第17話『準備とこれから』


PHSの電子音が朝を告げ、麻耶は僅かに乾いた眼を擦りながら目を覚ました。

すぐ隣の小さな子供用のベッドには、幼い子供が二人。

天使のような寝顔で寄り添うように眠っている。

麻耶は布団から静かに抜け出すと、布団を埃が立たないように畳み、寝室を後にした。

麻耶が関西呪術協会に戻るのは午前十時頃の予定だ。

麻耶は、持ってきた荷物の入った鞄の中身を取り出して今の低い大きめの机にそれを整理しながら置いた。

木乃香の為に用意した護符や撃符、魂符、結界符などが束になって封印の呪を篭められた木乃香にしか解けない紐で括られている。

他にも、結界に支点を作る為の音叉や独鈷杵、各鈷杵、五鈷鈴等の法具が多数。

法具に関しては、イルゼと木乃香だけが開けられた隠し収納の中の魔術用品の中にもあった。

他にも、呪術協会の中でも屈指の実力を持つ巫女たちが自分達の髪の毛を編み込んだ弦を張った破魔弓。

破魔弓は、ただ弦を弾くだけでも魔に対して有効で、小物の鬼や悪魔ならばそれだけで退散する程の物だ。

榊の木と注連縄の様な一般的な結界法具から、神代文字の書かれた木札もある。

他にも、木乃香が扱えるレベルの子鬼の召還符などもある。

収納棚の中には、魔法の杖が数種類。

ステップアップする度に上位レベルの杖を使うようにとの意味だろう。

他にも、習得の難しいルーン魔術の本と秘石や宝石が各種。

メイド、マザー、クローンの女神の三つの姿である、処女と熟女と老女の姿が刻まれたアクセサリーはタリスマンとしてかなりの効果がある物だ。

他にも、通常の魔法使いならば使わないアサメイ(儀式用短刀)やマジック・チャリス(儀式用杯)。

魔族の血で出来た蝋や年齢詐称薬などの禁止された薬品なども各種。

タロットカードなどの占術関係も各種揃っている。

「さすがに…聖剣や魔剣は用意してへんな…。ありそうで怖かったで…」

現状で木乃香の使えそうな物を選別しながら麻耶は呟いた。

木乃香は才能と魔力に恵まれていて、僅か一年の修行とも言えない授業で結界の基礎中の基礎の入り口に入っている。

それでも、6歳と言う年齢から考えれば恐るべき鬼才だ。

それに、木乃香は癒術や結界術に優れていると言っても、攻撃呪文を覚えられないわけではない。

どちらかと言えば苦手というだけで、攻撃呪文に関しても覚えられない事はないのだ。

ただし、攻撃呪文に重きを置くべきかと言われればそうではない。

木乃香の本領はあくまでも守護にある。

攻撃は刹那とイルゼと言う従者に任せる事が出来るので、木乃香は自己を護り、仲間を守護し、仲間を助ける事に専念するのがベストだ。

だが、それは理想だ。

いつか、木乃香だけで危機に直面した時に、攻撃手段が無ければ話しにならない。

その為に攻撃用の符や道具を色々と準備したのだ。

麻耶は、エヴァンジェリンに弟子入りを頼むとしても、下手をすれば一戦交える事になるだろうと推測した。

そして、エヴァンジェリンとの戦いで使えそうな道具や符を選別しているのだ。

現在のエヴァンジェリンは、ドールマスターとしての従者は学園結界の影響で使えない。

彼女自身、満月は一昨日に過ぎてしまったので全開には届かない。

だが、それを補って余りある程の戦闘経験と魔力に沿わない技術がある。

戦うならば、木乃香は強力な結界の中でイルゼにデジヴァイスで印を送り、イルゼが単独で戦うのが通常だが…、それではエヴァンジェリンは、例え認め
ても木乃香を弟子にするとは思えない。

