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第30話『暗黒進化、ケルベロモンの咆哮』
木乃香の手の中で、デジヴァイスが暴れ狂う。
木乃香の魔力が感情の渦に制御を外れ、デジヴァイスの容量を超過する。
制御出来ないほどの魔力は、デジヴァイスの中で猛り狂い、黒き風を巻き起こす。
その風は、やがてデジヴァイスからの繋がりを伝い、イルゼの体を覆った。
神経を剥がされる痛み。
黒い風はイルゼの全身を隙間なく刻み、千切り、砕く。
皮膚が削がれ、肉が刻まれる、骨は摩り下ろされる。
痛いという感覚は、最初の一瞬で過ぎ去った。
もはや感覚はなく、理不尽な痛みに対する憤怒と憎悪に身を焼かれる。
不安定となった感情は、簡単に染め上げられる。
心の在り方が即ち体の在り方となる電脳の獣。
徐々に、骨が再生され、肉が巻き付く、黒光りする皮膚が全身を覆う。
異様に長くなる両の手。
両手に残忍な真紅の爪が生える。
両足には漆黒の爪。
所々破れかかっている悪魔の如き翼が一対。
捻れ狂う淫靡な尾。
獣を象徴するアザトが漆黒の仮面に包まれる。
紅き獰猛な眼が四つ。
その獣の名は『デビドラモン』、「複眼の悪魔」と呼ばれ恐れられている邪竜デジモン。
これほど邪悪なデジモンは他にはいないとまでされている悪意の具現。
性格はイルゼのソレではなく、邪悪そのもので慈悲の心は持ち合わせていない。
深紅に燃え上がる四眼でにらまれると相手は身動きを取れなくなり、無抵抗のまま体を切り刻まれ、尻尾の先は開くと鉤爪状になっており相手を串刺し
にすることができる。
「イ、 イルゼ…?」
木乃香は、いつもは光の中から現れるカッコ良く、頼れる狼の姿ではない、謎の姿となったイルゼに話しかけようとした。
しかし、次の瞬間、デビドラモンの恐ろしい雄叫びが、修行場の天をも貫くほどに響き渡った。
「 !!!!!!!!!!!」
人間の耳では、近く不可能なほど…否、人間の心が、防壁を張り聞くことを拒むほどに恐怖を内包した叫びだった。
「イルゼ…、イルゼ…、イルゼ、イルゼ、イルゼ、イルゼ、イルゼエェ!!!!」
余りの恐怖に、眼から涙が止め処なく溢れ、全身は脱力し、いつしか失禁すらしてしまいながらも、木乃香は足が折れ、地面に倒れ伏しながらも、イルゼ
の元に這いずる様に向う。
「 !!!!!!!!!!!」
気が狂うかと思うほどの叫び、この世の憎悪や憤怒を内包したかのような叫びを上げる。
それでも、全身から警鐘を鳴らすのを全て無視して、木乃香は近づく。
本能で悟ったのだ。
こうしてしまったのは自分であると、自分で止めないといけないと。
エヴァンジェリンはここにはいない。
それは理解できた。
何処に居るのかわからない。
それでも、今ここに居るのは自分だけ…。
「 !!!!!!!!!!!」
唸りを上げ、デビドラモンの視線が、木乃香を捕らえた。
紅き残忍な爪が輝く。
血を思わせるソレを、デビドラモンは振り上げた。
木乃香は、咄嗟に動いた。
這いずる事しかできないながらも、声が麻痺しかねないほどの恐怖の中で、常に持ち歩いている自分専用の杖。
それを、地面に斜めに向ける。
デビドラモンのクリムゾンネイルが振り降ろされる一瞬前に、木乃香の呪文が間に合った。
「ベンタス!!風!!」
木乃香は魔力を必要以上に篭めて放つ。
杖先から吹き出した風は突風と呼べる威力を持っている。
体重の軽い木乃香は、風が地面に当たり、爆発する勢いで吹き飛ばされる。
とは言っても、ほんの1m程度だ、だが…クリムゾンネイルは木乃香の居た場所を一瞬後に切り裂いた。
そして、デビドラモンは残酷な笑みを浮かべ、木乃香を刻まんと近づいてくる。
木乃香は吹き飛ばされた痛みで、動かなかった脚の支配を取り戻した。
だが、虚脱しているかのような両足に舌打ちする。
立ち上がろうとした瞬間に、デビドラモンは翼をはためかせた。
