第44話『相坂さよの過去・前編』


壮絶な戦いは、矢部の犠牲によって終結した。
エヴァンジェリンは木乃香から最後に渡された全ての魔力を結界に回していたが、やがて封印によって魔力は殆どが無くなってしまった。
そして結界は解け、エヴァンジェリンは仕方なく、蹲ったままの近右衛門の元に歩み寄った。

「爺ぃ…、直に人が来る」

エヴァンジェリンの言葉に、近右衛門は立ち上がった。
そして、一滴の涙をボロボロになってしまった着物の袖で拭うと、矢部とカオスピエモンが消え去った裏鬼門の封印を見つめた。

「待ってる…じゃと?何を待っているというのじゃ…。何故死んだのじゃ。儂は…お主が居たからこれまで…」

そこまで言うと、言葉を呑み込み、近右衛門は念話を各地に広がる魔法関係者に送った。
戦地に幻術と結界を張る者を数人選び出し。
その他の者は帰させた。
今宵の戦いの説明は、今日の夜に説明すると話し、近右衛門はエヴァンジェリンとフリモンと共にイルゼ、木乃香、そして…さよの待つ初等部の寮に転
移した。

学園結界は、学園の境界を護るだけではない。
学園内にある全ての建物を護っている。
故に、転移によって建物の中には入れないのだ。
入口や窓を開いて入る、その工程がなければ進入する事は出来ない。

故に、エヴァンジェリンと近右衛門、フリモンは初等部の寮の前に転移した。
そして、中から夢水が出てきた。

「その姿は!?…何も聞きません。子供達が待っています。コンビニ店員の青年は治療しましたので大丈夫です」

「すまんの…」

老年の寮の管理人の夢水は、神妙な顔付きでそれだけ言うと、扉を開いて二人と一匹を招き入れ、管理人室に戻って行った。
近右衛門は軽く頭を下げると、エヴァンジェリンとフリモンと共にエレベータに乗った。
その間、誰も言葉を発しなかった。

あれだけやっても勝つ事が出来なかった。
エヴァンジェリンは、究極体と言う存在の力を知り、悔しかった。
己の全開の力以上で戦っても勝てなかったのだ。
エヴァンジェリンは、鍛錬を積む事を誓った。
カオスピエモンは未だ生きている。
今のままでは勝つ事は出来ないだろう。
何時の日か、再び戦う事になる。
その時は、必ず勝ってみせると、誓ったのだった。

そして、エヴァンジェリンは何時の間にかフリモンが寝息を立てているのに気が付いた。
レオモンやサーベルレオモンからは想像もつかないぬいぐるみの様な姿に、エヴァンジェリンは少しだけ可愛いなぁと考えて僅かに赤面しながらその考
えを振り払った。

そして、その姿を訝しげに見る近右衛門に、「なんでもない!」と言って、開いたエレベーターの扉からスタスタと先に出て行った。

その姿に、近右衛門は少しだけ柔らかな笑みを浮べた。
だが、エヴァンジェリンは横目で気が付いていた。
瞳は悲しみに暮れたままだと。

そして、エヴァンジェリンと眠っているフリモン、そして近右衛門はイルゼ達の部屋の扉を開けた。
その瞬間、イルゼと木乃香が、入口からリビングへの廊下に駆けて来た。

「おばあちゃん!!」

「ばあちゃん!!」

瞳を潤ませながら、エヴァンジェリンを見つめるイルゼと木乃香に、エヴァンジェリンは柔らかく笑った。

「遅くなったな、ただいま。二人とも」

その言葉と同時に、イルゼと木乃香はエヴァンジェリン首に抱きついた。
二人共、肩を震わせていた。
エヴァンジェリンは、一瞬だけ目を見開くと、瞳を僅かに潤ませながら、二人の頭を優しく撫でた。

「心配を掛けたな…」

二人が泣き止むまで、エヴァンジェリンは二人の頭を撫で続けた。
二人の嗚咽に、眠っていたフリオンが眼を覚まし、フリモンは「フニャァ」と声を上げると、木乃香とイルゼは目を丸くしてエヴァンジェリンから離れた。
目をショボショボさせながら目を覚ましたフリモンは、イルゼの姿を見ると、嬉しそうに「フニャァ」と鳴いた。

