第21話『平和な日常』


近右衛門がエヴァンジェリンの引越しの為の準備の為にログハウスから出て行くのをイルゼと木乃香が見送るとキッチンに行っていたエヴァンジェリンが
しまったという表情で歩いてきた。

「参った、冷蔵庫に何かしら入れてあったと思ったんだが何も無かった」

エヴァンジェリンはガックリと肩を下げて溜息を吐いた。
すると、木乃香がならと言って右手の人差し指を上げた。

「今から買い物行かへん?」

エヴァンジェリンは壁に掛かっている年代物の重厚な振り子時計の針を見た。

「ふむ、そろそろ店も開き始める時間か。いいだろう、買い物に行くか?二人とも」

「行く行く!荷物運びは任せてよばあちゃん!」

イルゼは胸を張りながら張り切って言った。

「ああ、任せるぞイルゼ。折角だ、この周辺は魔法使い以外は私に会いたいと願う者以外は進入出来ない結界が張ってある。森の出口までサングルゥ
モンで行こう」

エヴァンジェリンは悪戯っぽくそう言うと、木乃香は名案や!と手を叩いてエヴァンジェリンの考えに同意した。
イルゼも特に問題は無かったのだが、一つだけどうしても考えなければならない重大な問題があった。

「いいけど、俺って進化解くとなんか服が消し飛ぶんだけど」

うなだれる様にイルゼが言うとエヴァンジェリンはふむと顎を握った右手に乗せて考えた。
しばらくうぅんと既に600年を生きたオールドブラッドとは思えないほど可愛らしく悩んでいると唐突にこれ以上無いほどベストな考えが閃いた。

「そうだ。お前達、仮契約をしていただろう?ならばそれで問題が片付くぞ!」

エヴァンジェリンの言葉に疑問符を浮かべる二人にエヴァンジェリンはイルゼの仮契約カードを出させた。

「ふふ、仮契約には中々便利な機能があってな。その一つに好きな服装を何通りか登録出来るのだ」

「好きな服装って言うと?」

エヴァンジェリンはイルゼの質問にそうだなぁと空中に視線を彷徨わせた。

「簡単に言えばアニメの魔法少女がどこからともなく謎の恥かしい事この上ない服装を取り出すだろう?あれと同じ事を好きな服装で出来ると言うわけ
だ」

その言葉に木乃香は合点が言ったようにああ!と手を叩いて納得したが、イルゼはイメージが湧かなかった。

「俺は女の子用アニメは見ないからなぁ」

むむむとなんとなくイメージを考えようとしたが全く駄目だった。

「まあ、簡単に言えば好きな場所で好きなタイミングで一瞬で着替えが出来ると考えればいい」

その言葉でようやくイルゼは成程と手を叩いた。 

「便利だなぁそれ。そういえばばあちゃんはカード持ってんの?」

エヴァンジェリンはイルゼの質問にうんにゃと首を横に振った。

「私は元々一人だったからな。近寄る者もいなかったし。お前達みたいな恐るべき馬鹿者はサウザンドマスターだけだったよ。そのサウザンドマスターと
も仮契約は交わさなかった。昔、従者にしていた人形がどっかにあるかもしれんが、ソレとはドール契約もしていなかったしな。」

エヴァンジェリンの顔が翳り、木乃香は咄嗟にエヴァンジェリンの事を抱きしめていた。

「寂しかった?」

木乃香の言葉に、エヴァンジェリンは目を見開いた。
ただ、何も答えずに木乃香にされるがままで居た。

「ばあちゃん、ごめん」

エヴァンジェリンの顔を見てイルゼも顔を翳らせて頭を下げた。

「謝る必要は無いさ。寂しくなかったと言えば嘘になる。だがな、それも随分昔に忘れてしまった感覚だ。600年は中々に長くてな。時々、切なくなる時があ
るんだ。ただそれだけさ、気にするな」

エヴァンジェリンは勇敢にも笑みを浮かべて木乃香の胸を軽く押してから木乃香の頭を撫でた。その優しさに木乃香の瞳から涙が零れた。

「ばあちゃん」

イルゼの言葉にん?とまるで母親が子供の話を聞くかのように首をイルゼに向けた。

「俺さ、絶対ばあちゃんを独りにしないから!俺、絶対、死ぬまでばあちゃんを独りにしないから!」

顔をクシャクシャに歪めてそう叫ぶイルゼにそうかと微笑み、エヴァンジェリンは木乃香の手を引いて歩き出した。
空いた手にはイルゼの手を握り、どこか満足そうに行くか、と呟いた。

「感謝せねばならんのかもな。お前達に出会わせてくれた事を詠春や爺ぃに」



―――Interlude 


子供の言葉は全くもって恐ろしい。純粋で、真っ直ぐで、それ故に真実で。
その上この二人の頑固さは既に経験済みだ。
だからこそ、何時かは自分から突き放さないとイケナイ。
近右衛門を信じて光に生きるのも悪くは無い。だからと言って自分の存在は広く悪として浸透しきってしまった。悪を背負うと誓ったのは何時の頃から
か。
サウザンドマスターを手に入れたいと願ったのは手を差し伸べたからだけではない。
あの男の強さは自分を傍に置いても陰る事ない程の光を放つからだ。
恐らく、木乃香も奴同様…。いや、それ以上に光り輝く。その為には自分の傍に居て見たくも無いものを見せることは良い事じゃない。
イルゼはデジタルモンスター、木乃香以上に生きて自分と一緒に居ようとするかもしれない。そんな先は分からないが、それでも…。イルゼは元の世界
に帰るべき時が必ず来るだろう。
それを自分の為に引き止める事など出来ない。出来るとすれば、その権利は木乃香だけに与えられる。
もう少し、二人が大きければ…。少なくとも歳の固定された自分以上に歳を重ねていれば、自分の子供っぽさを表に出して二人に我侭を言って突き放さ
せる事も出来たかもしれない。だが、自分が我侭を言っても二人はまだまだ無垢過ぎる。
自分以上に小さい存在とここまで近くに居られる等、想像した事もなかった。




