第48話『それぞれの過去・中編 〜エヴァンジェリン〜』


エヴァンジェリンが眼を覚ますと、見知らぬ天井が眼に入った。

「ここは…?」

エヴァンジェリンは、体を起こして周囲を見渡すと、そこは日本の茶室のような部屋に布団が敷かれ、彼女はそこに寝かされていた。
エヴァンジェリンはキョトンとしながら布団から出ると、彼女の服は真っ白な着物を潰した寝間着を着せられていた。
エヴァンジェリンは見た事も無い服に、首を傾げた。
その時代、日本でも着物を潰した寝間着を着る者などいなかったのだ。
そして、エヴァンジェリンは恐る恐る起き上がると、障子の扉を開いて外に出た。
縁側は木で出来ていて、古い日本家屋そのものだった。
不思議な空間に、エヴァンジェリンは戸惑いながらも、誰か居ないかどうかを探した。
そして、一際広い部屋を見つけると、壁の上の方に飾られた見事な細工の欄間があり、エヴァンジェリンはつい見惚れてしまった。
西洋の城に住んでいたエヴァンジェリンにとって、まったく未知であり、不思議な芸術だったからだ。
そして、欄間を見つめながら、不意に昨晩の記憶が蘇った。
そして、体を両腕で抱き締めるようにしながら震えた。
そして、自分の斬られた筈の腕がある事に愕然とした。

「どう…して?」

その疑問に、唐突に響いた少年の声が答えた。

「それは、貴女が吸血鬼になったからですよ」

エヴァンジェリンは、ギョッとして声の主を探して周囲を見渡した。
すると、クスクスと笑いながら少年の声は扉の向こうから聞こえてきた。

「こちらですよ」

そう言って、扉を開き入ってきたのは、15歳前後の少年だった。
緑を基調にした、金色の龍が踊る中華服に身を包む切れ長の眼をした優しそうな少年だった。

「あ…あなたは?」

エヴァンジェリンは聞いた。

「ふむ、少し訛りがありますね。これでどうですか?」

そう言うと、少年はエヴァンジェリンの僅かに訛る英国英語を喋りだした。
滑らかな口調に、エヴァンジェリンは驚いたが、慌てて頷いた。

「だ、大丈夫です…」

エヴァンジェリンが言うと、少年は「そうですか」と柔らかな笑みを浮べて言った。

「私の事は『龍』と呼んで下さい。そう呼ばれていますし、私も気に入っていますので」

その言葉に、首を傾げながらエヴァンジェリンは「りゅ…う?」と片言で聞いた。

「ええ、西洋で言うならばドラゴンです。私の国では姿は異なるのですがね。この服に刺繍されているのが、私の言うドラゴンであり、『龍』です」

その言葉に、エヴァンジェリンは頷いた。
そして、怯える様に少年に聞いた。

「あの…吸血鬼って?」

エヴァンジェリンの言葉に、それまで立っていた少年は腰を折って正座をし、エヴァンジェリンにも座るように命じた。

「は…はい」

エヴァンジェリンも素直に龍の様に座ろうとしたが、うまく出来ずに四苦八苦した。
なんとかうまく正座をすると、龍が口を開いた。

「まず、貴女の身に起きた事を説明しましょうか」

そう話始めた。
エヴァンジェリンは唯黙って話を聞くだけだった。
怖くて話せなかったのもある、だがそれよりも知りたいと思う気持ちが大きかったのだ。

「貴女の住む北アイルランドの海岸線にある村の領主城は、貴女を除いて皆殺しにされました」

淡々と、龍は言った。
エヴァンジェリンは喉がカラカラになった。
瞳孔が開き、頭の中が真っ白になった。

「う…うそ。嘘だ…嘘だ…」

胸が張り裂けそうになった。
理解しているのだ。
龍が嘘を言っているわけではないと。
だが、受け入れる事が出来る事象には限界がある。
気が狂ったように「嘘だ…嘘だ…」と呟き続け、涙を溢れさせた。
龍は、その姿をただ黙して見守った。