デモニックゲイル、デビドラモンの翼より放たれる衝撃はの威力は6歳の少女の身体など容易く葬れるほどの威力を持っている。
それに、木乃香は杖を向ける。
この一ヶ月間、アクアでの魔力操作の練習だけをして来た。
だが、平日の夜の魔法の勉強で、呪文だけは知っている。
ぶっつけ本番、だがやるしかない状況だった。
迷い無く、木乃香は放たれるデモニックゲイルに向って呪文を放つ。
「セクタム・ベンタス!!切り裂く、風よ!!」
杖先から、強大な魔力によって生成された風の刃が、デモニックゲイルに亀裂を入れる。
だが、狂風は木乃香の風の刃を容易く突破して木乃香の身体を貫く。
風の刃のおかげで直撃だけは避けたが、それでも、木乃香は一撃で動けなくなった。
血は殆ど流れては居ない。
だが、風の暴虐に全身をくまなく晒され、痛みが全身の行動を拒絶する。
目の前には、獲物である木乃香を八つ裂きにせんとデビドラモンが、醜悪な笑みを浮かべた。
そして、デビドラモンがクリムゾンネイルを振り上げた時だった。
「トリニタス!!三位一体!!」
木乃香は全身の痛みに構わずに余りの激痛に死を感じるほどだったにも関らず、一瞬で解き放てる出来る限りの魔力を持って放った。
三位一体、水の魔法、雷の魔法、風の魔法、咄嗟にその三種類の魔力を篭めて放った。
超上級レベルの魔法である三位一体を放ったが、魔力で無理に発動したためか、威力は殆ど出なかった。
如何に魔力操作の技術が天才的であっても、二種類ですら高等技術と呼ばれるのに三種類も同時に出すのは木乃香の腕に余ったのだ。
木乃香の知る限り最強の魔法が効果を全く見出さず、デビドラモンの凶刃が振り落とされたとき、木乃香の耳が、最強の助太刀が来た事を知らせた。
「『氷楯』!!」
木乃香の前に出現した氷の壁が、一瞬だけデビドラモンのクリムゾンネイルを押し留めた。
そして、全身が言う事を聞かなくなった木乃香の身体を小柄でありながらどこまでも力強く、颯爽と現れた金色の少女が掠め取った。
「無事か、木乃香?」
その少女こそ、木乃香が捜し求めていたエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだった。
「……………!!」
状況を説明しようと、口を開いたが、言葉は絶望的なまでに出なかった。
だが、エヴァンジェリンはすぐにデビドラモンの攻撃範囲から離脱すると、森の中に逃げ込んだ。
「喋れないのか?」
エヴァンジェリンの言葉に、木乃香は小さく頷いた。
大きく頷くつもりが、身体が予想以上に動いてはくれなかった。
だが、それをエヴァンジェリンは理解した。
「木乃香、何があったか知りたい、記憶を見ても良いか?」
エヴァンジェリンの言葉に、再び木乃香が頷いて見せた。
「メモリア・ネジェネラチオ。記憶再生。」
エヴァンジェリンは木乃香の額に手を当てると、呪文を唱えた。
記憶を読み取ったエヴァンジェリンは唇を噛んだ。
二人は自分を探すためにここに来て、心を乱したまま進化を行ったせいでイルゼがあの姿になったのを知ったからだ。
だが、自分まで心を乱す訳にはいかなかった。
自分が止めなければいけないから。
木乃香を傷つけた、それがイルゼ自身をどれだけ傷つけたかを想像するに余りある。
エヴァンジェリンは、デビドラモンの咆哮を聞きながら、全速力で森から離脱し、木乃香を修行場から、寮の部屋に連れ戻した。
そして、近右衛門への内線に繋ぎ、木乃香を任せた。
電話の向こうで、近右衛門が慌てながらも了承したのを聞くと、急いでエヴァンジェリンは修行場に戻った。
見たことも無い姿。
悪魔の中でも伯爵クラスすら超えているだろうその圧力と凶悪さに、エヴァンジェリンは勇敢に笑うと、額から流れ出た一滴の汗を拭い、戦闘を開始し
た。
「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック!!」
始動キーを唱えながら、瞬動を使いながらデビドラモンに近づいていく。
「アギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!」
鼓膜を突き破るかのような叫びに、一瞬だけ眩暈がした。
そして、目の前にデビドラモンの尾が開き、鉤爪状となってエヴァンジェリンに襲い掛かる。
「おおおおおおおお!!!!!」
それを地面を蹴り、宙返りをしつつ避け、呪文を放つ。
「氷の精霊25頭。集い来たりて敵を切り裂け。『魔法の射手・連弾・氷の25矢』!!」
25の氷の弾丸がデビドラモンを襲う。
それを、デビドラモンはデモニックゲイルで威力を殺し、クリムゾンネイルで叩き落した。
「ちっ、強いじゃないか…イルゼ」
素晴らしい戦いっぷりに、ついエヴァンジェリンはそう呟いてしまった。
そして、デビドラモンのクリムゾンネイルが飛んできた。
「氷の25矢を叩き落しておきながらまだその威力か!?」
まったく衰えないクリムゾンネイルの斬撃に恐怖を感じながら、エヴァンジェリンは虚空瞬動でギリギリに回避する。
エヴァンジェリンは焦っていた。
木乃香のデジヴァイスが光を放ちながらデビドラモンのデータを空中に投影していた。
そして、そこには恐ろしい事に、夜型と書かれていたのだ。
もうすぐ、日が沈む。
そうなれば、目の前の存在は最大の力を発揮できるようになるのだ。
「その前に決着を着ける!」
エヴァンジェリンは右手を前に突き出し、デビドラモンに向けた。
「デュアラム・パーソナラム・コニウンクチオ!!二つの位格の融合!!」
エヴァンジェリンの両手に暗黒の魔力と、極寒の魔力が集う。
「フリガス・ノックス・フォリートリニコス!!冷夜の宝石!!」
瞬間、二種類の魔力が一つとなり、漆黒の氷の結晶体がデビドラモンの身体を包み込む。
「グギャアアアアアアアアアア!!!」
叫びながら、デビドラモンは凄まじい力で冷夜の宝石から離脱しようとする。
だが…。
「逃がしは…せん!!」
ここで止める。
そう、エヴァンジェリンは決めていた。
でなければ、エヴァンジェリンの魔力はたったこれだけの戦闘でかなり霧散してしまっているからだ。
封印の枷が、エヴァンジェリンをとことん苦しめる。
そして、エヴァンジェリンが一気に勝負をつけようとした瞬間、エヴァンジェリンの眼に、紅く輝く四つの瞳が写った。
そして、空に浮いていたエヴァンジェリンは、糸が切れたマリオネットの如く、地面に落ちた。
「馬鹿…な…、魔眼…だと…」
そこで、言葉すら出なくなった。
デビドラモンのレッドアイに囚われ、エヴァンジェリンの身体は完全に動かなくなってしまったのだ。
そして、闇の氷から抜け出したデビドラモンが、真紅の爪を振り上げているのを視界に入った。
そして、振り落とされた。
だが、その斬撃はいつまで経ってもエヴァンジェリンに襲い掛かる事は無かった。
甲高い金属音が鳴り響く。
エヴァンジェリンは瞑っていた眼を開くと、そこには懐かしい姿があった。
エヴァンジェリンの身長ほどもある剣でデビドラモンのクリムゾンネイルを弾き飛ばし、顔も向けずにケタケタと笑い声を上げている。
「随分無様ジャネエカ、エエ?御主人」
緑の髪をはためかせ、小さな身体でありながら絶大な存在感を放出する。
その名は『チャチャゼロ』、エヴァンジェリンが南洋の島国での戦いの折から長き時を守り抜いてくれたエヴァンジェリンの最強の従者。
魔力のラインを通ってはいない筈だった。
倉庫に入れた時、登校地獄によってエヴァンジェリンから広がるあらゆる魔法契約は歪められたのだから。
登校地獄が戻っても、エヴァンジェリンはチャチャゼロへのラインを?げ直した事は無い。
だと言うのに、今、目の前にチャチャゼロは立っていた。
「馬鹿な…チャチャゼロ!?」
エヴァンジェリンが目を丸くしていると、デビドラモンが襲い掛かってきた。
「全ク、世話ガ焼ケルゼ」
