第57話『祭りの始まり』


日が昇り、けたたましく目覚まし時計が寝室に鳴り響いた。
イルゼはすぐにバッチリと眼を覚まし、木乃香も寝惚けながらベッドから抜け出した。
エヴァンジェリンは既に起きて朝食の準備を始めている。

「おはよう木乃香!」

「おはようイルゼ!」

二人は互いにおはようのキスをしながら挨拶を交わすと居間に向かった。
居間の机には一枚のベーコンエッグトーストとミルクが置いてあるだけだった。

「おはよう二人とも」

「おはようばあちゃん」

「おはようおばあちゃん」

イルゼと木乃香の頬にキスをすると、エヴァンジェリンは腰を下ろすように言った。

「ばあちゃん、お代わり無い?これだけじゃ足りないよ」

お腹を擦りながら悲痛そうに言うイルゼにエヴァンジェリンは容赦がなかった。

「無い。今日は麻帆良祭だろ?朝食は最低限にして置かないと楽しめないからな。祭りの中で食べるのは中々に良いものだぞ」

エヴァンジェリンの言葉にイルゼは「はぁい」と答えた。

「二人とも、今日はどうするんだ?私は桃子やさよと見て回る予定だが」

エヴァンジェリンが言うと、イルゼが答えた。

「俺は午前中は劇場前のミス研のやきそば屋に居るよ。お昼からは学とフェイと亜里沙と一緒に見て回るつもり」

「うちも午前中はクレープバーに居るで。お昼は夕映とのどかとパルと一緒に見て回るんよ」

木乃香の言葉に、エヴァンジェリンは「そうか」と言うと、財布を取り出した。

「これを持っていけ」

エヴァンジェリンは5千円札を二枚財布から取り出して二人に渡した。

「で、でもおばあちゃん…」

「えっと、あの…」

木乃香とイルゼはどうしていいか分からなかった。

「なぁに、祭りだと金はどうしたって必要だ。ただし、ちゃんと考えて使いなさい。お金の使い方を覚えるのも大切な事だからな。ご飯だけなら安く済むけど
遊ぶとなるとお金が掛かる。ちゃんと考えて、一日精一杯楽しんでくる事。それが、お小遣いの条件だ。いいな?」

エヴァンジェリンの言葉に、イルゼと木乃香はお金とエヴァンジェリンを見比べて笑顔になった。

「ありがとうばあちゃん!」

「ありがとうおばあちゃん!」

二人のお礼にエヴァンジェリンはクスクスと笑うとお皿を重ねた。

「二人とも午前中はずっと店に居るのか?」

エヴァンジェリンが聞くと、イルゼは頷いた。

「ミス研は部員が少ないからね。午前中はフルだよ」

「うちの方は9時からの開始の準備と11時までの店員さんのお仕事や。注文受けるんよ」

「なるほど、じゃあ時間を見計らって覗きに行くからな」

木乃香の言葉にエヴァンジェリンは言った。
それから、木乃香とイルゼは制服に着替え、それぞれの部活の場所に向かった。



イルゼはフェイと学、それに亜里沙を連れて劇場の入口が見える『劇場前広場』の一角にやって来た。
既に秀と輝夜、千里、ボルクは店の準備を始めていた。
ちなみに、学園祭とは言えさすがに麻帆良学園。
麻帆良大工サークルのボランティアで、初等部は部活でも手伝いを受けられるのだ。
ミス研のやきそば屋『みすてりヤキソバ』の店舗も防火処理の施された木造の屋台だ。
広さは6畳程度もあるので意外と広い。
イルゼ達が余裕を持って動ける広さだ。
ちなみに、麻帆良学園の文化祭である麻帆良祭に置けるルールの一つに『屋台の場合、店内で生徒が余裕をもって動ける広さで無ければならない』と
言うのがある。
生徒が怪我をしない為だ。
広大な敷地を持つ麻帆良学園故のルールだ。
普通の学校ならば制限があるのでこうはいかない。
看板にはヤキソバのポップやミステリ小説のポスター、オーパーツのレプリカが踊っている。
イルゼ達が店に近づくと、輝夜と秀が作業の手を止めて手を振った。

