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第20話『Evangeline.A.K.McDowellと一緒』
Side-Ilse
瞼の向こうから赤い光が溢れ出して目が覚めた。
羽毛たっぷりのベッドの掛け布団を少し退けて辺りを見回す。
窓を閉め切っているのに埃っぽさが全く無い室内で、真っ白な壁に囲まれている。
一瞬病院を思い出したけど、ここは病院以上に寂しい気がした。
布団から出ると自分の服が何故か変わっていた。
「あれ?俺どうして」
頭が冴えてきて幾つかの疑問が頭に浮かんだ。
「ここどこだ?」
窓の傍まで歩くと、窓の外から強い日差しが差し込んでいた。
窓を開けると凄まじい風が流れ込んできた。外を眺めるとどこからか波の音が聞こえてきた。下のほうに視線を向けると広大な海が地平線の彼方まで
広がっていた。
「…はい?」
寝ぼけているのか確かめようと頬を抓ってみるが何も変わらなかった。
「夢じゃない?」
呆然としていると、突然背後から扉の開く音が聞こえて振り返った。そこには金色のたっぷりとした髪の毛をどこからか吹く風に任せて躍らせるエヴァン
ジェリン・A・K・マクダウェルが立っていた。
「起きたか、中々目を覚まさんのでこのまま死ぬのかと思ったぞ」
そう言うエヴァンジェリンは悪戯っぽく笑った。
「冗談、死ぬわけにはいかないさ。木乃香は?」
「ふふ、安心しろ。小娘の方は既に目を覚ましたのでな。下で食事をさせている」
「そっか。…あのさ」
俺はエヴァンジェリンの姿を確認して昨日のことを思い出した。ここがどこなのか分からないけどその前に知りたいことがあった。
「なんだ?」
大方の予想はしているのだろう。エヴァンジェリンは余裕の笑みを浮かべながら俺の話すのを待った。
「俺達、合格出来たかな?」
結局、昨日の勝負は負けに終わった。最後の攻撃を完全には抑え切れなかった筈だ。抑え切れたのならこんな時間まで眠っては居ないだろう。
「ククッ」
すると、エヴァンジェリンは心底面白がるように顔を歪めて笑った。
「お前達は似たもの同士と言うわけだな。起きて質問することはまったく同じとは」
「だって、一番重要なことだろ?」
エヴァンジェリンは俺の言葉に苦笑して頬を緩めた。
「ああ、そうだな。ここがどこかなど大して問題ではないか?」
俺にはエヴァンジェリンの質問の意図が分からなかった。
「だって、それは重要な事じゃないだろ?だって…」
俺の言葉にエヴァンジェリンは怪訝そうな顔をした。
俺はそれに構わずに続けた。
「ここに連れて来てくれたのはエヴァンジェリンさんなんだろ?だったら問題なんてないじゃないか」
するとエヴァンジェリンは大袈裟に溜息をついたかと思うとあきれたような視線を送ってきた。
「二人して同じ事を言うな、お前達は。私は悪の魔法使いなんだぞ、少しは警戒というモノをしたらどうなんだ?」
その言葉に俺は首を横に振った。
その答えは昨日のことを思い出した時点で持っているのだから。
「だって俺たちはエヴァンジェリンさんを信じてるからさ。悪の魔法使いなのかもしれないけど、エヴァンジェリンさんが悪いことをしたなんて俺たちには分
からないよ。分かるのは、エヴァンジェリンさんが優しい人だって事だけだよ」
エヴァンジェリンは驚いたように俺を見るとますます呆れた様に俺の視線を見返してきた。
「お前達…」
エヴァンジェリンは溜息をついた。
「実は打ち合わせとかしてないだろうな?まったく同じ事言いおって」
「木乃香なら俺と同じ事を言うだろうなんて分かりきってるよ。だって、俺達はパートナーなんだからさ」
当然のようにそう言い切るとエヴァンジェリンはそうかと言って再び溜息をついた。