「ふえ?」

木乃香は不思議そうにフリモンを見た。
そして、マジマジと見つめる木乃香に、フリモンは「フニャァ」と、まるで挨拶する様に鳴いた。
そして、イルゼは「もしかして…」とフリモンの頭を恐る恐る撫でながら聞いた。

「レオモン?」

それを肯定するように、フリモンは再び「フニャァ」と鳴いた。
そして、それまで黙っていた近右衛門が口を開いた。

「ほれほれ、ここではなんじゃ。リビングで話をしようかのう?」

その声に、木乃香とイルゼはビクッとした。
そこには、見慣れない容姿の青年が立っていたからだ。
だが、その口調と、着ている着物を見て、イルゼと木乃香は信じられないと言う表情を浮べた。

「も、もしかして…おじいちゃん?」

木乃香は恐る恐る聞いた。
その言葉に、近右衛門は嬉しげに笑みを浮べた。

「うむ。嬉しいのう。エヴァンジェリンめは一目では分かってくれなかったぞい」

その言葉に、エヴァンジェリンは大袈裟に反論した。

「おい待て爺ぃ!いきなりそんな姿で現れて判別しろなんて無茶だろ!」

その言葉に、近右衛門は「ほっほっほ」と老人の時と変らぬ好々爺の様な笑い声を上げながらリビングにサッサと入ってしまった。

「待たんか!!」

エヴァンジェリンは近右衛門を追うと、近右衛門が廊下の入口で固まっているのに気が付いた。

「爺ぃ?」

エヴァンジェリンが首を傾げると、近右衛門の向こうで目を見開いて、近右衛門を見つめたまま立っている相坂さよに気が付いた。
そして、エヴァンジェリンは押し黙った。
そして、さよは口を開いた。

