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第22話『一年目の始まり』
エヴァンジェリンは保護者としての意地で目覚ましが鳴るより早くに目を覚ますことに成功した。
眠っている木乃香とイルゼを起こさないようにベッドルームを出るとキッチンに入って冷蔵をあけた。
中には新鮮な食材が溢れていたが、エヴァンジェリンは扉の上のほうに並んでいる新鮮な卵を三つ取り出し、ベーコンを袋ごと取り、レタスとトマトとハム
を取り出した。
「さて、二人が起きる前に作ってしまわんとな」
エヴァンジェリンは服の袖を捲くると、冷蔵庫の隣の棚の中からサンドイッチ用のパンを取り出し、キッチンの奥の大きめなテーブルにそれぞれ並べた。
最初にユニットからフライパンを取り出し、壁についている換気扇のスイッチを押すと、フライパンをコンロに置いて火をつけ、油を引いた。
そして、火を一旦止めると、卵を食器棚から取り出したお椀でよく溶いて、清潔な調理用の鋏でベーコンを小さく切りながら入れて再び火をつけたフライ
パンに強いた。そして、少し焼けてきたのを見計らって菜箸でグチャグチャに掻き混ぜてベーコンエッグを完成させ、その後に、まな板の上でトマトを潰れ ないように慎重に輪切りにして、レタスを剥くと、四角形のパンを斜めに切って三角にして、レタスとハムの間にトマトを挟んでサンドイッチを作った。
それをリビングの低い大き目の机に並べて、コップを出して冷蔵庫の牛乳を注ぐと、やり遂げたという顔でイルゼと木乃香を起こしにベッドルームに向っ
た。
「ほら!朝だ、起きろ!!」
大声で二人を起こすと木乃香とイルゼは寝ぼけながら目をショボショボさせて目を擦りながら上半身を起こした。
「んん…」
窓から伸びる陽の光にイルゼは目を瞬かせた。
「おはよう、ばあちゃん」
「おはよう、おばあちゃん」
二人の挨拶にうむ、おはようと言ってエヴァンジェリンはリビングに戻った。
二人がリビングに入ると、香ばしいベーコンの香りに気が付いた。
「いい臭いだなぁ」
低い机に並べられたベーコンエッグとサンドイッチを見つけ、イルゼはそそくさと一番大きなベーコンエッグのお皿を目敏く見つけて座った。
木乃香もイルゼのすぐ隣に座り、エヴァンジェリンも木乃香の対面に座った。
早く食べたくてうずうずしているイルゼに待ったをかけてエヴァンジェリンは両手を合わせた。
それを見てイルゼと木乃香も慌てて手を合わせた。
「こういう基本的な礼儀作法はきちんと身につけてもらうからな」
私に弟子入りしたからにはと言いながらニヤリと、主にイルゼに向って言うとイルゼははぁいと言いながら早く食べたいと全身でアピールした。
「それじゃあ、いただきます」
「「いただきます!!」」
イルゼは机に置かれたケチャップでイルゼと自分の名前を書いたし、木乃香はスマイリーの顔を書いた。
エヴァンジェリンはふむとケチャップで自分はなんとなく三人の子供の顔を書いたが直ぐに顔を赤らめてグチャグチャにした。
それからイルゼはベーコンエッグを?き込むように食べ、サンドイッチも誰よりも早く食べきった。
それでもお腹を鳴らすイルゼにエヴァンジェリンは仕方ないと溜息を吐きながらキッチンに入り何かないかと探すと、エヴァンジェリンのログハウスにあっ
たのよりも高性能な魔法の炊飯器があり、それはお米を入れるだけで見事に一瞬で炊き上げてくれた。
それを食器棚の一番上の段に仕舞われていたお椀に盛ると、冷蔵庫の隣の棚にあった海苔と醤油を取り、小皿と一緒にリビングに戻った。
ご飯が終わると牛乳を飲みながらエヴァンジェリンは時計を見てから昨日の夜にイルゼの机の上で見つけた近右衛門が置いたのだろう今日のプリント
を見た。
「今日は初等部の新入生は9時に麻帆良初等部エリアの校舎から少し離れた所にある麻帆良第三劇場で入学式だな。向こうに着いたら矢部雅彦という
教師が案内係をしているらしい」
エヴァンジェリンの言葉に木乃香は大丈夫と言った。
「矢部先生ならわかるで。ここに来た次の日におじいちゃんの所で会ったんや」
「そうか、それなら問題ないな。クラスは木乃香と私が女子クラスのA組、イルゼは男子クラスのB組だな」
プリントの二枚目のクラス分けの表に赤いマークで木乃香とエヴァンジェリンとイルゼの名前が分かりやすくなっていた。
「クラスの人数は…」
ひい、ふう、みいとエヴァンジェリンが数えていくと意外に少ないなと呟いた。
「二十三人か、最近は少子化とか叫ばれているが本当なんだな。少し前は一クラス四十人なんかザラだったんだが」
プリントを木乃香に手渡しながらそう言うと、エヴァンジェリンは最後のプリントを手に取った。
これには初等部の制服と今日必要な文房具とPHSとお財布の入っているランドセルが玄関に置いてあるので忘れないようにと書かれていた。
「玄関に?」
エヴァンジェリンは玄関に向かい、昨晩は気が付かなかったが確かに下駄箱の上に黒いランドセルが一つと赤いランドセルが二つ、それからビニールに
入っている白い制服が三つ並んでいた。
「これか、気づかんかったな…」
少し目線より上にあるとはいえ気が付かなかったのは不覚だったと不満げな顔をしながら三人の制服を手に取った。
「ばあちゃん何してんだ?」
イルゼが覗き込んできたのでエヴァンジェリンは肩でランドセルを示した。
