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第54話『心の闇』
寮の部屋に戻ったイルゼは、キッチンで夕食を作るエヴァンジェリンにただいまを言い、ランドセルを自分の机の上に置いた。
「おかえり。宿題はあるのか?」
エヴァンジェリンの言葉に、イルゼは首を横に振って口を開いた。
「もうすぐ麻帆良祭だから宿題は出ないよ。何か手伝う事ない?」
イルゼが聞くと、エヴァンジェリンは「大丈夫だ」と言った。
「洗面所で嗽と手洗いをして来い。もうすぐ夕食が出来るからな」
「わかったよ、木乃香は帰って来てる?」
「まだだ。大方、麻帆良祭が近いからな、何かの係りになったかで忙しいんじゃないか?」
「そっか、木乃香のクラスは何やるのかな?」
「さてな、イルゼのクラスはどうなんだ?」
エヴァンジェリンが夕食の特製カレーライスを居間に運びながら聞くと、イルゼは洗面所に入りながら「ちょっと待ってて」と言って洗面所で嗽と手洗いをし
た。
そして、イルゼが居間に戻ろうとした丁度その時に、玄関の扉が開いて木乃香が帰ってきた。
「ただいまぁ」
木乃香の声に、エヴァンジェリンとイルゼは返事を返した。
「おかえり!」
「おかえり木乃香、丁度夕食が出来た所だぞ」
「やったぁ、うちもうお腹ペコペコやわ」
木乃香はイルゼと入れ違いに洗面所に入って行った。
そして、イルゼはキッチンに入ってジュースを取り出した。
「コップは出してあるからな」
エヴァンジェリンの言葉に、手に取りかけていたコップを手放して「はぁい!」と言いながら居間に戻って机の前に座った。
すぐに、木乃香も洗面所から着替えて出て来た。
ランドセルを自分の机の上に置くと、イルゼの隣に座った。
「それじゃあ、いただきます」
「「いただきます!」」
エヴァンジェリンの掛け声に習ってイルゼと木乃香もいただきますを言いながら手を合わせてスプーンを手に取った。
「それで、イルゼのクラスの出し物はなんだ?」
エヴァンジェリンはカレーに粉チーズを掛けながら聞いた。
「俺の所は劇をやるんだ。『白雪姫』で、俺が主役なんだ」
イルゼの言葉に、エヴァンジェリンと木乃香は一瞬思考が停止した。
「……主役?」
「うん!王子役だぜ!」
エヴァンジェリンが恐る恐る聞くとイルゼが答え、エヴァンジェリンと木乃香の硬直が解けた。
「なんだ、白雪姫をやるのかと思ったぞ」
エヴァンジェリンはホッと胸を撫で下ろした。
「姫役はフェイだよ」
「まぁ、それが妥当だな」
イルゼの言葉にエヴァンジェリンが王子のイルゼと姫のフェイを思い浮べて言った。
「イルゼの所も劇なんかぁ、うちのクラスもなんよ?題目は『赤頭巾』で、うちも主役の赤頭巾なんよ」
木乃香の言葉に、エヴァンジェリンは心底ご満悦な笑みを浮べた。
「そうかそうか、二人とも主役を勝ち取ったか。ふふふ、これはトビっきり高級なカメラを新調せねばならんな!」
「別に使い捨てカメラでもいいんじゃね?」
イルゼが言うと、エヴァンジェリンは「甘いぞ!」とイルゼを指差して怒鳴った。
「使い捨ても確かに悪くは無いが、それでも折角写真に残すならば良いカメラで撮った方が良いのは歴然とした事実だ!爺ぃとさよの奴と観に行くから
な」
ちなみに、さよは今月に入ってから近右衛門の秘書となった。
若干悪い噂が流れそうにもなったが、そこは近右衛門の力で黙らせた。
かえって逆効果になった気もしないではないが、二人で仲良く仕事をしている。
大体は書類整理ばかりなので、書類の分別の仕方を近右衛門がさよに教えている状態だ。
二人とも木乃香とイルゼを可愛がっている。
ついでにレオルモンも学園長室でペットとして飼われている。
特にそれに不満を感じないで過ごしている感じなのだが、生徒達が時々レオルモンと会う度に撫でて来るのが辛いとイルゼに零していた。
「当日は三人で回ろうぜ。一応、ミス研の方でもやきそば屋やるからそっちも来てくれると嬉しいな」
「あ、うちも図書館探検部で初等部の皆でクレープバーをやるんよ。うちの所にも来てな?」
「よぉし、二人とも自分の自由な時間が判明したら教えてくれ、それに、友達とも回りたいだろ?時間の調整は慎重にな?」
「「はぁい!」」