「それで私が優しいと分かったのは直接戦ったから、勘だ…って言うんだろ?」
疲れたようにそう言うエヴァンジェリンに俺はああと頷いて見せた。
まったくと溜息をつくとエヴァンジェリンは後ろを向いた。
「食事を用意してある。悪いがご馳走と言うわけにはいかんからな。現実の今朝に爺ぃに頼んでココをガラクタの山から掘り出してお前達を移動して食事
を運び込んだんだがココを知っているのはこの学園には私と爺ぃだけなのでな。二人で運ぶには限界があったのだ」
「いや、サンキュー」
俺はなるべく感謝している事が伝わるように笑いかけた。
エヴァンジェリンはふっと笑い、歩き出して俺を促した。
「早くしろ小僧。小娘が待ってるぞ」
「イルゼだよ」
先を行くエヴァンジェリンに俺は言った。
「知っている。爺ぃに聞いている」
「なら名前で呼んでくれよ」
俺が小僧と呼ばれるのが気に入らずに不満を隠さずに言った。
すると、エヴァンジェリンは溜息を吐いた。
「お前たちと押し問答をしても無意味なんて事はよぉく分かってるさ。まあいいイルゼ、早く行くぞ」
「木乃香の事も名前で呼んでくれよな」
俺はエヴァンジェリンの後に続きながら言った。
「わかったわかった。実を言うとお前を起こしに行くと言って食堂を出るまで言われてな、渋々名前で呼ぶと約束させられたよ。まったく、タフネスな事だ
な」
やれやれと肩を竦めるエヴァンジェリンだがどこか愉快そうなのに気づいたけど何も言わなかった。
それから螺旋階段を二階分降りると、白い地面の広場に出た。
天には夏を思わせるような燦々と照りつける太陽と青空には絵の具を溶かした水に白色絵の具を垂らした様な多種多様な形の雲が風に身を任せて流
れている。
波の音が聞こえて広場の端の下には海があるのだと気づいた。
広場の海とは反対の端には大きな城のような建物がある。
俺はエヴァンジェリンに促されるままにその建物の中に入ると、途中に下に下がる階段と上に上る階段を通り過ぎて、その先にある談話室を抜けて廊下
に出た。
談話室から出て直ぐに左に曲がった所に豪奢な扉があり、それはひとりでに開いて俺とエヴァンジェリンの入室を歓迎した。
「これも魔法?」
「ああ、入退者識別魔法だ。簡単に言うと自動ドアのセンサーを魔法で代用しているのさ」
自動的に開いた扉に俺が驚いてエヴァンジェリンに聞くと分かりやすく解説してくれた。
ドアの向こうは素晴らしく整った豪奢な食堂だった。
天井には何段もある巨大で大層重量のありそうなシャンデリアが散りばめられているダイヤに反射させながらなんと炎を燃やしている。
基本的な知識としてダイヤモンドに火を近づけるのはまずいのではと考えたが、これも魔法なのだろうと考えを改めた。
巨大で細長い白いレースの付いたテーブルクロスが架けられた年代物で高級だと一目でどんな素人にもわかるほど豪奢なテーブルの周りに置いてある
椅子も複雑な細工がしてあった。
テーブルの周りには何体もの甲冑騎士が並んでいて、壁の中心には巨大な暖炉があったが使った形跡はまるで無かった。
壁には何枚も巨大で豪奢な額縁で飾られている絵があったが、絵には関心が無かったからどれほどの価値があるのかは分からなかった。
それでも、豪奢な額縁にあるというだけで絵としての良さはわからなかったが、名画なのではないかと思った。
絵を見ていると、驚いたことに何枚かの人物画が動いているのに気がついた。
だが、それをエヴァンジェリンに聞く前に既にテーブルに座って食事を前に座っていた木乃香が手を振ってイルゼを歓迎した。
「イルゼ、おはようさん」
木乃香の声の方向に顔を向けて俺も顔を綻ばせて手を振った。
「おはよう木乃香」
俺は木乃香の隣の席に着くと、目の前…ではなく木乃香が座っていたのは長いテーブルの入り口から反対の端っこで、その斜め前の席、つまりは端っこ
