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第19話『VSエヴァンジェリン 進化!サングルゥモン!』
Side-Ilse
深夜、半分に欠けた月が真上から俺と木乃香を見下ろしている。
冷たい風が森の木々の合間を縫って髪を揺らし、森の中からは生き物の鳴き声はまったく聞こえなかった。
目の前に佇む可愛げのあるログハウスは御伽噺に出てくるような外観だった。それが、余計に魔女の住処としての存在感を際立たせた。
木乃香も緊張しているらしく、風の音がやんだ瞬間に喉を鳴らすのが聞こえた。
すると、ログハウスの扉が開いた。俺と木乃香が居るのはログハウスの周囲の広場の入り口で、その広場は半径100M程だ。ログハウスのすぐ近くを小
さな川が流れ、それが広場を真っ二つに分断している。
ログハウスから出てきたのは金色の髪を持つ少女だった。エメラルドのように青く澄んだ瞳は月明かりの中ですら見て取れた。
映画や小説の吸血鬼のイメージからはかけ離れた姿に、戸惑いを感じた。
小説での吸血鬼のイメージと言えば、残忍な真紅の瞳に殺意を散らばらせる銀色の髪、畏怖を感じさせる鋭い牙、それらが目の前の少女には見て取れ
なかった。
身長は、自分たちよりも僅かに大きい程度、だけど油断は出来ない。自分達より遥かに格上の人達が恐れたほどの魔法使い。
すぐに動けるように構え、エヴァンジェリンを睨み付けると、エヴァンジェリンは愉快そうに微笑んだ。
・・
「ほぉ、近右衛門の小僧が弟子入りさえたい者が居ると言っておったが」
エヴァンジェリンは目を細め、鋭い視線を俺と木乃香に向けた。たったそれだけの事で、汗が額から滴り落ちた。握っている拳の中でも汗が染み出てい
るのを感じる。隣の木乃香は息を絶えず吐いて恐怖を払おうとしている。分かってしまった。目の前の存在は遥かに上を行っている。もし、殺し合いをす るとしたら、目の前の存在に出会った時点で終了だ。勝つか負けるかじゃない。出会ってしまってはいけないのだ。
「まさか、お前達のような子供を私にぶつけるとは」
エヴァンジェリンの視線は失望と嫌悪の色を見せた。
――怒っている?
どうしてか一瞬わからなかった。だが、すぐに思い当たった。
だから、俺の中で、彼女への恐怖が和らいだ。彼女は、自分と戦わせるという危険な事を子供にさせている事に対して怒っているのだ。それが分かった
のか、木乃香も目を見開いて少しだけ表情が明るくなった。
「違うよ」
だから、気が付けば俺はエヴァンジェリンに口を開いていた。俺の言葉に、エヴァンジェリンは一瞬驚いたような表情を浮かべた。
「違うとは?」
漆黒の外套(マント)に身を包むエヴァンジェリンの視線が俺に集中した。
「俺達が望んだんだ。詠春が信じたエヴァンジェリンに弟子入りしたいって!」
俺の言葉に、木乃香も一回頷いてから一歩前に出た。
「せや、うちらはエヴァンジェリンさんに認めてもらって弟子入りするんや!その為に来たんや!」
「だから、じいちゃんも他の人も関係ない!俺たちと戦ってくれ!」
俺達の言葉を黙って聞いていたエヴァンジェリンは鼻を鳴らして笑った。
「馬鹿かお前達は、私を誰だと思っている、私に認められたいだと?私に弟子入りしたいだと?笑わせるな。私は悪の魔法使いだ、ここでお前達を殺す
かも知れんぞ?まあ、お前達の歳では相手との力量の差も測れないのは仕方ないのかもしれんが」
エヴァンジェリンは強烈な殺気を放った。その瞬間、まるで時間が停止したように全てが止まった。足も手も首も指の一本さえも自由が効かなくなり、呼
