第32話『木乃香、イルゼ、エヴァンジェリンと一緒』


日が昇り、スズメの鳴き声が聞こえてきた。
第一土曜日、当然のように学校がある。
朝、エヴァンジェリンは何時もの様に食事を作った。
愛情のたっぷり籠もった朝ごはんは、ふっくらしたオムレツにパセリとポテトサラダ。
パンはフレンチトーストにしてあり、コーンポタージュの香りが素晴らしい。
真実、母親の様な気持ちになりながら、エヴァンジェリンは寝室で眠る手の掛かる二人の息子と娘を起こしに行く。
天使のような二人の寝顔に、無意識の内に優しい笑みが零れる。
何の事は無い、孤独であるはずが無かった。
想像もしなかった夢物語。
朝、子供達に食事を作り、起こしに行く。
まるで、普通の人の親のような事をしている。
他の誰が忘れようと、二人は決して忘れない。
「どこが孤独だ?」そう戯けて見せることすら出来る。
エヴァンジェリンが息を思いっきり吸った。
そして、満面の笑みを浮かべながら叫ぶ。

「朝だ、起きろ!!!」

その声に驚いて、二人は目を覚ます。
起きた拍子に、寝惚けて頭をお互いにぶつけ合ってしまい、涙目になるも、昨日の事を思い出したのか、顔を俯かせる。
それを見て、「仕方が無いな」そう思いながら、エヴァンジェリンは手を叩く。

「ほら!起きろ起きろ!!朝御飯は出来てるぞ!今日は学校があるんだ。ちゃんと食べていかないともたんぞ!」

二人はエヴァンジェリンの普段と変らない姿に驚きながらも、用意してある服に着替える。
エヴァンジェリンはすでに黒のワンピースの上に白いカーディガンを羽織っている。
イルゼは黒のTシャツに紺色のジーンズ。
木乃香は白のタートルネックに白のワンピースだ。
そして、エヴァンジェリンが後ろを向いて寝室を出ようとした直後、イルゼの大声が部屋に響いた。

「木乃香、ばあちゃん!!ごめんなさい!!!!!」

あまりの大音響に、耳がキーンとなったが、エヴァンジェリンは、微笑んだ。
そして、木乃香は駆け出してイルゼに抱きついた。

「イルゼ、イルゼェ!ごめん、うちのせいなんや。ごめんなぁイルゼェ」

木乃香が泣きながら謝るのにイルゼは困惑した表情をしていた。

「なんで…、木乃香?」

呆然としながら木乃香の肩に手を置くイルゼ。

「だって、うちがイルゼを間違えた進化させてもうたから…」

時折しゃくり上げながら言う木乃香に、イルゼは咄嗟に「違う!」と叫んだ。

「木乃香が悪いなんて事、絶対無い!!」

必死に抱きしめて言うイルゼに、木乃香は肩を震わせたまま泣き続けた。
その様子をじっと見守っているエヴァンジェリンは、水を差すのも悪いなと思い、部屋から出ようとした。
だが、それを木乃香とイルゼが呼び止めた。

「おばあちゃん」

「ばあちゃん」

足を止め振り向くと、二人は頭を下げた。

「「ごめんなさい!!それと、ありがとう!!」

目を丸くした。
瞳に宿る決意は今まで以上に苛烈に光っている。
エヴァンジェリンは瞬きの間、何を言うべきか迷った。
そして、一言だけ口にした。

「はやく御飯を食べろ」

「うん」

とイルゼが頷いて。

「はい!」

と木乃香が頷いた。

「話は帰って来たらだ。その間に私を覚えている者はいないだろうが、その事もちゃんと話す。だから…」

エヴァンジェリンはニヤっと笑いかけた。

「今日も元気に行って来い」

エヴァンジェリンの話を聞きたかった。
だが、帰って来たら話すと言う言葉を信じ、二人は遅刻しないように御飯を急いで、それでも確りと味わって食べた。
そして、制服に着替えた二人に、エヴァンジェリンが初めて自分からおはようのキスをした。