の席にエヴァンジェリンは着席した。
木乃香の加工は黒のシャツにピンクのキャミソールで青いすこしゆったりとしたジーンズを履いている。
靴はかわいい花飾りの付いているサンダルだ。
対するエヴァンジェリンの格好は黒のワンピースに大人っぽい黒のサンダルだった。
「この服ってエヴァンジェリンさんのなのか?」
俺は起きたときからの疑問を口にした。
すると答えたのは隣に座る木乃香だった。
「ちゃうでイルゼ。お爺ちゃんがうちらの部屋から持ってきてくれたんや」
その言葉にエヴァンジェリンはうむと頷いた。
「その通りだ。あの爺馬鹿がお前たちの部屋に施した結界は強力でな、一定レベル以上の魔法使いは完全にシャットアウトされてしまうので登録しないと
私は入れないのだ。今日明日には登録すると言っておったし、お前たちの修行の為にココへの直通通路を開通させる予定だ」
エヴァンジェリンがサラリと口にした言葉に俺は驚いた。
「じゃあ、俺達を弟子にしてくれるのか?」
すると、木乃香も聞いていなかったのか驚いていた。
聞くと、木乃香が起きてすぐにエヴァンジェリンが俺を起こしに言ったので状況は俺と変わらないらしい。
「ほんまなん?」
「ああ、お前達がどこまで強くなれるか興味が沸いたしな」
だがとエヴァンジェリンは一言置いた。
「その前に幾つか聞きたい事がある」
エヴァンジェリンの目からは虚言を言えばすぐにでも放り出すと告げられている気がした。
俺と木乃香がだまって頷くと瞑想をするかのように目を閉じて再び目を開いた。
そして、エヴァンジェリンはこれまで木乃香が教わってきた事を事細やかに説明させた。
それに、これまでの戦いについて。
そして、いよいよ最後の話になった。
「最後の質問だ」
エヴァンジェリンはそれまでの淡々とした口調を止め、目を鋭く細めた。
俺は知らずに喉を鳴らしていた。
それは隣の席からも聞こえた。
「昨日、イルゼ。お前の姿が変わったな?アレはなんだ?」
俺は躊躇無く口を開いた。元から隠す気は無かったし、エヴァンジェリンになら教えても問題ないと思ったからだ。
無闇やたらに言いふらす気は毛頭ないが、信用を示したかった。
俺達は初めて出会った日の事から説明した。
デジタルワールドの事、デジモンの事、梁山泊での修行については少々省いたが。
話し終えてエヴァンジェリンの顔を見ると目を見開いて固まっていた。
ゆすったりして何とか目を覚まさせると、エヴァンジェリンは気の抜けたような溜息を吐いた。
「異世界、デジタルワールド、人間になったデジモン…」
ブツブツと口の中で言葉を転がしながら頭を抱え、エヴァンジェリンは疲れたように再び溜息を吐いた。
「普通に考えれば信じられん話だが」
エヴァンジェリンは俺達を見つめると再び溜息を吐いた。
「アレを見てはな。それに、お前達が嘘をついていない事くらいわかる」
さてと言ってエヴァンジェリンは手をテーブルのすっかり冷めてしまった料理に翳した。
「コクタス カリバス!料理よ温まれ!」
エヴァンジェリンが呪文を唱えるとなんとあっという間に冷めた料理から暖かい湯気と香りが立ち込めた。
テーブルの上でトマトスープとベーコンエッグが食欲をそそる。
「すげぇ、魔法ってこんな事も出来るのかぁ」
「エヴァンジェリンさん、うちも練習したら出来るん?」
俺と木乃香が敬服したように言うと満足げな顔をしながらエヴァンジェリンはああと言った。
「これは始動キーも必要無い初級魔法だ。木乃香ならば簡単に覚えられるだろう」
「ほんま!?」
エヴァンジェリンの言葉に木乃香は目を輝かせた。
「ああ、昨日の戦いで見た限り木乃香はずば抜けた魔法の才能がある。魔力だけならばただの能無しだがあれほどの魔力を巧みに操る術をその歳で
備えているなら魔法使いの中でも最強レベルになるのは難しくないだろうさ」
