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第47話『それぞれの過去・前編 〜イルゼとエヴァンジェリン〜』
それは、イルゼがまだヤーモンだった頃の話。
デジタルワールドはファイル島を中心に、北に『神の森』、西に『フォルダ大陸』、東に『WWW大陸』、南に『暗黒大陸』、丁度デジタルワールドの反対側
に『サーバー大陸』が存在する。
そして、ファイル島にはたくさんのデジモン達が生活している。
大陸では強さを求めるデジモン達が戦いを繰り広げる事も少なくない。
だが、ファイル島のデジモン達は、はじまりの街を中心に、争うことは無く、平和に暮らしている。
はじまりの街の北には、『ムゲンマウンテン』と呼ばれる、途方も無い高さの山が聳えている。
その麓から、エアドラモンの森を挟んだ先にはじまりの街があるのだ。
エアドラモンの森には、エアドラモンが棲み、ムゲンマウンテンの入口を守護している。
森の出口の傍には広大な『肉の畑』がある。
パルモンやベジーモン、タネモンやリリモンなどの植物系のデジモンが世話をしているのだ。
コッソリ取ろうものならリリモンのブラウンカノンが飛んでくる。
そして、村には長老であるジジモンとババモンの家があり、その隣には一時期フォルダ大陸に武者修行に行っていたグレイモンが、見事にワクチンのメ
タルグレイモンに進化して『預り屋』を経営している。
その隣には巨大なトイレだ。
ジジモンの家の東には、バードラモンやホウオウモン達が『運送屋』を営んでいる。
特に、一匹のお話好きなバードラモンとヤーモンは大の仲良しだった。
他にも、ドリモゲモンの『宝探しと洞窟探検屋』は、ヤーモンの大のお気に入りの店だった。
お手伝いのワーガルルモンが、いつもヤーモンを抱き抱えながら探検に連れて行ってくれるのだ。
他にも、ベーダモン、ユニモン、ピッコロモン、アグモン博士の『デジモン学校』には、成長期のデジモン達がこぞって通っていた。
ウイルスのメタルグレイモンやキングチェスモンにクイーンチェスモンが経営する闘技場には入れてもらえなかった。
代わりに、歴戦の英傑であった、引退したガイオウモンや、スレイヤードラモン、メタルガルルモンが経営している『酒場』には、ちょくちょくオーナーのガイ
オウモンが招待してくれて昔の武勇伝を聞かせてくれるのだった。
特に、ガイオウモンとメタルガルルモンが語るのは嘗てこの世界を救ったテイマーとジジモンのコンビとの熱い戦いの話が多かった。
嘗てはメタルグレイモンであり、ガルルモンだった彼らは、当時のジジモンに手も足も出なかったと言う。
ジジモンの話を聞くと、ヤーモンは素晴らしく幸福な気持ちになった。
他にも、ケンタルモンと見習い天使のエンジェウーモンとエンジェモンがデジモン達の健康に細かくチェックしているお医者さんだ。
ズドモンの新聞に、シーラモンとシードラモンの水泳教室、メタルエテモンとパンプモン、ゴツモンのダンス教室も大人気だ。
はじまりの街から少し西の『迷いの森』の奥には、アトラーカブテリモンとオオクワモンの『トレーニング場』がある。
中心都市であるはじまりの街以外にも、ヘラクルカブテリモンがリーダーを務めるビートアイランドや、セラフィモンが治めるアイスサンクチェアリなどもあ
る。
そして、今回の物語は、ジジモンの家の奥の部屋でヤーモンがグッスリと眠っているのをプロットモンが叩き起こす所から始まる…。
「…モン!…モン!!ヤーモン!!」
涎を垂らしながら、ギルモンのジュークボックスから流れる音楽を聴きながらユキダルモンのトビっきり甘いイチゴのシロップたっぷりのカキ氷を食べてい