「ランドセルと制服だ。すまんが運んでもらえるか?」
「オッケー」
イルゼはエヴァンジェリンの頼みを快諾して少し中身が入っていて重いランドセルを一気に三つ持ってエヴァンジェリンの後に続いた。
リビングの小机の上にあった皿なんかは木乃香がキッチンに持っていっていた。
「ああ、すまんな木乃香」
「ううん、このくらいお手伝いしなきゃあかんからね」
エヴァンジェリンはニッコリ笑いながらそう言う木乃香にフッと優しく微笑みかけると木乃香に座るように言った。
「これがイルゼのだな。ふむ、女子のはワンピースタイプか…ちょっと恥かしいな」
小さくて可愛らしいデザインだが如何せん子供っぽ過ぎてエヴァンジェリンはつい頬が赤くなってしまった。
イルゼはエヴァンジェリンに渡されたビニールから中の制服を取り出すと、白の長袖で袖の先と襟の部分に青の二本線が入っている。
ズボンは白の長ズボンで通気性は少し悪いが代わりにすこぶる温かかった。
エヴァンジェリンは幻術を用いて体を小さく見せ、三人は制服を着込んだ。
「えへへ、どうや?イルゼ?」
木乃香が制服を着てクルッと一回転して同じく制服を着て調子を確かめているイルゼに感想を聞いた。
「ん?ああ、似合ってるぜ木乃香」
「ありがと。イルゼもすっごく似合ってるで」
「へへ、サンキュ」
木乃香とイルゼは互いを褒めあうとエヴァンジェリンの方を向いた。
「はわぁ、おばあちゃん可愛い!!」
そこには少し背が小さくなり正しくアンティークドールのように可憐な姿のエヴァンジェリンがワンピースのスカートの端を摘んでいた。
「意外と悪くないな」
「ばあちゃんもバッチリ似合ってるぜ!」
「フフ、ありがとうな」
そう言うとエヴァンジェリンは時計を見た。
「もうすぐ8時だな。そろそろ出たほうがいいだろう」
その言葉にイルゼがそうだ!と何か思いついたように声を上げた。
「折角だし学も誘うおうぜ。あいつのルームメイト来るの今日だから未だ来てないだろうし」
その言葉に木乃香が名案だとばかりに手を打って同意した。
「学?」
エヴァンジェリンは聞いた事の無い名前に首を傾げた。
「ここに来たばっかの時に友達になった奴でさ。隣の部屋に居るんだ」
「そうか、ならば迎えに行くにしても急いだほうがいいだろう」
「せやね、行こう!」
エヴァンジェリンの言葉に木乃香が同意してランドセルを背負って玄関に向った。
ちなみに全員靴下は白の無地だ。
特に指定されているわけじゃないが制服の入っていたビニールに一緒に入っていたのだ。
「あっ!待てよ木乃香」
慌ててイルゼもランドセルを引っ掴んで玄関に向かい、エヴァンジェリンも自分のランドセルを手に取ると歩き出した。
木乃香は真っ白なマジックテープの運動靴を履き、イルゼは紐で結ぶタイプの黒の靴を履いた。
エヴァンジェリンも白いマジックテープの運動靴を履いて玄関を出た。
木乃香が学の部屋のインターホンを押すと、すぐに中から学が出てきた。
出てきた学はコンビニのサンドイッチを片手に持っていた。
「わお、おはよう木乃香ちゃんイルゼ、どうしたんだい?」
学は大きな垂れ目を更に大きく見開いてから笑顔で木乃香とイルゼを歓迎した。
「ん、一緒に入学式に行こうと思ってさ」
「むむむ?そっちの子は誰だい?」
眼鏡をキラッと光らせてエヴァンジェリンを見る学に木乃香が紹介した。
「おばあちゃんや」
「いや、ちょっと待て。それじゃあ紹介になっとらんだろ。私はエヴァンジェリンだ」
木乃香の紹介に突っ込みを入れつつエヴァンジェリンも自己紹介をした。
何度も繰り返す中学での生活では新たに自己紹介なんかして友達を作っても三年を過ぎれば忘れられてしまう。
だから誰かに自分を紹介するなんて9年ぶりだ。
そういえば最初に中学で普通に生活していた時はタカミチの奴も一緒だったが今は何をしておるんだろうか。
少し思考に耽っていると木乃香に呼ばれているのに気が付いて意識を呼び戻した。
「おばあちゃん、どうしたん?」
「ああ、すまん。ちょっと考え事をな」
「エヴァンジェリンちゃんか、僕は伊集院学。学って呼んでよ」
学の言葉にああと答えた。
「よろしく頼むぞ学」
すると、学はそういえばと言った。
「どうしてエヴァンジェリンちゃんがおばあちゃんなんだい?」
鋭い突っ込みに木乃香とイルゼはギクッとなったがエヴァンジェリンは余裕を崩さなかった。
「なぁに、私の趣味はお茶や将棋でな。それでおばあちゃんと呼ばれるようになってしまったんだよ。まあイルゼと木乃香はいいが、出来れば名前で呼ん
でもらえると助かるよ」
エヴァンジェリンは即興で話を作り学に説明した。
「そうなのかい?まあいいや。それじゃあ直ぐに準備するから待っててくれたまへぇ」
「おう!」
学はリビングに戻って準備をしに行ったのでイルゼ達は廊下に戻った。
「おばあちゃん、おばあちゃんって呼ばれるのいや?」
木乃香が唐突にそう言い、エヴァンジェリンはギョッとしたように木乃香を見た。
「どうしてだ?」
「だって、さっき出来れば名前でって…」
その言葉にエヴァンジェリンは呆れたように溜息を吐いた。
「あれはおばあちゃんって呼ばれてもいいように理由をつけるために言っただけだ。ただ、お前達以外におばあちゃんって呼ばれるのはいい気がせんの
は確かだ。だから別にお前達はおばあちゃんと呼んでも構わんさ」
「ありがとうおばあちゃん」
「ありがとうばあちゃん」