「近右衛門…君?」

その言葉に、近右衛門は震えるように頷いた。

「ああ。そうじゃ、近右衛門じゃよ。さよちゃん…」

その言葉に、さよの瞳から涙が零れた。
そして、木乃香とイルゼもリビングに入った。
そして、イルゼが言った。

「どうしたんだ?えっと、じいちゃん?ばあちゃん。立ってたら疲れるだろう?」

キョトンとしながらそう言った。
その瞬間、さよの顔が固まった。

「え?………ばあちゃん?」

さよは恐る恐る聞いた。
すると、イルゼは答えた。

「うん。じいちゃんとばあちゃんだよ。じいちゃんは何だか若返っちゃってて驚いたけど」

その言葉に、さよはヨロヨロと後退って言った。

「そんな…近右衛門君…犯罪者になっちゃったなんてぇぇぇ!!!」

顔を両手で覆いながらさよは泣き出した。
さよが泣き出した事に驚いた近右衛門は、慌てて口を開いた。

「ど、どうしたんじゃ!?さよちゃん!!」

近右衛門の言葉に、嗚咽を洩らしながらさよは言った。

「私…近右衛門…君に、ヒク…幸せ…なって、ヒク…もらいたいって…思ってたけど…そんな、そんなに小さな子に手を出すなんて…うえええええ
ん!!!」

その言葉に、エヴァンジェリンと近右衛門は唖然とした。

「「はい!?」」

そして、二人はようやく、さよが何を考えたのかを悟った。
そして、カタカタと錆付いた機械の様な動きで顔を見合わせ、顔を大いに引き攣らせた。

「待たんか!!何を恐ろしい勘違いをしておるんだ!!!」

「そうじゃ!!儂は犯罪なんぞおかしとらんぞ!!」

エヴァンジェリンと近右衛門は慌てて叫んだ。
だが、さよは弱々しくイルゼと木乃香を指差した。

「おじいちゃんって…おばあちゃんって…、そんな大きな孫を作ってるなんて…」

顔を俯かせたまま涙声でさよは言った。
その言葉に、エヴァンジェリンは大声で叫んだ。

「待たんか!!お前は勘違いしてるぞ!!」

「そ、そうじゃ!!わ、儂は確かに木乃香とイルゼの祖父じゃし、エヴァンジェリンもおばあちゃんと呼ばれておるが…」

その言葉に、さよは「やっぱりぃぃぃ」と更に大きな声で泣いた。

「だあああああ!!何を余計な事を口走っとるんだ耄碌爺ぃ!!話が余計に抉れたじゃないか!!」

エヴァンジェリンの言葉に、近右衛門はハッとしたが、さよは叫んだ。

「うええええん!!近右衛門君の鬼畜!!変態!!」

その叫びに、近右衛門はあまりの衝撃に崩れ落ちた。

「って、待たんか!!誤解が解ける前に再起不能になるんじゃない!!コラアアア!!」

エヴァンジェリンは、近右衛門の着物を掴んで上下に振った。

「あ、あんなに息が合って…。そうなのね?近右衛門君はその娘と幸せになったんだね?グスン…。私…いいよ?近右衛門君が例え皆から後ろ指指さ
れても…、私は近右衛門君の事…嫌いにならないから!!」

その言葉に、エヴァンジェリンは「うおおおおい!!!」と叫んだ。

「だから誤解だ!!と言うか、何を言ってるんだ貴様は!!心が広すぎるだろ!!」

エヴァンジェリンは必死に叫んだ。
そして、それまでその様子に呆気に取られていた木乃香とイルゼが冷や汗を流しながらさよに近づいた。

「あ、あのね」

木乃香が、涙を拭うさよに話しかけた。
その様子に、エヴァンジェリンはようやく光明が見えた。

「そ、そうだ木乃香!!誤解を解いてやれ!!」

その言葉に、木乃香は大きく頷いた。
そして言った。

「さよさん。おばあちゃんは、おばあちゃんなんやけど、おじいちゃんと結婚したわけじゃないんよ?」

諭す様に木乃香は言った。
だが、言い方を間違えた。
ようやく立ち直った近右衛門に、さよは再び涙を流しながら叫んだ。

「こんなに大きな子を産ませておいて責任取らないなんて!!近右衛門君…最低!!!」

その叫びに、近右衛門は真っ白になって再び崩れ去った。

「じ、じいちゃん!?」

イルゼは慌てて近右衛門に駆け寄っていった。
そして、絶句していたエヴァンジェリンが叫んだ。

「だから違う!!」

だが、さよはエヴァンジェリンに涙を拭いながら頭を下げた。

「近右衛門君、本当は凄く優しいの…だから…」

そして、さよは顔をあげて言った。

「近右衛門君をお願いします」

それはとても綺麗な笑顔だった。
まるで天使の様な…穢れの無い笑顔だった。
だが、エヴァンジェリンの堪忍袋は切れた。

「違うと言ってるだろ!!!人の話を聞かんか!!!」

そう叫びながらさよの肩を掴んで上下に振った。
そして、耳元で大声で勘違いである事を説いた。





そして、日が明ける頃になってようやくさよが話を信じ、エヴァンジェリンと近右衛門に頭を下げた。

「ごめんなさい…。私、つい動揺しちゃって…」

さよは弱々しく謝った。
そして、それに対して精神的にボロボロになった近右衛門は、それでも勇敢に微笑みながら許した。

「いいんじゃよ、さよちゃん。人間、誰しも過ちはあるでな」

そして、心底疲れた表情でエヴァンジェリンは立ち上がった。

「行くぞ…」

その言葉に、全員が首を傾げた。

「行くって、どこに行くんだ?ばあちゃん」

イルゼが聞くと、エヴァンジェリンは溜息を吐いた。

「今日は学校があるだろ。イルゼと木乃香は寝てないし、説明もしなくてはいかん。だから、時間の流れが遅い別荘に行こうと言っているのだ」

その言葉に、さよ以外は「なるほどぉ」と言って立ち上がった。
さよはキョトンとしながら何が何だかわからないと言う表情だった。
その様子に気が付き、近右衛門は優しく口を開いた。

「ちょっと移動するだけじゃよ。行こう、さよちゃん」

手を差し伸べて、顔を僅かに赤らめながら、かつての思い人を立ち上がらせる近右衛門。
さよも、近右衛門の手を顔を赤らめながら取った。
その様子に、イルゼは目を丸くし、木乃香は「きゃぁ」と嬉しそうな声を上げた。
そして、エヴァンジェリンは「やれやれ」と肩を竦めた。
そして、洗面所の入口から修行場に出ると、さよは驚きに目を見張った。