「誰が…やったの?」

エヴァンジェリンは震えながら聞いた。
その瞳は狂気が宿っていた。

「復讐したいですか?」

龍の問い掛けに、エヴァンジェリンは「殺してやる…」と血を吐く様に言った。
すると、龍は「いいでしょう」と口を開いた。

「貴女には身を護る術を授けます。そして、知識も。ですが、よく考えなさい」

それだけ言うと、龍は立ち上がった。

「まずは食事にしましょう。震えてしまっている」

龍の言葉の通り、エヴァンジェリンの体は震えていた。
そして、エヴァンジェリンと龍との生活は、殆どが魔法の修行と魔法の知識に関する物だった。
エヴァンジェリンは復讐だけを思い、それ以外には何も無かったのだ。
龍は常に、「考えなさい」と言うだけで、エヴァンジェリンを積極的に諌めたりはしなかった。
ある日、エヴァンジェリンは聞いた。

「ねえ、城を襲って、私を吸血鬼にした奴を龍は知ってるの?」

その瞳は、暗く澱んでしまっていた。
動き、人間の振りをして居る人形と言うのが、その頃のエヴァンジェリンに相応しい例えだった。
そして、龍は答えた。
基本的に、龍は聞けば答える。
全ての判断はエヴァンジェリンに任せ、ただ教える。
エヴァンジェリンには、彼が何を思っているのかが分からなかった。

「知っています。お話しますか?」

「お願い…」

殺意によって、鈍く瞳を光らせながらエヴァンジェリンは言った。

「いいでしょう。まずは貴女のお城で起きた事からお話しましょうか」

そう言うと、一瞬だけ目を瞑った。

「聞くと、貴女は後悔するかもしれませんよ?」

珍しく、龍はそう言った。
聞かれれば全ての判断を相手に委ねる龍のその言葉に、エヴァンジェリンは一瞬だけ躊躇った。
だが、どうしても知りたいと言う願いが強く、エヴァンジェリンは頷いた。

「いいでしょう。貴女のお城居た者は、使用人も領主もその家族も全て、体の一部を食べられていました」

その言葉に、エヴァンジェリンの思考が停止した。

「え?」

エヴァンジェリンは自分の耳がおかしくなったのかと思った。

「どういう事?じゃあ、相手は人間じゃない化け物って事なの!?もしかして、襲ったのは吸血鬼なの!?」

 エヴァンジェリンの叫びに、龍は首を横に振った。

「いいえ、違います。吸血鬼は必要ならば人の血を吸います。貴女も最初はそうだったでしょう?」

その言葉に、エヴァンジェリンは苦しげに頷いた。
龍の元に来た当初は、エヴァンジェリンは喉に渇きを訴えた。
龍はそんな彼女に、安易には血を飲ませずに我慢させた。
苦しみに喘ぐ彼女を見守りながら、気が狂う寸前で、彼女は人間の血を飲みたいという欲望から脱した。
龍が言うには、一度でも人間の血を乾きに任せて吸えば、それが悦楽となり、克服するのが難しいのだと言う。
そして、吸血鬼としての誇りを伝え、人の生き血を無闇に捕食する事を最初に禁じた。
吸血鬼にとって、血は存在を維持する為に使うだけで十分なのだ。
血と言う生命の原初を体内に取り込むことで、一度死に、吸血鬼となった体を維持するのだ。
吸血鬼が必要な吸血量は少ない。
魔力の回復以外では、体の維持は、数十年に一度だけ数リットルも飲めばいいのだ。

「吸血鬼の中でも誇りを見失い、人の生き血を無闇に吸う愚か者もいます。ですが、人の肉を食べるのは獣だけです。人狼ですら、人間を殺すのはた
だ、殺人衝動に駆られての行動なのです。人を食べるのは、人としての性癖なのですよ」