エヴァンジェリンの言葉に元気良く返事を返すと、二人ともカレーを食べ始めた。
エヴァンジェリンのカレーは少し甘口で木乃香とイルゼには丁度良かった。
実際、エヴァンジェリンが時間を持余していて料理の勉強に嵌ってしまった恩恵なのだが。
元々、中学生として過ごして後は何とも為しに過ごして来たエヴァンジェリンだったが、最近は趣味を作って木乃香とイルゼの帰りを待つのが日課になっ
ていた。
外出時は大人の姿に変化している。
魔法先生達はそれだけでエヴァンジェリンと気付かないのは一重にエヴァンジェリンの幻術の卓越した技術によるものだ。
元々魔眼だけでも強力な幻術を掛けられるのに加えて、魔法によるバックアップによって、かなり高次元な幻術に昇華しているのだ。
基本的にエヴァンジェリンの一日は、木乃香とイルゼを送り出してから始まる。
午前中はテレビでニュースを見ながら優雅にティータイムを楽しむ。
近右衛門に支給してもらっていたお金はもう貰っていない。
代わりに、深夜の警備の仕事で給料を貰える様にした。
あまり代わらない気もするが、木乃香とイルゼの手前、仕事もせずにお金だけ貰ってボンヤリ生きていると思われるのは嫌だからだ。
二人が本当にそう思うかどうかは別として…。
給料を使ってお昼はいつもカフェ・グリーンで食べている。
店長の妻の桃子とはかなり仲良くなった。
主に、子育てについて教えてもらっている。
桃子には店を手伝っている大学生の息子が一人、高校生の娘が一人、小学生の娘が一人それぞれ居る。
その経験から来る話なので、エヴァンジェリンはかなり勉強になった。
特に、子供をどんな事情が在っても寂しい思いをさせるべきではないと殊更に真剣な表情で言われ、紅茶を飲みながらエヴァンジェリンもしっかりと頷い
た。
ランチタイムが終わると、グリーンも客がまばらになるので、桃子と共にショッピングに出掛ける事もしばしばあった。
お互いに子供の写真を見せ合って、どんな服が似合うかと意見を交わし合うのが日常の一コマになっていた。
生まれが生まれだけに、故郷の服に似たゴジックロリータが好みだったが、最近は桃子に感化され、子供用のファッション誌もチェックする様になった。
グリーンが忙しくなるのは夕方の4時を過ぎた辺りだ。
だから、ショッピングから帰ってくるのは大体が2時くらいなので、それからの時間は世間話を交えたエヴァンジェリンの料理の勉強の時間だ。
元々、魔法薬を多用するようになり、調味料などの調合のバランスの取り方は直ぐに上達した。
お菓子のレパトリーもちゃくちゃくと増えている。
そして、エヴァンジェリンが作ったお菓子で二人で仲良くティータイムを楽しむのだ。
昔なら考えられないような事だが、エヴァンジェリンは彼女を素直に友人と呼べている。
それに、時々彼女の友達とも話をする様にもなり、交友関係が広がり、視野も広がった気がした。
そして、4時前に夕食の材料を買いに行く。
大体はセール品で決める。
その方が、最初にコレにしようと考えるよりもイメージする能力を磨けるとの桃子の助言からだ。
子供には甘口が良いと言うアドバイスをくれたのも彼女だ。
ちなみに、エヴァンジェリンは時々仕事が片付いた時はさよも誘う事がある。
さよも少し年上ではあっても友人が出来る事を喜び、昔のお菓子を桃子に教える事もある。
これは、さよが昔キヨに教わったお菓子だったりする。
元々は裕福でなかった家でキヨの母が子供に少しでも美味しい物を食べさせたいと言う思いを篭めて作ったお菓子で、砂糖や蜂蜜は使わないが、サツ
マイモを材料にするので仄かに甘く、それでいてカロリーや糖分を全く気にする必要がないので、グリーンのメニューに並ぶほどだった。
老人のお客には懐かしさがあるのか、かなりの高評価を得ている。
4時になって、桃子が仕事に戻るとさよとも分かれ、エヴァンジェリンは寮に戻る。
その時は大概、学園の結界の敷いてある場所から専用の転移符を使って転移する。
これは、元々寮の部屋に設置しておいた特別製の転移符とリンクして転移出来る。
勿論、エヴァンジェリンにしか使えない様にセットしてある。
帰って来てからは、ファッション誌と料理の本を読みながら、イルゼと木乃香が帰ってくる時間を見計らう。