「これも魔法なの!?近右衛門君」

さよが目を丸くしながら聞くと、近右衛門は嬉しげに「そうじゃよ」と答えた。

「これはのう」

得意げに説明しようとする近右衛門に、フリモンを抱いたままのエヴァンジェリンは「おい!」と不機嫌そうに叫んだ。

「話は別荘に行ってからにしろ!」

そして、エヴァンジェリンは先に修行場の入口の横にあるロッジに入って行った。
木乃香とイルゼも続き、最後に近右衛門とさよが続いた。
さよは、ロッジの中の可愛いぬいぐるみに目を輝かせた。
だが、エヴァンジェリンが睨むので近右衛門がいそいそとさよの手を取って先に進んだ。
そして、地下に降りた五人と一匹は、ガラスの球型の模型の前に立った。

「なんですか?これ…」

さよは不思議そうに聞くと、エヴァンジェリンはニヤリと口を開いた。

「まぁ、触ってみろ」

その言葉に素直に従い、さよが別荘に触った瞬間、その姿が消えた。

「お主は…ちょっとは説明してあげてもよかろうに…」

ジト目で近右衛門はエヴァンジェリンを睨んだが、エヴァンジェリンは忌々しげにその視線を撥ね退けた。

「五月蝿いぞ。貴様と夫婦扱いされた屈辱…」

エヴァンジェリンは怒りに震えながら別荘に触った。
その瞬間に、エヴァンジェリンの姿は消えた。

「ばあちゃん怒ってるなぁ」

たはは…と笑いながら、イルゼも別荘に触った。

「ちゃんと許してもらわなあかんよ?おじいちゃん」

そう言うと、木乃香も別荘に触ってその姿を消した。

「………儂だって被害者なのに…」

ボソッと言いながら近右衛門も別荘に触った。




そして、別荘に転移して来た一同は、目を丸くしたまま固まってしまったさよを近右衛門が引っ張りながら居住塔に来た。
そして、エヴァンジェリンが口を開いた。

「それじゃあ、今日はこれで全員眠れ。全員が起きたら情報を纏めるから、起きたらそこの…」

そう言って、エヴァンジェリンは居住塔の隣の建物を指差した。
奥にある食堂に居ろ。
そう言うと、エヴァンジェリンは次々に部屋割りを伝えた。
そして、最上階のキングサイズのベッドがある部屋に木乃香とイルゼを連れ、そして…さよに全く声を掛けられず、寂しげな表情を浮べたフリモンを抱え
たまま向った。
その下の階に、さよと近右衛門が一室ずつだ。
木乃香とイルゼはすぐに眠りに落ち、エヴァンジェリンも大きく欠伸をすると、両脇に木乃香とイルゼに抱きつかれたまま、胸の上にフリモンを寝かせな
がら目を閉じた。
近右衛門とさよは、別れ際に手を振ると、それぞれに宛がわれた部屋で眠りに落ちた。





そして、最初に目を覚ましたのは体の上に突然重みを感じて目を覚ましたエヴァンジェリンと木乃香とイルゼだった。

「ぐえ!?」

「ふにゃ!?」

「うご!?」

イルゼ、木乃香、エヴァンジェリンは三者三様の呻き声を上げながら目を開いた。
すると、イルゼ達の上に一頭の大型犬くらいの大きさの猫みたいな生き物が眠っていた。

「な、なんだこいつ…」

エヴァンジェリンは目を丸くしながら言った。
そして、イルゼは恐る恐る言った。

「もしかして…レオモン?成長期になったのか?」

すると、その言葉に反応したのか、大きな猫は目を覚ました。

「んん、ここは?」

そう言いながら、大きな猫は顔を動かして踏んでしまっているイルゼ達に気が付いた。

「す、すまない」

謝りながら、三人の体を踏まないように注意しながら大きな猫は床に降り立った。

「いいよ。それより、レオモンなのか?」

イルゼの質問に、大きな猫は頷いて答えた。

「ただし、今の私はレオルモンだ。どうやら、眠っている間に進化したようだな、すまなかった」

レオルモンの言葉に、木乃香とエヴァンジェリンも気にしてないと言い、三人と一匹は一階へと降りて行くついでに近右衛門とさよを起こす事にした。
先に階段の傍の部屋の近右衛門を起そうと扉を開けた。
ボロボロの着物を着たまま、ベッドの中で静かに眠っていた。
まるで死んでいるのではないかと思うほど、呼吸音は小さく、寝言も鼾も無かった。
そして、イルゼ達が部屋に入ると同時に近右衛門は目を覚ました。