「うちに才能?」
「ああ、木乃香。お前がどう捕らえているかは分からんが間違いなくお前の才能は常識外だ。お前の師匠の妙とか言うのはよく分かていたみたいだな。
才能を伸ばすために新術を教えるのではなく、魔力の操作によって発動する東洋魔法の符を使わせていたのはそういう分けだ。昨日、お前はアサメイを 咄嗟に使ったといったな?」
エヴァンジェリンにこれまでの事を語っているときに昨日の事も話したのだ。
アサメイは麻耶が帰り際に渡したものだった。
「アサメイは使うものが極端に少ない魔法具だ。何故なら使い道は少ないし、なにより使い難い」
木乃香はその言葉にえっ?と首を傾げた。
「アサメイが使い辛い理由はその魔法保有量の限界値が低いと言うことだ。それに魔法耐久力も極端に低い。魔力を注入するのにはかなりの集中力が
必要なんだ」
エヴァンジェリンの説明を聞いても木乃香は首をかしげたままだった。
「でも、あの時うち普通に出来たえ?」
「だから言っただろう?お前の才能は恐るべきものだと。はっきり言ってお前の保有魔力量は人類最強レベルと言っても遜色ない。それをあんなに耐久
力がなくて保有できる量も少ない玩具みたいな物に魔力注入出来たのは魔力操作に卓越した才能があったからだろう」
「木乃香ってそんなに凄かったのか!?」
俺は驚いて木乃香を見た。
木乃香自身もエヴァンジェリンに褒めちぎられて照れているが実感は湧かないようだ。
「これから木乃香を弟子に取る、イルゼ、お前は魔法が使えないんだったな?」
「ああ、俺は魔力も気も無いからな」
「お前の場合は魔法ではなくデジモンとしての力を鍛える必要があるだろうな…」
エヴァンジェリンは顎に手を置いて瞑想するように目を閉じながらブツブツと独り言を言って目を開いて俺を見た。
「イルゼ。お前、また進化出来ないか?」
「進化?出来ると思うけど、どっちかって言うと木乃香が進化させてくれた感じだから俺自身じゃどうも出来ないよ」
俺はガックリした。よく考えてみると木乃香が居なければ何も出来ないじゃないか。
「木乃香、どうだ?」
「うぅん、昨日は無我夢中やったから、試してみんとわからへん」
ふむと唸ってエヴァンジェリンは冷めた料理に再び魔法をかけた。
「とにかく食事をさっさと食べてしまおう。それから広場に出て試してみよう。木乃香の魔法は教えられるがイルゼの方は進化しての戦闘に慣らせる以外
に今は思いつかないんでな」
「了解、俺強くなれんのかな?」
俺はつい自信の無い事を言うとエヴァンジェリンはフッと不適に笑った。
「それはお前次第だ。木乃香を護るというなら成れるかどうか等問題じゃない。どんな災厄からも護りきれるようになる他道はあるまい?」
年長者としての重みのある言葉だった。
「そうだよな、馬鹿だった。やる事なんて決まってるよな」
「聞いた話だと未だ完全体、究極体とあるんだろ?それなら少なくとも並みの魔法使いには遅れは取らんさ。成熟期ですらあれほどの力を持っていたの
だからな」
「サンキュー…ばあちゃん」
俺がお礼を言った瞬間、エヴァンジェリンがトマトスープを掬っていたスプーンを落とした。
肩をワナワナと震わせて地獄の底から聞こえるようなドスの効いた声を発した。
「おい、ばあちゃんとはどういう事だ?」
突然、空気が変わって俺と木乃香は目を白黒させた。
「だって、ばあちゃんは600歳なんだろ?だったらばあちゃんでいいんじゃないの?」
俺が聞き返すとエヴァンジェリンは爆発したようにテーブルに乗っかって俺の頭を揺さぶった。
「誰がババアだ!喧嘩を売ってるのか貴様!」
「うわあぁぁごめんなさい!じいちゃんはじいちゃんって呼んでいいって言ってくれたからついぃぃ」
頭を揺さぶられながら言うとエヴァンジェリンは突然動きを止めてキョトンとした顔を向けた。