三人はニコッと笑いながらそんな話をしていると、中から学が出てきた。
寝巻きから制服に着替えて腰まで伸びている長い黒髪を首元で白い紐で縛っている。
「んじゃ行こうぜ!」
学が出てきたのを確認するとイルゼが歩き出した。
「ああ」
とエヴァンジェリン。
「それじゃあ行くで学」
と木乃香。
「あいあいさ」
と学。
それから四人はエレベーターを降りると管理人の夢水に鍵を木乃香と学が預けて外に出た。
外は新学期で凄い数の人が溢れかえっていた。
「凄いな、みんな逸れない様に気をつけるんだぞ」
エヴァンジェリンがそう注意して歩き出した。
「いやはや、さすがは麻帆良だねぇ。噂以上だ」
「噂って?」
学の言葉にイルゼが首を傾げた。
「日本最大級のマンモス校、麻帆良学園はそりゃあ有名だよ。初等部も一学年十クラスもあって、しかも校舎は別の所にもあるらしいんだ。僕達が入学
するのは麻帆良初等部だけど、少し遠くに分校もあるって話だよ」
「うはぁ、凄いんだなぁ」
学の話に感心したようにイルゼが言うと遠くの方に背の高い劇場が見えてきた。
「あそこが麻帆良第三劇場だな」
エヴァンジェリンが指差したほうを見ると円形でまるで砦のような雰囲気の劇場が見えてきた。
「麻帆良第三劇場は初等部の演劇部や麻帆良祭、後はこの近所のおばさん達が使ったりするのに無料で開放されてるんだ」
学の解説にへぇと相槌を打ちながらイルゼは大きな劇場を見上げた。
そのまま、人の流れに沿って従い入り口に入ると、人がごった返していた。
「新入生の皆さんは専用ゲートから係員の指示に従ってください!!!!保護者の方はどうぞ二階の入り口にお上がりください!!!!!」
入り口から奥の方で叫んでいる矢部を見つけたイルゼは木乃香の制服の袖を掴むと指で示した。
「あっ!矢部先生や!」
すると学がどこどこ?と背を伸ばすが僅かに新入生よりも低い背が災いして何も見えなかった。
「あそこだよ!あのオールバックの人!」
イルゼが指差した方を学が見るとようやく学も発見できたようだ。
「あの人かぁ、なんだか厳しそうだなぁ」
学が矢部の深く刻まれた皺とオールバックの髪を見てついそう言ってしまった。
「そんな事あらへんよ。矢部先生ってすっごく優しいんやで」
「そうそう、なんたって独りだけ皆が俺をデジモ…」
イルゼはそこまで言いかけてエヴァンジェリンに、はたかれた。
「いってぇぇ」
「アホか!!何言おうとしとるんだお前は!!」
「あっ!やべ!!」
「やべ!!じゃない!!」
学から少し離れたところでエヴァンジェリンに小声で言われイルゼは咄嗟に口を押さえて学の様子を見た。
エヴァンジェリンはその様子に呆れた顔をした。
「?どうしたんだい?」
学が首を傾げているがイルゼは何でもないよと言って誤魔化した。
「さっ、時間ももう残り少ないぞ。さっさと新入生用ゲートに行くぞ」
エヴァンジェリンに促されて三人ははぁいと言いながら先を歩くエヴァンジェリンの後に続いた。
ゲートを潜ると係りのお兄さんがクラスはどこだい?と聞いてきたのでエヴァンジェリンイルゼと学はB組、木乃香とエヴァンジェリンはA組と答えた。
「それならここから二つ向こうの階段で降りて皆が座っている席に詰めて座ってくれ。A組は右側、B組が左側だよ。これを持って行ってね」
そう言うと、係りのお兄さんはプリントや学生手帳が入ったビニールを四人に手渡した。
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係りのお兄さんに礼を言って四人は言われたとおりに階段を降りた。
A組の席は何だか凄く騒がしくて既に殆どの席が埋まっていた。
木乃香とエヴァンジェリンが既に座っている女の子の隣に行こうとすると、なんとそこには夕映とのどかが座っていた。
「おや、木乃香達は今来たのですか?」
「せや、未だ時間あるのに皆早いなぁ」
「クス、ええそうですね。でも、こういった行事にいち早く来ようと言うのはいい心掛けだと思うですよ。それより木乃香、そちらの方を紹介してはもらえない
ですか?」
すると、夕映は木乃香の後ろで二人の会話を眺めていたエヴァンジェリンに視線を向けた。
「私はエヴァンジェリンと言う。木乃香とイルゼのルームメイトだ。よろしく頼む」
「こちらこそよろしくです。私は綾瀬夕映です。エヴァンジェリンさんは名前の響きですとイギリスの方ですか?」
「ああ、出身はイギリスだ。といっても現在イギリス領内にあると言うだけで実際には北アイルランドだがな」
「ああ、アイルランド島の北東部の6州はイギリス領土なのでしたね」
「ちなみに私の姓はマクダウェルだ」
「なるほど、イギリスの発音ではマクドウェル、マクダウェルは確かにアイルランドの訛りですね」
「よく知っているじゃないか。よろしく頼むぞ綾瀬夕映」
「こちらこそ」
夕映とエヴァンジェリンの会話に一瞬ポカンとしてしまったが、周りに居た女の子達も木乃香とエヴァンジェリンに話しかけた。
最初に口を開いたのは夕映の隣で話すタイミングを探していたのどかだった。
「あ、あの!!」
「あ!おはようのどか!」
「は、はい!おはようございます!!」
緊張しているのか敬語になってしまっているのどかに木乃香はもうっと頬を膨らませた。
「タメ口でええのにぃ」
「あっ、えっと…ごめん。おはよう木乃香ちゃん」
木乃香に言われ、顔を赤らめながらニコッと笑みを浮かべて言った。