そう言って、チャチャゼロは、持っている大太刀でデビドラモンのクリムゾンネイルを弾くと、天を向いたまま動けないエヴァンジェリンの視界から、外れ
た。
「ケケケ、本当ニ…何時までも経っても、どれだけ変っても…子供だぜ…お前はさ」
小声で、デビドラモンの咆哮に掻き消されながら、チャチャゼロはどこか懐かしむようにデビドラモンに言った。
だが、デビドラモンは振り向き、開いた尾でチャチャゼロを殴りつけた。
だが、チャチャゼロは迫る尾を難なく躱すと、本当に小声で言った。
「手加減してやるから…眼を覚ませよな」
―――なぁ、暴食。
そう言って、突如、チャチャゼロの右手が黄色い斑模様になった。
そして、鋭く突如として生えた爪に、黄色い模様が集まっていく。
「ナザルネイル」
デビドラモンの身体に一瞬だけ触り、チャチャゼロは離れた。
その身体は元の姿に戻っている。
そして、チャチャゼロが触れた場所からデビドラモンに激痛が走り、悶え出した。
「アギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」
劈く様な悲鳴に、エヴァンジェリンはゾッとした。
何が起きたのかを知りたいと、身体を試しに動かしてみると、何時の間にか、デビドラモンのレッドアイが打ち破られていた。
そして、目の前でのた打ち回るデビドラモンを見てギョッとした。
そして、チャチャゼロに凄まじい殺気をぶつける。
「おい!!チャチャゼロ、貴様!!イルゼに何をした?!」
凄まじい形相で、エヴァンジェリンが聞くと、チャチャゼロはケタケタ笑うだけだった。
「ナァニ、心配スンナヨ御主人。チョット懲ラシメタダケダゼ」
チャチャゼロの言葉に、歯を噛み締め、エヴァンジェリンはデビドラモンに近づこうとした。
その瞬間…、デビドラモンの瞳が真紅に輝いた。
「ナッ!?嘘ダロ…」
チャチャゼロは絶句した。
「逃ゲロ!!御主人!!」
チャチャゼロが叫ぶと、エヴァンジェリンは咄嗟にデビドラモンから離れた。
「シクジッタ…アイツ。マダ………ノクセニ。喰イヤガッタ」
チャチャゼロは、忌々しげに言うが、デビドラモンが凄まじい雄叫びを上げたので、エヴァンジェリンの耳には入らなかった。
そして、更なる進化が始まった。
皮膚は剥がれ、その内から真紅の暁光が迸る。
「アギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!」
デビドラモンが漆黒の闇の光に覆われ、次の瞬間に、地獄の番犬が姿を現した。
名を、『ケルベロモン』。
「マズイゾ…御主人」
チャチャゼロは、目の前の見ただけで並みの者ならば死なせる事すら可能な殺気を放つログハウスよりも巨大な三頭犬を見ながら言った。
「グルルルルルルルル」
低い唸り声だが、その身の巨大さに相まって凄まじい迫力だ。
エヴァンジェリンは歯を噛み締め、チャチャゼロに言った。
「一端、引くぞ。今のままでは…勝てん」
そう言って、エヴァンジェリンはチャチャゼロを掴むと、出来る限りの速さで瞬動を連続で発動し、小屋に入り、扉を開けた。
幸運だったのはケルベロモンが正気でなかった事だ。
ケルベロモンが動く前に、エヴァンジェリンは扉を閉め、肩で息をしながら部屋に入った。
部屋の中には、矢部と近右衛門が木乃香の看病をしていた。
「おお、エヴァンジェリンよ。イルゼを止められたのじゃな」
戻ってきたエヴァンジェリンにニコやかにそう聞く近右衛門。
まさか、敗北して戻ってくるなどとは微塵も思っていないのである。
「しかし、木乃香君を傷つけて、心に傷を負っていなければいいのですが…」
矢部は複雑そうにそう言った。
だが、次のエヴァンジェリンの言葉に、二人の顔は凍りついた。
「違う…まだだ…、私は…負けた」
エヴァンジェリンが搾り出すように言うと、二人は目をこれでもかと見開いた。
「なん…じゃと?」
近右衛門が信じられないと言う顔をしているのに耐え切れず、エヴァンジェリンが木乃香を見ると、木乃香の手元で、デジヴァイスが光っているのを見