「行って来い」

二人は太陽に輝いた笑顔で「うん!」と言って玄関を出た。
大きな声で、「行って来ます!!」と言って。
その声で、隣の部屋の扉が開いた。
昨日、倒れてしまった二人はしっかりと回復していた。
それでも、エヴァンジェリンの事も、昨日の事も全く覚えてはいなかった。
それでも、エヴァンジェリンは構わないと思った。
何故なら、この二人は少なくとも一度は、登校地獄の魔法で忘却しながら思い出してくれたのだから。
もう一度、思い出を作ればいい、そう思った。
だから、エヴァンジェリンは玄関から出た。
その前に小さな声で、「マグナス・スペクタクラム。大きく見せよ。」と唱えて大人の姿になってから。
美しい容姿で、金色の髪を腰まで伸ばした絶世の美女の姿で。
瑞々しい唇を悪戯っぽく開き、ニッコリと二人の隣人に声を掛けた。

「初めまして、貴方達がフェイちゃんと学君ね?」

イルゼと木乃香は少しだけ胸がチクリと痛んだが、何も言わなかった。
そして、フェイと学はどうしてか分からない不思議な感覚を覚えながら、コクンと頷いた。

「私はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。木乃香とイルゼの少し遠い親戚で、この近くに住んでいてね。木乃香のお父さんから二人の事を任されてい
るの。だから、ちょくちょく二人の様子を見に来るからもし会ったらよろしくね」

それは、いつもの僅かに見える子供っぽさは全く無かった。
完全無欠の大人の女性だった。
そして、先に学が口を開いた。

「あ、えっと。僕は学です。伊集院学です!よろしくお願いします!」

学は緊張しながら挨拶し、それを見てフェイも慌てて頭を下げて口を開いた。

「フェ、フェイ・アリステア・エバンスです。あの、よろしくお願いします!」

緊張しながらも、フェイも自分の名前を言い、可愛く笑みを浮かべた。
フェイにはどうしてか分からないが、目の前の女性にとても居心地のいい感じを受けていた。
そして、エヴァンジェリンは「さあ」と口を開いて、腰に手を当て右手を上げた。

「学校に遅刻してしまうわ。いってらっしゃい」

綺麗な笑みを浮かべ手を振るエヴァンジェリンに、木乃香とイルゼももう一度、フェイと学と一緒に手を振った。

「行って来ます!!」

四人が去っていくのを見ながら、エヴァンジェリンは「ヴェネフィキウム・フィニス。魔法よ終われ。」と唱えて幻術を解いた。
玄関の中に入り、「ふう」と少し寂しげに、それでもどこか満足気に溜息を吐き、エヴァンジェリンは書棚から一冊の本を取り出す。
『冒険活劇童子絵巻 〜白虎の章〜』
少し前に、図書館島で木乃香が見つけ借りてきた本だ。
二人の少年少女の話。
時代は江戸幕府が開幕して直ぐの事。
精霊と力を合わせ、悪しき者を打ち砕く。
典型的なヒーロー小説だった。
だが、どうしてかエヴァンジェリンはその陳腐なB級ノベルが気になり何度も読み返していた。
全く未知の魔法。
精霊の紋章を使い、数多の剣を握る少年と、同じく精霊の紋章を使い、そして全く異なる術を使う少女。
そして、その二人を見守る御庭番の少女とその対極の地を護る忍びの男。
言い回しが古く、どこまでも現実味に足らぬモノ。
だと言うのに、どうしても引き込まれ、エヴァンジェリンは読み続けていた。
出だしは不思議な出会いから始まる、異国から来た二人の子供。
江戸の町の一角で小さな子猫と出会い、二人が身を寄せる長屋の老人が二人に使命を授ける。
数々の出会いを経て、数々の冒険を経て、数々の別れを経て、二人の子供は成長し、悪しき精霊を倒し国へ帰っていった。
四章、白虎、青龍、朱雀、玄武の章に分かれる中々の長編だ。
途中で紅茶を炒れ、のんびりと古い書物を一ページずつ開いていく。
インテリな気分を出すために三角眼鏡も当然掛けている。
白虎の章、玄武の章、青龍の章、そして、朱雀の章を読みながらエヴァンジェリンはずっと考えていた。