「うん、おはよう」
木乃香もニコッと笑って返した。
「あの、エヴァンジェリンさんもおはようございます」
「のどか…と言ったか?私も礼儀を失しなければタメ口で構わん」
ニッと笑ってそう言うエヴァンジェリンにのどかは顔を綻ばせてうんと言った。
「よろしく、エヴァンジェリンちゃん。宮崎のどかです」
「ああ、よろしくな宮崎のどか」
すると、今度はのどかの隣からへぇぇと言う声が聞こえた。
「その黒髪の子が夕映とのどかの言ってた木乃香ちゃんかぁ」
そう言われて木乃香達が視線を向けた先には黒髪を腰までのばした眼鏡の少女が好奇心に満ちた目で木乃香とエヴァンジェリンを見つめていた。
ポカンとしている二人に、あっ!と言ってすぐにごめんごめんと謝った。
「わたしは早乙女ハルナ。のどかと夕映のルームメイトよ。よろしくね木乃香、エヴァ」
「よろしくやぁ」
「エヴァとは何だ!!勝手に略すな!!」
木乃香はハルナの挨拶に笑顔で返したがエヴァンジェリンはハルナの馴れ馴れしさが癇に障ったようだ。
「まあまあいいじゃない。私の事はパルって呼んでよ。幼稚園の時からの私のあだ名なんだぁ。何時から呼ばれたのかは忘れたけど」
「わかったえ、よろしくパル」
「うんよろしく!」
語尾に星マークがついてそうな喋り方でハルナは木乃香と握手した。
エヴァンジェリンは鼻を鳴らすだけだった。
「おばあちゃん、ちゃんと挨拶せなあかんよ」
その様子に木乃香が怒った様にエヴァンジェリンに言い、エヴァンジェリンも渋々と言った感じで挨拶した。
「エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだ、よろしくな」
不満げなエヴァンジェリンの態度を歯牙にも架けずにハルナはおよよ?と首を傾げた。
「おばあちゃん?」
ハルナの疑問に、木乃香がエヴァンジェリンの考えた理由を説明した。
「ふぅん、じゃあ私もおばあぁちゃん!って呼んでもいぃい?」
ハルナは甘えるようにそう聞くとエヴァンジェリンは恐ろしい目つきでハルナを睨みつけた。
「木乃香とイルゼは特別だ!お前のような礼儀知らずに呼ばれたくないわ!!」
吼える様にそう言うとエヴァンジェリンはさっさと席に座って不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「ごめんなぁ、おばあちゃんホンマは優しいんやで」
エヴァンジェリンに怒鳴られて放心してしまったハルナに木乃香はエヴァンジェリンのフォローをした。
「今のはハルナが悪いです。いくらなんでも最低限の礼儀は弁えなくては」
夕映が呆れたようにそう言うとハルナはごめんなさぁいと頭のてっぺんの二本だけ触角のように飛び出ている髪の毛を萎えさせながら席に座った。
すると今度は夕映の前に驚くほど真っ赤な髪を後ろで櫛で止めてアップにしている少女がむふふんと油断なら無い目付きで振り返った。
「入学式からやるねぇ」
「なんだ?」
エヴァンジェリンは少女の不快な眼差しを跳ね除けるように不機嫌そうに言い返した。
「私は朝倉和美。よろしくねぇエヴァンジェリンさん。木乃香ちゃんと夕映ちゃんとのどかちゃんとパルちゃんもよろしく!」
エヴァンジェリンの質問には答えずに和美は自分の後ろの列に座る木乃香達に挨拶していった。
「よ、よろしく」
と若干和美のテンションに付いていけない木乃香。
「よろしくです」
突然声をかけられたので目を見開いてしまっている夕映。
「あ、あのその…」
少し混乱してしまったのどか。
「あ、うん。よろしく!」
パルは元のテンションを取り戻して挨拶した。
「何を隠そう私、部活は報道部に入ろうと思ってるんだぁ!将来の夢はジャーナリストよ!!」
突然の和美の将来の夢発言に木乃香は凄いなぁと尊敬の眼差しで和美を見た。
パルもほほうと顎に手を当て目を光らせている。
夕映ははぁっとだけ言った。
のどかは未だ混乱していた。
「それで?」
「ん?」
エヴァンジェリンの質問に和美は質問で返した。
「それでお前は何の用だ?朝倉和美」
エヴァンジェリンの質問にふふふふと不気味な笑みを浮かべた和美はポケットから学生手帳を取り出した。
「そりゃあ勿論、みんなにジャーナリストの卵として質問を!!」
そう和美が言った瞬間に突然、どこからともなくブザーが鳴り響き、電気が消えていった。
和美の隣に居たポニーテールの少女が和美の服を掴んで座るように言った。
「ちぇぇ、質問はお預けかぁ」
と真っ暗な中で和美の不満げな声が聞こえたが、舞台の上で、近右衛門がライトに照らされるのを見て全員が黙った。
Side-Bclass
木乃香とエヴァンジェリンと別れてから階段を少し降りて満杯の列の後ろの列に入り奥に進んだ。
置くから三番目まで既に埋まっていて、イルゼが先に奥に座り、学がイルゼの隣に座った。
イルゼが隣の席を見ると何故か男子クラスの筈なのに女子の制服を着た栗色の髪の子が座っていた。
イルゼはあれ?と思って小声で声をかけた。
「なあ、ここ男子クラスだぜ?クラス間違えたなら一緒に探すけど?」
イルゼの言葉に隣の席の子はビクッとしてううんと言った。
「えっと、ここでいいの。ありがとう」
何故かその子の言ったありがとうが感謝の念に溢れている様な感じを受けて違和感を覚えた。
ただ、間違えているなら一緒にクラスを探そうか?と聞いただけだと言うのに。