恐れられるべき存在。



それは子供と言う存在を遠ざける。
誰が好き好んで自分の子供を己の様な化け物の傍にやりたいと願う親が居るだろうか。
護ってくれる存在を願った。
それは自分の心を。
頼られたいと願った。
自分より小さな存在に。


なんという事だろう。
自分の願った存在は自分の手元に飛び込んでいた。
だからこそ、二人を手元にずっと置く事は出来ない。
置いていたら、二人を離せなくなるかも知れない。
せめて、もう少し後に出会ったならば…。
せめて、サウザンドマスターへの思いが恨みに変るほどの年月が経てば、簡単に二人を突き放せただろう。

エヴァンジェリンは二人の手を取りながら歩き、外に出て太陽の光に目を細めながらそう思った。


近衛詠春、現代最強の剣豪にして比類なき賢人。
サウザンドマスターが死んだ後にエヴァンジェリンという少女がどうなるのかを見越していたのだろう。
恐らくは、二度と光を望むなどしなくなると。
だからこそ、自分の娘に会わせるなどと言う恐るべき行動に出たのだ。
さっきの近右衛門の真実の姿はそのままあの男に重なる。

優しさとは鋭い刃だ。
容易に人の殻を破る。
それは容赦を知らない。
望むままに相手の心に進入する。

何時か、この手で二人を突き放す時が来るだろう。
それまでの間、長い年月の瞬きするかのような一瞬の幸せに、エヴァンジェリンは身を委ねる事にした。


だが、エヴァンジェリンは大切な事を忘れてしまう。
突き放すには、線引きが必要だと。
だが、無垢な子供相手にソレを引くのは、少しでも、葉から滴る水滴ほどであろうとも、親愛を抱いた相手には恐ろしいほど難しい事だと。

エヴァンジェリンはどれだけ修行を厳しくしようかと考えている。
厳しくすればするほど、それが線引きになると。
なんという的外れ、現実離れしたほどに見当外れで、全くもって逆さまの手段だと気づきもしない。

厳しくすればするほど、心に宿る炎は強く燃える。

自分の中の愛情と言う名の炎が。

そして、その様子を遠くで見守る者が居た。

近衛近右衛門は学園長室に空間転移魔法で移動し、麻帆ネットで飛びっきり高価な魔法具を注文し、三人の様子を伺っていたのだ。

その瞳は恐ろしいほど静かで、恐ろしいほど優しかった。

エヴァンジェリンの心の内は、近右衛門にとっては容易く読み取れた。

600年を生きた吸血鬼の少女は、大人でもあり、この上なく子供なのだ。
大人として長い時を過ごした老人には簡単に心を見透かされるほどに。


子供、それも6歳になったばかりの木乃香とイルゼ。
その顔はまだまだ男や女を感じさせるには遠すぎる道のりがある。
真っ白で柔らかな頬と同じくらいに、心もまた真っ白で…とても柔らかく温かいのだ。


大人の魔法使い達の使えない、子供なら魔法使いじゃなくても使える魔法。
それは、どれだけの洗脳をしても、どれだけの魔法を使っても手に入らない。
無くなってしまった原初の心。
だが、それは捨てたのではない。
歳を重ねれば誰のソレも変化する。
純粋無垢と言う、抗えぬ輝き。
時には闇の色に染まり、時には鋭い刃の色になり、時には輝く太陽の色に姿を変える。


二人がエヴァンジェリンの手を強く握り返し、真っ直ぐにエヴァンジェリンを見つめている事に、エヴァンジェリンは気づけない。
突き放す最後の可能性は失われたのだ。
原初の誓いはとても強く。
例え大人になってもその思いは根付くのだ。
木乃香を護ると誓ったイルゼ。
木乃香と刹那を護りたいと願った木乃香。
二人の心には新たな誓いが宿ったのを、エヴァンジェリンは気づけない。






―――Interlude out

外に出て、エヴァンジェリンは握っていた手を解くと、地面に手を当てた。

「アヴィアタム!侵入者を知らせろ!」

だが、エヴァンジェリンの呪文には何も反応がなかった。

「おばあちゃん、今のは?」

木乃香の質問にんしょっと年寄り臭く立ち上がるとエヴァンジェリンは答えた・

「なぁに、結界に誰かいないか調べただけだ。魔法はギリシャ語の方が言葉としては強いのだが、こういった初級魔法にはラテン語の方がいいんだ」

「なんでなん?」

「魔法使いってのはカッコつけが多くてな。ギリシャ語の方が上位だというのに古代の一般人があまり学ばない言葉を唱える事で優越感に浸りたがるの
さ。そのお陰で威力を出すならギリシャ語だが、安定を求めるなら皆が唱える事で言霊としての力が強く宿ったラテン語の方がいいのさ。」

エヴァンジェリンの言葉に途中からイルゼと木乃香は全く付いていけなかった。

「フフ、悪かったな。もう少し勉強したらもう一度教えてやるさ。魔法は座学だからな。それに木乃香は完全に魔法使いタイプの魔法使いを目指すから戦
闘訓練よりも勉強に時間を掛ける事になるだろうさ」