「精霊…、大精霊。木乃香の実家の近くには確かスクナが封印されていたな。あれを式神に…は無理か」

サウザンドマスターの仲間達と一ヶ月程度行動を共にしていた時に、彼らとの出会いから三年前に、突如復活し、京都の町で暴れまわったというリョウメ
ンスクナノカミをサウザンドマスターと共に封印したと詠春が語ったのを思い出していた。
サウザンドマスターとサムライマスターのタッグですら、本来のリョウメンスクナノカミの前では塵芥と変らないだろう。
だが、復活したリョウメンスクナノカミは意思も無く、飛騨に現れたと言う伝承の中で使っていた弓や剣を持っていなかったらしい。
それに、日本書紀の中で、スクナを打倒した英雄、武振熊命は女装をし、油断させた所を殺したと読み取る事が出来る部分がある。
両面宿儺の伝説に置いて、武振熊命はスクナの一族と呼ばれている部族を打倒したが、その箇所がちょうど忍熊王を殺した箇所と驚くほど似ており、実
は忍熊王と両面宿儺は同一の存在だったと言う説がある。
また、日本武尊が熊襲兄弟を殺した箇所も似通う部分が多く、武振熊命が実は日本武尊と同一存在であったのではないか?と言う解釈もある。
リョウメンスクナノカミの巨大な霊力と18丈(約54m以上)の巨体、そして桁外れの弓と剣の技術。
その様な化け物を倒した武振熊命もまた八岐大蛇を打倒した日本武尊と同一ならば驚きは軽減されるのではないだろうか。
…いや、八岐大蛇をだとうしたのは須佐之男命だったか。
だが、日本武尊は多くの英雄としての逸話を持つ紛れも無い英雄だ。
そして、草薙の剣。
天叢雲剣を借り受け、草薙の剣としたのが日本武尊だ。
天皇の三大神器とまで謳われる草薙の剣。
八岐大蛇より生み出た神剣を使ったと言うならば、或いはリョウメンスクナノカミを打倒できたのも頷けるかもしれない。
それほどの脅威を、現代最強と謳われたとは言えサウザンドマスターとサムライマスターだけで倒せたのは復活も不完全であり、魂はなく、肉体のみが
復活したからではないだろうか。
それならば、日本の最高位の妖怪であるリョウメンスクナノカミを倒しきれなくとも、封印出来た事に納得がいく。

―――全開のリョウメンスクナノカミなど、闇の福音と呼ばれていた自身ですら目障りなゴミ程度にしか見られないだろうな。

そう、エヴァンジェリンは一人呟くと、木乃香の式神にするという案を却下した。
魂無き肉体だけでは意味が無い上に、幾ら木乃香といえどもリョウメンスクナノカミを配下に置けば、それで容量が一杯になってしまうだろう。
エヴァンジェリンは下手にあれが完全復活し、魂まで呼び戻してしまったら世界は滅亡するんじゃないか?と背筋が寒くなるほどの脅威を感じた。
倒すとすれば、サウザンドマスターレベルの魔法使いが5ダースは死ななければならないだろう。
人間が手を出してはいけないレベルの存在と言うのはある。
エヴァンジェリンは、木乃香に契約させる式神の模索に頭を悩ませた。
塵芥の雑魚を使役しても木乃香の実力では意味は無いだろう。
それならば、使い魔の作成を教え、切り札に出来るレベルの式神と契約させるのが最良だろう。
安倍晴明の十二神将のような十二天将の式神を木乃香自身が作り出すと言うのも手かもしれない。
安倍晴明の十二神将は主は安倍晴明のみと考え、既にこの世の一部に戻っているのが殆どである。
それに、十二神将を従えるならば魂無しのリョウメンスクナノカミの方が余程マシだろう。
十二神将を完全に制御するなど不可能であるし、力も使いこなせないだろう。
六壬神課で使用する象徴体系の一つである十二天将を自ら作りだすのはかなりの高等技術だ。
その上、ここぞの切り札に出来るレベルの十二天将の式神を作るのは至難の業だろう。
出来るならば、名の無い巨大な力を有する精霊に名付けをする事が出来ればその精霊を式神にする事もできる。
名付けは精霊にとって特別な意味を持つ。
悪魔や鬼、妖精や妖怪や神とは違い、自然そのものの存在である精霊は、ヒトに認められることで大成する。
忘れ去られた精霊は力が衰える。
故に、名付けをしてくれたヒトに感謝し、力を貸す事があるのだ。
その最たる例が、始動キー魔法だ。
ヒトに人が存在を認めてくれる。
その感謝の代わりに、ヒトの呪文に答え、魔力を貰い力を貸す。
始動キーとは、精霊に自分は君達を認めていると宣言する為のモノなのだ。
魔力を杖の力で魔法として使うシングルアクション魔法との最大の違いである。
エヴァンジェリンは今度近右衛門と相談しようと決め、書物に再び視線を落とした。
カチカチと時計が音を鳴らしながら単身を12の上に重ねる。
土曜日は午前中授業で、後一時間もしないで二人が帰ってくる時間になっていた。
エヴァンジェリンはゆっくりと立ち上がり、本を本棚に仕舞うと、キッチンに向った。
フライパンに油をひき、キャベツとウインナーの簡単な野菜炒めに、目玉焼きを三個作る、イルゼの大好物であるコーンポタージュも作り、フレンチトース
トを焼く。
机に並べて呪文を唱える。