「よぉ!来たか。おはよう四人とも」

ニッと秀が挨拶した。

「おはようございます。当番の順番は覚えていますね?」

輝夜が言うと、イルゼ達は頷いた。

「俺と学が午前中で…」

とイルゼ。

「アタシとフェイは夕方だぜ」

と亜里沙がフェイの肩を抱いて言った。
輝夜はその答えに満足して頷くと、四人を店の中に入れた。

「とりあえず、仕事を教えますから見ていて下さいね」

そう言うと、輝夜はキャベツや人参を千切りにしていった。

「野菜はいつでもこのタッパーの真ん中の線まで入っている状態にしていて下さい」

そう言って、輝夜は底の深いタッパーを三つ指差した。
既に中には満杯の千切りにされた野菜が入っている。

「麺を焼くのは私や秀、千里やボルク、嵐や蓮がやりますから、貴方達は怪我をしないように野菜だけを切っていて下さい。貴方達もその内調理実習な
どが始まりますから、その練習にもいいでしょう。じゃあ、見ててください。右手は握る様に切る野菜に乗せて、拳に沿わせる様に切っていくんです」

そう言いながら、輝夜はトントンと小気味良い音を鳴らしながらキャベツを切っていく。

「それじゃあ、一回四人ともやってみて下さい」

お手本を見せ終わった後、輝夜は言った。
最初にイルゼが挑戦する。

「よ、よし!やってやるぜ!!」

そう言うと、イルゼはまな板の上の上と下を切り落とされ、皮も向かれた状態の人参に思いっきり包丁を振り落とし、輝夜に人差し指と中指だけで止めら
れた。

「すご!?」

学が驚いて叫ぶが、輝夜は気にせずに口を開いた。

「さっきのを見ていなかったんですか?ちゃんと切る野菜に拳を乗せなさい。それに姿勢も真っ直ぐに。包丁は玩具じゃないのです。キチンと丁寧に扱わ
ないといけません。包丁は調理には欠かせない道具です。でも、無闇に振り回したりすれば、どんなに便利で正しい使い方をすれば良い物も、ただの凶
器に成り下がってしまうんです。それをキチンとわかりなさい。分かりましたか?」

怒鳴ったりはしないが、輝夜の言葉にイルゼはシュンとなって「はい…」と首を下げた。
自分を思って怒ってくれているのが分かるからこそ、気が沈んでしまうのだ。
輝夜は落ち込むイルゼに、クスッと笑うと「それじゃあ、今度は失敗しない様にやってみましょうか」と言って、イルゼの後ろに回るとイルゼの手に自分の
手を重ねた。

「か、輝夜さん!?」

イルゼは慌てたが、輝夜はお構いなしに人参を手に取ると、イルゼの左手を丸めて人参の上に乗せ、右手でちゃんと人差し指を包丁がぶらつかないよ
うに側面に沿わせて持たせた。

「いいですか?リズミカルに切るのがコツです」

「よ、よっしゃ!やっるぜ!」

輝夜の行動に驚いたが、気を取り直して輝夜に教えてもらいながら、なんとか歪ながらも千切りが出来た。
その後、学、フェイも輝夜に教えてもらい、形は不揃いながらも仕事を覚える事が出来た。
輝夜は「開会が終わるまで練習していて下さい」と言って秀の元に戻った。
フェイと亜里沙はイルゼと学のに比べてなかなかに整っていた。

「亜里沙とフェイは午前中はどうするんだ?」

イルゼが聞くと、フェイが口を開いた。

「亜里沙ちゃんと見て回りながら時間を潰すつもりだよ」

「へぇ、んじゃさ。広場の反対に図書館探検部のクレープバーがあるから行ってみなよ。木乃香が売り子してるらしいんだ」

「木乃香の店かぁ、アタシはクレープも好きだし行ってみようぜ」

イルゼの言葉に亜里沙は言った。
フェイも頷きながら切り終わった野菜をタッパーに移している。
そして、空に飛行船が姿を現し、開会の宣言をした。

『これより!1995年度麻帆良学園文化祭の開会を宣言します!!』

拡声器によって学園全体にその言葉が届けられた。
夢の時間が始まる。
一瞬にして大地が鳴動したのではないかと言う程の大音声が響き渡った。
麻帆良学園全体が興奮の坩堝となっているのだ。大人も子供も関係ない。
三日間限りの楽しい時間。
午前中の店番は秀と輝夜がイルゼと学と一緒にこなす。
お昼は蓮と嵐と一緒に二人は続けて働く。
夕方はボルクと千里が亜里沙とフェイと共に働く。