「魔法使いタイプ?」

イルゼはエヴァンジェリンの言いたい事が全く分からなかった。

「魔法使いと言っても幾らか分けられるのさ。杖だけを握る魔法使い。剣を片手に振るう魔法剣士。拳で戦う魔法拳士。槍で戦う魔法槍士。馬や魔物に
乗る魔法騎士。守護に重きを置く結界士。癒術に重きを置く癒術士。他にも偵察者や暗殺者、魔法弓士に魔法銃士なんてのもある。木乃香はその中で
も魔法使いが的確だと思ったのさ」

エヴァンジェリンの言葉にイルゼと木乃香は目を見開いて驚いた。

「そんなに種類があるん?」

木乃香の質問にエヴァンジェリンはああと答えてからさてっと咳払いをした。

「それよりそろそろ行くぞ。早くしないと夜中になってしまう」

大袈裟なエヴァンジェリンの物言いに二人ははぁいと答えて木乃香がデジヴァイスをイルゼに構えてグリップを深く握った。

『Evolution』

イルゼの体はデジヴァイスの光に包まれ、次の瞬間にはイルゼはサングルゥモンに進化した。

「サングルゥモン!!!」

それにしてもとエヴァンジェリンはイルゼの姿を見ながら呟いた。

「この姿のときにイルゼと呼んで誰かに聞かれるのはまずいかもしれんなぁ」

その言葉にイルゼはならと言った。

「今の俺はサングルゥモンって呼んでくれ。それなら混乱しないだろ?今の姿だとサングルゥモンって名前の方がなんかしっくりくるしさ」

サングルゥモンがそう言うと、エヴァンジェリンと木乃香はわかったと言ってサングルゥモンの背中に乗った。
木乃香の体はエヴァンジェリンがしっかりと固定したが、別荘の外なので魔力がほとんどなく、エヴァンジェリンはサングルゥモンにゆっくり走るように告げ
た。
了解してサングルゥモンは森の中をゆっくりと、それでも森の木々が流れるように過ぎ去っていく程度の速度で颯爽と森の中を駆け抜けた。
超重量の巨体からは想像も出来ないほど軽やかに森の中を失踪するサングルゥモンの足跡はまるで踏締めたかのようにクッキリと残った。
ゆっくりとは言えそれでも凄まじい風圧が木乃香たちを襲うがエヴァンジェリンの簡易結界で涼やかなそよ風程度に抑えられた。


森の出口が見えるようになるまではそんなに掛からなかったが、どうせだからとショッピングエリアに近い結界の境界線まで森の中をスティッガーブレイド
で邪魔な枝とかを切り倒しながら駆け抜けた。

「スティッガーブレイド!!」

ナイフの数は少なめだがそれでも邪魔な枝だけを狙うのは相当難しかった。

「ふむ、これは良い修行になりそうだな」

エヴァンジェリンはサングルゥモンの修行メニューを思いついて早速どこからかメモ帳を取り出して書き込んだ。

「やっぱりイルゼに乗って走るすっごく気持ちええわぁ」

すっかりご満悦な木乃香にサングルゥモンはスティッガブレイドを放ちながら口を開いた。

「木乃香ぁ、今はサングルゥモンって呼んでくれよぉ」

えへへと笑いながら頭を掻いて木乃香は謝った。

「ごめんなぁ、なんか慣れへんのやもん」

「だがなぁ木乃香。イルゼがこの姿を友達にバレたらその友達が怖がったりして嫌われたらどうする?」

エヴァンジェリンが諭すように聞くと木乃香はハッとなったようにシュントしながら謝った。

「ごめんイルゼ」

「別にいいよ。木乃香やばあちゃん、刹那だっているんだ。もし誰かが俺を嫌っても全然平気さ。気にすんな」

口元を歪めてニッと笑いながらサングルゥモンが言うと木乃香はううんと首を横に振った。

「やっぱりちゃんとするで。イ…サングルゥモンが誰かに嫌われるなんてうちが嫌やもん!」

一瞬、イルゼと言いかけてサングルゥモンに訂正すると、木乃香は決意を篭めて言った。

そんな遣り取りをしているとサングルゥモンは目的の場所に辿り着いてイルゼに戻った。
そして、光の粒子が消える前に仮契約カードで服を着た。

「ちょっとめんどくさいけどこれなら問題ないな」

イルゼの格好はイルゼの背中に乗っている間にエヴァンジェリンがイルゼの本物の仮契約カードの方に登録した黒い襟に黄色と白のラインの入ったポ
ロシャツと白い短パンと白い靴下。靴はマジックテープで留めるタイプだ。
本物の仮契約カードで登録した服は複製仮契約カードでも使えるのだ。
それから三人は森の中から出て仲良くショッピングエリアに向った。

ショッピングエリアに入るとこの前とは比べ物にならない程大勢の人で賑わっていた。
所々では“新学期特別セール”や“新入生おめでとうセール”なんかのビラや看板がチラホラ見えた。

学用品は全て近右衛門が用意してくれると言っていたのだが、木乃香とイルゼはどうしても新学期の学用品を自分で選びたくて仕方がなくなった。
エヴァンジェリンは二人の様子にヤレヤレと苦笑いを浮かべると二人を連れて大声で学用品の宣伝をしているお兄さんの方に歩き出した。