「コクタム・アタム。料理保存。」

この簡単な呪文で料理には埃が入らず、冷める事も無い。
時計を見れば、ちょうど授業が終わり、ホームルームが終わる時間だった。
今日は木乃香もイルゼも掃除当番ではない。
きっとすぐさま駆け足で帰ってくるだろう。
その予言はほんの十分後に実現した。
息を切らせて肩を激しく上下させながら扉を勢い良く開いたのはイルゼで、その直ぐ後に木乃香も飛び込んできた。

「ばあちゃん!!やっぱりだったよ。やっぱり誰もばあちゃんの事知らなかった。何があったの!?」

イルゼは不安を隠せない表情だった。
本当は学校を抜け出してでも聞きに来たかったのかも知れない。
木乃香も顔を青褪めている。

「おばあちゃん、うちわからへん。少し前まで何度も話して…やのに、和美もハルナも夕映も、のどかも、誰もわからへん言うてた。どうしてなん!?」

午前中の時間、木乃香とイルゼは昨日の事を肝に銘じて慎重に何人かのエヴァンジェリンを知る友達にエヴァンジェリンを知らないかどうか聞いたの
だ。
学とフェイは、朝会ったのが初対面だと言い、葵や手塚、翔一、零弦、アーダルベルトに李も首を傾げるばかりだった。
様子がおかしいと感じ、李もその日はイルゼに勝負を仕掛けることは無く、手塚と零弦、李、アーダルベルトは何度も思い出そうと努力してくれたが、さっ
ぱり覚えていないと言った。
「そうか…」と顔を俯かせるイルゼに、葵や翔一も含め、全員が何度もイルゼを心配そうに見た。
木乃香の方も、和美、ハルナ、夕映、のどかに聞いても、誰も思い出す事は無かった。
何度も聞いてショゲて居るのを見て、あやかと千鶴は木乃香に保健室に行くべきだと薦めたほどだ。
それが善意であるとわかりながらも、木乃香は惨めな気持ちになった。
エヴァンジェリンはそんな二人に座るように促した。

「ほら、取り合えず食べろ。お腹が空くと頭が回転しないからな」

「でも、ばあちゃん!!」

イルゼが叫ぶが、エヴァンジェリンはやんわりと手で制した。

「説明はする。とにかく昼飯くらい食べないと力が出んぞ」

エヴァンジェリンに言われ、木乃香とイルゼは渋々と言った感じに皿の前に座り手を合わせた。

「「「いただきます」」」

木乃香もイルゼも味わえているのか甚だ疑問なほど素早く半熟の目玉焼きとフレンチトーストを食べ、野菜炒めを平らげた。
最後にジュースをゴクリと一口に飲み干すと、二人は自分の皿を流しに持って行った。
エヴァンジェリンは「やれやれ」と言いながら自分の分をすっかり平らげると、キッチンから戻ってくる二人とすれ違ってキッチンに入り、普段は綺麗に出
来ているのかどうしても疑問に思ってしまうので使わない食器洗い機に入れて、木乃香とイルゼの対面に座った。

「さて」

そう言って、エヴァンジェリンは口を開く。

「まずは、どうして私の事を皆が忘れてしまったかの説明だな?」

エヴァンジェリンが問いかけると、イルゼも木乃香もコクリと頷いた。

「少し長くなるが勘弁しろ」

そう言って、エヴァンジェリンは語りだした。

「そうだな。どうせなら最初から話すとするか」

そう言って、冷蔵庫からもってきた麦茶を注いだ三つのコップの内の一つを手にとって一口飲んだ。

「登校地獄。これが、私をこの地に封印していた呪いだ」

呪い、その言葉にイルゼと木乃香はゴクリと唾を飲んだ。

「登校地獄とは、元はアレイスター・クロウリーの作り出した『従属の強制』と呼ばれる呪いだった。それを、オーギュスト・コールが息子を無理矢理に学舎
に通わせるために改造したのが『登校地獄』の呪いだ」