「なに?お前喧嘩を売ってるんじゃないのか?」
「??なんでばあ…エヴァンジェリンさんに喧嘩売るんだよ?」
「うちもおばあちゃんって呼んじゃあかん?」
木乃香が寂しそうにそう言うとエヴァンジェリンは狼狽したように首を横に振った。
「いや、別にそう言うわけじゃ!ただ、ばあちゃんなんて呼ばれたことなかったし…。でもおばあちゃんが…ババアじゃなくておばあちゃん…」
すると突然エヴァンジェリンは態度を豹変させてブツブツ呟くと次第に頬を緩ませた。
「うむ、わかった。ばあちゃんやおばあちゃんでいいぞ。私は子供を作れんからな…実はすこし母親というのに憧れなかったか?と聞かれれば応とは答
えられんだろう。出来れば母さんとかの方が良いんだが…ふむ。わかった、おばあちゃんと呼ぶのを許してやる」
若干顔を赤らめながらそう言うエヴァンジェリンに俺と木乃香は顔を見合わせて喜んだ。
木乃香はテーブルに乗ったままのエヴァンジェリンの細い足に抱きついた。
「わぁい、うちお婆ちゃんはいなかったさかい。すっごく嬉しいで!」
ニコニコしながら全身で喜びをアピールする木乃香を見ながら俺も親愛の情を篭めてニッコリしながら言った。
「これからよろしくばあちゃん!」
Side-out
「う、うむ、こっちこそよろしく頼むぞ」
照れくさそうにしながらエヴァンジェリンは顔を背けて言った。
その様子にイルゼと木乃香は嬉しそうに笑いあった。
いい加減床に下りたエヴァンジェリンと木乃香、イルゼは三度目の呪文で温かくなった朝食を胃袋に納めた。呼び方が変わったことで親愛の情が生ま
れ、学校生活について等の雑談を交えながら明るい朝食は終了した。
それから広場に出ると木乃香は生まれ変わった新たなデジヴァイス。
『デジヴァイス・アクセル』のグリップを握った。
すると、木乃香の魔力が光となってデジヴァイスに注がれていった。
そして、木乃香が昨夜の感覚をなぞる様に強くなりたいという思いを強く念じた。
すると、携帯端末の画面のような部分から光があふれ出し、画面の中で光が回転し始めた。
そして、回転がこれ異常ないほど強まったところで、デジヴァイスが強く発光し熱を帯び始めた。
そして、画面の中で緑色の光が文字となって出現し、デジヴァイスの画面の左上のデジヴァイスの側面の丸い突起から光がイルゼへと駆け抜けた。
そして、不思議な現実味の無い声が広場に響いた。
『Evolution』
瞬間、イルゼの体から光が溢れ出し、全ての皮膚が光の粒子となった。
デジタルワールドの文字、カタカナ、英語、数字の羅列、それらが渦巻き、イルゼの体は人間のそれから変化を始めた。
イルゼはその変化に身を委ね、叫んだ。
「インプモン進化!!」
その瞬間、光の渦の上空に巨大な魔狼の姿が投影され即座に消えて光の塊に吸収された。
人の腕だったモノは獣の前足になり、爪はナイフに変わる。
全身を紫の毛皮が覆い、頭は口と鼻が伸び狼のソレに変貌した。
耳に三つのリングが現れる。
どこからか蝙蝠が飛来し顔を覆う兜に姿を変える。
イルゼの体に飛び込んだ蝙蝠は真紅の模様となり、イルゼの目にはそれまでの広場ではなく、どこかの城のような場所の映像が映っていた。
そしてイルゼは新たな姿の名を叫ぶ。
「サングルゥモン!!!」
その瞬間、世界は壊れ、光の粒子となって四散してイルゼを元の広場に連れ戻した。
エヴァンジェリンを見下ろし、口を大きく歪めて笑顔を作った。
「なれたぜ、ばあちゃん」
声は喉の奥から響くように外に出た。
「改めて見ると中々のモノじゃないか。特に蝙蝠の翼の兜は得点高いぞ」
ニヤリとしながらそう言うエヴァンジェリンにへへっと目を細めて笑顔を作るイルゼに木乃香が近寄った。
「なあイルゼ、背中に乗ってもええかな?」