だが、イルゼはそこで考えるのをやめてまいっかと言った。
「俺、イルゼ。イルゼ・ジムロック。よろしくな」
ニカッと笑いかけるとその子は吃驚した様に目を見開いた。
「外国人なの?」
それにイルゼはいいやと答えた。
「俺はドイツ人と日本人のハーフだよ。血は親父のが濃かったからドイツ人の母親が名前くらいはってこの名前にさ」
それは詠春が考えたイルゼの名前の偽りの理由だった。
何度も説明の練習をしたのでバッチリだった。
「へぇ、僕はフェイ。フェイ・アリステア・エバンス。お父さんもお母さんもイギリス人だったんだって」
その言葉にへえと答えるとあれ?とイルゼは首を傾げた。
「だった、ってのは?」
すると、フェイは俯いてしまった。
「その…お母さんもお父さんも事故で…」
それを聞いてイルゼはごめんと言った。
「ううん、ごめん変な話聞かせちゃって」
首を横に振ってフェイがそう言うと、イルゼはそうだと言って学の方を向いた。
学は入口の係りのお兄さんに渡された袋から学生手帳を取り出して熟読していた。
「学生手帳って面白いのか?」
そうイルゼが言うと学はううんと首を横に振った。
「イルゼがフェイちゃん?と話し出したから暇だったんだよ」
不満げに学が言うと、フェイが申し訳なさそうに俯いた。
「ごめんなさい…」
それに学は慌てて両手を振った。
「ああ違うよ、ごめんごめん。そんなつもりじゃなくてさ。あ、僕、伊集院学って言うんだ。よろしくね」
「よろしく」
イルゼはフェイに視線を戻した。
フェイの格好はやっぱり木乃香やエヴァンジェリンと同じ白いワンピースタイプで、首元の襟が大きいし、袖がゴムが入っていてしっかり風が入らないよう
にしてある。
ちなみに男子のは何故かゴムが入っていないので少し寒い。
栗色の髪の毛は一本一本は細いのにフワフワした感じで、それが肩より下まで伸びている。
顔の形も男の子か女の子か聞かれたらどちらかと言えば女の子に近かった。
それが余計にイルゼを混乱させたがすぐに考え無い事にした。
(俺って考えるの苦手なんだよね…)
「なあ、そいつ変だから話しかけないほうがいいぜ?」
すると突然、前の席の坊主刈りの少年がイルゼと学に話しかけてきた。
そして、少年は忌々しいモノを見るかのようにフェイを見た。
「それってどういう意味だよ」
少年の言葉が癇に障ってイルゼは口調が荒くなるのを抑えられなかった。
「だってさぁ、ソイツ男のくせに女の制服着てるし、なんか変だよ」
男の子だったのかと考えながらイルゼはフェイを見ると、イルゼの視線にフェイは逃げるように視線を反らした。
だが、それに構わずにイルゼは少年を睨み付けた。
「なんでそんな事…」
言うんだよ、と言おうとしたが、突然ブザーが鳴り響いて会話はそこで終わりだった。
少年は前を向いてしまったし、フェイも顔を俯かせてしまった。
イルゼとその様子を見ていた学は不機嫌そうにしながらライトアップされる近右衛門を見つめた。
少しだけタイミングの悪い近右衛門に恨みを覚えたが理不尽だと分かっていてもイライラが消せなかった。
―――Interlude
近右衛門の挨拶から始まり、七三分けのサラリーマンのような男たちが何人も挨拶しては下がっていった。
それを見てイルゼやエヴァンジェリンはただ眠くなるのに耐えるのに必死だった。
最後に新入生代表として、木乃香の席から一列先の斜め右前に座っていた金髪を腰まで伸ばした少女が立ち上がって舞台に上がった。
「新入生代表、雪広あやか。本日は私たちのために本当にありがとうございます。
先輩たちの姿を見て、本当に活き活きと楽しそうで、私たちよりもすごく大人びてみえました。そして、この学校に入って良かったと改めて感じています。
今、私たちはこれからの六年間を前に、期待で胸をふくらませています。
学生らしく勉学に励むとともに、学業だけでなく、心も身体もひとまわり大きくなって巣立っていきたいと思っています。
みんな揃って笑顔で卒業の日を迎えられるよう、これからの六年間をがんばっていきたいと思います。
先生方、先輩の皆さん、どうかよろしくお願いします」
とても6歳の少女が書いたとは思えないので、恐らくは親や周囲の大人が考えたのだろう言葉をしっかりと言い切って、あやかは壇上から降りて友人の
元に戻った。
あやかが 席に戻ると、赤い髪を腰までゆったりと伸ばした優しい笑みを浮かべる少女があやかの頭を撫でていた。
入学式の全行程が終わると、木乃香とエヴァンジェリンのクラスには水色のウェーブのかかった髪を肩まで伸ばした新任の女性教員の源しずなが迎え
に来た。
イルゼや学、フェイの元には入学式の始まる前、ごった返す人並みを懸命に処理していた矢部雅彦の姿があった。
―――Interlude out
Side-Bclass
矢部は手を大きく叩いて注目を集めた。
「はい、それでは移動します。私が君達の担任となる矢部雅彦です。そっれじゃあ前の列から一列になって私の後について来てください」
そう言うと、矢部はふとイルゼの姿を見つけた。
そして、その隣で何故か少女が独り座っていた。
どうかしたのだろうか?と疑問に思ったが、今問い詰めても意味は無いだろうとイルゼと一緒に居る事もあり、矢部は一端全員を教室に連れて行くことに
した。
イルゼ達も立ち上がり前のクラスメイトに続いた。
すると、フェイの左隣に座っていた少年達がそそくさと前の方に早歩きで進んでいった。