そんな毎日を充実していると感じるのは間違いではないだろうとエヴァンジェリンは思う。
ただ、エヴァンジェリンには分かってしまっていた。
何時か終わりが来ると。
人の一生は永くて短い。
100年もすれば、今の幸せは再び幻想の様に零れ落ちるだろう。
誰にでも等しく訪れるモノがある。
だが、自分には訪れない。
ただ、取り残されるだけだ。
果ての無い年月を生きる事になる。
これまでも、これからも。
それを思うと、辛くて胸が張り裂けそうになる。
それでも、エヴァンジェリンはこの僅かな幸せの一時を精一杯満喫すると決めた。
永い時間の中で、何時でも思い出せるように、心に仕舞い込む様に。
そんな事を考えていると、顔を上げるとイルゼと木乃香がスプーンを更に置いてエヴァンジェリンを見つめていた。
「どうしたんだ?ばあちゃん?」
「おばあちゃん?」
突然俯いて悲しげな顔をするエヴァンジェリンに、二人は心配気に聞いた。
他の者なら絶対にわからなだろうエヴァンジェリンの感情も、木乃香とイルゼには手に取るように分かってしまった。
そして、エヴァンジェリンは「なんでもない」と言って優しく微笑んだ。
「なぁに、最近の小説は泣かせるのが多くてな。ちょっと思い出してしまっただけさ」
「ふうん。小説って苦手だな」
エヴァンジェリンの言葉にイルゼは苦い顔で言った。
すると、木乃香はクスクスと笑った。
「イルゼは小説を読むとすぐに眠くなっちゃうもんなぁ」
「七不思議の時の研究資料とかは普通に読めてたんだから、興味の沸くジャンルなら読めるんじゃないか?読書は情操教育にもいいと桃子が言ってい
たしな。イルゼはどんな話が好きなんだ?」
エヴァンジェリンが聞くと、イルゼは困った顔をした。
「って言われても読まないからジャンルもなにも…」
「推理小説なんかええんやない?イルゼ、謎解きとか好きやし」
木乃香の言葉にエヴァンジェリンも「そうだな」と頷いた。
「別に謎解きが好きな訳じゃないけど、そうだなぁ、なんかお薦めの本とかある?」
イルゼが聞くと、木乃香とエヴァンジェリンは「そうだなぁ」「そうやねぇ」とそれぞれ考えた。
「やっぱり二階堂蘭子シリーズが私のお薦めだな。特に人狼城は神作だ。全然読み飽きないし、内容も充実していて日本の推理小説なら最高峰だと思う
…けどあれはイルゼには難しいか…」
エヴァンジェリンは思い浮かべた小説の長さや難解さを思い出して意見を取り下げた。
「じゃあ、やっぱり基本のシャーロック・ホームズなんてどうやろ?『四つの署名』や『バスカヴィル家の犬』なんか凄くドキドキして面白で?」
木乃香はそう言うと、襖の中の図書室に行き、しばらくして『シャーロックシリーズ』の長編第一弾の『緋色の研究』を持って来た。
「これか?」
イルゼが聞くと、木乃香は「そやで」と言ってイルゼに手渡した。
イルゼは渡されたハードカバーの本に若干欝になりながら、木乃香が薦めてくれたので無碍にも出来ずに苦笑いしながらパラパラと適当に開いてみた。
「おっ!」
思ったよりも字は大きく、読み易そうだった。
「思ったより読み易そう…。サンキュー木乃香。確り読ませてもらうぜ」
イルゼがニカッと微笑みながら言うと、木乃香は嬉しそうに「うん!」と答えた。
「シャーロックシリーズはかなりの名作だな。特に最後のライヘンバッハの…」
「ストップおばあちゃん!!ネタバレはあかんよ!!」
エヴァンジェリンがついクライマックスシーンのネタバレをしそうになったのを慌てて木乃香が止めた。
「っと、すまなかった。ついな…。それよりも、夕食が終わったら今日の魔法の授業を始めるぞ」
「「はぁい!」」
エヴァンジェリンの言葉に答え、イルゼと木乃香は残りのカレーを平らげた。
お腹が満腹になり、イルゼも木乃香も心地良い満足感を覚えながらお皿を流しに出した。
それから、エヴァンジェリンと対面にイルゼと木乃香が座り、今日の魔法の授業が始まった。
「さて、今日は何の話をするか…」
エヴァンジェリンが考えるように言うと、木乃香が口を開いた。
「ねぇおばあちゃん。おばあちゃんが龍さん?の場所で研究していた『闇の魔法』ってどういうのなん?」
その言葉に、エヴァンジェリンは目を丸くすると困ったように言った。
「『闇の魔法』に興味があるのか?」
