第38話『心』


結果として、やはりイルゼ以外の皆の記憶からは近右衛門と矢部に関する係りについての情報だけが無くなっていた。
そして、三日間を掛けて、イルゼ、フェイ、学、亜里沙はコンビニを、蓮と嵐は女子中等部の1-Aのクラスを見張った。
だが、結果は空振りに終わった。
コンビニも校舎も、写真で写してみても、声を掛けても全く反応は無かったのだ。

そして、土曜日になり午前中授業を終えたイルゼはエヴァンジェリンの修行を受けていた。
と言っても、修行内容は変わらない。
只管に座禅をしながら周囲のマナを感じる。
ゆっくりと呼吸をしながら体全体で呼吸するかのようなイメージを作るが、効果は出なかった。
原因の一つに、近右衛門と相坂さよの関係が気になったのが理由として挙げられる。
どうしても気が散ってしまうのだった。
集中出来ないで居るイルゼに、エヴァンジェリンは眉を顰めた。

「どうしたんだイルゼ、集中できていないようだが?」

エヴァンジェリンの言葉に、イルゼは頷いた。

「なんか頭の中がこんがらがっちゃってさ」

イルゼの言葉に、エヴァンジェリンは腕を組んで大きく溜息を吐いた。

「部活で調べてると言っていた七不思議の事か?」

エヴァンジェリンが言うと、イルゼは頷いて答えた。

「うん。じいちゃんがさ、俺がある程度探り当てる事が出来たらナニカを教えてくれるって言ったんだ。だけど、それが何なのか気になってさ」

イルゼが言うと、エヴァンジェリンは呆れたように息を吐いた。

「まったく、あの爺ぃは何をやってるんだか…。悩みを作らせてどするのだまったく…」

エヴァンジェリンは苦い表情で言った。

「ばあちゃんは何か知らないかな?」

イルゼが言うと、エヴァンジェリンは少し悩むように唸った。

「……はぁ、仕方ない。このままでは修行が進まないからな」

「え?何か知ってるの!?」

イルゼが目を丸くすると、エヴァンジェリンは口を開いた。

「夜に寝る前に少しだけ話してやる。だから、今日は頑張って集中しろ。お前は木乃香を護る為にここで修行をしているんだろう?部活に精を出すのは
いいが、熱中し過ぎるのも考え物だぞ?」

エヴァンジェリンの言葉に、イルゼは俯いた。

「ごめん、ばあちゃん」

そんなイルゼの頭を優しく撫でると、エヴァンジェリンは「いいさ」と言った。

「とにかく、マナを感じる所まで来たんだ。後はそれを取り込めるようにするだけだ。気合を入れろ!」

「うん!」

エヴァンジェリンがバシッと背中を叩くと、イルゼは迷い無く頷いた。
エヴァンジェリンは木乃香の方に戻ると、木乃香が口を開いた。

「どうやった?イルゼの方は」

「心配はいらんさ。ちゃんと集中出来るようになったみたいだしな。それよりも、もうすぐ麻帆良祭だったな?」

心配そうに聞く木乃香に、エヴァンジェリンは気楽そうに答え、話題を変えた。

「うん!和美が教えてくれたんよ。正式な発表は来週みたいやけどなぁ」

木乃香は楽しみと言った感じに言った。

「そうか、麻帆良祭は三人で一緒に回ろうか」

「うん!」

エヴァンジェリンの提案に、木乃香は嬉しそうに頷いた。
木乃香の喜ぶ顔を見てエヴァンジェリンも知らず笑みが零れた。


日が暮れて、エヴァンジェリンは二人に修行を止めるように言った。
肉体的に疲れる修行ではないが、精神的にクタクタになり、三人で一緒にお風呂で疲れを癒す。

エヴァンジェリンの背中を、イルゼが洗い、そのイルゼの背中を木乃香が洗う。
終わったら逆になって、木乃香の背中をイルゼが洗い、イルゼの背中をエヴァンジェリンが洗う。
エヴァンジェリンが木乃香の髪を丁寧に洗うと、イルゼはその隣でゴシゴシと頭を洗う。
そして、エヴァンジェリンが木乃香の髪を結い、今度はエヴァンジェリンの髪を木乃香が洗う。
その間に、イルゼはお湯の温度差が無くなる様に湯船を思いっきり掻き回す。