イルゼにはどうしてフェイが女の子の服を着ているのかは理解できなかったが、追求しなかった。
ただ、学も一緒にフェイの近くで共に歩いてくれた事に感謝した。
そして、劇場から外に出ると、周りにもたくさんの生徒が居て悪意は無いがそれでも多くの視線がフェイに注がれていた。
そのまま、劇場から長い舗装された道を何百メートルも歩き、ようやく豪奢な麻帆良初等部の校舎の入口に入った。
そこには、無数のスリッパが並べられていて前から順番にスリッパを履いて矢部についていった。
脇の階段を脇目に、幾つもの教室を通り過ぎた。
中には既に生徒が着席している教室もあった。
一番奥から二番目の教室でようやく立ち止まると矢部は扉を開いて生徒を中に促した。
「席順は黒板に書いてある通りであいうえお順です。間違えないように!」
イルゼ達も中に入ると、黒板を確認した。学は伊集院のいで出席番号2番となり、一番右の列の前から二番目だった。
フェイはエバンスのえで出席番号4番で学と同じ列の一番後ろ。
イルゼはジムロックのじで出席番号8番でフェイの左隣だった。
俺は自分の席に荷物を置くと、フェイに話しかけた。
「これからよろしくな」
ニカッとイルゼが笑いかけると、フェイは弱々しげに返した。
そっとして置いた方がいいかと思い、イルゼは左隣の黒髪の短髪の少年に話しかけた。
「隣同士よろしくな」
すると、少年はああ!とニカッと笑い返しながらイルゼの手をとって握手した。
「よろしく頼む。某は高瀬葵と申す」
葵の机には、細長い袋があった。
「刀袋か?剣道部に入るのか?」
イルゼの質問にうむと力強く答えた。
「某、剣道道場の息子故、家より離れても修練を欠かすなと言われているのだ」
細目の顔でニカッと笑みを浮かべながらそう言う葵は自信満々だった。
「ここの剣道部はレベルが高いらしくてな、実に楽しみなのだ」
「そっか。ああ、俺はイルゼだ、イルゼ・ジムロック。よろしくな」
「うむ、イルゼ殿。よろしく頼む」
お互いにニカッと笑い合うと、学が近寄ってきた。
「イルゼ、トイレ行かないかい?」
すると、言われてなんとなく尿意をもよおし、イルゼは行く行くと言った。
すると、葵もでは某もと一緒に立ち上がった。
矢部は準備があるからと一時間の休み時間を与えたのだ。
イルゼがフェイも誘うがううんと首を横に振るのでそっかと言って特に気にしなかった。
「ふむ、それにしてもあの御仁は何故女子(おなご)の装いに身を包んでおるのであろうか」
「君、その話し方疲れないかい?…まあ、理由が何かあるのかもしれないじゃないか。それでどうこう言うのはどうかと思うよ」
学は肩を竦めてそう言った。
葵は、うむと答えた。
「そうであるな。失言であった」
葵はフェイ殿済まぬと教室に向けて一礼した。
それからA組を通る時に赤髪の後ろで櫛でアップにしている少女に猛烈な勢いで話しかけられている木乃香達に遠くから手を振って更に奥にあるトイレ
に向った。
「む、今のは?」
「ああ、木乃香とばあちゃんと夕映とのどかだ」
手を振り替えしてくれた女の子達の事を葵が聞くとイルゼが答えた。
「ふむ、ご友人であるか。しかし、ばあちゃんとは?」
イルゼはエヴァンジェリンの考えた嘘理由を教えた。
「なるほど、っと着いたであるなあ」
「なんで語尾だけござるとかじゃないの?」
学が聞くと葵はうむと言った。
「キャラ作りは過剰にすると逆効果であるからな!」
ドドンという効果音が響いた気がした。
「今この人キャラ作りって言ったよ!?」
学は葵を指差して大袈裟に騒ぐがイルゼは早く入ろうぜとさっさと行ってしまった。
トイレから戻ると、何故か教室の出入り口の直ぐ近くで泣き声が聞こえた。
イルゼ達は不穏な空気を感じて教室に入ると、一目で染めていると分かる粗い金髪の少年がフェイの髪の毛を引っ張っていた。
「何してんだ手前ぇ!!」
イルゼは文字通り一瞬でフェイと少年の所に飛び込み、少年の腕を思いっきり力を篭めて掴んだ。
イルゼは人間の姿を纏っているし、その内面も外面も進化や必殺技を除けば何処からどう見ても全くもって人間だ。
それでも、その握力はダダダダキックの要領で腕に力を篭めればとてつもない力を生む。
それでもほんの僅かに力を篭めただけなので折れる事は無かったが、少年は堪らずにフェイの髪を掴んでいた手を放した。
「フェイに何してんだよお前!!」
ギンと少年を睨みつけるイルゼに、少年は青い顔をしながらうぅぅと唸った。
だが、名前を交換し合い、共に同じクラスの仲間となったフェイを傷つけた少年に対し、イルゼは制御する事無く、僅かでも実戦をを経験し、梁山泊の師
匠やエヴァンジェリン、鬼や悪魔との経験で研磨された殺気を放っていた。
それでも、未熟なイルゼの気当たりでは気絶にも至らないだろう。それでも、少年にとっては途轍もない恐怖を全身の血という血を凍えさせる事で実感し
ていた。
「答えろよ!何してたんだ!!」
ガチガチと歯を鳴らせながら何も喋らない少年にイルゼは苛立ちを覚えて一歩近寄った。
「ひっ!?」
少年は怯えた声を発して腰を抜かした。
イルゼがもう一歩歩こうとするのを見て、イルゼの殺気に圧倒されていた葵がイルゼの肩を叩いた。
「イルゼ殿!!」
葵の言葉に、なんだ?と殺気を四散させてイルゼは聞いた。