「アレイスター・クロウリーって?」

木乃香が首を傾げると、エヴァンジェリンは言い辛そうな顔をした。

「そうだな、説明するにはもう少しお前達の精神が成長してからでないと不味い。今は稀代の大悪党とでも覚えておけばいい。ちなみに、オーギュスト・コ
ールは魔法学校の教科書の多くを執筆している偉大な魔法使いだ。息子のディートリッヒはとにかく勉学が嫌いでな、それを直させるためにオーギュスト
が息子に掛けたのだ。まぁもっとも、息子のディートリッヒは優秀な魔法戦士だった。私も実際にやつが戦う姿を見たわけではないが、『歴史における高
名な魔法戦士』と言う本に名を連ねていてな、アードルフ・コレフと言う悪党との決闘は、今でも語り継がれる程の名勝負だったらしい」

「さて、話を戻すぞ」と言って、咳払いをした。

「私に呪いを掛けた魔法使いの名はナギ・スプリングフィールド。サウザンドマスターとも呼ばれ魔法世界で英雄と崇められた男だ。パーティーの『紅き
翼』を組織してな、木乃香の父、近衛詠春も含め魔法世界で起きた大戦で多大な功績を残した男だ」

「でも、どうしてその英雄がばあちゃんを封印したんだ?」

イルゼは全く分からないと首を傾げた。
木乃香も似たような表情を浮かべている。

「私とナギとの出会いは、ざっと数えて7年前の話になる。私はバチカンに本部を置く教会のヴァンパイアハンターに追われていた」

「ヴァンパイアハンター?」

余りに胡散臭い名前に、イルゼと木乃香は怪訝な顔をした。

「そうだ、有名な所だとヴァン・ヘルジングなんかがそうだった。映画もあるぞ?今度見てみるか。ヴァン・ヘルジングの映画はB級ファンタジーアドベンチ
ャー映画みたいだが中々迫力があってかっこいいぞ。昔、ツタヤで借りたんだがなかなか…って話がずれたな」

コホンと恥かしそうにエヴァンジェリンは話を戻した。

「まぁ、教会。主にカトリックの教会の深部に組織されている魔法使い達のギルドと似た感じのギルドがあってな。魔法使いは異端とされているから居な
いんだが、代わりに異能者や超能力者、超人なんかが多く居る」

イルゼと木乃香は次々に出てくる今時口に出すのも恥かしい単語に首を傾げた。

「イメージ的に言えば私は魔法使いである前に異能者と言える。異能者は、そうだな。ジキル博士とハイド氏やフランケンシュタイン博士の作り上げた怪
物。日本にも狗族と呼ばれて存在するが、ウェアウルフ、つまり人狼なんかもそう。ようは、人間とは別種の存在の事だ。まぁ、教会に属しているのは殆
どが洗脳処理を施されたり、語る事すら憚られるような拷問を受けて屈した者達ばかりだがな」

異能者の説明にその扱われ方に木乃香とイルゼは嫌悪感を隠し切る事は不可能に近かった。

「超能力者は割りと多い。一般人の中でも極稀に発言する事もある。一番多いのは、思春期を迎えた多感な子供だな。ポルターガイストは知ってるか?」

イルゼも木乃香も首を横に振った。

「ポルターガイスト現象とは、突然、誰も何もしていないのに部屋の至る所の壁をドンドンと叩く音がしたり、地震のように揺れたり、物が動き出したりする
現象だ。霊が引き起こすのもあるが、人間が起こす事もある。ある著名な超心理学者がこの研究をしてな、霊障ならば動いた者は温度を持つという。そ
れによって、人間の無意識下、もしくはわざと引き起こした人間の起こすポルターガイストとの違いを検証する事が出来るようになった。中でも、ポルター
ガイストを引き起こす力はPKと呼ばれる」

「PK?PSIじゃないん?」

木乃香が聞くと、エヴァンジェリンはフフッと微笑んだ。

「PSIの中でも物理的な力をサイコキネシス、略してPK。精神的な力をエクストラ・センソリー・パーセプション、略してESPに別けられる。魔法使いの資
質が強い子供は時に魔力によってPSIに目覚める事もある。他にも、PSIに目覚める要因は色々とある。有名なのはゲラリーニ。テレビにも出演する数
少ない本物のPSI能力者だったユリ・ゲラーが来日した際に、テレビを見てスプーン曲げを模倣した子供達が本当にPSI能力に目覚めた事がある。ま
ぁ、一時的なモノでな。すぐにゲラリーニの能力は消え、テレビではインチキだなんだと騒がれた事があった。まぁ、超能力の講義は別の機会にしよう」