吸すら出来なくなった。視線を動かすことも出来ず、木乃香の様子を知ることも出来なかった。耳も聞こえなくなったのか、風の音すら感知出来なくなって いた。呑まれたのが分かった、この感覚は師匠達の気当たりを受けた時と同じだ。師匠達が異常なのか、600年を生きた吸血鬼が手加減をしてくれてい るのか、師匠達の気当たり程の圧力は無かった。それでも、体の自由を取り戻すことは出来ずに、ただ、喉を震わせようと躍起になった。
「ぁ…ぁ…ぁぁ…ぁぁ…ぁ…ぁぁぁぁぁぁぁあああああぁあああああああああああ!!」
空気の漏れるような音が喉から出て、それを境に、腹の底から大声を上げて戒めを解いた。俺の叫び声で正気に戻ったのか、木乃香はすぐ隣で崩れ落
ちて涙を流しながら激しく呼吸をしている。俺も全身が衰弱したようになり、今にも脚が折れそうだった。それでも、折ったらそれで終わりな気がして、なん とか踏ん張って立ち続けてエヴァンジェリンを睨み付けた。
すると、エヴァンジェリンは驚愕の表情を貼り付けたまま固まっていた。
「馬鹿な…、私の殺気を受けて何故?こんな、二桁も生きていない小僧が、馬鹿な」
エヴァンジェリンはありえない者を見るような眼差しで見つめてくる。俺はまだ震える足に鞭を打って一歩前に出た。
「俺達は、あんたがどんな人かなんて知らない。まだ、話した事も無くて、これが初対面なんだから」
「………」
エヴァンジェリンは何も言わずに俺をにらみ続ける。
「それでも、詠春が信じた人だから!俺は詠春を信じてる、だから、俺達はあんたに弟子入りしたい!こんなの俺たちの我侭なのは分かってるよ。だけ
どさ、それでも。俺達はあんたと戦う、それで認めてもらう。俺達は強くなりたいんだ!!」
俺がエヴァンジェリンを睨み付け続けていると、隣で、木乃香も立ち上がった。足をガクガクと震わせながら、それでもエヴァンジェリンを見つめて、デジ
ヴァイスを握り締めながら口を開いた。
「せや、うちらも強くなりたいんや。もう、せっちゃんやイルゼをうちのせいで死ぬような目に合わせとうない。だから、我侭だってわかってても、貫くん
や!!」
その瞬間に、木乃香の握っていたデジヴァイスから光が漏れ出した。
「え?」
木乃香は驚いたようにデジヴァイスを持ち上げると、その光がデジヴァイス全体を包み込んだ。そして、木乃香の体から不思議な光が溢れ、デジヴァイス
の中に取り込まれていく。
「な!?なんだ!?」
突然の事に、エヴァンジェリンは目を見開いて木乃香を見た。木乃香から溢れた光が、デジヴァイスの光をさらに増やして輝かせた。
「木乃香!?」
俺が驚いて木乃香に駆け寄ろうとしたが、木乃香がデジヴァイスを持つ右手を左手で包み込みながら俺を見つめて首を横に振った。
「大丈夫や。なんとなくわかったで、これがデジヴァイスなんや。印の意味がようやくわかったで」
「木乃香?」
光が、森中を照らし出すほど強くなり、不思議と、その光が温かく感じて力が漲って来る様だった。
「これは…魔力か!?なんて出鱈目な量だ」
エヴァンジェリンは、何時の間にかすぐ近くまで近づいてきていた。
「!?」
俺はすぐに木乃香を庇う様に動くがエヴァンジェリンは余裕の笑みを浮かべた。
「何もせん。ただ、これほどの魔力を持つとは」
エヴァンジェリンは木乃香から発せられるとてつもない魔力に感心したように言った。
「何をするつもりか知らんが、いいだろう。私の殺気を受けて立ち上がった褒美だ。戦ってやる」
木乃香を見ながら、エヴァンジェリンは言った。まるで面白がるような表情を浮かべながら。
「だが、何をするつもりか知れんが、これが終わるのを待ってやる。そのくらいのハンデはやらんとな」
ニヤリと笑いながら、エヴァンジェリンは離れて行った。少し離れた所でジッと見つめ続けている。
その間にも、光はどんどん溢れていく。
「大丈夫なのかよ木乃香!!」
尋常じゃない雰囲気につい叫んでしまった。すると、木乃香は微笑んだ。