「それじゃあアタシらは先に見て回ってるぜ。お昼に戻ってくるぜ」

「イルゼも学も頑張ってね」

「おう、またお昼にな!」

「いってらっしゃい」

亜里沙とフェイが行ってしまい、イルゼと学は店内に戻った。
すると輝夜さんがエプロンを渡してきた。

「食品を扱いますからね。頭にもバンダナを巻いてください」

「「はぁい」」

輝夜に言われ、イルゼと学はエプロンをつけて頭にバンダナを巻いた。
イルゼは青、学は緑だ。
エプロンは共通でミス研のロゴ入りの白地の物だ。

「くっはぁ!なんかドキドキすんな!」

「そうだね。いよいよって感じだよ」

イルゼの言葉に学も頷いて答えた。

「お前達、料理中は喋るなよ?衛生上あまり良くないからな」

「「あいさー!」」

秀が注意するとイルゼと学は敬礼の真似をした。
秀はつい噴出すと「確りな」と二人の頭を軽く叩いた。

すると丁度お客さん第一号が来て、徐々にお客さんが増えて行った。
大概が劇場の子供の劇を見に来る親御さんが殆どだった。

野菜も次々に無くなっていき、お客さんの回転もどんどん速くなっていく。
あまりに早く野菜が無くなっていくので、イルゼも学も話す余裕も無かった。
ようやくお客さんが減ったのは劇場の劇の開演時間を過ぎてからだ。

「はぁ、凄いな。お客さんがあんなに来るなんて」

イルゼは指に絆創膏を貼りながら言った。

「本当だね、さすが麻帆良祭って感じ」

学の手も絆創膏が幾つも貼って合った。
あまりに回転が速いので間違えて自分の手を何度も切ってしまったのだ。
輝夜は慌てなくても良いからと言ったのだが、二人ともお客さんを見て慌ててしまったのだ。
そして、休憩していると店内に呼びかける声があった。

「おぉいイルゼ!来たわよぉ!」

その声はエヴァンジェリンの物だった。
大人の姿に変身して、横には白のワンピースを着たさよと、茶色のセーターに、クリーム色のスカートを着ている桃子が居る。
ちなみに、エヴァンジェリンの格好は赤み掛かった茶色と白のサーマスタットボーダーシャツだにデニムのピッタリしたジーンズだ。
美人三人が並んでいる為か、周りの大人達はチラチラと三人を見ている。
イルゼが顔を向けるとエヴァンジェリンは右手を振りながら笑顔を向けていた。

「ばあちゃん!」

イルゼはカウンターからエヴァンジェリンに手を振った。

「あらあら、この子がイルゼ君ね。私は高町桃子と言います。よろしくね」

桃子がニッコリと笑いながらイルゼに手を差し出した。
その意図を直ぐに察してイルゼは桃子の手を握り返した。

「イルゼ君、その手大丈夫?」

さよがイルゼの手を見ながら心配気に聞いた。

「うん、ちょっと野菜切っててさ。でも、上達したらばあちゃんの手伝い出来っから期待しててくれよな。キッチリ上達しててやるぜ!」

イルゼが言うと、エヴァンジェリンはニカッと笑ってイルゼの頭を撫でた。

「よぉし、期待させてもらわよ。学君も頑張ってるわね?」

エヴァンジェリンが学に顔を向けて言った。

「はい。おはようございますエヴァンジェリンさん」

「おはよう。頑張るのはいいけど、皮だけじゃなくて指を切り落とさないようにくれぐれも気をつけなさいね」

エヴァンジェリンの言葉に、イルゼと学も「はぁい」と答えた。

「イルゼのえっと、お母さんですか?」

すると、秀が聞いた。

「いいえ、私はイルゼの親戚で、この近くに住んでるものですから。学園長とも仕事の関係でお世話になっていたから木乃香とイルゼの世話を見る様頼
まれているんです。まぁ、保護者代わりみたいなものです」