「おぉ、起しに来てくれたのかのう?おはようじゃ、木乃香、イルゼ、それにエヴァンジェリンも。それに、そちらはもしやレオモンかの?」

近右衛門はそれぞれの顔に視線を向けながら笑顔で言った。

「おはよう、じいちゃん!」

イルゼは元気良く挨拶した。

「おはよう、おじいちゃん」

木乃香もニッコリして挨拶した。

「おはよう、さっさと起き上がれ、下に行くぞ」

エヴァンジェリンはそう言うと、部屋から出て行った。

「おはよう、近右衛門殿。今はレオルモンと呼んでくだされ」

レオモンは少年の様な声で言った。

「うむ、それじゃあ行こうかのう」

そう言って立ち上がると、近右衛門は木乃香とイルゼとレオルモンと共に廊下に出た。
すると、ちょうど出てきたさよと遭遇した。
エヴァンジェリンがさよも起したのだ。
さよは近右衛門を見ると、はにかみながら「おはよう」と言った。
そして、近右衛門も嬉しそうに「おはよう」と帰した。
その姿をイルゼと木乃香はニヤニヤと笑いながら見た。
それに気が付くと、近右衛門とさよは咳払いをして誤魔化した。
エヴァンジェリンもクツクツ笑って、「さぁ、下に降りるぞ」と先導した。
一階に降り、一端外に出てから食堂のある建物に入った。
食堂に入ると、エヴァンジェリンが少し待っていろとキッチンに向ったので、木乃香とさよも手伝いに行った。
その間、残ったイルゼと近右衛門、レオルモンは席に座った。
レオルモンは、イルゼが小さな机があるのを見つけて引っ張り、その上に乗った。
そして、イルゼは近右衛門を見つめた。

「どうしたのかのう?儂の顔に何かついてるのかのう?」

近右衛門が聞くと、イルゼは不思議そうな顔をした。

「うぅん、だってじいちゃんがいきなり若くなってるからさ」

イルゼの言葉に、近右衛門は「ホッホッホ」と笑うだけだった。

「まぁ、食後には皆に語るのじゃから、今は食事に胸を躍らせていようではないか。何事も焦りは禁物じゃぞ」

ニッコリと微笑みながら近右衛門は言った。

「はぁい」

イルゼは残念そうな顔をしながら返事をした。
そして、レオルモンに顔を向けた。

「なぁ、レオルモンはギアサバンナのパンジャモンの親戚?」

イルゼが聞くと、レオルモンは驚いたように目を丸くした。

「そう言えば、君はデジモンだったな。どうして、人間の姿に?…いや、まずは質問に答えるのが礼儀だね。知っているよ。同種族であり、彼とは同じ日に
はじまりの街で生まれた親友だからね」

レオルモンは昔を懐かしむ様に言った。

「はじまりの街に居たの!?でも、俺もずっとはじまりの街に居たけど会わなかったぜ?」

イルゼの言葉に、レオルモンは答えた。

「それは、恐らく君がはじまりの街に住む前に、私は大陸に渡ったからだ」

「大陸に!?すげぇ!!話聞かせてよ!!俺、ずっとはじまりの街から出た事がないから、ジジモン達の昔話でしか知らないんだ」

「ジジモン殿か、懐かしいな。いいだろう。話してあげるよ。だけど、その前にジジモンは元気だったかい?随分と昔の話だから気になっていたのだ。ま
ぁ、あの方の事だから元気だと…は…どうしたんだい?」

そこまで言うと、レオルモンはイルゼが顔を俯かせているのに気が付いた。
そして、イルゼが口を開こうとした時に、料理を終えたエヴァンジェリン達が戻ってきた。
イルゼは無理矢理笑顔を作って、レオルモンに「後でね」と言った。
レオルモンは心配気にイルゼを見ながら「わかった」と答えた。
食事のメニューはブリの照り焼きにカブとキャベツの味噌汁、雑穀米ご飯に海苔だ。
レオルモンには木乃香とイルゼが代わりばんこに食べさせた。
二人はそれが気に入ってしまい、レオルモンも眼を輝かせる子供二人に止めさせる事等出来ず、お腹がパンパンになってしまった。
それから、食後の休憩を挟むと一同はエヴァンジェリンに連れられて食堂の在る建物の居住塔とは反対にある円形の白い屋根の在るベンチに向った。
別荘の中は気温が高いが、ソコは屋根で日差しを遮り、海の方から涼しい風が来るので素晴らしく快適だった。
そして、エヴァンジェリンが口を開いた。