「イルゼ、デジヴァイスは魔力を吸うんや。それがイルゼの為の力に変換されるんや。印は技に合うように力を送るためのやったんや」
「木乃香?」
「行くで?イルゼ」
木乃香の言葉に答えるように、光が一気に膨れ上がったかと思うと、木乃香の手にあるデジヴァイスへと吸い込まれていった。
そして、光が収まると、デジヴァイスの形が変わっていた、トランプのケースよりやや小さめで、中心を縦に黒い線が入っていて、両端には縦に桃色の線
が入っている。四角い窓の様なのが着いていて、左の側面にはグリップがついている。
俺はそれを覗き込むと、その窓の下端にデジタルワールドの文字が書いてあった。
「アク…セル?」
俺は、ババモンに習った文字を読み上げた。
「アクセル?イルゼ、これってアクセル言うん?デジヴァイスとちゃうの?」
木乃香が驚いたように聞いて来た。
「わかんねえ。ただ、その一番下にそう書いてあるんだ」
「一番下?これ、イルゼ読めるん?」
「ああ、四角いのがアで、8みたいのの横に*があるのがク、テトリスのブロックみたいのに横線が入ってるのがセ、そんで漢字の貝みたいのが二つあ
るのがルだ」
「ほえぇ、凄いなぁイルゼ」
木乃香の感心したような声につい照れて頬を掻いていると、後ろの方でエヴァンジェリンの呆れた様な声が聞こえた。
「お前達、戦う気は無いのか?」
その言葉に、俺達はハッとなってエヴァンジェリンを睨みながら構えた。
「戦う気満々だぜ!行くぞ、木乃香!」
デジヴァイスの光のおかげで全身に力が漲っている、俺はすぐに飛び出せるように脚に力を篭めた。
「行くで、イルゼ!」
そう言って、木乃香はデジヴァイス・アクセルを握り締めた。
そして俺が飛び出した瞬間、再びデジヴァイスから光が放たれ、俺の全身を覆った。そして、デジヴァイスから不思議な声が聞こえた。
『Evolution』
「な!?ぐ…ぁ、ぐぐ…ぐあああああああああああ!!」
体が光の粒子に包まれていく、デジタルワールドの文字や現実世界の英語や日本語の片仮名が周囲を取り巻き、一瞬、巨大な紫の狼の映像が見えた
と思った瞬間に光に変わって俺の中に入った。
そして、頭の中に情報が入ってくる。
俺は、固い毛皮に覆われて、鋭い刃物のような爪を持つ前脚を光の壁から突き出した。そして、鋭い牙と、頭部を覆う先端の鋭く尖った蝙蝠の翼の様な
モノで光を突き破った。
光の壁の向こうは未だ光の粒子が残っていたが、元の森の中だった。だから、俺は新たな自分の名前を叫んだ。
新たに存在する自身を肯定する為に。
「サングルゥモン!!!オオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
俺の体は胸元を白い毛が覆い、紫の毛皮が全身を覆っている。背中と後ろ足の腿と尾の中心にだけ赤いギザギザした模様がある。その姿は、一瞬だ
け映ったあの狼の姿そのものだった。
「進化…した。イルゼ、サングルゥモン?」
木乃香は俺を見ながら呆然としていた。
俺はデジモンだって知っていても、実際に人間じゃない姿を見たので怖がっているのかもしれないと思った。
俺は、木乃香に嫌われたしまったかもしれないと思い、木乃香に顔を向けられなかった。
人間の木乃香とデジモンの自分の違い、それが今になって実感できたような気がした。
そう思うと、進化した喜びを感じることが出来なくなっていた。
「なんだ!?小僧が…狼になった!?馬鹿な!人間ではなかったのか!?妖怪?いや…」
エヴァンジェリンは俺の進化を見て驚愕して頭を抑えている。
「木乃香…」
俺は、木乃香に怖がられるのが悲しくて顔を向けられずに、呼びかけた。自分の姿は異形そのものだ。元に戻れる保証も無かった。俺は、静かに木乃
香から離れてエヴァンジェリンと戦うために移動しようとしたが、不意に尻尾に小さな、小さすぎる力を感じた。