エヴァンジェリンの言葉に、秀は「そうなんですか」と言った。
そして、輝夜が出来上がったやきそばをパックに詰めてエヴァンジェリンに向かって言った。

「良かったら食べて下さい。イルゼ君と学君が頑張ってくれたので、午前中の目標の半分以上が稼げたので」

「あら、でもそんな」

輝夜がやきそばを手渡すと、エヴァンジェリンは遠慮しようとしたが、桃子がやんわりと言った。

「いいと思うわよ。イルゼ君が頑張ったからなんだから。ね?」

そう言って桃子は輝夜にウインクした。

「そうですよ。その野菜を切ったのはイルゼ君と学君ですから。食べてみて下さい」

言われて、エヴァンジェリンは「それじゃあ」と言って割り箸で一口食べた。

「どうだ?ばあちゃん」

イルゼが聞くと、エヴァンジェリンはニッコリした。

「とってもおいしいわよ」

本当は野菜が大き過ぎる気もしたが、それでも十分においしかった。

「へへぇ!」

イルゼが得意気にしていると、学も「やったね!」とイルゼと手を叩き合った。

「それじゃあ、私も買わせて貰いますね」

「私も」

そう言って、桃子とさよは財布からやきそばの値段である百五十円を取り出した。

「はい」

秀がお金を受け取って二人に輝夜がやきそばを渡す。

「それじゃあ、私達は木乃香や桃子の娘さんの所に行くから、またね?」

「おう!ばあちゃん、またな!さよ姉と桃子さんもさよなら!」

エヴァンジェリンの言葉にイルゼが返すと、さよと桃子も笑顔で手を振りながら去って行った。
すると、擦れ違いに今度は赤いジャケットを着た派手な赤髪のハンサムな男と白髪の背の小さな子供の様に瞳を輝かせる老人が来た。

「おぉ輝夜!来たぞぉ!」

「お爺ちゃん、それに叔父さんも来てくれたんですか!?」

輝夜の言葉にイルゼと学は驚いて二人を見た。
言われて見れば、ハンサムな男の方は秀が見せてくれたポスターのサム・スピードだ。

「輝夜さんのじいちゃんとおじさん?」

イルゼが聞くと、秀が「そうだ」と答えた。

「よぉ、俺の事は『荒野の赤い稲妻』と呼んでくれ。よろしくな」

サムはイルゼに手を伸ばした。

「赤い稲妻?」

イルゼも手を伸ばしながら聞くと、輝夜が呆れた様に言った。

「また違う名前ですね…。叔父さんは会う度に自分の事を自分で考えた二つ名で呼ばせるんです」

肩を竦めながら言う輝夜に白髪の老人の方が口を開いた。

「輝夜や、儂達に紹介してくれんかの?お前さんの後輩達を」

老人の言葉に頷くと、輝夜は言った。

「こちらはチャック・ソーンダイク。私の祖父です。そして、こちらの『荒野の赤い稲妻』事、サム・スピードが私の叔父です。お爺ちゃん、叔父さん。この子
がイルゼ・ジムロック君で、こちらの子が伊集院学君です」

「ソーンダイク!?もしかしてあの、アメリカでシェアNO.1の電化製品兼機械製造会社の!?」

と学が突然驚いたように聞いた。

「正確には儂の息子のネルソンの会社じゃ。そう言うお主、もしやINCの?」

チャックが聞くと、学は頷いた。

「はい。でも、そっか。そう言えば輝夜さんの苗字は…」

そう言いながら、学はミス研で聞いた輝夜のフルネームを思い出した。

「はっはっはっは!そうかそうか、お前さんがイルゼで、お前さんが学だな!俺はマシンも早いが覚えるのも早い!」

サムはそう言うとイルゼと学の頭を順に軽く叩いてお金を直接カウンターに入れて二つのやきそばを手に取った。

「それじゃあな輝夜。秀もまた会おう!」

「え!?もう行くんですか!?」

あまりに素っ気無いので学が聞くと、サムはニカッと笑った。

「俺は来るのも早いが去るのもはっやぁいのさ!」

そう言って、サムはサッサと言ってしまった。

「まったく、彼奴ときたら変わらんな。輝夜や、ネルソンやリンゼーは仕事で忙しくて来れなかったんじゃが、二人とも頑張れと言っておった。麻帆良祭、確
り楽しむんじゃぞ」