「おばあちゃん!?」

木乃香が驚いて声を上げるとエヴァンジェリンはフフっと笑った。

「どうせ新学期の学用品を見てみたいんだろう?別に爺ぃの選んだのをどうしても使わないといけないって理由は無いさ。折角来たんだから見ていけば
いい」

その言葉に二人は顔を綻ばせた。
だが直ぐに自分達がお金を持っていないことに気が付いた。
その事を言うとエヴァンジェリンは呆れたように溜息を吐いた。

「それっくらい買ってやるに決まってるだろ?」

元々そのつもりだったらしいエヴァンジェリンの言葉に驚いていいの!?と声を上げた。

「当たり前だ、子供の学用品代くらいで私の財布は傷まん」

大人の余裕な笑みを浮かべてエヴァンジェリンは言った。
木乃香とイルゼはエヴァンジェリンの太っ腹に顔を見合わせて喜んだ。
木乃香はエヴァンジェリンに抱きついた。

「ありがとうおばあちゃん!!」

イルゼも両手を挙げて満面の笑みをエヴァンジェリンに向けた。

「ありがとうばあちゃん!!」

そう言うとイルゼは学用品売り場に駆け出した。

「へへぇ、俺いっちばぁん!」

その言葉にああ!!と大きな声を上げて木乃香も慌てて駆け出した。
その姿に苦笑しながらエヴァンジェリンもゆっくりと二人の下に歩み寄った。

学用品売り場は木乃香とイルゼにとっては素晴らしい宝の山に見えた。

最初に筆入れを見に行くとイルゼは大きくて機能がたくさん詰まった多機能筆入れを選んだ。
木乃香は可愛い子犬の写真がプリントされてある箱型の筆入れだ。
シャーペンやボールペンがあったが、二人はアニメキャラクターの印刷された鉛筆に感激してイルゼはドラゴンクエストの、木乃香はスマイリーの鉛筆を
それぞれ三ダース買った。
他にも携帯鉛筆削りや可愛らしい体操着入れなんかも二人はそれぞれエヴァンジェリンに買ってもらった。
普段は趣味の人形以外にそんなにお金を使わないエヴァンジェリンは二人にお小遣いを上げるという喜びを知り大層ご満悦だった。
買った物は後でイルゼと木乃香の部屋に運び込んでもらえるらしく手ぶらのままで三人は本来の目的地であるスーパーに入って色取り取りの野菜やお
肉や果物を見て回った。

「二人は何か食べたいものはあるか?」

前を歩くエヴァンジェリンは振り向きながら聞いた。

「オムライス!」

木乃香はううんと唸るが直ぐには思いつかないらしくイルゼの意見が通った。
エヴァンジェリンはそれなら何とかなるなと言いながらイルゼの持つ買い物カゴによく吟味した鳥腿肉や玉葱、サヤインゲンにグリンピース、ピーマンを入
れていった。
ピーマンを入れるとイルゼがえぇぇと言って戻そうとしてエヴァンジェリンはその手をパシッと叩いた。

「コラッ!今から好き嫌いばっかりしてると大きく成れんぞ!!」

エヴァンジェリンに叱られてイルゼは渋々はぁいと言ってピーマンをなるべく小さいのに取り替えて入れた。
それを見てヤレヤレと苦笑いをするとエヴァンジェリンは木乃香がお菓子の棚の隣にある冷蔵スペースのケーキの場所を見つめているのを見抜いた。

「ケーキが買いたいのか?」

エヴァンジェリンがそう言うと木乃香は顔を真っ赤にして首を横に振ったがククッと笑ってエヴァンジェリンは木乃香に言った。

「遠慮は必要ないぞ。ただし、ケーキはうまい所を知ってるからご飯を食べたらソコに行こう」

エヴァンジェリンの言葉に木乃香は大喜びで満面の笑みを浮かべた。
その様子を見ていたイルゼは俺も俺もとエヴァンジェリンに言った。

「俺もパフェ食べたい!!」

「わかったわかった。何でも好きなデザートを食べさせてやるさ。店にパフェもあったと思うからな」

やったぜぇと喜ぶイルゼに木乃香が両手を挙げてイルゼの両手を叩いて二人してイエェイとはしゃぐものだから注目されてしまってエヴァンジェリンは少
し恥かしくなって二人にさっさと行くぞと言いながら背中を押してレジに向った。

帰りに森の中で再びサングルゥモンに進化したイルゼの背中に乗りながら木乃香はエヴァンジェリンに一緒に手伝おうか?と言ってエヴァンジェリンを喜
ばせたがエヴァンジェリンは大丈夫だと言ってログハウスについてから木乃香とイルゼにしばらく走り回ってるように言った。