る夢を見ていたヤーモンは、突然冷たい冷気に襲われて目を覚ました。
「ヤ、ヤー!?」
目を丸くしながら辺りを見渡すヤーモンの視界には、何時も一緒のプロットモンの姿が在った。
悪魔の生首のようなヤーモンは、子犬のようなプロットモンに笑顔で「ヤーモ!」と挨拶した。
すると、プロットモンは一瞬だけ邪悪ににやけたかと思うと、ヤーモンにのしかかりながら挨拶した。
「やっほー!おはようヤーモン!!」
「ムギュ!ヤ、ヤー!!ヤーヤー!!」
踏み潰されて文句を言うヤーモンに、プロットモンはぞくぞくした様に至高の笑みを浮べながらヤーモンからどいた。
「えへへ、それじゃあ遊びに行こうよ!」
プロットモンの言葉に、ヤーモンは踏まれた恨みを一瞬で忘れて笑顔になった。
「ヤー!!」
そして、プロットモンに連れられたヤーモンは、ウィッチェルニーから修行に来て、何時の間にかメラモンにスカウトされてレストランの店員となったウィザ
ーモンが店番をしているレストランに向かった。
「ウィザーモン!ジュースちょうだい!!」
「ヤーヤー!!ヤーヤモー!!」
プロットモンが店に入るなり叫び、ヤーモンもそれを真似する。
すると、カウンターから優しい笑顔でウィザーモンがジュースを運んでくれた。
コップの中には緑色のジュースが入っている。
「ほうら、昨日探検家のリボルモンが持ってきてくれてね。クサリカケメロンのジュースだよ」
ニッコリと微笑みながらコップをプロットモンとヤーモンの前に差し出す。
プロットモンとヤーモンは大喜びでジュースを飲み干した。
「ヤー!ヤー!」
「おかわりかい?ごめんね、クサリカケメロンのジュースは一人一杯なんだ。代わりに、オレンジバナナのジュースを持ってきてあげるよ」
ヤーモンの訴えにニコニコしながらウィザーモンは厨房に戻って、オレンジバナナジュースを持ってきてくれた。
すると、プロットモンが「飲ませてあげる!」と言って、ウィザーモンがヤーモンの前に置いたッコップを手に取ると、ヤーモンの口元に持っていった。
「ヤー!ヤー!」
すると、ヤーモンは大喜びで大きな口を開いた。
すると、オレンジバナナジュースがヤーモンの全身に掛かった。
「ヤー!?ヤーヤー!!」
オレンジバナナジュース塗れになったヤーモンはプロットモンに文句を言うが、ウィザーモンは見てしまった。
ヤーモンに忍び寄る超小型の蟻のデータが何処からとも無く湧くのを。
そして、プロットモンの瞳に凶悪な光が宿るのを…。
「ま、まさか…。いかん!!」
ウィザーモンは大急ぎで厨房に戻り、バケツに水を張って戻ってきた。
すると、ヤーモンは蟻のデータの大群に埋もれてしまっていた。
そして、プロットモンは蕩ける様な笑みを浮べていた。
ウィザーモンはとにかくヤーモンを助けなければとヤーモンに水を掛けた。
そして、蟻のデータとオレンジバナナのジュースが綺麗サッパリ取れたヤーモンはプロットモンに「ヤー!ヤー!」と文句を言った。
すると、プロットモンは心底辛そうに「ごめんね、わざとじゃないの…」と言った。
その様子に、ウィザーモンは顔を引き攣らせた。
そして、気遣わしげに「ヤー…」と謝るヤーモンに一言、「強く生きるんだよ…」と言って、厨房に入って行った。
それに対して、ヤーモンは心底不思議そうに「ヤー?」と鳴いた。
そして、プロットモンに連れられてヤーモンは迷いの森に来た。
「ねぇねぇ、ヤーモンは喋れないの?」
プロットモンは、実はもう何度も話している事を聞いた。
だが、ヤーモンは素直に「ヤー」と鳴いて肯定した。
「ねぇ、なんか喋ってみなさいよ」
「ヤ、ヤー?」