ワクワクした表情でイルゼの首を器用に抱きしめて木乃香が言うとエヴァンジェリンも目を輝かせた。
「おお、私も乗ってみたいぞ!」
二人の言葉に嬉しそうに目を細めながらイルゼは足を折って二人が乗りやすいようにしゃがんだ。
「いいぜ、乗りな」
イルゼの言葉に木乃香とエヴァンジェリンは嬉しそうにイルゼの背中に跨った。
エヴァンジェリンは木乃香が落ちないように木乃香の後ろから抱きしめるようにイルゼの背中の毛をしっかりと掴んで体を固定した。
首から生える蝙蝠の翼の様なモノはなんだか抜けてしまいそうで怖かったのだ。
「よぉし行くぜ!」
イルゼは二人を乗せて広場やその端から壁をまるで重力が壁の方向にあるかの如く走った。
エヴァンジェリンは壁走りが痛く気に入ったらしく木乃香が落ちないようにしっかりと抱きしめながら嬉々としてソコの壁を一周するように指示を出した。
それから5時間経ってもエヴァンジェリンと木乃香はちっとも飽きずにイルゼの背中で風を感じ続けた。
魔力を封印されてからはエヴァンジェリンも空を飛んでも風を感じる事は出来なくなって懐かしかったし、イルゼの背中は暖かくとても楽しかったのだ。
だがそれからそう経たない内にイルゼが息を荒くして元の広場に戻ると元の姿に戻っていた。
ただし、服が弾け飛んでしまい、さすがに風が吹く外で裸で居る事が恥ずかしくなりすぐに着替えをしに戻った。
木乃香もイルゼに魔力を送っていたので魔力を減らしていたがまだまだ余裕だった。
満足げな顔でイルゼが戻るのを待つとそのまま広場から柵の無い橋を渡り巨大な魔方陣の上に二人を連れてきた。
「おばあちゃん、これなぁに?」
足元の魔方陣を興味深げに見ていた木乃香がそういった瞬間、イルゼ達は太陽の降り注ぐアソコから窓から冷たい風が吹き込むログハウスの地下室
に立っていた。
「見てみろ」
エヴァンジェリンが手で指し示した物を見た瞬間、木乃香とイルゼは素っ頓狂な叫び声をあげた。
「「あああああああああ!!!!!」」
そこには自分たちがつい先ほどまで居た場所のミニチュアがあったのだ。
それも中の海は波立ち、光は電球などとは全く違う暖かい太陽の光で溢れていた。
「俺達ここに居たのか!?」
イルゼの驚く声にエヴァンジェリンはご満悦そうに自分の宝物を見せびらかしたいと言う欲に支配されたまま<ニヤっと笑った。
「その通りだ。これは私は『別荘』と呼んでいる。中は外とは時間が違ってな、24時間経たないと出られん代わりに中での1日が現実の一時間に過ぎんの
だ。まあ、これを使うのは余程の時だけがな。今回はもうすぐ学校だから何日も寝込んでいられないからこれの中に二人が眠っている間に運び込んだの だ。修行にはこれは使わんがな」
「え?なんで?」
イルゼの疑問にエヴァンジェリンは答えた。
「簡単さ、歳を取るからだ。ここで何十何百日分と修行をすると歳を他の者より余計に取ってしまう。緊急じゃないんだ、お前達はゆっくり育てばいいから
な、爺ぃがうまい事専用の修行場所を確保してくれたからな、お前たちの修行はそこでやる。」
イルゼと木乃香はよく分かっていないような顔だがエヴァンジェリンが自分たちを思って言ってるのだと悟るとコクント頷いた。
「それじゃあ学校の用意もあるだろうから今日は帰れ。明日から学校が始まるんだからな」
エヴァンジェリンがそう言うと、木乃香はフッと思いついてエヴァンジェリンに目を輝かせていった。
「なあなあ、おばあちゃんもうちらと同じ部屋に住まへん?」
その言葉にイルゼも名案だと手を叩いた・。
「そうだよばあちゃん!俺達の部屋は三人部屋でまだ一人分空いてるんだ!じいちゃんに言えばすぐに引越し出来るよ!」
その言葉にエヴァンジェリンは目を見開いたが残念そうに首を振った。