何しろ独り暮らしで殆ど外食だったからエヴァンジェリンは何度も包丁で手を切ってしまった。
吸血鬼の力もうまく働かずに傷口に貼ったテープでエヴァンジェリンの手の輪郭は一回り大きくなってしまったが、ご飯を砥いだ後にキッチンにあった魔
法の釜に入れて一瞬でふっくらと炊き上がったのを確認すると、小さく切った鳥腿肉と微塵切りにした玉葱、軽く茹でて水切りしたサヤインゲン、グリンピ
ース、ピーマンをバターを引いたフライバンに入れて塩コショウを入れながら炒めた。ご飯を入れて中火で炒めながら粉末ブイヨンを少々と、トマトケチャ
ップを入れて、さらに熱っする。
火を弱めて隣のフライパンに油を引いて溶いた卵を流し込んでオムレツを作り、それをなんとか皿に乗せるとホカホカのチキンライスをその上に乗せて
苦労しながら卵をもう一枚作って被せた。
見てくれが悪くなってしまったがそれは自分で食べればいいのだともう二つも作ったがどれもどっこいどっこいだった。
肩を落として二人を呼ぶとイルゼと木乃香はボロボロでもエヴァンジェリンが一生懸命に作ってくれた事が直ぐに分かり大喜びで食らいついた。
その様子に慌てて食べると喉が詰まるぞと呆れながらイルゼと木乃香に苦笑いをしたが二人の喜ぶ顔に自然と笑みが零れた。
満腹になった三人は時計を見ると既にお昼になっていた。
お店が木乃香達の寮の近くだと知ると三人は再び外に出てイルゼはサングルゥモンに進化して木乃香とエヴァンジェリンを乗せて森の中を駆け抜けた。
歩きながら途中でクレープ屋があったが、イルゼと木乃香はケーキとパフェの為にその凄まじい誘惑を振り切った。
電車に乗って木乃香とイルゼの寮近くの駅を出ると時間は1時を回っていた。
まだオムライスが胃に残っていたので三人はしばらくブラブラとショッピングエリアを見て回った。
たくさんの店が立ち並び、そのどれもがショーウインドウを眺めるだけでワクワクするばかりだった。
特にエヴァンジェリンがコスプレショップでゴシックロータを木乃香に着せ、何着も買ってしまいイルゼは疲れきってお腹が空いてくるのを感じた。
時計を見るとなんと4時を回っているのに気が付いた。
木乃香もヘトヘトになっていたがエヴァンジェリンと店員のお姉さんは危ないくらいにハイテンションだったがイルゼが無理矢理エヴァンジェリンを引っ張
って外に出てようやくお店に行くことになった。
お店はなんと麻耶と一緒に行ったカフェ・グリーンだった。
新学期前日でもう学生証でタダになるキャンペーンは終わっていたがエヴァンジェリンが何でも好きなのをと言ったので木乃香はデラックスショートケーキ
(カフェ・グリーンスペシャル)を頼み、イルゼはデリシャスチョコパフェGTRと言う変なネーミングのパフェを注文した。
エヴァンジェリンは小さなティラミスとコーヒーと一緒に小腹が空いたのでサンドイッチを頼んだ。
しばらくするとこんがりと焼いてあるサンドイッチを店員のお兄さんが持ってきてくれてそれを三人で3枚ずつ食べた。
ベーコンとキャベツが挟まっているのが絶品だった。
それからそれぞれの前にケーキとパフェが来てイルゼは長いスプーンで嬉しそうにトッピングのバナナとチョコアイスを一緒に食べ、木乃香もケーキをホ
ークで切って口に含むとこの上なく幸せそうな笑顔を見せた。
エヴァンジェリンもティラミスの味に満足した。

それから夕日が見え始めたので一端麻帆良学園本校女子中等学校エリアに電車で戻って学園長室に入ったときには6時を回っていた。

学園長室に入ると近右衛門が嬉しそうに笑顔を三人に向けた。

「ホッホッホ。よく来たのぉ。エヴァンジェリンの引越しの準備は既に終えておるぞ。イルゼと木乃香の部屋から扉一つで出入りできるようにした。勿論、そ
の扉はお主とイルゼ、木乃香、それからワシにしか見えん」

「そうか、感謝する。それじゃあ私の呪いの方もちゃっちゃと頼むぞ」

エヴァンジェリンの傍若無人な言い方に素直じゃないのうと苦笑しながら近右衛門は引き出しから一枚の紙を出した。
それを見てエヴァンジェリンは驚いた顔をした。

「爺ぃ、それは魔術執行手形か!?」

エヴァンジェリンの言葉にうむと近右衛門は頷いて答えた。

「魔術執行手形?」

イルゼの質問に、あ、ああとエヴァンジェリンは首を傾げる二人に説明した。

「魔術執行手形は魔法契約を破壊したり改造したりする事が出来るんだ。だが、かなり複雑な術式で作れる魔法使いが既にいなくてとんでもなく価値の
高い物なんだ。そんな物いったいどこから持ってきたんだ?というか、まさか私にそれを使うのか!?」

ありえないとばかりに目を見開いて近右衛門を見つめるエヴァンジェリンに近右衛門はうむと頷いた。

「これはワシ自信が個人的に所有しておった物じゃ。さすがにコレだけではサウザンドマスターの呪いとお主との魔法契約を破る事は出来ぬが改変はで
きよう。これでお主に小学校、中学校、高等学校へ進学できるようにしようと思っておる」

「な!?自分が何を言ってるのかわかってるのか!?それは貴重な!!」

エヴァンジェリンの言葉に近右衛門はホッホッホと笑うだけだった。

「大丈夫じゃ、お主を開放する時が来たならばもっと正式な手順を踏めば可能じゃからこれは必要ない」

「そう言うことを言ってるんんじゃない!」

エヴァンジェリンが激昂し声を荒げるが近右衛門は真剣な眼差しで遮った。

「わかっておる。お主の言いたい事はの」

近右衛門の視線はジッとエヴァンジェリンを貫いた。

「お主にサウザンドマスターが施した呪文は正規のものではなくてのう。呪文もアンチョコで魔力で強引に施してしまったもんじゃから術式は滅茶苦茶に
改変されてしもうた」

イルゼと木乃香は何の事だかわからなかった。
それでも、近右衛門がエヴァンジェリンの為に何かをしようとしているのがわかり何も言わなかった。
ただ、じっと見守るだけに徹していた。

「今回これを使おうと思ったのは登校地獄の呪いを正しく戻す事も理由の一つなんじゃ。魔術執行手形は魔法契約を詳細に見せてくれる。あやつの改変
した部位を本来の登校地獄に照らし合わせれば直す事も可能じゃ」