三人で湯船に入ると、一気に湯船から溢れたお湯が流れていく。

「はわぁ、ええ湯やねぇ」

髪を蒸らす為にタオルを巻いて湯船に入った木乃香は、肌に合った温度の湯に満足気な表情を浮かべた。

「ホントだぜ。疲れが一気に抜けていくぅ」

蕩ける様な表情をしている二人に、エヴァンジェリンは優しく微笑みと、イルゼが風呂に設置されてある玩具ボックスからモーターボートを取り出し、ネジ
を巻くのを眺めた。

モーターボートが滑るように湯面を駆ける様子にはしゃぐ二人に、エヴァンジェリンは「こぉら!」と二人の肩を掴むと、しっかり湯船に浸かる様にした。

「ちゃんと肩まで浸からないと駄目だろ?」

エヴァンジェリンに言われ、木乃香とイルゼは口を大きく開いて「はぁい」と答えた。

「さぁ、今日も100まで数えたら出るぞ。い〜ち!」

「「い〜ち!」」

エヴァンジェリンの声に合わせて、木乃香とイルゼも声を張り上げて言う。

「「「に〜い!」」」

「「「さ〜ん!」」」

100まで数えると、シャワーを軽く浴びて風呂場から出た。
三人は寝巻きに着替えてドライヤーで髪を乾かしてリビングに戻った。

「そろそろ、木乃香は美容院に行った方がいいかもしれんな。ちょっと伸びすぎてきている。前髪がじゃまだろう?」

エヴァンジェリンの言葉に、木乃香は「せやねぇ」と頷いた。
木乃香の髪を見ながらエヴァンジェリンはちょっと勿体無いけどな、と思いながら優しく撫でた。

「じゃあ、ちゃっちゃと夕食の準備をするから待っている」

エヴァンジェリンはそう言うと、キッチンに入ってエプロンを着けた。
そして、当然の様に木乃香も続く。
イルゼはその間に、目を閉じて心を落ち着けた。
修行場程ではないにしても、マナを感じる修行は暇さえあればやる事にしているのだ。

魔力を芳醇に封じ込めた結界内では感じられるが、外では殆ど感じられず、イルゼはまるで空気を掴もうとしている様な気持ちだった。

夕食は鯵の塩焼きにキャベツと大根、わかめの味噌汁と雑穀米のご飯だ。
食事を勧めながら、エヴァンジェリンが口を開いた。

「さて、イルゼ。相坂さよの話だが」

エヴァンジェリンはそう口火を切り、イルゼは鯵の塩焼きに走らせていた箸を止めて聞いた。

「実はな、私はここに封じられてからずっと奴と同じクラスだった」

「へ?」

イルゼはエヴァンジェリンの言葉に間抜けな声を返してしまった。

「言葉の通りだ。相坂さよと私はちょうど同じ周期でループしていたんだよ。少し考えてみろ」

言われて、イルゼは思い出した。
エヴァンジェリンは去年で中等部の三年生を終えて一年生に戻る筈だった。
相坂さよは今年一年であり、三年になったらループする。

「ほんとだ!なんで気付かなかったんだろ…」

イルゼは自分の迂闊さに心中で舌打ちした。

「相坂さよさんって、イルゼが学やフェイや亜里沙先輩と一緒に探し取る七不思議の人やよね?」

木乃香が聞くと、イルゼは頷いて答えた。

「だけど、全然情報が集まらなくて困ってたんだ」

イルゼが肩を竦めると、エヴァンジェリンは味噌汁を啜った。

「でもさ、やっぱり相坂さよは居たんだよな?」

イルゼがエヴァンジェリンに聞くと、エヴァンジェリンは頷いて答えた。

「相坂さよの霊は実在する。イルゼ、霊と言うのは精霊に近いんだ」

「精霊に?」

イルゼは首を傾げた。

「そうだ。故に、普通の人間には見えない。それに、相坂さよは特別に存在感が薄いんだ」

「どういう事なん?」

と木乃香が聞く。

「あれは、恐らくは相坂さよが本当は魔力も霊能力も霊に成れるほどは持っていなかったからだと考えられる」

「………クラスターが、相坂さよは思春期に時折目覚める事がある短期的な超能力者だった可能性があるって言ってた」

エヴァンジェリンの言葉に、少し考えながらイルゼは言った。

「アレか。恐らくはソレに間違いは無いだろう。人間の一番多感な時期には、自分の中のオドや、大気に満ちるマナを体感しやすい。それによって、僅か
な力でもなんらかのPSI能力に目覚める事がある。死の間際に、強い思念によって僅かな魔力を開放し、霊となったとすれば、開放した魔力が少なかっ
た為に、この世に干渉する力が弱かったのではないかと考えられる」