「イルゼ殿、そんなに強烈な気当たりをぶつけては誰であっても話せなくなるのは道理というもの。少し落ち着きなされ」
「そうだよ、何があったのか聞かないと」
学の言葉にイルゼは頭を冷やした。
「悪い」
そう言って、今度は殺気を出さずに少年の下に歩み寄った。
「名前は?」
イルゼは静かに問い掛けた。
その場の誰も声を発せられずに沈黙し、少年の言葉を待った。
フェイが虐められているのを止めようとした者も、観戦して面白がっていた者も、我関せずで無視していた者も、誰も声を出せなかった。
いや、少なくとも何人かは出さなかった。
眼鏡を掛けた茶髪の理知的な顔をした少年は静かに見守り、葵や学は黙って見つめ、フェイは床に腰を落としてイルゼを見つめていた。
「あ…あぁ」
先程の恐怖が拭い去れて居ないのか、少年はあほの様に口を空けたままだった。
だが、しばらくして、我に返ったのかはっとなってゆっくりと立ち上がった。
「お、お前なんなんだよ!!いきなりぼ、僕にこんな事!!!!」
立ち上がった途端に喚き散らす少年にイルゼは無言のままだった。
「何とか言えよ!!」
「名前は?」
ただ、一言だけ返した。
「…亮だ!須藤亮だ!!僕は答えたぞ、いい加減に僕の質問に答えろ!!」
喚き散らす須藤にイルゼは内心のイラつきを隠したまま口を開いた。
「なんでフェイの髪を引っ張ってたんだ?」
そう聞くと、須藤は鼻で笑った。
「なんで?なんでだって?そんなの決まってるじゃないか」
何を馬鹿な事を聞いているんだ?と見下すように須藤はイルゼを見た。
「分からねえよ。クラスメイトの髪の毛引っ張る理由なんて何があるってんだ?」
一瞬、溢れ出しそうになった殺気を全力で洩らさない様に歯茎を噛み締めて言った。
「気持ち悪いからだよ。男の癖に女の制服着て馬鹿じゃねえの?だから教えてやったんじゃないか。親切なんだぜ?そんな馬鹿な趣味持った奴なんて
友達なんか出来るわけないって教えてやってたんだよ!!それを邪魔しやがって!!」
須藤の言葉に、フェイはビクッとしたが、次の瞬間にイルゼから溢れ出た殺気に動けなくなった。
だが、それはフェイにではなく、須藤に対してのモノだった。
イルゼはあ?と冷たい視線を送った。
だが、その身から溢れ出ている殺気は先程以上だった。
「人と違うからって虐めていいってか?」
イルゼの怒りの理由は想像出来る。だが、どうしてここまでの殺気を放出するのか?それが葵には分からなかった。
―――Interlude
それは、もう何年も前の話。
どれだけの時間が経ったのか、そんな事は本人ですら忘れてしまった。
デジタルワールドの中心。
始まりの街で生まれたのは一匹の赤ちゃんデジモンだった。
エレキモンからジジモンに譲り渡されたその赤ん坊は、キーモンと名付けられた。
そう、名付けられた。
そのデジモンには名前が無かった。
デジタルワールドのモンスターは個別の名前ではなく、その姿の時の種族名で呼ばれる。
アグモン族ならばアグモン、ケンタルモン族ならばケンタルモンと、中にはアグモン族にありながらトイアグモン族と言われる種族に分かれることもありは
したが。
その赤ん坊はデジタルワールドに置いては異質だった。
悪魔の首の様な姿をしたデジモン。
その赤ん坊デジモンはジジモンと、良識を持つ数多のデジモンに祝福された。
それでも、その異質を忌避するモノも居た。
ギアサバンナのマッシュモンやガジモン、ゴブリモン達は、よくキーモンを虐めていた。
そんな時に助けてくれたのはプロットモンだった。
子犬型デジモンのプロットモンは時々残酷な愛し方でキーモンを泣かせていたが、それでもお姉さん振りながらキーモンを虐めるデジモンを追い払った。
そんなある日の事。
キーモンは、どうしてか分からないがガジモン達がお菓子をくれる等と言う分かり易い嘘を本気で真に受けてついて行ってしまったのだ。
連れて行かれたのはドリルトンネルの溶岩洞。
過去、ジジモンのテイマーであり、伝説の英雄がドリモゲモンと共に掘り進んだと呼ばれる地。
その奥に流れるマグマの川。
その川上にキーモンは連れて来られた。
そして、マグマの海の上に落とされてしまったのだ。
死を始めて直感したのはその時だった。
凄まじい熱気を全身に感じ、自分が解けていく気がした。
しかし、いつまで経っても自分が死んでいないのに気が付いて目を開くと、キーモンはマグマの上をイカダの様にしてゆっくりと流れる岩の上に乗ってい
た。
だが、それまで。
助かる道は無かった。
ドリルトンネルは、確かに一昔前は便利だったが、バードラ運送や、登山口の整備によって、危険な溶岩洞があるドリルトンネルを利用するデジモンは減
り、キーモンが幾ら叫ぼうが誰も来なかった。
どれだけの時間が経ったかはわからない。
あまりの熱さに、キーモンはいつしか病気になっていた。
キーモンは火のフィールドでどんどん体力が奪われ、後は死ぬだけだった。
そんな時に、どこからか懐かしい気のする声が聞こえた。
それは何時も自分を護ってくれる声だった。
それは時に意地悪な声だった。
キーモンは最後の力で思いっきり泣き声をあげた。
それでも、凄く小さな声だった。
だが、プロットモンは聞きつけてやって来た。
そして、キーモンの名を呼びながら躊躇いもせずに溶岩の川に飛び込んだ。
そして、キーモンが自分の乗る岩に衝撃を受けたのを感じて、大喜びでプロットモンに駆け寄って…愕然とした。