近右衛門の言葉に、エヴァンジェリンは怒りを隠せなかった。

「貴様、自分が何を言ってるのか本気でわからんのか!?そんな事をすれば私は自分で封印を解除出来るようになるんだぞ!!私はここから出て行く
と考えんのか!!」

その言葉に、近右衛門はいいやと首を横に振った。

「お主は出て行けはせんよ。登校地獄を解除するにはそれなりの力が必要じゃ。それにの、お主の登校地獄はサウザンドマスターが学園結界と正式に
魔法契約を繋げたのを忘れたのかの?それこそがお主の魔力を封印しておるのをの?別荘内では学園結界との魔法契約には手が出せんじゃろう。あ
そこは一種の異次元空間じゃからな」

それにと近右衛門は木乃香とイルゼに視線を向けた。

「お主は二人を弟子にすると言ったんじゃろ?ならばお主はここを去る事など出来はせんよ。お主の誇りにかけてのう。約束を破る事は誇りを穢す事じ
ゃ。そのような姑息な事はお主はせんじゃろう。それに、ここから出たとしてもお主には行く当てはなかろう?」

近右衛門の言葉にエヴァンジェリンはむっと眉間にしわを寄せたが否定は出来なかった。

「この地を出たとしても誰かに狙われるだけじゃ。お主がサウザンドマスターを追いかけるようになった要因を忘れたわけではなかろう?」

エヴァンジェリンは黙して語らなかった。
ただ、その沈黙を肯定と受け取り近右衛門はさてと言いながら椅子から立ち上がるとエヴァンジェリンの元に歩み寄った。

「それにのう、登校地獄そのものを作った魔法使いはお主も知っておるじゃろう?堕落の魔王、世界最大の悪人、食人鬼などの二つ名で恐れられた悪
名高き魔法使いアレイスター・クロウリーの性魔術を原点に、強力な強制魔法として作り出したのじゃ。本来は本人の意識を消したり改変したりせずに儀
式を行う為の魔法を魔法研究の第一人者であるドイツの魔法使いオーギュスト・コールが息子の怠け癖を治す為に作り上げたとされる。息子のディート
リッヒ自身、怠け癖で学校に行こうとはせんかったが強力な魔法使いだったにも拘らず解除する事が出来ずにいやいやながらも学校に登校したとされて
おる。戦闘系魔法使いのお主ではどうあっても魔法研究かの作り上げた独自魔法を解除するなど到底出来んじゃろ」

「って待て!!登校地獄ってそんなとんでもない魔法だったのか!?」

エヴァンジェリンは近右衛門の語った登校地獄の背景に堪らず突っ込んだ。
アレイスター・クロウリーと言えば、自ら野獣666を名乗り魔法ギルドの黄金の夜明け団に入団し、妻のローズに憑依した守護天使エイワスから魔法の奥
義を学んで現代でも高名な魔道書として世界中の魔法使いの間でも有名な『法の書』を執筆し、娘の死と妻との離婚によって闇に堕ちたとされている偉
大な魔法使いだ。

オーギュスト・コールと言えば、魔法学校の教科書を見れば必ずと言っていいほど目にする名前だ。魔法の教科書の大部分は彼が執筆し、有名なのは
魔法体系の統一理論と言う書で、世界中のあらゆる魔法や魔術を一つの体系に統一できるのではないだろうか?という理論を展開している。実際には
宗教的や国家間の問題などで実現は不可能なわけだが、彼の書を読んで感銘を受けた者は少なくないだろう。彼自身が独自に書いた魔道書は多くは
無いが、その中で呪いや召還術に関する魔法について書かれている。

息子のディートリッヒは戦闘魔法使いとして有名で、『歴史における高名な魔法戦士』と呼ばれる書の中で、悪名高き魔法使いアードルフ・コレフの討伐
は彼の信者達が特によく話題にする有名な話だ。吟遊詩人の詩の中にも取り入れられている。

ちなみにアードルフ・コレルは子供を誘拐しては痛めつけ愉悦に溺れる生粋のサディストであり、強力な魔法使いだった。アーサー王の眠る地と呼ばれ
る理想郷である妖精の国アヴァロンへの入り口とされているグラストンベリに潜んでいたのをディートリッヒ・コールにより討伐されたのだ。
エヴァンジェリンはこの決闘の起きたちょうどその日にちょうどグラストンベリから近いトールに滞在していた事でその話は記憶に残っていた。

有名な魔法使いとのそんな因果関係にある登校地獄という間抜けな名前の呪いにエヴァンジェリンは眩暈がしそうだった。

「あやつが登校地獄を知ったのは恐らくオーギュスト・コールの記した魔道書の『呪いと私』を読んで面白そうとでも思ったのじゃろう。あの本はあやつが
ここに滞在しておる間にあやつの別荘に保管されておったのじゃ、今はここの図書館島の魔道書エリアのレベル3に保管されておるがの」

近右衛門の言葉に木乃香とイルゼは首をかしげた。

「おじいちゃん、魔道書エリアってなんやの?」

その言葉に近右衛門はうむと一拍置いた。

「図書館島は実は魔法使いの建てた世界でも最大級の魔道書を保有した場所なんじゃよ。一般の者、魔法使いであっても許可が無ければ入り口は決し
て見つからんし入る事も出来ない強力な封印が施されておるエリアじゃ。レベルは安全なレベル1から開かれるだけでその地に災いを招いてしまうレベル
20まである。レベル10にはアメリカのマサチューセッツにあるミスカトニック大学に保存されておったアブドゥル・アルハザードの『ネクロノミコン』や『無名
祭祀書』、『エイボンの書』などの読むだけで気が狂ってしまう魔道書などが移されて保存されておるのじゃ。レベル3ならば読む者を選ぶ魔道書が保存さ
れておる。レベル1ならば、まあ魔法学校の教科書レベルじゃな」