そう言うと、エヴァンジェリンは再びお茶を口に含み、唇を湿らせた。

「超人に関しては、そうだな。木乃香は潜在的な超人と言えるかもしれん」

「うちが!?」

エヴァンジェリンに言われ、木乃香は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

「超人にも色々とある。潜在的に力が以上に強い者。魔法を無効化に出来る者。寿命が驚くほど永い者。特別な保有スキルを持つ者などだ。木乃香は
潜在的に魔力の量が人間の規格を大幅に超えた量を保有している。これほどの魔力を持つ者はそうはいない。そして、魔力がある程度以上多い者に
は大概にしてある特徴がある」

「特徴?」

木乃香とイルゼが首を傾げると、エヴァンジェリンは「ああ」と答えた。

「寿命が延びるのさ。ただでさえ、従者となっただけでも寿命は一般の者の1.5倍になる。一般的な魔法使いは約2倍。故に、200年生きる者も少なくは無
かった。爺ぃがまだ喜寿も迎えていないのにあそこまで老けて頭が奇形になってしまったのは、前に聞いた話じゃ私の別荘の様な所で長い年月を掛けて
自身を研鑽した結果だそうだ。あまりに苛烈な修行をし、魔法薬のドーピングを繰り返した結果、ヒトの形が幾分崩れてしまったらしい」

「お、おじいちゃんの頭って生れ付きやなかったん…?」

木乃香とイルゼは突っ込まない様にしていた近右衛門の頭部の秘密に少しワクワクしてしまった。

「当然だ。あんな頭で生まれてきたら妖怪扱いされて殺されるだろうが」

呆れたように言うエヴァンジェリンも割と失礼だと思った木乃香とイルゼだが、何も言わなかった。

「あの頭部の形は魔法薬の副作用や、苛烈な修行、新術の開発などの影響らしい。私も爺ぃと呼んではいるが、本人には言わんが現役時代は正しく最
強と呼べる存在だった。今でこそ、学園の経営等で鍛錬が出来ず衰えているが、現役時代の逸話には悪の魔法使いがマザーで作り出した魔人を何体
も解き放った。それをたった一人で全滅させてしまったらしい。いいか?魔人の実力は簡単に言うと全開の私程とは言わんがそれに近いレベルを保有し
ている。それをたった一人で倒し尽くしたのだ。今でこそサウザンドマスターの武勇伝の方が多く語られるが、現役時代の奴がサウザンドマスターと戦え
ば勝負にすらならんだろう。魔法世界の英雄、つまりはあらゆる魔法使いが最強と認めた魔法使いがだ」

エヴァンジェリンが近右衛門をこれほど褒める姿を見たのは初めての事で、何故かそれが木乃香とイルゼにはとても嬉しくなった。
そして、同時に近右衛門の話をもっと聞きたいと思い、近右衛門に対して尊敬の念を強く抱いた。
そう、エヴァンジェリンはこう言ったのだ。
――自分とほぼ同等の力を持つ者が複数を相手に勝った。
と、つまりは自分ですら現役の近右衛門には勝てないだろうと言ったのだ。
それが、近右衛門の凄さを際立たせた。

「まぁ、話を戻すが、木乃香の魔力ならば、何もせずとも数百年をゆっくりと歳を取りながらも生きる事が出来るだろうさ」

「数百年も!?」

木乃香は目を丸くした。
余りに長い年月にイメージが湧かなかった。

「それじゃあ、最初の話に戻ろうか、もう2時を回ってしまった。確か教会の話だったな?」

エヴァンジェリンが聞くと、頭を悩ませていた木乃香とイルゼはコクンと頷いた。

「まぁ、その教会の数居る戦闘者の中で結成された吸血鬼を相手にする者達をヴァンパイアハンターと呼ばれてな。私も狙われた事があった。私は吸血
鬼としての弱点をほぼ克服していた。流水の上でも力は衰えないし、十字架や杭、聖水で攻撃されても再生できる。だが、罠を仕掛けられてな。流水の
中、つまりは川の中に引きずり込まれた。さすがに、流水の中では私の動きはかなり制限される。体の自由がうまく効かなくなってな。泳ぐ事すらままなら
ん。ちなみに、吸血鬼の弱点はこの世に存在する数人の真祖の吸血鬼の中でもかなり克服できた方だ」