エヴァンジェリンの言葉に木乃香は頷いた。
そして、イルゼが口を開いた。
「俺も気になるよ。ばあちゃんが編み出した魔法だからさ。どう言うのか知りたいよ」
イルゼの言葉に、エヴァンジェリンは「うぅん」と唸った。
「あれは教える気は無いから説明だけになるがいいか?」
「教える気が無いって?」
木乃香は驚いた様に聞いた。
実際、木乃香は何時か自分に教えてくれるものと思っていたのだ。
それ故に、少し寂しさが重なってキツイ口調になってしまった。
「あぁ、違うぞ。意地悪とかじゃない。木乃香とは根本的に相性が悪いんだ。『闇の魔法』は闇属性の魔法って訳じゃない。自分の闇、即ちは闇の眷属に
身を置き、心に深い闇を持つ者でないと修得出来んのだ。木乃香は対照的に光に身を置くからな。それに、あまり教えたいとも思わない。あれはな、普 通の人間が使うには強力過ぎるのだ。己を酷使し、傷つける。教えるとしたら例え死んでも無感動で居られるような奴くらいだ。少なくとも、木乃香やイル ゼには教える気は無い。それでも良いなら話してやるぞ?」
エヴァンジェリンの言葉に、それでも好奇心が勝った。
木乃香もイルゼも、少しでもエヴァンジェリンの事を知りたいのだ。
もっと近づけるように。
「教えて、おばあちゃん」
「頼むよ、ばあちゃん」
木乃香とイルゼが間髪入れずに頼むと、エヴァンジェリンは諦めた様に口を開いた。
「まぁ、説明と言っても実際は簡単だ。『闇の魔法』は、魔法として存在する魔力を己の体に取り込むことで、その魔法の特性を体に取り込むことが出来
るのさ。ただ、魔法を霊体と融合させる必要があってな。その際に己の心の奥底の闇を自分の中に取り入れる必要があるのさ。心霊魔術に近いのだ が、それ以上に汚らわしい力さ。自分でも、あまり使いたいとは思わない。昔、余程の窮地でもなければ使わないように封印した力だしな。それを書いた 巻物も、昔知人にくれてやった。ただの自己制御だけではない。簡単に言えば本能を覚醒させるのさ。本当の望みを表層意識に汲み上げる。私の場合 は復讐心だった。そして、どこまでも強い殺人衝動に駆られるのに身を任せる」
エヴァンジェリンは顔を歪めて皮肉気に笑いながら言った。
すると、イルゼが首を傾げた。
「でもさ、誰にだって心の底の望みってあるんじゃないか?」
「確かにな。だが、魔法というのがどういう力なのか分かるか?イルゼ」
エヴァンジェリンの問いかけに、イルゼは「え?」と言って答えられなかった。
木乃香やエヴァンジェリンが何時も使う便利だけど危ない力。
その程度の解釈なのだ。
だが、エヴァンジェリンは別にそれを責める気は無かった。
当然だろう。
なにせ、イルゼ自身は魔法を使えないし、イルゼの考えは間違ってはいない。
「魔法の原点は、『原初人間・アダム=カドマン』の神性が逆転した物だと言い伝えられている」
「神性の逆転?」
エヴァンジェリンの言葉に、木乃香は首を捻った。
「そうだ。アダム・カドマンの話は聞かせたな?人間の創であり、最古の真祖である『イヴ・カドマン』を作り出したとされる神の似姿とされる男の名だ。奴
が『知恵の実』と呼ばれる木の実を、『蛇』に唆され食した時、人は神の巨人性を失い、同時に神性を魔性に変えた。その力が魔力であり、魔術とされて いる。残った神性は気と名を変えたと言われ、二つは相反し、決して混ざろうとはしない。だが、厳しい修行の果てに、神性と魔性。二つを一つに出来た 時、巨大な力を得られるとされている。それが、気と魔法の合一、咸卦法だ。今言った通り、魔法とは魔性に属するものだ。それを取り込むには心を魔 で満たさなければならない。つまり、表層に出す意識が光の思い。ようは誰かを護りたいと言う願いや、誰かと共に居たいと言う様な清らかな願いでは、 魔法は人間の体に溶け込む事はできないのさ。魔力の強さも気の強さも人の魂と心の強さに左右される。だが、方向性を持たせた力を取り込むには、 その原初たる多大な魔性が必要なんだ」
エヴァンジェリンの言葉に、木乃香は本当に自分には無理なんだろうかと疑問に思った。
自分が清らかだとエヴァンジェリンは断言した。
だが、イルゼや刹那に危機が迫った時に、自分の心は清らかと言えるのだろうか?