そこまで言って近右衛門は木乃香とイルゼが分けが分からず涙目になっているのに気が付き慌てて謝った。

「すまんすまん!お主らには難しすぎたの。要はとっても危ない場所じゃから絶対に入ってはならん場所と言う意味じゃよ」

近右衛門の言葉にほえぇと理解したのかしてないのか分からない声を上げる二人にエヴァンジェリンに目配りをしてしっかり教えておくようにアイコンタク
トを交わした。

「とにかく夜も更けてきた。これ以上木乃香とイルゼを帰らせないわけにはいかんじゃろう?良ければ始めたいのじゃが?」

近右衛門の言葉にエヴァンジェリンは諦めたように溜息を吐いた。

「まったく、どうなっても知らんぞ。貴重な魔術執行手形を私になど使って…」

まったくとボヤキながらエヴァンジェリンは了承した。
それから近右衛門は木乃香とイルゼに少し廊下に出て待っているように言うと二人が出たのを確認して床に施しておいた魔方陣を起動した。
そして魔術執行手形は空中に浮きエヴァンジェリンは黙って魔方陣の中心に立った。

「ん…あぅ…んふ」

魔力がエヴァンジェリンの体を刺激し、性感を高めて魔力によって渦巻く風につい甘い吐息を吐いてしまった。

近右衛門はそれに構わずに呪文を唱えだした。

「ヴェネフィクス アウム セリイズ サンクトゥス ヒク パエラ リゴ セリイズ ノト(魔法の契約の精霊よ、この少女を縛る契約を記せ)」

すると、魔術執行手形の表面に青白い光が走り、複雑な図形と不思議な形の文字が乱雑に出現した。
不思議な事に文字は魔術執行手形の紙の表面に書かれているというのに斜めから見ると下のほうに立体的に文字や図形が踊っているのが分かった。

近右衛門はソレに手を翳した。

すると次々に文字が回転し、姿を変え、位置を変えた。

登校地獄を本来の形に直す、それはある意味で完成している魔法に改造を施すのと同じ事だ。
近右衛門は額に汗を滲ませ、恐るべき集中力で本来の呪いと違う場所を見つけては直していった。
木乃香とイルゼが入室を許可されたのはそれからなんと2時間も経って夜の8時を回った頃だった。
扉の前でウトウトして肩を寄せ合って眠りかけていた二人が中に入ると、近右衛門は肩で息をして顔中汗だらけになり、後ろで縛られた髪はしおしおにな
ってしまっていた。
エヴァンジェリンは不思議と体が軽くなった気がして自分の手や体を見て動きを確かめている。
改変された登校地獄はエヴァンジェリンの魔力を吸って発動し続けるようになっていたらしく、魔力は学園結界に抑えられてはいたが、それでも前よりは
魔力が僅かに生成できるようになっていた。

「おばあちゃんどう?」

木乃香がエヴァンジェリンの様子を聞くとエヴァンジェリンはおうと言って両手を開いたり閉じたりした。

「少しからだが軽くなった気がするな」

「じいちゃん大丈夫か?」

イルゼは疲労困憊の近右衛門の姿に不安げに聞いた。

「うむ、些か疲れたわい。じゃがなんとかうまく行ったようじゃな。書類なんかは用意完了しておる。もう夜もおそいでな、お主達は帰るが良い。夕飯を一
緒に食べたいんじゃが仕事が残っておってな。エヴァンジェリンも警備員の仕事は今日は休んで構わん」

「わかった、…ありがとな」

エヴァンジェリンは照れくさそうにそう言うと学園長室から出て行った。

「それじゃあおじいちゃん!また遊びに来るね」

木乃香は手を振りながら出て行った。

「んじゃ、じいちゃん、体に気をつけろよな」

イルゼも出て行くと近右衛門はさてっと言いながら顔をキッと引き締めてこれから来る者達を待ち構えた。
エヴァンジェリンに対する扱いで不満を募らせた魔法使い達が来る事になっていえるのだ。
新学期前日の夜、近衛近右衛門は久しぶりに多忙の中で疲れを溜めてベッドに入ったときには完全に意識を失って熟睡した。

学園長室から出た木乃香とイルゼとエヴァンジェリンは初等部の学生寮に急いだ。
もうすぐ9時になってしまうので夕食はレストラン・カワサキで食べた。
寝る前に重い物を食べれなくなるだろうとエヴァンジェリンの言葉にイルゼも渋々お子様ランチのハンバーグセットを止めてスパゲティのミートソースにし
た。
木乃香は塩味の貝入りパスタでエヴァンジェリンはイカ墨パスタだ。
ジュースは好きなのを飲んでいいと言われてイルゼはコーラ、木乃香はオレンジジュースでエヴァンジェリンは麦茶を頼んでお腹を満たした。
結局寮に帰ってきたら既に10時をまわってしまっていた。
管理人室のチャイムを鳴らすと管理人の夢水が出てきて鍵を渡してくれた。