胸を張るエヴァンジェリンに、木乃香は目を見開いた。

「待っておばあちゃん!数人の真祖!?」

エヴァンジェリンの言葉の中に聞き捨てなら無い単語を見つけ、木乃香は声を張り上げた。

「ああ、真祖は私が知る限りでも数名居る。と言っても、私は真祖の吸血鬼の中でも一番人間に接してしまったが故に忌み嫌われてしまったのだがな。
殆どの真祖は闇に生きている。それに、私以上に強力な吸血鬼が殆どだ。人間とはほとんど交わらずに大概は異世界の一つを自分専用の神殿のよう
にしていると言われているが、その世界を見つけ出せる者もいないし、態々見つけ出そうなどと言う物好きも居ない。現代で奴らを知るのは本当に一握
りだろうな。未だ、私ならば手を出せるレベルだが、他の真祖の吸血鬼は手を出そう物ならば千の犠牲では足りないだろう」

「ばあちゃんは会った事があるのか?」

イルゼが聞くと、エヴァンジェリンは一人だけと答えた。

「イギリスに居た時に一度だけ、もう大昔の事だ。魔女狩りが活発になる前、私に魔法を伝授してくれた吸血鬼が居てな。突然現れ、私に魔法を伝授し
た。と言っても最初の初等教育程度と少しの魔法具を残して去っていったが。名は確か龍と呼ばれていると言っていた」

少し懐かしむ様にエヴァンジェリンは言った。
そして、エヴァンジェリンは話を戻した。

「それから、私は殺されそうになった。専門機関でな、吸血鬼を殺す最強の方法を知っていた」

「え?」

木乃香は目を見開き、イルゼは目を丸くした。

「つまりな、人狼の毒を使おうとしたのさ」

「人狼の毒?」

木乃香が聞くと、エヴァンジェリンは頷いた。

「人狼の毒。即ち、人狼に噛まれると、噛まれた人間も人狼になってしまうんだ。そして、その毒は真祖の肉体を人狼にしようと暴れまわり、最後には吸
血鬼の肉体と人狼の毒、どちらも滅んでしまうんだ。怪物の力には怪物の力と言うわけだ。そして、私にその毒を飲ませ様とした時にそれを止めて私を
助けたのが誰あろう、サウザンドマスターだった」

木乃香とイルゼは再び目を見開いた。

「サウザンドマスターは私を連れ出した。そして、そう。私は奴に恋をしていた」

「へ?」

「ほえぇ」

イルゼは目を丸くし、木乃香は頬を赤らめた。
だが、イルゼはすぐに「ん?」と首を傾げた。

「でも、ばあちゃんに呪いを掛けたのもサウザンドマスターなんだよな?」

「そうだ。話には続きがある、いいか?」

木乃香とイルゼは当然のように頷いた。

「私は当時どうしても孤独から抜け出したかったのさ。そして、私に手を差し伸べてくれる人間はそうはいない。嘗て、まったく居なかったわけではないが、
それでも、私はその手を欲した。どうしようもなく、600年という年月が恐怖に感じた。そして、私はサウザンドマスターに自分の従者になるよう望んだ」

そこで、エヴァンジェリンは眼を細めた。

「だが、駄目だった。奴には奴の望みがあったしな。だが、諦めきれないかった私は、奴に何度も戦いを挑み、奴を屈服させようとした。だが、出来なか
った。私が本気を出せば屈服させるなど容易だった筈だ。現代最強と言っても、所詮は青二才の若造が相手、経験に術数、魔力の量。どれを取っても
負ける要素が見つからない。だが、私は一度も勝てなかった」

どうして?二人はそれを聞く気は無かった。
理由など想像が付いたからだ。
何故なら、自分だって愛した人相手に本気で傷つけるなど出来ないから。
エヴァンジェリンの言葉に、二人は予感が当たったのを理解した。

「何故なら、私は奴を傷つけられなかったからだ。奴の魔法を防ぐだけ。仕掛けても、奴が確実に躱し、対処出来るようなモノばかり。そうして、サウザン
ドマスターと別れた後も度々勝負を挑んでは負け、7年前に、この地で再び再会し、戦いを挑むと、奴は罠を仕掛け私に登校地獄を掛けた。アンチョコを
見ながらな」