そう考え、口にしていた。
木乃香は、自分の言葉が、エヴァンジェリンを失望させるのではないかと怖くなった。
だが、どうしても聞きたかった。
すると、予想に反してエヴァンジェリンは優しく微笑んでいた。
「だからさ」
「え?」
エヴァンジェリンの言葉の意味が、木乃香には分からなかった。
そして、エヴァンジェリンは言葉を続けた。
「木乃香、お前は勘違いをしている。心の闇と言ったが、正確には己の魔性なんだ。誰かの為に自分を見失うほどに怒れる人間の心と言うのはな、確か
に闇があるかもしれない。だが、闇は闇でも輝きを持った闇だ」
「輝きを持った…闇?」
「そうだ。魔性と言うのはな、穢れた闇の事だ。利己的で、妄執的で、偏執的で、醜悪な望み。復讐と言ったがな。私の持つ闇は自分がどうしてこんな目
に合わないといけないんだと言うモノだ。他にも、盲目的に自分の望みの為には誰かを切り捨てる事も已む無しと考える心、例え、聞いていると綺麗な事 でも、強迫観念の様に望みを強制されたりする者の心はどす黒いんだ。純粋な闇。それが木乃香、お前の持つ闇だ。光と闇、両方持っているのが当た り前だ。どちらかが無ければ、その者はただのヒトデナシになってしまう。光だけなら盲目的な宗教の教徒、闇だけならただの外道。どちらも持ちながら、 どちらも穢れなく輝く存在。それが木乃香、お前なんだよ。だからこそ、強くなれる。所詮、穢れた力では限界がある。木乃香、お前ならそんな力に頼る必 要は無い。魂の強靭さ、心の強さ。両方を兼ね揃えているんだ、正攻法で強さを求めるだけで、お前は誰にも負けない最強の魔法使いになれる。私が 保証するよ」
エヴァンジェリンの言葉に、木乃香は照れ臭さを感じなかった。
ただ、自分の存在をここまで認めてくれるエヴァンジェリンの存在が嬉しかった。
褒めているんじゃない、事実を述べている。
その上で、自分を認めてくれる。
「ありがとう、おばあちゃん」
木乃香は多くの言葉以上の思いを篭めて言った。
それは、エヴァンジェリンに容易く届き、広がる。
その様子を、イルゼは憧憬にも似た感情で見つめていた。
イルゼは、木乃香にもエヴァンジェリンにも、詠春や麻耶にも話せない悩みがある。
それは、どこまでも利己的な悩みだ。
そう…。
――俺の存在を認めて欲しい。
そんな願いだった。
イルゼは夢を見ない。
過去の事を思い出すのは起きている時だけ。
皆が見る筈の夢が、イルゼには見えない。
眠っている時、ただ真っ暗な世界に居るだけだ。
夢がどういうものかは分からない。
ただ、何かを見る筈なのに、見えない。
忘れているのではない。
本当に見えないのだ。
そして、時々思うのは、自分が本当にここに居るのかどうかだ。
人間になった事、それは誰にも言えずにイルゼの心を暗く染める。
――俺は一体…誰なんだ?
そんな思いが、心を染めていくのだった。
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