睨む様に言い出したプロットモンに、ヤーモンは困ったように鳴いた。
すると、プロットモンの機嫌は目に見えて悪くなった。
「ねぇ、本当は喋れるんじゃないの?喋ってみなさいよ!!」
怒鳴るように言うプロットモンに、ヤーモンは「ヤ、ヤー!!ヤー!!ヤー!!」と、何とか喋ろうと努力するが、幼年期では喋れるのは一部のデジモンだ
けなのだ。
すると、ヤーモンをプロットモンは蹴り飛ばした。
「うるさい!!他に何か言えないの!?ヤーヤーって、馬鹿にしてる?」
その言葉に、ヤーモンはビクッとしながら「ヤ、ヤー…」と恐々と声を掛けるが、プロットモンは背中を向けてしまった。
ヤーモンは、帰り際にウィザーモンがくれたクッキーを口で咥えると、プロットモンに渡そうと近寄った。
だが、プロットモンは鋭い視線を向けた。
「はぁ?何考えてんのよ!!アンタが口つけたのなんか食べれるわけないでしょ!!どっか行きなさいよ!!」
と怒鳴った。
ヤーモンは、どうして怒られたのかが全く分からなかった。
そして、自然と涙が溢れてきた。
「ヤ…、ヤ…」
そして、その様子を後ろ目で見ると、プロットモンは体を震わせながら蕩けきった笑みを浮べてヤーモンの泣き顔を見ていた。
その一連の行動は、プロットモンのお気に入りの『ヤーモンの泣き顔』の見方だった。
そして、たっぷりと満喫すると、プロットモンは泣いているヤーモンの頭を優しく撫でて「ごめんね」と謝った。
それだけで、ヤーモンは「ヤ…ヤーモ!!」と大喜びして笑顔になった。
そして、プロットモンとヤーモンはエテモンのダンス教室を通り抜けてトロピカルジャングルに向かった。
すると、真っ赤に熟れた最高に美味しそうな『ヘビーイチゴ』が落ちていた。
プロットモンが右前足で器用に掴むと、ヤーモンの顔に近づけた。
ヤーモンは貰えるんだと思って輝く様な笑顔になった。
すると、ヤーモンが口を開いた直後に、プロットモンはヘビーイチゴを上に持ち上げてしまった。
「ヤ、ヤー?」
どうしたの?と問い掛けるように困った笑顔でヤーモンがプロットモンを見ると、プロットモンは足を下ろしてヘビーイチゴをイルゼの口元に持ってきた。
ヤーモンが笑顔になると、再びプロットモンは足を上げて食べれないようにした。
「ヤ…、ヤー?」
ヤーモンが涙目になりながら鳴くと、プロットモンは至高の笑みを浮べながらヤーモンにヘビーイチゴを食べやすいように蔕を取り除いてから食べさせて
あげた。
すると、ヤーモンは笑顔になって「ヤー!」と鳴いた。
そして、休憩しているシードラモンを見つけ、プロットモンとヤーモンは迷いの森の南に連れて行ってもらった。
シーラモンの岬に到着して、ヤーモンとプロットモンはシードラモンにお礼を言うと、木の上で眠っているクネモンが居るクネモンの寝床をソッと抜け、竜の
目の湖に向かった。
すると、そこでプロットモンは四角い木箱を見つけた。
そして、フワッと笑みを浮べると、湖のデジカムル達を見てはしゃいでいるヤーモンの背後にそっと近づくと、プロットモンはヤーモンに木箱を被せた。
「ヤ、ヤー!?」
ガタガタと動かすが、ヤーモンは木箱をどけられなかった。
「ヤー!!」
ヤーモンはプロットモンを呼ぶが、プロットモンは何も言わずに、まるで慈愛に満ちているかの様な笑みを浮べていた。
そして、木箱の上に近くに在った石を乗せて僅かにヤーモンの頭で浮き上がっていた木箱を押さえた。
「ヤ!?」
そして、木箱の中でヤーモンは騒いだ。
「ヤー!?ヤーヤー!!ヤーモ!!!」
ヤーモンは真後ろにプロットモンしか居ないと言うのにプロットモンが犯人とは考えずに叫んだ。