た。
「これは!?」
エヴァンジェリンがすかさず木乃香のデジヴァイスを拾い上げると、なんとそこにはあのケルベロモンの姿が映っていた。
「ケルベロモン…そうか、ケルベロモンと言うのか、あの姿は…」
「?どういう事じゃ?」
近右衛門が話を掴めずいるので、エヴァンジェリンは短く説明した。
そして、デジヴァイスのある項目を見て顔を青褪めた。
「なんと…そんな事が…」
近右衛門が顔を顰めているが、それ以上に恐ろしい事実をエヴァンジェリンは告げた。
「爺ぃ、ケルベロモンは…完全体らしい…」
「!?」
完全体、成熟期ですらも封印されていて手加減していたとは言え、半分の力は戻っていたエヴァンジェリンを打倒したと言うのにその上。
近右衛門は余りの事に現実を受け入れるのを拒絶したかった。
「ならば…ワシが行くしかないか…」
近右衛門は、出来ればケルベロモンを傷つけたくは無かった。
イルゼの事も、近右衛門にとって既に可愛くて仕方の無い孫なのだ。
それを傷つけなければいけない、それが辛かった。
だが、その決心も、エヴァンジェリンに止められた。
「まて、そのまま行くのはさすがに自殺行為が過ぎる…」
エヴァンジェリンの言葉に、「どういう事じゃ?」と近右衛門は聞いた。
「デジヴァイスによると、ケルベロモンのインフェルノゲートに飲み込まれると、暗黒の次元に葬られてしまうらしい…」
「な!?」
次元転送系、そんな恐ろしい技を使うとは予想していなかったのだろう。
近右衛門は愕然となった。
「それに、イルゼがああなった原因を作ったのはこの私だ。だから…私が止める」
邪魔はさせない。
そう、エヴァンジェリンの瞳にそう書いてあるのを近右衛門は悟った。
「しかし、エヴァンジェリン君。一体、どうやって止めるんだい?」
矢部の言葉に、エヴァンジェリンは黙って宙に浮いているチャチャゼロに視線を移した。
「チャチャゼロ。お前、あの時イルゼをどうやって止めたんだ?」
それがヒントになるのではないか、そう考えての質問だったが、チャチャゼロは適当に誤魔化すだけだった。
「チョイット、ボコッテヤッタダケダゼ」
ケケケと笑いながら言うチャチャゼロに舌打ちをしながら、眠っている木乃香の額を撫でると、エヴァンジェリンは目を見開いた。
「な!?木乃香から魔力が出ている?!」
木乃香に手を当てた瞬間に、木乃香からどこかに魔力が流れているのを感じたエヴァンジェリンは直ぐに思い至った。
「そうか!!何故気が付かなかったんだ…。木乃香の魔力なしであんな状況で進化など出来る筈ないというのに。イルゼはまだマナの吸収の修行は第
一段階も入っていない、なら、進化したのは木乃香の魔力が通っていたからだ」
そう言うが早いが、エヴァンジェリンは、木乃香のデジヴァイスと木乃香の繋がりを一時的に封印した。
すると、デジヴァイスの発光が途切れ、写っていたケルベロモンの姿も無くなった。
「なるほどのう。これならば、何もせんと、修行場でイルゼが暴れておれば、その内進化も解けるという訳じゃな」
近右衛門の言葉に、エヴァンジェリンは「ああ」と答えながら、修行場に続く扉に向った。
「!?待てエヴァンジェリンよ!!何をしておるのじゃ!!」
近右衛門の静止も、エヴァンジェリンは聞かなかった。
「確かに、このまま放っておいてもイルゼは止まるだろうさ。だがな、それじゃあ駄目なんだ!!私が止めてやらないと!!」
そう言って、エヴァンジェリンは駆け出した。
それを、チャチャゼロが心底嬉しそうにケタケタ笑いながら付いていった。
そして、その姿を見ながら、近右衛門は一気に老け込んだようになった。
「ワシは年を取ったのかのう…」
それに、矢部は答えなかった。
唯一言、「そうですね」とだけ言って。
そして、修行場にエヴァンジェリンが戻ると、ケルベロモンが地獄の炎、ヘルファイアーを吐きながら暴れているのを見つけた。
「行くぞ、チャチャゼロ。力を貸せ!!」