苦笑しながらエヴァンジェリンは言った。

「だが、奴の呪いは巧くは掛からなかった。アンチョコを見ていたんだ。呪文は間違っていなかったんだろうさ。だが、登校地獄は本来通うべき学校に通
わせるための呪いだ。私の歳は600を越えている。故に、サウザンドマスターの呪文は弾かれ、それを無理矢理魔力で私に施した。だから、本来はキチ
ンと卒業すれば解ける筈の呪いが解けず、何度も何度も中等部を三年過ごしては皆に忘れられ一年からやり直しする羽目になった」

その言葉で、ようやく話が繋がるのをイルゼと木乃香は察した。

「そして、私が初等部に入学する為に爺ぃがこの呪いをあるべき姿に戻した時、呪いはその時点から破綻しだした。当然だ。私の通うべき学校などある
はずが無い。それ故に、登校地獄が完全に崩壊した瞬間に、最後の呪いとして、再び私を知る者から記憶が消えた。破綻した事でサウザンドマスターが
施した時との状態になってしまってな。最後の力となり、今の状況と言うわけだ。昨日は、少し感傷に浸ってしまってな。酒を飲んで気を落ち着かせていた
のだ。そして帰ったときに、あの状況に立ち会った訳だ。心配を掛けて、本当に済まなかったと思ってる」

辛そうな顔で言うエヴァンジェリンに、木乃香とイルゼは震える声で「ううん」と言い首を横に振った。

「おばあちゃんに悪い所なんて一つもあらへんよ!!」

「そうだよ!!サウザンドマスターってのもどうしてばあちゃんにそんな酷い事したんだよ!!ばあちゃんの…気持ち…少しは考え…ヒク…たって」

イルゼも木乃香も涙を溢れさせ、しゃくり上げながら思いを叫んだ。
それを見て、エヴァンジェリンは胸の中で暖かい物が溢れる気がした。

「私はな、ずっとナギを恨んでいたよ。でもな?今は違うぞ」

「え?」

涙を袖で拭きながら、イルゼと木乃香がエヴァンジェリンを見ると、エヴァンジェリンは恐ろしいほど慈愛に満ちた優しい笑みを浮かべていた。
そして、エヴァンジェリンは立ち上がると、木乃香とイルゼとの間にある机を回り込んで、二人の後ろに回った。

「お前達に会えた。その切欠はナギの奴が私をこの地に居させたからだ。私はな、お前達に会えて本当に幸運だと感じているんだぞ?」

そう言いながら、エヴァンジェリンは二人を後ろから抱きしめた。
二人は、止め処なく溢れる涙をそのままに、エヴァンジェリンに抱きついた。
二人が大声で泣くものだから、エヴァンジェリンも少し貰い泣きをしそうだったが、目の端に少しだけ溜めて勇敢にも微笑んで見せた。

「まったく、仕方ないな」

優しくそう言うと、二人が泣き止むまで、エヴァンジェリンはずっと抱きしめ続けていた。
イルゼと木乃香の涙や鼻水、涎で自慢のワンピースが汚れても、勲章だとでも言うかのように穏やかに二人の頭を撫で続けた。
今は、ナギへの恋心はもうないが、それでも、感謝をしている。
結局、二人が泣き止むまで一時間もの時間を要した。
エヴァンジェリンは二人が泣き止むと、二人の為に大きな熊の形のふっくらホットケーキを焼いた。
再び溢れそうな涙を押し込めて、二人は無理矢理にも笑顔を作った。
それが、エヴァンジェリンへの自分達の思いだよ言うように。
そして、どちらともなく言った。

「大好きだよ、おばあちゃん」

その言葉に、牛乳を持ってきていたエヴァンジェリンは急いで振り向いた。
二人に顔が見えないように。
一筋の涙を見せないように。
そして、エヴァンジェリンもニッコリと微笑んだ。

「私も、大好きだぞ。木乃香、イルゼ」

そう言って、牛乳をカップに注いで二人に渡した。
目が真っ赤になってしまった二人は泣き疲れたのか、食べ終わると直ぐに眠りこけてしまった。
エヴァンジェリンは小さな声で「デンス・ポリオ。歯磨き。」の呪文を唱えた。
すると、二人の口に残っていたホットケーキの屑は消え去った。
二人をベッドに横たわらせると、自分も布団を被った。そして、今日はもう目を覚まさないように眠りの呪文を掛け、眠りに付いた。






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