そして、プロットモンは悦の入った妖艶な笑みを浮べて、その上に更に石を乗せて完全に動かない様にしてしまった。
「ヤー!!ヤー!!ヤーモ!!ヤーヤモン!!」
そして、怒る様に叫びだしたのを聞いて、プロットモンは木箱をどけた。
すると、ヤーモンは涙を流しながら震えていた。
そして、プロットモンに縋り付いてきた。
そして、プロットモンは顔を赤らめながら蕩け切った様な笑みを浮べてヤーモンの頭を優しく撫でた。
それから、竜の目の湖から離れると、ミハラシ山に向かった
そして、山を登る間中、プロットモンは宇宙人は内臓を取ったりするから怖いんだと、宇宙人に纏わる怖い話を語り、ヤーモンは歯をガチガチと鳴らしな
がら震えた。
そして、ミハラシ山の頂上に着くと、そこにベーダモンが日光浴をしていて、ヤーモンは叫び声を上げると気絶してしまった。
「ヤーーーーー!!!!」
そして、目が覚めると再び看病していたベーダモンの顔が直ぐ近くにあって悲鳴を上げて気絶してしまった。
そこで、映像が切れた。
「「「「「………」」」」」
誰も、何も言えなかった。
そして、イルゼは俯いたまま口を開いた。
「……俺が見せようとしてたのと違うんだけど…」
その言葉に、近右衛門が言った。
「お、恐らくは思い描いた以上に鮮烈な記憶を、記憶読み込み魔法が優先してしまったんじゃと…」
歯切れ悪く言うと、近右衛門の額からは汗が流れていった。
そして、エヴァンジェリンは顔を引き攣らせながら聞いた。
「お、おい…、なんだ?あの…どSを絵に描いたような犬は…」
それに、イルゼは俯いたまま答えた。
「何時も遊んでくれたプロットモン…」
その言葉に、さよは顔を引き攣らせながら言った。
「あ…、でも仲良しだったんだし、あれっくらいはスキンシップよ。そうよね?レオルモン」
さよは暗い雰囲気を消そうと、わざと明るく言うと、レオルモンは顔を伏せた。
「あ…あれは…ひどい…」
その言葉に、イルゼは「あっれぇ…?」と頭を抱え込んだ。
「なんで俺、あんな馬鹿っぽかったんだ…?」
その言葉に、レオルモンが冷や汗を掻きながら答えた。
「デジモンは、一度成長期にならなければ精神的にも幼児の様なものだ。成長期になった時に、心が一気に成長するのだ…」
そして、イルゼは顔を俯かせた。
「俺…プロットモンに嫌われてたのかな…」
その言葉に、エヴァンジェリンは首を横に振った。
「な、何となくだが…嫌いなんじゃなくて好きだからやってたんだと思うぞ…。多分…」
その言葉を、イルゼは信じ事が難しかったが、プロットモンとの思い出ははアレだけではないので信じる事にした。
「しっかし…、プロットモンだったか?あのドSが目立ったが、他に突っ込み所の多い世界だな…」
エヴァンジェリンは呆れた様に言った。
「確かにのう…エヴァンジェリン以上のドSっぷりじゃったわい…」
「もう止め止め!!それよりさ!学校が終わったらさよさんの家行こうぜ!」
話を変える為もあるのだろう、イルゼは両手を振りながら言った。
その言葉に、エヴァンジェリンも頷いた。
「そうだな。相坂キヨの生存は期待できないだろうが…。それでも、遺書か何かがあるのかもしれん…」
そう言いながら、エヴァンジェリンは気遣わしげにさよを見た。
さよは、俯きながらも勇敢に笑みを浮べて頷いた。
「うん。おばあちゃんが何か伝えたい事があるかもしれないし…。私に残してくれた物があるかも…」
その言葉に、レオルモンも頷いた。
「私もキヨさんの…恐らくは墓前になってしまうだろうが…。報告したい事が有る。それに、オーガモンのデジタマも気になるしな」
レオルモンの言葉に、エヴァンジェリンが締めた。