「ケケケ、言ワレルマデモネェゼ。御主人」
張り切って大きな太刀を振り回すチャチャゼロに、エヴァンジェリンは頼もしいモノを感じながら小屋から飛び出した。
ケルベロモンは、森に火を放っていたが、右肩の仮面がエヴァンジェリンを発見し、ケルベロモンが知覚した。
ケルベロモンがエヴァンジェリンに向けて駆け出す。
そして、エヴァンジェリンは呪文を詠唱し、チャチャゼロは蟻と象ほどの差のあるケルベロモンに向っていった。
「並みの魔法ではどうせ効かん!!リク・ラク・ラ・ラック・ライラック!!!」
小屋に置いてあった魔法薬を全て使いながら、エヴァンジェリンは最初の一撃で終わらせるつもりだった。
「来たれ氷精、闇の精!!!」
氷の魔力と闇の魔力が一つとなり、エヴァンジェリンは残る全ての魔力を篭める。
「闇を従え吹けよ常夜の吹雪!!!」
詠唱が完了した。
「どけ!!!チャチャゼロ!!!」
ケルベロモンの視界を縦横無尽に飛び、時間を稼いでいたチャチャゼロは、エヴァンジェリンの言葉に、上空に避難した。
「眼を覚ませイルゼ、『闇の吹雪』!!!!」
闇と氷の暴虐。
ケルベロモンの身体は、苛烈な魔力の荒波に晒され、凄まじい悲鳴を上げた。
だが、ケルベロモンは闇の吹雪の中で、ヘルファイアーを放った。
既に、余剰魔力の暴虐のみだったので、フェルファイアーは容易に魔力を吹き飛ばし、鋭い銀色の爪で切り裂こうとした。
エヴァンジェリンが、覚悟を決めて目を瞑った時、ケルベロモンの身体は崩れた。
そして、サングルゥモンがエヴァンジェリンの頭の手前で爪を立てた状態で、止まった。
魔力が切れ、一段階進化が解けたのだ。
そして、本来の進化であるサングルゥモンに退化したのだ。
そして、サングルゥモンは震える声で口を開いた。
「ば…ばあちゃん。俺…なんで…あ…ああ」
その瞬間に、イルゼの記憶が蘇った。
木乃香を襲い、傷つけた事。
エヴァンジェリンを傷つけた事。
そして、どうしても蘇らない記憶が、何か恐ろしい事をした気がした。
サングルゥモンが、ヨロヨロと後退するのを見て、エヴァンジェリンはフッと優しく笑って近づいた。
「ばあちゃん…俺…俺…」
泣きそうな声、否、既に泣いているのだろう。
エヴァンジェリンは、サングルゥモンの首に抱きついた。
「すまなかったな。イルゼ」
エヴァンジェリンは力強くサングルゥモンの首を抱きしめた。
自分の気持ちが伝わるように。
怒っていないと分からせるために。
「ああ…ああああああああああ!!!!!!」
サングルゥモンの泣き声が、修行場に木霊する。
心が折れてしまいそうだった。
それを、一瞬間に合って救い上げたのがエヴァンジェリンだった。
徐々に、魔力が無くなっていき、サングルゥモンの身体を光が覆いだした。
元のイルゼの姿に戻ろうとしているのだ。
「ばあちゃん、俺…木乃香を…。それに…ばあちゃんまで」
蝙蝠の翼の様な飾りが消え、サングルゥモンの素顔が現れた。
その瞳には涙が溢れ、鼻からも鼻水が止め処なく出ていた。
エヴァンジェリンは更に強く抱きしめて言った。
「大丈夫だ。お前はいい子だ。それは私も、木乃香もわかっている。泣いて、泣きまくれ。その後に、木乃香に謝るんだ。それでお仕舞い。イルゼ、お前と
木乃香を不安にさせてしまってすまなかったな。ちゃんと話すから。今は、思いっきり泣け。私が、ちゃんと居てやるから」
サングルゥモンは光に包まれながら、泣き叫んだ。
余りにも悲しく、辛い叫びを上げながら、清い涙を流し、大きな狼の顔をエヴァンジェリンの胸に抱かれて、何時しかイルゼの元の姿になっても泣き続け
た。
そして、泣きつかれて眠ってしまうまで。
イルゼの思いを、エヴァンジェリンは抱きとめ続けた。
そして、安心したように、遠くからその様子を見守り、チャチャゼロは再び眠りについた。
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