「イルゼ…なんやね?」
「木乃香…。ああ、俺だよ」
「進化、したんやね?」
「ああ…」
俺は、つい悲しい気持ちが声に出て震えてしまった。
木乃香に嫌われてしまった。最初はただ、適当にパートナーとして詠春に勧められてなっただけだった。それでも、一緒に居て、嫌われたくないと願うほ
ど、木乃香の存在が大切になっていた。だが、木乃香の言葉で、イルゼの蝙蝠の様な翼で隠れた目から涙が溢れた。
「かっこいいで、イルゼ」
「え?」
「イルゼ、すっごくかっこいいで!」
思わず、顔を向けると、そこには自分の異形の体に抱きついてニッコリと微笑む木乃香の姿があった。
「怖くねえのか?」
俺は、ついそう聞いていた。
すると、木乃香は意味が分からないと言った感じで首を傾げた。
「なんで?イルゼをなんで怖がらなあかんの?」
「なんでって…」
俺は絶句してしまった。すると、木乃香は俺の頭の蝙蝠の翼の様なモノの中の俺の頭に触れた。
「イルゼはイルゼやろ?とってもカッコいい、うちのパートナーやろ?うちはイルゼ大好きや。怖がるなんてありえへんよ」
「こ…のか…」
俺は瞳から溢れる涙を止められなかった。
そして、木乃香が俺から離れていった時にすこしだけ寂しく思いながら、俺はエヴァンジェリンに体を向けた。
全身をとてつもない力が溢れる。木乃香の心が俺に力を与えてくれるような気がした。
エヴァンジェリンを見ると、何故か、不思議な顔をしていた。まるで、泣き出しそうな子供の顔にも見えた。逆に、嬉しそうな表情にも見えた。そして、優し
そうに微笑んでいる大人の顔にも見えた。
それがどうしてだか分からない。だけど、俺は全身に力を漲らせて叫んだ。
「いくぜ!!」
「うん!!」
「来い!!」
Side-out
戦闘が開始された。一方は6歳の少女と異界の魔獣。
相対するのは、外見10歳の少女。見た目には魔獣に襲われる二人の少女のような絵だが、実際には全くの見当違い。
外観10歳の幼き少女にしか見えないエヴァンジェリンは駆け出した巨大な狼となったイルゼが振り上げた腕を取ると、容易く投げ飛ばしてしまった。どん
な曲芸だろう、華奢な少女が巨大な狼を投げる姿はどこまでも現実というのを薄れさせる。
イルゼは投げ飛ばされながらも体勢を整え、そのまま駆け出した。
象程もある巨体でありながら、イルゼは素早い動きでエヴァンジェリンに向って鋭い刃物の様な爪で切り裂こうとする。
その間に、木乃香は自分の周囲に幾重モノ決壊を張り巡らしていく。注連縄や護符で出来る限りの強度を保たせる。
その様子に、イルゼの攻撃をなんなく躱しながらエヴァンジェリンは感心した。
どれだけの才覚だろう、自分の全盛期を持ってして間違いなく木乃香の魔力には届かないだろう。
それは自分をこの地に封じ込めた最強と呼ばれた男をしてそうだ。
それだけの魔力を操りながら僅か6歳であれだけの結界を張れるなど常識から言えば笑い話にしかならないほどだ。
そして、彼女の強さに、エヴァンジェリンは憧憬にも似た感情を覚えた。
異形となった友になんの畏怖も持たずに近寄って抱きしめることが出来る人間がどれだけいるだろう。
例え、子供だから判断出来ていないのだという者もいるかもしれないが、エヴァンジェリンはそうは思わない。
子供であっても、異形となった自分に手を差し伸べてくれた者はいなかった。
ただ一人、サウザンドマスターだけが自分に手を差し伸べてくれた、だから彼を手元に置いておきたかったのだ。
恋愛感情かと問われれば応と答えられるだろう程、望んだ。
もし、彼女が自分の身近に居れば、自分の手も取ってくれるのだろうか?そう考えて、馬鹿な考えだと頭を振って打ち消した。
自分は悪の魔法使いだ。何人もの人間を殺してきた。