「それじゃあ、情報を出し合おうか。まずは、イルゼと木乃香、相坂さよにも昨日の戦いを見せる。状況を把握するには全員の知識を均一にせねばなら
んからな」

その言葉に、近右衛門は目を瞑って頷いた。

「そうじゃな、真実を解き明かすにはあの戦いの事も皆がしっておる必要があるじゃろう」

「それじゃあ、全員私の目を見ろ。


その言葉に、ベンチに座る五人と一匹はエヴァンジェリン魔眼を見つめ、エヴァンジェリンの作り出した幻想空間に誘われた。
そして、五人と一匹は、ピエモンとエヴァンジェリン、近右衛門、レオモンの戦いを見た。
凄まじい魔法の応酬。
イルゼも木乃香もさよも、三人はただ只管に次元の違う戦いに魅入ってしまっていた。
そして、エヴァンジェリンの語る戦いに、近右衛門が若返る為に薬を飲んだ事も近右衛門自身が補完した。
そして、サーベルレオモンの凄まじい攻撃力と速さ、エヴァンジェリンの巨大な魔力と卓越した魔力、近右衛門の戦闘能力と気迫。
そして、途轍もない力を誇る三人を相手に互角以上で戦うピエモンの姿も、木乃香とイルゼ、さよは呆然と、どこか敬意を持って見つめた。
そして、最後の瞬間、イルゼと木乃香、そしてさよも絶句した。
戦いの最後に、その身を犠牲にした矢部の姿に、イルゼは力なく肩を落とした。

「そんな…矢部先生が…」

そして、木乃香も瞳に涙を溢れさせた。

「矢部先生…」

だが、さよは「大丈夫」と言った。

「矢部君は死んでない」

その言葉に、さよとレオルモン以外の全員が驚愕した。

「その通りだ。あの封印をそのまま利用したのならば、封印の要となる者は死ぬわけではない」

レオルモンの言葉に、近右衛門は「どういう事じゃ?」と聞いた。
そして、さよが口を開いた。

「私の…私の過去を見せます。55年前に何が起きたのかを!」

さよの言葉に、全員が顔をさよに向けた。

「聞かせてもらえるのかの?さよちゃん」

近右衛門の言葉に、さよは確りと頷いた。

「私が近右衛門君達が魔法世界に旅立った三年後に経験した事を、近右衛門君には知ってもらいたい。それに、ここに居る子達にはちゃんと話さないと
いけないと思うから」

その言葉に、エヴァンジェリンは感心したように目を細めると、口を開いた。

「では、見せてもらうぞ?貴様が経験した55年前の真実とやらを…」

そう言って、エヴァンジェリンは魔眼でさよの記憶を幻想空間に開放した。

「これは、1940年の4月10日です」

その言葉と同時に次の瞬間に、彼らが居たのは、今とは違い、古めかしい木造の校舎で学友に別れを告げて教室から出てくるシーンだった。




――1940年4月10日水曜日

木造の古めかしい校舎の入口から出て来たさよは、一人で木造二階建ての高等部3年生寮の自室に戻って行った。
当時はまだ木造が主流であり、麻帆良学園では学年毎に寮を建てていたのだ。
自室に戻ったさよは、同室の友人である、天城理恵が先に戻って新聞を読んでいるのに気が付いた。

「ただいま」

さよが挨拶すると、理恵も「おかえりぃ」とヤル気のない声で返事をした。
天城理恵は、セミロングで茶色に髪を染めている。
陸上部に在籍している為か、肌は日焼けで褐色になっている。
私服に着替えずに新聞に集中している理恵に、さよは声を掛けた。