「ふむ、君が新しく木乃香ちゃんとイルゼ君のルームメイトになるエヴァンジェリンちゃんだね?話は聞いておるよ、仲良くするんじゃよ」

そう言うと、夢水は幻術でイルゼ達と同じくらいの背になっているエヴァンジェリンの頭を優しく撫でた。
人に撫でられる事になれていないエヴァンジェリンは顔を赤くして俯いてしまった。
エレベーターに乗って6階に上がり、木乃香たちの部屋に着くと部屋の様子が昨日とは少し違っていた。
入って直ぐの短い通路に左右にトイレとお風呂場の扉があるのは変わらなかったが、左側の全面にタンスのあった場所が普通の扉になっていて、覗くと
物置になっていた。
エヴァンジェリンは魔法で空間を拡張しているのだと見抜いた。
他にも、寝室への扉の隣の木乃香の机のあった場所にはなんとキッチンへ続く扉があり、そこには素晴らしい機能の揃ったシステムキッチンがあった。
備え付けられた大き目の二段の冷蔵庫はエヴァンジェリンや木乃香、イルゼも届くくらい低い位置に取っ手があり、中には色取り取りの食材やジュース
に牛乳なんかが見やすく整理されて入れてあった。
キッチンの流し台やコンロもエヴァの背に合わせてかなり低かった。
下の方はシルバーストッカーで、収納なんかも後ろ側の低いところに高級そうなのから可愛い物まで多種多様な食器が並べられている。
流し台の向こうには大きな窓があり、清潔な空間で埃一つ落ちていなかった。
ベッドルームに行くと二つ並んでいた小さなベッドは無くなって、木乃香とイルゼとエヴァンジェリンが三人一緒に眠っても全然余裕のある巨大なキングサ
イズの物に変っていた。
ベッドの頭の部分の木の背もたれの上にはモダンなライトがあり、何冊かの木乃香とイルゼに合わせた絵本が収まっている小さな収納があり、エヴァン
ジェリンは近右衛門が無言のままに寝る前に読んでやれと言っているのではないかと疑った。
リビングのタンスのあった場所の扉の向こうの縦長の物置には扉が一つもあり、この部屋の主である三人と許可された者以外に見えないように結界が
張ってあった。
物置の中には偽装の為か、洋服の入ったケースが幾つかと玩具の箱が置いてあった。
扉の向こうには広い空間が広がり、床にはペルシャの絨毯が敷かれ、右側の壁に二つの扉があり、右側の扉の向こうには初級魔法の教科書や魔法に
纏わる子供向けの本が多数納められていた。
但し、エヴァンジェリンだけが見える棚に何冊か少しランクの上の魔道書もあったが、その殆どが何時か木乃香に式神を作ったり、神々の力を借り受け
る儀式をする為に必要なものばかりだった。
左側の扉には魔法具が所狭しと置かれていた。
特にエヴァンジェリンが目をつけたのは魔法具の作成キットで、先ほどの部屋に戻って入り口の向かいの右側の扉にあるかなりの規模と質の高い工房
で魔法具を作成できる事に気が付いた。
工房にはエヴァンジェリンが一緒にいると言う条件がないと木乃香とイルゼは入れないと言う事にも気が付いた。
そして、工房の中には仮契約や召還などの魔方陣が敷かれている部屋への扉があった。
向かい側の左側の扉には、外套や魔力の篭められた装備が多数置いてあった。
左側の壁の右側の扉には洋服が所狭しと並べられていた。
驚いた事にエヴァンジェリン用と書かれた子供服も大量に用意されていた。
そして、左側の左の扉にはイルゼと木乃香の為に用意されたゲームや玩具が所狭しと並べられ、他にもカメラやテントなんかまであった。
そして、物置から出て風呂場の方に行くと、左側に大きな洗面台があり、その両脇に収納棚があって、入って直ぐの右手には着替えようの木製のラック
が置かれ、そこに竹製のカゴが置かれていた。
ラックの直ぐ隣には足拭きが敷かれ、その前に風呂場に続く扉があった。
そのすぐ隣に洗濯機があり、その前に洗濯用の籠があって、左側の洗面台の右側の収納に洗濯洗剤なんかが置いてあるのに気が付いた。
そして、洗濯機の左側の壁に物置の奥の扉と同様にイルゼ達にしか見えない扉があり、その中は二つの扉があり、左側の扉はなんとエヴァンジェリンの
ログハウスの中に繋がっていた。
窓の外にはエヴァンジェリンのログハウスがある本来の場所の外の光景が見え、窓から出るとエヴァンジェリンのログハウスのあった場所に出られた。
そして、その周囲にはこれでもかと言うほどに厳重な結界が何重にも敷かれ、エヴァンジェリン自身でも突破するのが難しいほどだろうと思わせた。
というよりもこれは誰も入れる気が無いのだろうというくらいの物で恐らくは近右衛門の張った物だろう。恐らくは近右衛門自身でも入る事は出来ないの
だろうと思った。
そして、右側の扉の向こうには近右衛門が用意していた修行場に出られた。
周囲を観察すると半径100kmでこれまた仕掛けた本人でも進入不可能なほどの、というよりも気づくことすら不可能なレベルの結界が張り巡らされてい
た。
大きな広場の隅に小さなログハウスがあり、その中にイルゼ達の部屋への扉があるのだ。
広場には井戸や的、簡易魔物の召還魔方陣などがあり、至れり尽くせりだった。
エヴァンジェリンはそれを見てただ一言、良くこんなもの一日で…と圧倒されるばかりだった。
見て回るのに時間を掛けてしまったので直ぐに三人一緒に風呂に入った。
エヴァンジェリンはイルゼに悪戯を仕掛けようとしたが色仕掛け関係に全く反応しないので諦めた。
布団に入る事には12時を回ってしまい、目覚ましをセットして三人はグッスリと寄り添うように眠った。疲れていたのか三人は目を瞑るとすぐに眠る事が
出来た。





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