サウザンドマスターが死んだと聞いて、自分に手を差し伸べてくれる存在が消え去ってしまった。
だからと言って、彼女たちを代わりにしたいなどとは思わない。
近右衛門や詠春の考えがわからなかった。
彼女達が自分の弟子になればどれほど大変な事になるか分からないはずもないだろうに。
だが、興味を覚えてしまった。だからこそ、徹底的に叩きのめさないといけない。認めてしまえば、彼女達が欲しくなってしまう気がしたのだ。
だからこそ、認めてはいけない。
自分に近づけてはいけない存在というのが在る。
幸い、異形となった少年の動きは見切りやすい。
空気の流れを感じれば目を閉じてても躱せるほどだ。
徹底的な力の差を前にすれば、彼女たちも二度と顔を見せはしないだろう。
気に入ってしまったから、認めてしまわないように。
徹底的に畏怖を植えつける。
エヴァンジェリンがそう思考していると、
イルゼの動きが変わった。木乃香が結界を張り終わり、デジヴァイスを握り、グリップを握り締め魔力を篭めた。それがイルゼに伝わり、後足で立ち上が
ると、前脚の刃物の爪をクロスさせ、そのまま爪を投擲した。
「スティッカーブレイド!!」
投擲した瞬間に、イルゼの爪は元に戻り、投擲された爪のナイフは空中で次々に増殖し、数千にも及ぶナイフの壁となってエヴァンジェリンに迫った。
「面白い芸当だな…、なら!」
エヴァンジェリンは不適に笑うと、外套から不思議な色の液体の入ったフラスコを投げながら呪文を唱える。
「氷神の戦鎚!!」
瞬間、フラスコは割れ、中の液体が巨大な氷塊となって現れた。
進化したてのイルゼのスティッカーブレイドではエヴァンジェリンの氷神の戦鎚を貫くことは出来ず、一気に後退する。すると、エヴァンジェリンは空中を蹴
り、一瞬でイルゼの背後に回った。
「な!?」
イルゼが体を振り向かせようとする間に、エヴァンジェリンはフラスコを投げ、呪文を詠唱する。
「氷の精霊17頭。集い来たりて敵を切り裂け。『魔法の射手・連弾・氷の17矢』!!」
氷の弾丸がイルゼの脇腹に突き刺さり、イルゼはそのまま吹き飛ばされた。
「それで終わりじゃないぞ」
残忍な笑みを浮かべ、エヴァンジェリンは新たなフラスコを三つ投げながら呪文を唱える。
「エクスキューショナーソード!」
三つのフラスコが割れると、すぐ近くを流れる川の水や、周囲の草や土を巻き込み、霧を圧縮したような巨大な刃と成した。
「チェックメイトだ小僧共。ふふ、殺しはしない。が、二度と私の前に姿を見せるなよ?」
凄惨な笑みを浮かべながら、エクスキューショナーソードを振り下ろす。
だが、一瞬何かに阻まれ、動きが止まり、その瞬間にイルゼの体が地面に染み込んだ。
「ブラックマインド」
完全に影に隠れたイルゼに驚愕しながらエヴァンジェリンは地面を見下ろすと、
そこには小さな折れた刀が落ちていた。
「アサメイ!?…なるほど、小娘の方か…」
エヴァンジェリンのエクスキューショナーソードを一瞬だけ止めたのは木乃香の魔力を限界まで篭められたアサメイだった。
エヴァンジェリンは忌々しげに木乃香を鋭く睨みつけ、木乃香は額から汗を垂らしながら震えたが、それでも立ち続けた。エヴァンジェリン自身も、内心で
は感心するばかりだった。
彼女の機転、強さに、もはや、弟子に取るだけならば十分するだけの力を見せてもらった。
だが、自分は負けるわけにはいかない、そう自分を鼓舞し、弟子にしたいという欲を打ち消した。
影に紛れたイルゼを警戒しながら、それでも木乃香に攻撃を加えようとはしなかった。
それは、別に正々堂々を語るつもりではなかった。
イルゼの動きは躱す度に鋭さを増すのを感じていたからだ。
二足から四足になった体に馴染んできたのかも知れない。
ただ、木乃香の方に行こうとした時のイルゼの動きはキレが違うのだ。