「相手は…人間って事?」

エヴァンジェリンの言葉に、龍は「ええ」と答えた。

「犯人の名は、コリン・ビーン。貴女は数十年前に起きたソニー・ビーン事件をご存知ですか?」

龍の質問に、エヴァンジェリンは首を横に振った。

「コリン・ビーンは、ソニー・ビーンの娘のアビゲイルと息子のアニーの間の子です」

「えっと…」

エヴァンジェリンは首を傾げた。
すると、龍は話を続けた。

「ビーン一族は、貴女のお城が襲われた数年前にスコットランド王により組織された400人の武装軍隊に捕縛され、死刑に処されたカニバリズム主義の
一族の事です」

「カニバリズム?」

エヴァンジェリンが首を傾げると、龍は言った。

「人肉嗜食の事ですよ。人の肉を食べる性癖がある者の事をさすのです」

「!?」

エヴァンジェリンはその言葉に絶句した。

「ひ、人の肉を…?」

「そうです。事件は十年前に一族皆殺しにされるまで25年もの長きに渡り起こり、300人の犠牲者が出たそうです」

そう言いながら、龍は話を一瞬切ると、眼を瞑った。

「グールを知っていますか?」

龍が聞いた。
エヴァンジェリンが首を振ると、龍は話し始めた。

「グールとは、屍を喰らう鬼と呼ばれる、よく吸血鬼と同一視される魔人の一種です」

「魔人?」

エヴァンジェリンは聞きなれない言葉に首を傾げた。

「魔人とは、この世に存在する禁断の五つの魔法の一つである『マザー』によって生み出される存在以外にも、人の身でありながら人とは異なる種族にな
った者の事を言います。これも、禁断の魔法の一つである『堕落の魔法』によるモノなわけですが。吸血鬼が、吸血鬼の血を受け入れたり、然るべき儀
式や、ある種の一線を越えた力在る者がなります」

「しかし」と龍は続けた。

「グールは違います。人を食べる事にある程度の罪悪感がある者は成り得ないのですが、在る特定の条件で『人を食べる事に罪悪感を感じない人間』
が、時折グールとなるのです」

「で、でも!!人を食べるのに罪悪感を感じないってどう言う!?」

エヴァンジェリンの叫びに、龍は無表情を崩さなかった。

「いいですか?人が理性や罪悪感などを育むにはキチンとした環境が必要なのです。コリン・ビーンを含め、ビーン夫妻の子供達は生まれながらに人を
食べる事を必然な事と思いながら生活していたのです」

「でも!25年もなんて、どうしたって見つかるに決まってるじゃない!!」

エヴァンジェリンの疑問に、龍は答えた。

「グールが生まれるにはもう一つの条件があるのです。それは、『魔法使いの血を受け継ぐ者』です。ソニーの妻は魔法使いだった。と言っても落ち零れ
だったようですがね。彼らの棲家は、海岸にある洞窟でした。そこに、妻が認識阻害を使い、天然の結界も役に立ったようです。洞窟は、満潮になると半
分以上が沈み、侵入者を拒みますから」

龍は「話を戻しましょう」と言った。

「彼らは10年前にある夫婦を襲い、その際に夫を取り逃がしてスコットランド王への通報を許してしまいました。そして、スコットランド王の組織した400人
の軍勢に手も足も出ずに捕まり、エジンバラに護送され、リースの港町で処刑されたそうです」

その言葉に、エヴァンジェリンは意味が分からなかった。

「処刑されたって…じゃあどうしてお城は襲われたの!?」

エヴァンジェリンの疑問の声に、龍は口を開いた。

「ビーン夫人は、48人もの近親相姦で生まれた血族の中で最も魔力を持っていたコリンに魔法を教えていたようです。そして、彼女は軍勢に囲まれた際
に、切り札にしようと考え、コリンをグールにしたそうです」

「な!?」

その言葉に絶句してしまった。
自分の家族を化け物に変える母親の存在が信じられなかった。
そして、生理的な嫌悪感はここに極まった。

「ですが、グールとなったコリンはあまりの苦痛に打ちのめされ、魔法で姿をくらまして逃げ去ってしまったそうです。彼らは裁判無しでの死刑が求刑さ
れ、逃げたコリンの事は存在自体が誰にもわからなかった様です。そして、あの日に貴女の城にやって来た」

「なんで?…なんでそいつが城に来たの!!」

エヴァンジェリンは真実への渇望から、必死に訴えた。
そして、龍から残酷な言葉が放たれた。

「偶然です」

「え?」

エヴァンジェリンには、龍の言った言葉の意味が分からなかった。

「コリン・ビーンが貴女の城に襲来したのは、ただ、餌である人間が大量に居たからです。彼は、スコットランドからただ南に移動しながら幾つもの村で人
間を食い散らかしていたそうです」

エヴァンジェリンの頭は白くなった。
真実のあまりの残酷さに。
彼女の城は、恨みや目的があって襲われたのではないのだ。
ただ、餌場として丁度良かったと言う理由で襲われたのだ。
そして、龍は更なる残酷な言葉を告げた。

「貴女を吸血鬼にしたのはコリン・ビーンです。恐らくは仲間を作ろうとしたのでしょう」

「仲間!?私の大切な人達を食い殺しておいて仲間にするってどういう意味なの!?」

エヴァンジェリンの叫びに動じずに、龍は言葉を続けた。

「本能だったのしょう。無意識に仲間を作ろうとした。ですが、彼は失敗しました。グールと吸血鬼の儀式はほぼ同じです。ですが、貴女は人を食べた事
は当然無い。ですから、貴女はグールではなく吸血鬼になった。他の手段を知らなかったから。ただ、母親が自分にした儀式をすればいいと考えた」