「駄目だ、私は魔法使い達から忌み嫌われている。このような場所に隔離してようやく我慢しているのだ。私が寮に住むようになればそういった連中がな
んと言うか…」
分かりきっている。そうエヴァンジェリンが言おうとしたが、階上からそれを遮る様に声が聞こえた。
「ホッホッホッ、ワシは二人の考えはいい考えじゃと思うぞ?」
降りてきたのは近右衛門だった。近右衛門は愉快そうに笑いながらエヴァンジェリンに言った。
だが、エヴァンジェリンは近右衛門を睨み付けた。
「馬鹿な!!今でさえ連中を抑えるのはギリギリの筈だ!!それに私に弟子入りするだけでなく一緒に住むなどと言えば二人に危険が及ぶかもしれん
だろ!!」
エヴァンジェリンの激しい憤りの怒鳴り声を受けても柳に風と言った感じで近右衛門は受け流した。
そして鼻を鳴らしてそのような事どうでもいいと言った感じの顔でエヴァンジェリンを見た。
「その様な連中に好き勝手は言わせんし、やらせんよ」
その言葉に訝しげにエヴァンジェリンが見ると、近右衛門の表情はどこまでも真剣だった。
この上なく本気なのだ。
「それにもう直ぐタカミチ君が戻ってくる。彼は未だ学生じゃが、それにアルビレオ・イマとも連絡がつい最近取れての、未だ忙しいようじゃが力を貸してく
れるそうじゃ。それにサウザンドマスターの父でもある魔法学校の校長ともうまく連携を取れるように体制を整えておる。二人にもしもの事があればその 者は魔法世界の中でも指折りの実力者に一斉に立ち向かわねばならんと知らせておけば問題ないじゃろう」
そう語る近右衛門の表情は恐ろしく邪悪だった。
ホッホッホと笑いながらエヴァンジェリンの肩を叩くと真剣な表情に戻った。
・・
「エヴァンジェリンよ、ワシの孫達を頼む。お主の事をとやかく言う者は然るべき処罰を受けさせる事にする」
その言葉にエヴァンジェリンは目を見開いた。
「正気か爺ぃ!?そんな事をすればお前の信用やマギステル・マギの信仰者が暴動を起こすぞ!!」
「大丈夫じゃよ、それらを抑え付けるのがワシの役目なんじゃ。サウザンドマスターに託された思いをワシは昨日の戦いで胸に刻み込んだ。なぁに心配は
いらんて、若輩者がどれだけ勇んだ所でワシの決定を動かせる者などおらん。悪しき風潮じゃよエヴァンジェリン、マギステル・マギの分かりやすい象徴 としてあやつの活躍ばかりを褒め称え、彼の苦難も思いも新たな魔法使いを御し易いようにする為に作られた教育では真に世界を知らぬ者ばかりが世 に出てしまう。じゃが、多くの魔法使いは欲した、英雄を、それもわかりやすい程の大英雄を。世界を救った英雄サウザンドマスターをの。それを次代に も引き継がせたいのじゃ。あのような戦いを誰ももう経験したくないのじゃ。あの時代を二度と呼び覚まさぬように悪しき思いを持たせない為に純白で潔 癖な無垢な者達を量産しようとしておるのじゃ。その為にお主を悪として子供たちに聞かせる。それをこのまま許せば例え悪を背負っておっても押しつぶ されてしまう日が来てしまうじゃろうて。じゃが、お主の本質は違うと信じておる。悪の対に正義は無い、善があるのじゃ。じゃが、悪を背負っておっても善 を持つ事は出来る筈じゃ。さすればサウザンドマスターの願い通り、光に生きる事も出来るじゃろう。どうじゃ?エヴァンジェリンよ。一度、挑戦してみて は?」
それまで黙って聞いていたエヴァンジェリンは突然の質問に一瞬困惑し、迷う様に近右衛門に顔を向けた。
「挑戦…だと?」
「そうじゃ、挑戦じゃ!お主は一度光に生きる道を模索した。ならば、もう一度じゃエヴァンジェリン。もう一度だけ進んでみるのじゃ。ワシはお主を助け
る。お主が真に善を他の者達に見せ付け、誰もお主を悪く言えぬ日が来たならば…」
「来たならば?」