「理恵ちゃん、何を読んでるの?」

その言葉に、理恵は「ここ」と新聞の一部を指差した。
さよがそれを覗き込むと、そこには小さな記事が踊っていた。

「麻帆良山が立ち入り禁止に?」

さよが読み上げると、理恵は頷いた。

「今まであそこってあんま行く機会がなかったからさ。15日の部活会議で折角だから麻帆良山に走りに行こうって決まったんだ。なのに、いきなりこんな事
書いてあってさ…」

理恵は唇を尖らせて言った。
そして、閃いたように立ち上がった。

「さよ!!これから行かない?麻帆良山に!!」

理恵の言葉に、さよは目を丸くした。

「行かない?って、進入禁止なんでしょ?」

「だからさ、その近くまで行くだけだよ。なんで進入禁止になったのかくらいは調べないと気がすまないもん!」

理恵の言葉に、さよは不安気な表情を浮べた。

「でも、危ないかもしれないよ?」

さよの言葉に、理恵は「大丈夫だって」と気楽に言いながら、部屋の隅のバッグに最低限の荷物を放り込んでさよを促した。

「ほらほら!行こうよ!」

だが、さよは首を横に振った。

「やっぱり、進入禁止なんて何かあったら怖いよ!もしかしたら熊が出るかも…」

さよの言葉に、理恵は頬を膨らませた。

「もう!さよの意気地無しめ!いいもん、私一人で行くから、帰ったら私の武勇伝を聞かせてあげるよ!」

そう言って、理恵は部屋を飛び出した。




そして、シーンは雨の葬式場に変わった。


さよは、黒い喪服を着て、白黒の笑顔が綺麗だった理恵の遺影を見ながら泣いていた。
周囲の大人達の声が聞こえる。

「なんでも、麻帆良山を見に行くって飛び出したみたいよ…」

「あの子、ルームメイトだったんでしょ?どうして進入禁止の場所に行くのを止めなかったのかしら」

「あの子が止めていればもしかしたら…」

その辛辣な言葉の刃は、さよの心を痛めつけた。
当然だろう、一番悲しんでいるのも、一番悔しいのも、一番辛いのもさよなのだ。
高校に入ってからの三年間を、同じ部屋で寝食を共にしていた。
兄弟や姉妹の居ないさよにとっては、理恵は姉のような存在だった。
内気なさよに、少し失敗すると落ち込むさよを慰め、励まし、勇気をくれたのは彼女だった。
その彼女が死んだ理由の一端が、間違いなく自分にあるのだ。
そして、大人達の言葉はさよを追い詰めてしまった。



そして、再びシーンは変わり、さよは大きな山の麓に居た。


さよは、理恵が死んだ理由を確かめようと思ったのだ。
理恵の死因は不明だった。
まるで、魂だけを抜き取られたような状態だったのだ。
理恵の死体の顔は驚愕に塗り固められていた。
警察が山の周囲を捜索している。
雨が降頻る中で、喪服のまま、さよは警察の目を盗んで山道ではなく、僅かな獣道を発見して登った。
枝や葉で体を切り、血を流しながらも、さよは涙を溢れさせながら、雨に打たれたままで山を登り続けた。

「理恵ちゃん…、理恵ちゃん…理恵ちゃん…」

理恵の名前を念仏の様に唱えながら、さよは只管に頂上を目指した。
すると、突然広場に出てしまった。
そこには、警察ではなく、何故か見覚えのある姿があった。
冷酷な瞳を宿し、身長の高い男が一人だけ立っていたのだ。
さよは知っていた。
その男の名前は、『中村康彦』。
60を過ぎる老年の紳士と言う言葉が似合う男だった。
そして、彼は当時の校長でもあった。

さよは、中村がいなくなるのを待った。
そして、中村が居なくなると、建物に近づいた。
そして、突如幻想空間は闇に包まれた。



だが、すぐにどこかの手術室のような部屋が映った。
手術台の上で、縛り付けられているのはさよだった。
さよは目を覚ますと、周囲の様子に顔を青褪めた。
さよの頭は混乱していた。
突然、凄まじい眠気を感じたと思うと、次の瞬間にこの部屋に居たのだ。
そして、さよが体を起こそうとすると、動かなかった。
さよの両手両足、そして首は鉄の固定器具で捕縛されていた。