エヴァンジェリンは言葉を失ってしまった。
そして、弱々しく聞いた。

「なんで…私なの?どうせなら…殺せばよかったじゃない!なんで私だけ!!」

その叫びに、龍は言った。

「恐らくは貴女に欲情したのでしょう」

その言葉に、エヴァンジェリンの生理的嫌悪感は一線を越える物だった。
頭が揺れ、平衡感覚が崩れる感覚だった。
あまりにもおぞましい…。

「理由は単純でしょう。ただ、餌場で餌を食べ、その中で欲情した少女を攫い仲間にする。ですが、彼には誤算があった」

「……誤算?」

エヴァンジェリンは、猛烈な吐き気に耐えながら聞いた。

「貴女がグールではなく吸血鬼になってしまった事と、なによりもハンターを呼び寄せてしまった」

「ハン…ター?」

エヴァンジェリンの質問に、龍は答えた。

「私や貴女は吸血鬼の中でも真祖と呼ばれていますが、我々以外にも真祖やそうでない吸血鬼はいます。そして、それを退治する者も居る。他にも、人
狼や夢魔、怪鳥を討伐する教会と呼ばれる組織の戦闘者の一部を『ヴァンパイア・ハンター』と呼びます。コリン・ビーンは派手に喰い散らかしてしまった
様ですからね。ヴァンパイア・ハンターに睨まれていたのでしょう。貴女を吸血鬼にした後、ヴァンパイア・ハンターの男性によって逃避せざる得ない状況
にされたのです」

その瞬間、エヴァンジェリンの脳裏に最悪の考えが浮かんだ。

「その…ヴァンパイア・ハンターは?」

エヴァンジェリンの問い掛けに、龍はしばらく黙すると言った。

「貴女が殺しました。恐らくは無意識だったのでしょうね。貴女が吸血鬼にされてしまった事を知り、悔やみながら木の杭を握り締めた。ですが、貴女が無
意識の内に防衛本能が働き、代わりに殺した。彼は、純粋なヴァンパイア・ハンターではなかったのでしょうね。ダンピールやクルースニク、ヴェドゴニャ
でなければ、真祖の吸血鬼の討伐は一人では到底無理な話ですから」

そして、エヴァンジェリンは眩暈がした。
そう、この時初めて理解してしまったのだ。
彼女は人を殺してしまった事を。
それも、敵ではなく、関係無い者の命を。
畳に吐瀉物が吐き出されるのを、龍は気にした風も無く、立ち上がると修行の話を簡単にして部屋を出て行った。
そして、最後にエヴァンジェリンが聞いた。

「どうして…そんなに知っているの?」

その言葉は、どうして自分を助けてくれなかったのかと聞いていた。
すると、龍は言った。

「私の古き友は全てを知る賢者。彼の言葉を聞き、私は貴女を知り、貴女に戦う力を与えました。覚えて置いて下さい、何時か運命が大きく動く日が来ま
す。その時に、私達は貴方達に会う事になる」

それだけ言うと、龍は去って行ってしまった。
エヴァンジェリンは言葉の意味が分からなかった。
ただ、広い部屋の中で一人泣き叫んでいた。



それから10年間で彼女は基本的な魔法を使えるようになった。そして、仇の居場所を龍に聞くと、彼女は出て行った。
その時に、グールを倒せる一度限りの武装を持たされた。

「それは、『真銀』で出来た魔弾の銃です。グールは長く生きるほどに理性が消えていきますから。もはや、見つけることが出来れば殺すのは容易いでし
ょう。彼の場所までは転移してあげます。それからの人生は、貴女が自分の足で進みなさい。辛い事、悲しい事もあるでしょうが、何時の日にかに笑顔
の貴女と再会出来るのを心待ちにしていますよ」

その言葉に、エヴァンジェリンは一言だけ呟いた。

「ありがとう…ございました」

そして、エヴァンジェリンの体は光に包まれ、森の中に転移された。
そこは、『思考する魔森』。
森自体が意思を持ち、魔に属する者だけが歓迎される人としての死地。
そこに、エヴァンジェリンは一歩踏み出した。




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