チャックはニカッと、サムと似た笑顔で言った。
輝夜もやわらかく笑うと頷いた。

「はい、お爺ちゃん」

「秀君も、輝夜の事を頼むぞい」

チャックが意地悪そうに言うと、秀もニカッと笑った。

「分かってますって!」

それっきり、チャックも手を振りながら去って行ってしまった。

「輝夜さんの叔父さんって面白い人だな」

イルゼが言うと、輝夜は苦笑いしながら「まあね…」と言った。
すると、今度は白髪の少年がやって来た。

「学!」

少年が呼んだのは学だった。

「兄さん!?」

学は驚いた様に少年を見た。
それに、イルゼも驚いて少年を見た。

「母さんと父さんはやっぱり来れなかった。すまない」

少年は頭を下げた。
すると、学は慌てた。

「待って待って!兄さんだって忙しい筈でしょ!?だって、会社一つ任されてるんだからさ!」

「な!?会社一つ!?」

学の言葉に、秀は驚いて叫んでしまった。
少年は秀を見た。
少年は丁度秀と同い年くらいで、迷彩カラーのシャツの上に赤いベストを着て、深い緑色のズボンを履いている。

「君が、学の部の先輩か。僕は伊集院恭助。学が世話になっている」

そう言って、恭助は頭を下げた。

「お、おいおい頭上げろって!しっかし凄ぇな。会社任されてるなんて労働基準法とかに引っ掛からねえの?」

秀が聞くと、恭助は「問題ない」と言った。

「大学は既に卒業しているし、会社の社長に学生がなるのは珍しい事では無い。少し特別な許可が必要だったけどな」

「へぇ、俺は秀。暁秀だ。よろしくな」

「こちらこそよろしく頼む。僕の会社は主にネットに主眼を置いているが他にも携帯情報端末の開発をしている。何か助けが必要なら言うと良い」

言いながら恭助はベストのポケットから名刺入れを出して一枚を秀に渡した。

「携帯情報端末って言うとPHSみたいな?」

「似ているが、少し違うな。ワープロの方が近い。現在は研究中で、将来的には世界中でどこに居てもインターネットにアクセスしたり、出来る端末を作ろ
うとしているんだ」

「へぇ、面白そうだな」

秀の言葉に、フッと笑うと、恭助は学に向き直った。

「学、小遣いは足りてるか?」

そう言いながら、恭助は自分の財布を開けようとした。

「だ、大丈夫だよ兄さん。ほ、ほら!やきそば買ってよ。僕が野菜を切ったんだ!」

慌てて言うと、学はパックに入ったやきそばを差し出した。

「学が?わかった。一つ貰おう」

そう言うと、恭助は財布から百五十円を取り出して払った。
やきそばを受け取ると、恭助は言った。

「明日も仕事を空けてある。一緒に回らないか?」

恭助の言葉に、学は若干照れた様な仕草をしながら頷いた。

「分かったよ兄さん。クラスの方でちょっと雑用とかあるけど、それ以外は問題無いよ」

「そうか、良かった」

フッ笑うと、恭助はイルゼに顔を向けた。

「君がイルゼだな?学が電話で話してくれたよ。一番の友達だって」

恭助が言うと、学は慌てて「ちょ、ちょっと!」と抗議したが、恭助はお構い無しに言った。

「学と仲良くして上げてくれ。どうにも、兄らしい事をしてやれなくて兄として弟の友人にどう接していいか分からないんだが、頼む」

恭助が頭を下げた。
あまりの事にイルゼは狼狽した。

「あ、頭なんか下げないでくれよ。俺にとっても学は最高の友達だよ」

イルゼが言うと、恭助は頭を上げて「そうか」と、優しい笑顔で言った。

「学、それじゃあ僕はそろそろ会社に戻るよ。明日、また会おう」

「う、うん。またね、兄さん」

「ああ、秀、それにイルゼも。学の事、よろしく頼む。では」

「ああ、大事な後輩だ。任せとけ」

ニッと笑いながら秀が言った。

「おう、じゃあな、恭助さん」

イルゼが言って、手を振った。
炎山が去ると、秀は学の頭を軽く叩いた。

「いい兄貴だな」

「……うん」

それから、再び劇場の休憩時間が来て、人が次々に劇場から出て広場は賑わいを見せた。






トップへ  目次へ 前へ  次へ