下手に動けば虚空瞬動を用いても躱しきれないだろう。
最初の小僧の姿ならば楽に勝てただろう。
だが、狼の姿となりポテンシャルが圧倒的にエヴァンジェリンを超えてしまった。
何時の間にか、自分の中で油断が完全に消えているのを感じた。
600年を生きた経験と勘、そして吸血鬼の本能が警鐘を鳴らしている。油断や躊躇いがあれば負けると、あの二人は強いと…。
「ちっ、何時まで隠れているつもりだ!だらしがない、そんな事では弟子には出来んぞ!!」
挑発の言葉を叫び、外套から魔法薬の入ったフラスコを取る。
魔力も残りは少なくなってきていた。
今宵は半月、全力全開にはほど遠い、魔法薬のストックも有限である現状で倒す策を練らねばならない。
その瞬間、イルゼがエヴァンジェリンの影から飛び出し、エヴァンジェリンを切り裂かんと爪を振り上げた。
「ぐ!?『氷楯』!!」
一瞬で氷の壁を作り出し、虚空瞬動によって距離を開けるが、視線の先でイルゼが爪をクロスさせ、投擲の姿勢に入っていた。
「スティッカーブレイド!!」
投擲された爪のナイフが増殖し壁となって襲い掛かる。
「クッ」
それを見て、エヴァンジェリンはほくそ笑んでフラスコを投げつける。
「『氷爆』!」
炸裂する氷の爆発で、イルゼのスティッカーブレイドは防がれ、巻き起こった煙が消えた先に、エヴァンジェリンの姿はなかった。
「どこに!?」
「来たれ氷精、大気に満ちよ。白夜の国の凍土と氷河を・・・『凍る大地』!」
突然、どこからかエヴァンジェリンの詠唱が聞こえ周囲を見渡すが、どこにも姿が見えず、イルゼは逃げるようにその場から駆け出すが、突然地面から
氷の柱が突き上がり、動きを封じられた。
「イルゼ!!」
木乃香は叫びながら火爆符を投げ、呪文を唱える。
「ナウマク・サンマンダ・ボダナン・アギャナウエイ・ソワカ!!」
投げた十枚の火爆符は炎の玉となってイルゼを拘束する氷柱に迫る。
だが、突然闇の中に現れたエヴァンジェリンがフラスコを投げつける。
「『氷爆』!!」
木乃香の最大の攻撃は、それだけで防がれてしまった。
だが、木乃香は諦めずに手元にある最後の符をエヴァンジェリンに投げつける。
「ナウマク・サマンダ・バザラダン・カン!!」
十枚の斬撃符に、不動明王呪の真言を載せ放つ。
だが、それを魔法も使わずにエヴァンジェリンは躱し、木乃香に向って持っている残りすべてのフラスコを使い呪文を唱える。
「来たれ氷精、闇の精。闇を従え吹けよ常夜の吹雪。『闇の吹雪』」
残るすべての魔力を残るすべての魔法薬に注ぎ込んだ。
その威力は、例え結界が張ってあったとしても木乃香を殺すには十分すぎる威力だった。
そして、エヴァンジェリンは能面の様に無表情になり、木乃香を見下ろしながら魔法を放った。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
だが、氷柱をブラックマインドで脱出したイルゼが間に入った。
「イルゼ!!」
木乃香は目の前に現れたイルゼの姿に驚き、叫んだ。
目の前に迫る魔法はまともに受けれ
ばいくら進化していてもただではすまない。
だが、イルゼは木乃香を護る様に動かずに木乃香に背を向けた。
「大丈夫だ木乃香!これくらい、防がないと認めてなんてもらえない!認めてもらうんだ!俺達の力を!!!」
イルゼの叫びに、木乃香だけでなく、エヴァンジェリンの表情も驚愕に変えた。
イルゼが間に合うと分かっていた。
だが、避けようとすれば、躱し切れないだろうと考え、これで終わりにするつもりだった。
まさか、真正面から受けようとするなどと想像もしなかったのだ。
「せやね、イルゼ。せやったらうちも逃げへん。行くで、イルゼ!」
木乃香はイルゼの背後に立ち、デジヴァイスのグリップを全力で握り、ありったけの魔力を注ぎ込んだ。