エヴァンジェリンは近右衛門の見た事も無いほど真剣で強く、まるで自分の何もかもを見透かすような不思議な瞳を見返しながら聞いた。
「ワシがお主を解放すると約束しよう。例えサウザンドマスターの呪いじゃろうと、キチンと然るべき整えを終えればお主をこの地より開放する事も出来る
じゃろう。その時こそ、光に真に生きる道が開ける筈じゃ」
近右衛門の断固とした言葉にエヴァンジェリンは目を見開いた。
本当に目の前の翁が近衛近右衛門その人なのかを疑いたくなった。
だが、その人は紛れも無く近右衛門その人自身であった。
「…約束、お前は破らないと誓うか?」
自分でも気づかぬ内にエヴァンジェリンはそう口にして自分自身で目を見開いて驚いた。
木乃香とイルゼはただ黙って二人の様子をじっと見守った。
近右衛門は厳格に頷いて見せた。
「決して約束は違えん。それに、ワシがもし、お主を解放する前に死んでしまったとしても」
近右衛門の言葉にエヴァンジェリンは鋭い視線を向けて口を開きかけたが、感じた事の無い近右衛門から発せられる強烈な威圧感に黙るほか無かっ
た。
「木乃香は、必ずお主を解放するじゃろう」
突然、話を振られた木乃香はギョッとしたがすぐに首を横に振った。
それを見てエヴァンジェリンは悲しげな表情をしたがすぐに木乃香の言葉に別の意味での涙を流す事になった。
「うちにその役目が回ってくる事は無いと思うで。おばあちゃんは絶対にみんなに認めてもらえるようになるって、うちにはわかるんよ。いつの日か、絶
対!それまでお爺ちゃんも絶対死んだらあかんよ。その役目はお爺ちゃんがやらなきゃあかん。そしたらうちは命ある限りおばあちゃんの味方や。それ はきっとずっと変わらへん」
木乃香の強い瞳は真っ直ぐに近右衛門を捕らえた。
そして、木乃香の隣のイルゼも近右衛門に真っ直ぐに視線を向けた。
「俺は、パートナーの木乃香を護ると誓った。そして、俺もばあちゃんを護ってみせる。ばあちゃんを護れるくらい強くなってみせる!じいちゃんも負けちゃ
駄目だ。ばあちゃんの頑張る姿をしっかり見届けなくちゃ!その責任があると思う、ばあちゃんに道を指し示したんだからさ」
木乃香とイルゼの言葉に、近右衛門はしっかりと頷いた。
そして勇敢に顔を上げ、老人の顔とは思えぬ程の覇気を放出した凛々しい表情を見せた。
「そうじゃった、ワシも耄碌するには些か早いよのう。そうじゃ、ワシには責任がある。それを途中で放り出すわけにはいかん。そうじゃ、そうじゃった!」
エヴァンジェリンの瞳からは知らずに雫が零れ落ちていた、だがそれを誰も言わなかった。
そして近右衛門は後ろを向いた。
「エヴァンジェリンよ、今日中に二人の部屋にお主の為の改造を施しておこう。お主のログハウスにはお主だけの秘密がたくさんじゃろうからな。お主の
ログハウスもまたお主の別荘の様に収納出来るよう空間型の魔法具を調達しておこう。今日は三人で街中をブラつくが良い。必要な学用品は用意して おく。エヴァンジェリンよ、お主も初等部に変更しておくが良いかの?」
「出来るのか?」
エヴァンジェリンが聞くと近右衛門はしっかりと頷いた。
「登校地獄に若干の介入はワシでも準備すれば出来よう。あれは本来は学校に行かせる為の呪いじゃ。あやつの無茶苦茶のせいでかなり改変してしま
っておるがそのくらいの融通は効くじゃろう。後で、準備をしておくから学園長室に来るが良い。」
「感謝…してやるよ」
エヴァンジェリンはぶっきらぼうにそう言うと顔を背けて近右衛門の横を通り抜けて階段を上った。
「二人に朝食くらい用意してやる。私はあんまり料理はしないのでな、期待はするなよ?」
その言葉に、近右衛門は顔を綻ばせ。木乃香とイルゼは見つめあいながら喜んだ。
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