折角面白そうだと思って来たのになぁ」

「ごめんね」

タカミチが申し訳なさそうに言うと、イルゼは「別にいいよ」と言った。

「それよりさ。タカミチの預かってる子も来てんの?」

「ああ、アス…明日菜ちゃんって言うんだ。僕の仕事も終わったから一緒に見て回ろうと思ってるんだよ。…そうだ、君達と一緒に回ってもいいかい?」

「俺達と?」

「うん、明日菜ちゃんには早く友達を作って欲しいんだ」

「別にいいぜ。学達もいいか?」

イルゼがタカミチから視線を外して学達に視線を向けた。

「僕は構わないよ。賑やかな方が楽しいしね。それよりも、どこかのアトラクションに早く行きたいな。このままだと時間が無くなっちゃうしね」

学が言うと、フェイも頷いた。

「僕もいいよ」

「アタシもいいぜ。でも、本当に急ごうぜ、もう一時過ぎちゃってる。アタシ達の番は四時からだから急がないと」

と亜里沙も了承したが、時間が無いので急かした。


「そうだな。行こうぜタカミチ!」

「……あ、ああ」

どこかイルゼ達を呆然と見つめていたタカミチは笑顔を作って頷いた。

「じゃあ、まずは学園長室に行こう。車が近くにあるからソレに乗っていこう。数分で着くよ」

「オッケー!んじゃ行こうぜ!」

イルゼの言葉に頷き、一同はタカミチの車のある麻帆良大学部駐車場に向かった。






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