プロットモンは体中のアチラコチラから血が出ていたのだ。
それは、キーモンを連れて来たデジモンと争った事で出来てしまった傷だった。
そして、偶然に通り掛ったレストランを経営するティラノモンが傍を通らなければ死んでしまうのではないかと言うほどの大怪我だった。
だが、ティラノモンの静止も聞かずに最短ルートをボロボロの体で駆け抜けてきたのだ。
キーモンは自分の為に傷ついたプロットモンに謝り続け、唯一つ、プロットモンをケンタルモンの病院に連れて行くことだけを胸にプロットモンを頭に乗せ
た。
そして、岩が低めの崖の傍を通るのを見計らった。
そして、その瞬間にキーモンの姿は変わっていた。
幼年期1から幼年期2へ。
ヤーモンとなり、小柄なプロットモンを背負ったまま崖に飛び乗り、そのまま全力ではじまりの街に戻ってきた。
そして、どうして自分にあんな事をしたのかとガジモンに問いただした。
すると、帰ってきたのは愕然とするものだった。
『自分達と違うから』
見た事も聞いたことも無いデジモン。
名付けを受けたデジモン。
名前はあった。
キーモンと言うのは本来の種族名だった。
偶然にもジジモンは正しい名前を付けただけだったのだ。
それでも、自分達とは違う存在だからとあんな残酷な真似をしたのだと笑い声を上げたガジモン達の姿は今でも脳裏に焼きついていた。
―――Interlude out
「なんだよ、気持ち悪くねえのかよ!そいつの事!!」
須藤の言葉にああと答えた。
「別に、似合ってんだからいいじゃんか。それだったらお前はどうなんだ?」
似合ってんだからいいじゃん、そうイルゼが言った瞬間、フェイはイルゼの顔を見て顔を火照らせた。
そして、須藤はそれよりも自分はどうなんだ?と聞かれたことに激昂した。
「なんだと!?僕は女装なんかしてないぞ!!!」
イルゼは別にそうは思ってないのに漫画で見た須藤と重なるイメージのキャラクターに別のキャラクターが言ってた悪口を口にした。
悪口を言うのは不快だったが、それでも何か言わずにはいられなかったのだ。
「お前…ワカメヘアじゃん」
そう言った。
その瞬間、空気が固まったように静まり返った。
そして、一番最初に動いたのは学だった。
「ぷはっ!!イルゼ、お見事!!ワカメヘア…ぷくく」
それに、葵がニヤリとしながら乗った。
「ああ、ワカメが制服着てる方がよっぽどおかしい気がするのは某だけであるかな?」
ん?と葵は周囲で囲っている子供達に聞いた。
すると、周りでも何人かの子供達がクスクスと笑い出した。
「な!?お前、僕を侮辱するのか!!」
「別に、本当の事だろぅ?なんだい、その頭。海に潜ってた方が自然な感じがするなぁ?」
学は全然そんな事思ってないくせに面白がってそう言った。
それに周りも同調するものだから須藤は少しずつ涙声になって言った。
「なんだよ…なんだよ、何だよ!!」
泣く一歩手前になって、イルゼがなあと声をかけた。
「何だよ!!」
「お前、どう思った?」
イルゼの言葉に、また周りが静かになった。
「どうって何だよ?!」
須藤の激昂を意に関さずにイルゼは口を開いた。
「お前がやったのってこういう事なんだぜ?どう思った?」
それは真実だった。
だが、子供故にそれを認める事が須藤には出来なかった。
すると、それまで傍観していた、眼鏡を掛けた茶髪の少年が前に出た。
「ふむ、見事…としか言いようが無い程自業自得だったが…」
そこで言葉を切ると、少年はイルゼを見た。
「イルゼ君、だったね?」
「あ、ああ」
突然の少年の行動にイルゼは戸惑った。
「僕は手塚防人、止めようと思ってたんだが先を越されてしまった」
そう言いながら手塚はヤレヤレと肩を竦めた。
「まあ、そんな事はどうでもいいね。それよりももう直ぐ先生が来てしまう。須藤君も頭を冷やすのには時間が掛かるだろうし、心の篭らない謝罪は火種
にしかならない。今は、全員席に戻ろうじゃないか。イルゼ君はフェイ君を立たせてあげてくれ」
フッと微笑みながらイルゼにそう言うと、自分は手を大きく叩いて全員を席に座らせた。
一瞬で場を仕切ってしまった少年にイルゼは唖然としていたが、すぐに腰を落としてしまっているフェイの手を取って立たせた。
「あ、ありがとう」
フェイが顔を赤らめながらイルゼに感謝の念を一杯に篭めて言うと、イルゼはニカッと笑っておうと言って学と葵にサンキューなと言って自分も席に座っ
た。
しばらくすると、矢部がやって来て連絡事項や自己紹介などをこなした。
フェイの制服に矢部は何も言わず、それにクラスの誰もとやかく言わなかった。
イルゼが怒ると怖いからと言うのもあったが、イルゼが言った事を考えて、何も言えなかったのだ。
そして、最後の挨拶が終わると、イルゼが矢部に呼ばれて廊下で小声で会話した。
「イルゼ君、君の隣で座っているフェイ君だが…」
矢部の言いたい事が分かり、イルゼは大丈夫と言った。
「理由は分からないけど何も言わないでいてくれないかな?俺が何とかするからさ」
ニカッと笑いながら矢部に言うイルゼに矢部はそうかと言った。
「それじゃあ、頼むよ」
全幅の信頼を持って言った矢部の言葉に、イルゼはおうと答えた。
そして、学と葵のいる場所に戻ると、なんとフェイが学のルームメイトだとわかりイルゼは心底驚いた。
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