エヴァンジェリンは、箸の止まっている二人に気付き、「ちゃんと食べろ」と言った。

「相坂さよの事は、私の主観で言えばだが寂しがり屋で怖がりだな」

「寂しがり屋で怖がり?」

イルゼが反復する。

「ああ、相坂さよの奴は私が見た所だと、自分がどうして霊となってこの地に残っているのかが分からない様子だった。だが、明確な意識を持ってもい
る。さすがの私も同情するさ、何十年も誰にも気付かれずに一人で誰とも話せずに意識を保ち続けるなんて、本当だったら正気を保つのは難しいだろ
う。寂しがり屋と言ったが、それで済んでいるのは相坂さよの生前の精神力の強さを伺える。それでも、時折クラスメイトを羨ましそうに眺めていたがな」

「………」

イルゼと木乃香は俯いてしまった。
考えたのだ、何十年も誰とも話すことも出来ず、触れ合う事も出来ない事を。
それは、地獄と言うんじゃないだろうか。

「相坂さよを知りたいなら、並みの覚悟では足りんぞ、イルゼ。何せ、忘れても尚、この世に留まり続けているのだからな、その理由は並ではあるまいさ」

「…ばあちゃん。俺がしてる事って悪い事なんだよな・・・」

イルゼの言葉に、エヴァンジェリンは「さてな」と言った。

「人の過去を暴くのだ、それは例え相手が死後の存在であっても、正しいと言い切ることは決して出来ん。面白半分で調べようとしているのなら止めてお
け」

エヴァンジェリンは、責める様子も無く、どこか問い掛けるように言った。

「俺さ、最初は本当に面白半分だったんだ。だけど、少しずつ調べていく内に知りたくなったんだ。どうして、何十年もあそこに居るんだろうって。クラスタ
ーが言ってた、相坂さよは誰かを待っているんだって。だったら、その誰かを探してあげたい…。自己満足だし、悪い事だってわかってるけど…。それで
も、このままにして置くなんて出来ないよ」

イルゼが、ポツリポツリと言葉を紡ぐ。
それを静かに聴くと、エヴァンジェリンは優しく微笑みかけた。

「なら、好きにしろ。お前が正しいか間違っているか。そんな事は、判断できるのはお前自身と、相坂さよだけだ。もし、お前が相坂さよに辿り着いて、相
坂さよが感謝したなら、それはお前が正しかったと言う事だ。そうでないなら、間違っていたと言う事だ。間違っていたなら、償いをしなくちゃいけない。と
ても大きな責務を果たさないといけなくなるかもしれない。その覚悟があるなら。私は止めない。どうする?」

エヴァンジェリンの言葉に、イルゼは真っ直ぐに顔を上げて答えた。

「俺、もっと頑張ってみる。そんで、相坂さよが何を願っているのかを知りたい。それに、助けてあげたい!」

真っ直ぐな瞳を見て、エヴァンジェリンは「そうか」と微笑を漏らした。

「なら、思う存分やりな」

エヴァンジェリンはそう言った。

「お前がそう決めたのなら、私は止めない。これも一つの修行だ」

優しく言葉を紡ぐ。

「経験して来い、人の思いの輝きを…。見て来い、何十年も記憶から無くなっても待ち続けられる思いを…。知って来い、人と人とを繋ぐ絆の真実を…。
これは、木乃香のパートナーとしての修行じゃない。これは、男が立派に育つ為の修行さ」

ゆっくりと語りながら、エヴァンジェリンは目を細めた。

「いいか?イルゼ、木乃香もだ。世界は広い。人の思いは人の数だけある。いろんな経験を積んで、いろんな仲間を作って、いろんな苦難を乗り越えて、
いろんな思い出を作って。そうやって、子供は成長していくものだ」

エヴァンジェリンはそう言って、ジッとイルゼの瞳を見つめて言葉を続けた。

「イルゼ、お前はまだまだ子供だ。だけどな、きっと大丈夫だ。なにせ、私が認めた弟子なんだ。自分の出来る事をとことん突き詰めてこい。疲れたら休
めばいい。いつでも私や木乃香が居る。わからない事があったらとことん悩め。それはきっと、お前にかけがえのない物を残してくれる」