「な、何?どこ…ここ?」

さよは不安に駆られながら懸命に固定器具を外そうともがいた。
すると、ガチャガチャと音が鳴り、突如、その部屋の唯一の扉が開いた。

「おやおや、目を覚ましたのですか?」

怖気の走る声だった。
薄ら寒い猫撫で声がさよの耳に届く。

「誰…?」

震える声でさよは視線を動かした。
だが、首を固定されている為に、その姿を見る事は出来なかった。

「ほっほっほ。悪い子ですねぇ。ここは進入禁止なんですよぉ?」

声は言った。
さよは必死に懇願した。

「ごめんなさい!!謝りますから!!私はただ理恵ちゃんを!!」

その言葉に、声は反応した。

「理恵?もしかして、この前ここに来た女の子の事かい?」

その言葉に、さよの顔は青褪めた。
目は見開かれた。
声の主は言った。
理恵を知っていると…。
その理由を頭で理解しながらも、聞いた。

「理恵ちゃんの…事…なんで?」

その言葉に、声は実に愉快そうに言った。

「オッホッホッホッホ。あのお馬鹿な女の子は君のお友達かい?」

その言葉に、さよは確信してしまった。
そして、涙が流れるのを止められなかった。

「殺したの?貴方が…貴方が殺したの!?」

さよの叫びに、声は耳障りなほど愉悦に浸った声で笑い声を上げた。

「ほっほっほっほ。殺した?ええ、そうですねぇ。確かに、魂は頂きました。実に愉快でしたよ。人間は死に際には素晴らしい輝きを見せてくれます。彼女
も、私がたっぷりと堪能させて頂きました。裸にしたり、目を覆ったり、目玉の前に刃を近づける度に素晴らしい悲鳴を上げてくれましたよ」

さよは、声の満足気な声を聞き、怒りと悲しみで心は無茶苦茶になった。
そんなに恐ろしい目にあったなんて…。
さよは涙を流しながら叫んだ。

「許さない!!貴方を絶対に許さない!!」

すると、声の主は嬉しそうに笑った。

「いいですねぇ!!その叫び。貴方も痛めつければ素晴らしい悲鳴を上げてくれそうだ」

そう言いながら、さよに声の主が近づいてくるのをさよは気配で感じた。
そして、さよの視界に入ったのは、赤いマントに身を包み、巨大な金の鎌を持つ死神だった。

「あ…ああ…」

さよは恐怖のあまり目を見開いたまま何も出来なかった。
そして、赤マント、ファントモンが鎌をさよに近づけた時、突如部屋の中に別の人間の声が響いた。

「やめろ!!貴様、何者だ!!」

男の声だった。
低い声は、僅かに年を感じさせる。
そして、男は口を開いた。

「岩室!このカセットを持って降りるんだ!!」

その声に、別の男の声が聞こえた。

「でも梶原先輩!!」

岩室と呼ばれた男は叫んだ。
だが、梶原と言われた男は「大丈夫だ」と言った。

「必ずあの女の子は俺が助け出す!!お前はその証拠を持って逃げるんだ!!この事件は妙な事が多過ぎる!!それに、奴は危険だ!!行け!!」

「すみません!!先輩!!信じてますからね!!」

岩室の声は遠ざかりながらそう言うのが聞こえた。
すると、ファントモンは心底おかしそうに笑った。

「私から彼女を救う?ハッハッハッハッハ!!面白い冗談ですねぇ。その姿…警察官ですか。人間の守護者と聞きますが、なるほど。ですが、残念です
ねぇ。生憎と力不足だ。貴方は唯、私に殺されるだけです。貴方のような暑苦しそうな人間を嬲っても、あまり楽しくはなさそうだ…。そうだ!いい事を思
いつきましたよぉ」

ファントモンは、心底嬉しそうに言った。

「黙れ!!この化け物め!!」

そう叫び、梶原は警棒を構えた。
拳銃は、特別な申請が無ければ、常時銃を持つことは出来ない。
すると、ファントモンは言った。

「死になさい」

たったそれだけだった。
それだけで、梶原は絶命してしまった。
ファントモンの『死の宣告』である。
そして、ファントモンはもう興味を無くしたと言う様に、梶原の死体から離れて行った。
ファントモンが近づいてくるのを感じ、さよは心の中で叫んだ。

――助けて!!

その言葉は…届いた。




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