「馬鹿な!?よせ!!避けんか馬鹿者!!」
その様子を見て、エヴァンジェリンは焦ったように叫んだ。その姿を見て、その叫びを聞いて、闇の吹雪に覆われる寸前、イルゼと木乃香は笑顔を向け
た。
それを見た瞬間、エヴァンジェリンは認めてしまった。これ以上なく。これほどの覚悟を見せられてどうして認めないで居られようか。魔力が空になり、た
だ、凄まじい魔法に包まれる二人を呆然と見つめていた。
そして、闇の吹雪を受けたイルゼの体は、デジヴァイスを通じて変換された木乃香の魔力を受け、ギリギリで拮抗していた。
そして、封印されながらこれだけの魔法を使い、彼女自身の優しさを見て、自分達の師匠はエヴァンジェリンしかいないと、二人は確信した。
やるべきことは、この魔法を乗り切る事だけ。
「オオオオオオオオオオ!!!」
木乃香を自分の腹の下に隠し、イルゼは背中で闇の吹雪を受け続けた。
そして、イルゼの腹の下で、木乃香は只管に魔力をデジヴァイスに篭め続けた。
デジヴァイスを変化させるために使い、結界や符を使うのに使い、最初っから最後までイルゼに魔力を与え続け、今、壊れた水道管の様に止め処なく凄
まじい量をイルゼに流し込んでいる。
膨大な木乃香の魔力を持ってして全身が虚脱するような感覚に襲われ始めた。
周囲では凄まじい炸裂音や風の暴音、耳を裂くような凄まじい音が止め処なく鳴り続けている。
どれだけの時間が経ったのかわからない。
何時間も経過した気もする、ほんの数秒だったかもしれない。
恐らくは後者だろう。自分たちを襲う魔法の余波が収まった瞬間、イルゼの体は巨大な狼から元の人間の体に戻っていた。
全身から血を流し、服は無くなっていた。
木乃香自身も魔力が一気に無くなった事で気絶してしまった。
それを見て、エヴァンジェリンは二人に近づくと、大声を張り上げた。
「爺ぃ!居るんだろう!!」
エヴァンジェリンが叫んだ瞬間、森の中から近右衛門が姿を現した。
「爺ぃ…言いたいことは山ほどあるが、今はコイツらを治療しないといかん。家の中に運ぶのを手伝え」
「うむ…」
近右衛門は無言で頷き、イルゼを優しく抱き木乃香をフラフラしながら背負うエヴァンジェリンを見た。
「大丈夫かの?木乃香もワシが運ぼうか?」
「大丈夫だ、魔力がほとんど空になってしまったが、このくらいなら問題ない」
そう言うと、エヴァンジェリンは木乃香を背負ったままログハウスに入っていった。
近右衛門が後に続けながら改めて広場を見ると、凄まじい戦地の痕が見て取れた。
幾つもの穴が開き、川は見当たらなくなり、周りの木々が何本も折れている。
近右衛門はエヴァンジェリンに問いかけた。
「どうじゃ?二人は?」
「…認める」
「ほう?」
「爺ぃ、責任は取れよ?私に弟子入りしたと聞いて魔法使い達がいい顔をする筈がないんだ。こいつらにつらい思いをさせるようなことになればすぐに師
匠は止めにするからな」
「ホッホッホ、当然じゃ、二人は何があっても守り抜いて見せよう。そのくらいの責任は最初っから取るつもりじゃったよ。まあ…、まさかお主が本当に二
人を弟子に取ってくれるとは思わなかったがな」
「………フン」
それっきり、エヴァンジェリンは何も喋らずに魔法薬でイルゼの治療を施した。木乃香には魔力不足を補うためにはグッスリと寝かせるのが一番だと考
えてベッドに寝かせた。
近右衛門は去り際に一言だけ呟いた。
「お主の事も…誰にもとやかく言わせはせん…」
それは、二階で木乃香を寝かせようとしているエヴァンジェリンには絶対に聞こえない言葉だった。森での戦いは、サウザンドマスターの言葉を信じ、匿
っていたエヴァンジェリンを本当に信じられると確信させたのだった。
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