「よし!イルゼと木乃香の授業が終わったらさよの家に向かうぞ。いいな?」
その言葉に、近右衛門の歯切れが悪くなった。
「そ、それなんじゃが…」
近右衛門の言葉に、エヴァンジェリンは「なんだ?」と眉を顰めた。
「昨晩の戦いの後始末をせんといかんのじゃ…。儂はしばらく麻帆良を離れるわけには…」
辛そうにさよを見つめながら、近右衛門はすまなそうに頭を下げた。
それに対して、さよは「う、ううん!」と首を横に振った。
「大丈夫だよ。私…大丈夫…」
だが、顔を俯かせて言うさよの言葉を信じる者は誰も居なかった。
そして、エヴァンジェリンが小さく溜息を吐くと、「少し待っていろ」と言って席を外した。
木乃香とイルゼ、レオルモンは何を言えばいいか分からずに押し黙った。
そして、近右衛門とさよはお互いに気まず気だった。
そして、しばらくするとエヴァンジェリンが一体の人形を持ってきた。
陶器製の真っ白でのっぺらぼうな人形だった。
「ばあちゃん、それは何?」
イルゼが聞くと、エヴァンジェリンは「見ていろ」と言った。
そして、近右衛門に近づくと、近右衛門の髪の毛を一本引き抜いた。
「痛っ!?何するんじゃエヴァンジェリン!」
近右衛門が文句を言うが、エヴァンジェリンは気にした様子も無く、人形に近右衛門の髪を貼り付けると、呪文を唱えた。
「パーソナリス・イミタティオ。人格模倣。」
すると、人形の姿は見る間に変っていった。
あっという間に人形は近右衛門と瓜二つとなり、ガラスの様な瞳で一同を見守っている。
「なんと…、エヴァンジェリンの人形使いのスキルは凄いと聞いてはいたが、実際に見ると凄まじいのう…」
近右衛門は感心した様に言った。
そして、「じゃが…」と首を傾げた。
「これをどうするのじゃ?」
近右衛門の言葉に、エヴァンジェリンは心底呆れたように口を開いた。
「わからんのか?これをさよの家に同行させるのだ。この人形にはお前と同期出来るように設定したからな。仕事をしながらこの人形に意識を傾ければ
お前もさよの家に同行できるだろ」
その言葉に、近右衛門は呆気に取られた様にエヴァンジェリンを見た。
そして、念話の要領で人形に意識を向けると、視界の半分が人形の視界に入れ替わった。
それだけではない、同じく念話の要領で話すと、人形の口から言葉が漏れた。
「あいうえお」
それに、イルゼ達も目を見張った。
それに、自由に動かす事も出来る。
「人形を動かす程度の意識を分割するくらいは出来るだろ?」
エヴァンジェリンの言葉に、近右衛門は「う、うむ…」と答えた。
そして、エヴァンジェリンを不思議そうに見つめた。
「何故じゃ?」
「ん?」
近右衛門の疑問の声に、エヴァンジェリンは首を傾げた。
「どうして、儂にここまでしてくれるんじゃ?」
その言葉に、エヴァンジェリンは鼻を鳴らした。
「簡単な事さ。お前には恩がある。それに…相坂とはファントムとは言え…長い付き合いだからな…。これくらいのサービスはしてやるさ」
そう言った。
さよが不思議そうな顔をすると、エヴァンジェリンは苦笑しながら口を開いた。
「私はな、お前のファントムと同級生だったのさ。9年間な…」
その言葉に、さよは困惑した顔だった。
「え?でも、エヴァンジェリンちゃん…は…」
さよの言葉に、エヴァンジェリンはニヤリと笑うと言った。
「私は吸血鬼だ」
その言葉に、さよは心底驚いた顔をした。
「怖いか?」
エヴァンジェリンが聞くと、さよは慌てて首を横に振った。
「ち、違う!!ちょっと驚いて…、吸血鬼って御伽噺の存在だって思ってたから。でも、そうだよね。魔法使いやデジもんが居るんだから、吸血鬼も居るよ