エヴァンジェリンの言葉に、イルゼも、木乃香も二人の心に深く染み込んだ。
どうしてだろうか、二人の目から涙が溢れた。
それは、信じてくれる事の尊さだった。
見ていてくれる優しさだった。
与えてくれる愛しさだった。

「ばあちゃん。俺、やってみる!」

イルゼの言葉に、エヴァンジェリンはニッコリして「ああ」と頷いた。

「さぁ、食べ終わったら食器を重ねろ」

言いながら、エヴァンジェリンは木乃香とイルゼのお椀を集めた。
木乃香はお箸を集め、イルゼは魚用の皿を集めた。
三人で流しに運び、最近は便利だなと考えを改めたエヴァンジェリンが食器洗い機に入れていく。
魔法が掛かっている食器洗い機は、間違いなく綺麗にしてくれるのだ。

「さて、明日も修行だ。確り眠れ」

エヴァンジェリンはそう言いながら、二人と一緒に布団に入った。
エヴァンジェリンが真ん中で、右側にイルゼ、左側に木乃香だ。
あっという間に、両側から寝息が聞こえだし、エヴァンジェリンはソッとベッドから離れる。
そして、二人の寝顔を見つめた後、エヴァンジェリンは夜天の帳の下に飛び出した。








満月の下、本来の力に近い実力を取り戻したエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは、麻帆良を攻め込む愚者の前に降り立った。

「また、こいつ等か…」

エヴァンジェリンは小さく呟くと、闇の中から答える声があった。

「うむ。全く持って度し難い愚か者共がおるようじゃて」

凄まじい殺気を撒き散らし、血が地面に滴るほどに拳を握りこむ近衛近右衛門が闇の中から姿を現した。

「子供の姿がある…」

エヴァンジェリンの視線の先には、変形していても子供だとわかる容姿をしている者、子供の体格でありながら、化生の顔を持つ者が多く存在した。
エヴァンジェリンの殺気も、近右衛門に劣ることは無く。
今宵の彼女の姿は、童姿の闇の魔王の名に相応しかった・

エヴァンジェリンは、頭を過ぎる不吉な思いに、歯を食いしばる。

「エヴァンジェリンよ、この者達は救わねばならん。コレを使うのじゃ」

そう言って、近右衛門が取り出したのは特別な札だった。
エヴァンジェリンと近右衛門の前に存在する数多の敵は、鬼(キ)だった。
そして、鬼(キ)とは霊の一種である。
それ故に、近右衛門が用意したのは、霊の扱いに長けた東洋魔術の札だった。

「使い方はわかるかの?」

近右衛門は言いながら一枚の札を持ちながら聞いた。

「ああ、札を使うだけなら出来るさ」

「頼むぞい、儂は、愚か者を狩らねば成らんのでな…」

言うと、近右衛門は自分の持っている札に魔力を通した。
そして、眼を閉じ、意識を集中させた。

「鬼(キ)を操るには特別なラインが必要じゃ」

近右衛門は語る。

「愚かな者達よ…」

そして、近右衛門は鬼(キ)から伸びるラインを見つけ出した。
麻帆良学園から離れた場所から操っている。

「頼むぞい?」

ニヤリと近右衛門がエヴァンジェリンの顔を見ずにほくそ笑むと、姿を消した。

「ああ、全く持って不愉快だ。私は甘くなったのかな、どうしようもなく怒りがこみ上げて来る…」

そう言いながら、エヴァンジェリンは札に魔力を通す。
すると、札から白い光の帯が上に向って伸びていく。
エヴァンジェリンは札を上下左右に振り、それによって光の帯は軌跡を描いた。

「浄霊の力の固まりか。さて、お前達。今、私が送り届けてやるよ」

――あの世にな。

そう言いながら、エヴァンジェリンは姿を消した。
否、目視できないほどの早さで移動しているだけだった。
そして、エヴァンジェリンは浄霊の力の塊を鬼(キ)達に次々に振り撒いて行く。
一体、また一体と、鬼(キ)は光に包まれ消えていく。
最後に、近右衛門が術者を捕縛したのか鬼(キ)達の動きが止まった。
そして、徐々に全ての鬼(キ)が光に包まれて消えていく中で、微かにだが聞こえた。
幻聴かもしれない。
聞き間違えかも知れなかった。
だが、確かにエヴァンジェリンの耳にこう聞こえたのだ。

――ありが…とう…。

と言う言葉が。





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