ね。そう言えば、ピエモンとの戦いで言ってたもんね」
納得した様に頷きながら言うさよに、エヴァンジェリンは肩透かしを受けた気がした。
「す、少しは吸血鬼を前にしてるんだから怖がってもいいんじゃないか?」
呆れた様に言うと、さよは優しい笑みを浮べた。
「だって、エヴァンジェリンちゃんが木乃香ちゃんとイルゼ君と一緒に居る姿を見て怖がったりなんて出来ないよ。エヴァンジェリンちゃんは凄く優しいって
わかるから…」
その言葉に、エヴァンジェリンは諦めたように溜息を吐いた。
「まったく、懐が広いと言うか何と言うか…」
その言葉に、さよは困った様に笑みを浮べながら言った。
「でも、吸血鬼って詳しく知らないんだけどね」
その言葉に、エヴァンジェリンは時間を確認した。
「まだ、外に出る時間には早いしな…。見せてやろうか?」
「え?」
さよは突然のエヴァンジェリンの言葉に首を傾げた。
「私が吸血鬼になった理由や、私がどういう存在かだよ」
「エ、エヴァンジェリン!?」
近右衛門は心底驚愕した顔をエヴァンジェリンに向けた。
「おばあちゃん…?」
木乃香も、その言葉に驚いていた。
その様子に、エヴァンジェリンは目を細めて言った。
「元々、何時かは話すつもりだった。家族…そうだ。家族なら、ちゃんと話たいと思ったんだ。私がどうして吸血鬼になったのかを…。私が今までの長い人
生の間に何をしてきてしまったかを…。まぁ、私の人生は長いからな、かなり端折ったダイジェストになるだろうが…」
その言葉に、優しく笑みを浮べながらイルゼと木乃香に言った。
「もしかしたら、私を拒絶したくなるかもしれない。それなら、それでもいい。私は、お前達に判断を任せるよ。だから…見てくれるか?私の罪を…」
その言葉に、木乃香とイルぜは目を見開くと、イルゼは勇敢な笑みを浮べた。
「ばあちゃんを拒絶する?そんな事、有り得ないよ」
そして、木乃香も鋭い眼差しだった。
「せや。おばあちゃん、うちらを甘く見んといてや、どんな過去だって、それでおばあちゃんを拒絶するなんて絶対に無い!!」
「「だから、見せて!!」」
木乃香とイルゼの言葉が重なった。
その姿に、エヴァンジェリンは「ああ…」と優しい笑みを浮べて頷いた。
「相坂とレオルモンには、過去を見せて貰ったからな、見せてもいいと思う。どうだ?」
エヴァンジェリンの言葉に、さよもレオルモンも頷いた。
「見せて頂けるなら…」
さよも、真っ直ぐとエヴァンジェリンの瞳を見つめ返して言った。
「ああ、エヴァンジェリン君ほどの者の人生、私も知りたい。君が許してくれるならば、是非!」
そして、エヴァンジェリンは頷くと、近右衛門を見た。
「お前は条件付だ」
「なんじゃ?」
近右衛門はエヴァンジェリンの言葉に聞き返した。
「終わったら、お前の過去を見せろ。全員にだ。少なくとも、相坂には知る権利がある。それに、木乃香とイルゼにはお前の生き様を見せるのは良い修
行になる」
エヴァンジェリンの言葉に、近右衛門はフッと笑い頷いた。
「ああ、約束しよう。儂にも見せてくれるかの?誇り高き吸血鬼、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル殿よ」
その言葉に、エヴァンジェリンは「ああ」と頷いて、その瞬間に、五人と一匹の周りの空間は変貌した。
それは、一人の少女の話。
運命を弄ばれた少女の生きた道筋…。
最初は普通の人間だった。
時代は中世の100年戦争の真っ只中。
まだ、一般の人々は吸血鬼を知らなかった時代の話である。
元々、一般人に浸透した吸血鬼はブラム・ストーカーが、ルーマニアのトランシルバニア地方出身である15世紀のワラキア公、ヴラド・ツェペシュをモデル
に記した伝奇小説に拠るものが大きい。
吸血鬼の伝説の古くは、古代ギリシャの『オデュッセイア』と呼ばれる書物の中で、血は生命の根源であり、死者が血を渇望すると書かれている。
ちょうど、日本ではリョウメンスクナノカミが退治される大和時代と呼ばれた時代には、既にスラブの人々は吸血鬼の伝説を知っていた。
世界には、既に吸血鬼が数える程度とはいえ存在していた。
『原初人間』である、『アダム・カドマン』から生み出されたとされる最古の吸血鬼、『イヴ・カドマン』。
『龍』と呼ばれる、東洋最古の吸血鬼である仙人から吸血鬼へと至ったと言われる者。
『悪魔の魔狼』と呼ばれ、後に吸血鬼ハンターの『クルースニク』に討伐された、『クドラク』。
『介入者』と呼ばれ、時代の節目に時折現れると言われる『アカシャ』に通じていると謳われる、『ゼロ』。
『破壊者』と呼ばれ、世界が破滅に向かうとされた時に、破滅の元凶を殲滅すると謂れを持つ、『調停者』とも呼ばれる者。
彼ら以外にも、吸血鬼は存在するが、その頂上に位置するのが彼らなのである。
クドラクに関しては、『運命の男』であるクルースニクが討伐に成功したが、全ての人間の根源に介入できるイヴ・カドマン、常に謎に包まれている龍、世
界の節目に世界が安寧に赴く様に示唆するゼロ、人である限り決して勝つ事は出来ない絶対的な強者である破壊者。
彼らに介入する事は許されていない。
彼らの誰か一人が動き出しただけで、世界は崩壊に向かうと呼ばれているからだ。
故に、彼らを知る者自体が少ない。
少女、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルも、吸血鬼の存在を知らなかった。
彼女は、領主の城に預けられ、正しくお姫様として暮らしていた。
豪華な食事、そして傅く使用人、彼女は帝王学を自然と習得しながら、一人の少女として、この世に生きるあらゆる人間の中でも幸福な人生を歩んでい
た。
だが、恐怖も苦しみも無縁に生きた少女は、10歳の誕生日の日に運命を捻じ曲げられた。
本当ならば、幸せに生き、彼女を愛する男と身を重ね、女の幸せと共に子を生して死ぬ。
その、一時の輝きを放つ筈の人生は、一人の男に歪められた。
突然、エヴァンジェリンの誕生日のパーティーが開かれていた大広間の光が消え、次の瞬間には全ての者が生の灯が吹き消されていた。
そして、肉体が死に、魂が縛り付けられたエヴァンジェリンは、見知らぬ土地に眠っていた。
彼女が目を覚ますと、地面には複雑な魔法陣が形成され、一人の男が血の涙を流しながら絶命していた。
男の手には木の杭が握られている。
そして、エヴァンジェリンの体にはその男の血と思われる返り血が全身に降り注いでいた。
そして、エヴァンジェリンは恐怖に駆られ、男の死体の在る部屋から出て行った。
だが、そこが何処だか分からなかった。
そして、体が自分の物の筈なのに、凄まじい違和感を感じて強烈な嘔吐感に襲われた。
全身に違和感が襲い掛かる。
そして、エヴァンジェリンの喉はどうしようもなく渇いた。
そして、分けの分からない渇きに苦しみながら、恐怖のあまり息が切れ、大きく息を吸った時に、突然下唇が切れ、痛みを感じた。
そして、エヴァンジェリンが口元に手をやると、鋭いナニカで指を切ってしまった。
呆然としながら、鏡の様に反射する窓のガラスに自分を映すと、そこには、もう一人のエヴァンジェリンが瞳孔は白くなり、それ以外の部分が漆黒に染め
上がる目でエヴァンジェリンを見つめていた。
その口元には鋭い牙が生えている。
エヴァンジェリンは窓から離れ、反対側の壁に背中をぶつけた。
そして、恐怖のあまり大きな声で泣いた。
何時間も、外の雷雲が晴れ、夜闇がエヴァンジェリンの居る場所の僅かな光すら奪い去ってしまうまで。
そして、エヴァンジェリンの涙が枯れた時、一人の少年の声が響いた。
「生きたい?」
何処から聞こえるのかが分からなかった。
そして、エヴァンジェリンは恐怖の感情を声に変えて叫び、そのまま彼女の居た小さな家から出て行った。
そこは、小さな街だった。
そして、扉から出てきたエヴァンジェリンを、通りを歩く女性が見つけた。
「大丈夫かい!?どうしたんだのさ、その…血…あ、あんた!!」
だが、最初は心配そうに声を掛けた女性は、エヴァンジェリンの目と牙を見て、顔を青褪め、エヴァンジェリンを突き飛ばして後ろにさがった。
「あ、あの…助け…」
エヴァンジェリンが弱々しく声を発しながら女性に近づくと、女性は大声で叫んだ。
「化け物だ!!化け物が出た!!領主様を殺したのはこいつだ!!」
その叫びに、エヴァンジェリンは「え?」と目を見開いた。
そして、エヴァンジェリンを囲む様に村人は武器を構えた。
「本当だ!!見ろ!!あの眼はなんだ!!」
「あの牙は怪物の牙だ!!」
「気持ち悪い!!化け物め!!」
「殺してやる!!」
「領主様の敵討ちだ!!」
それは、狂気の伝染だった。
本当は領主の事など考えていた者はいなかっただろう。
だが、突然現れた異形に、人々はまるで祭りの様に騒いだ。
領主様の敵討ちの為に化け物を殺す。
それが、一種の幻覚剤の様に、村人達の狂気を煽り、瞬く間に、村の広場にはエヴァンジェリンを殺そうとする村人が集まっていた。
「ち…違う!!違うよ!!私…殺してなんか!!」
その、エヴァンジェリンの叫びは、男の声が嘲笑った。
「その血はなんだ!!殺したんだろうが!!嘘まで付くとは心まで腐ってやがる!!」
その叫びに村人たちは「そうだそうだ!!」と同意する声が次々に上がっていった。
「違う!!私…違うのに!!」
だが、村人達の興奮は、エヴァンジェリンの声など届いては居なかった。
そして、一人の男がエヴァンジェリンに目掛けて石を投げつけた。
「!?キャア!!」
その石が、エヴァンジェリンの頭に当たり、血が滴った。
そして、エヴァンジェリンが痛みに泣き声を上げると、村人たちは次々に石を投げつけていった。
「化け物!!殺してやる!!死ね!!!」
「そうだ!!殺せ!!」
「生かしておくな!!」
その叫びに、一人の男が前に出た。
「俺がこの化け物の腕を切り落としてくれる!!」
大柄な男は、その手に肉切り包丁を握っていた。
「や…やだ…。やめて…」
恐怖と悲しみと痛みに、エヴァンジェリンは弱々しく首を振る事しか出来なかった。
そして、村人達は男を英雄の様に褒め称え、男は肉切り包丁でエヴァンジェリンの右腕を…切断した…。
その瞬間に、エヴァンジェリンの意識は落ちた。
そして、村人達は悲鳴を上げた。
エヴァンジェリンの切り取られた腕と、肩の部分の切断面から血が繋がり、腕が徐々に元に戻っていったのだ。
そして、エヴァンジェリンは無意識に走り出していた。
村人が混乱している中、本能だけで駆け出し、村人達の間を抜けていった。
そして、村から離れて行くと、湖に出た。
そして、そこでエヴァンジェリンの意識は途絶えた。
その彼女の傍に、一人の少年の影が近づいていく。
そして、少年はエヴァンジェリンを抱えると、霞となって消えてしまった。
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