ならば、木乃香も戦闘に参加させるか?と言うわけにはいかないだろう。木乃香の使えるのは符に封印された術の発動のみ。

符を使わないで出来るのは九字印の守護と攻撃だけだ。

印の結び方は教えたが、実践で結べと言っても無理だろう…。

符は、斬撃符と火爆符を十枚程度。

符は二種類だけにする。

幾つもあっても戦闘では選んでいる時間はないだろうからだ。

雷は木乃香には難しく、水は氷を使うエヴァンジェリンには不利だからだ。

式鬼の符は戦闘中に使う事はないだろうから無しだ。

捕縛結界の符や注連縄にアサメイも使うかも知れない。

アサメイは使う者は滅多にいないが、木乃香の魔力を限界まで篭めて投げればそれだけでも伯爵級には無理でも上位の悪魔にも一撃を与える事が出
来るだろう。

ただし、使えるのは一回だけだ。アサメイ自体は造り手が少ない、需要がないからだ。

なので、ここにあるのは一本だけだ。

これは、最後の切り札になるだろう。

倒すのは無理、というより天才で努力してる老年の魔法使いでも戦ってはいけないレベルの相手に6歳の二人が挑むとはなんの冗談だろう…。

封印されていても自分でも本気でやって勝てるかどうかわからない…ほぼ負ける未来しか思い浮かばない。

なにせ、詠春の語りによれば、かの最強の魔法使いと唄われたサウザンドマスター、ナギ・スプリングフィールドですら、卑怯この上ない裏技で動きを止
めて封印したらしいのだから…。

エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル、童姿の闇の魔王、禍音の使途、不死の魔法使い、闇の福音…物騒と言うレベルなのだろうか…。

殺されはしなくとも、ボロボロにされるのは目に見えている…。

あの時の…、イルゼが龍になった時の力をちゃんと使えれば…まだ勝機はあるかもしれないが…。

否、あの力を使うのは危険だと思う…。

詠春ですら本気では無かったとはいえデジヴァイスが無ければ無傷では無理だっただろうと言わせた力だ。

木乃香の魔力供給をイルゼが受けられないのが痛い。

それに、イルゼと木乃香は実践など、詠春との訓練を含めれば三回しかないのだ。

デジヴァイスでどの印で戦うかなど戦闘中に打ち合わせなど出来るはずが無い。

麻耶は眉間に皺を寄せながらどうにか二人を認めさせる方法を考え続けた。





それから、八時を回ると、イルゼが起き出し、木乃香も目を覚ました。

すると、突然部屋の電話の電子音が鳴り響いた。

麻耶が二人におはようを言いながら取ると、電話の相手は夕映だった。

「おはようさん、昨日はイルゼと木乃香を案内したってくれてほんまありがとうやぁ」

麻耶の言葉に、電話の向こうの夕映は恐縮したような口調になった。

「それじゃあ、代わるで」

そう言いながら、麻耶は電話を子機に代えて木乃香に渡した。

「夕映、おはよう」

『おはようです、学生証はもらえましたか?』

「うん、もらったで」

『そうですか、それは良かったのです。今日は何時ごろに案内しますですか?』

「午前中はちょっと用事があるんや、せやからお昼にお願いしてもええかな?」

『勿論です。では、お昼ご飯を一緒に食べて行きませんか?』

「ええねぇ、うん。じゃあお昼一緒に食べてから行くえ」

『了解なのです。学にもそう伝えておくですよ』

「うん、ありがとうなぁ、夕映」

『いえいえ、それではまた後ほど』

「うん、また後でなぁ」

そう言うと、木乃香は子機の通話を切って充電器に戻した。

「案内の事か?」

イルゼの言葉に、木乃香は頷いて答えた。

「せやで、お昼一緒に食べてから行く事になったえ」

「友達が出来て良かったなぁ、二人共、友達は大事にせなあかんで」

麻耶の真剣な眼差しに、二人はコクンと頷いた。

「それから、エヴァンジェリンさんの所に弟子入りするからには、一筋縄ではいかへん…」

その言葉に、イルゼと木乃香は緊張したように身を硬くして麻耶を見た。

「可能な限り、シュミレートしたんやけど…正直言うて、エヴァンジェリンさんが相手でやと勝てる見込みは完全に0や。ちなみに、不意打ちや遠距離から
符とイルゼの技で弾幕打ちしても0や。それでも、エヴァンジェリンさんに弟子入りを挑む気はあるん?」

その言葉に、即座に二人は頷いた。

「当然や!」

「詠春が信じた人なら俺も信じる、その人に弟子入りする為ならなんだってやってやる!」

二人が決意の篭った眼差しを向けると、麻耶は何を言っても無駄か…と微笑みかけた。

「なら、頑張りや。うちは今日で京都に帰ってまうけど…応援してるで」

麻耶の言葉に、イルゼと木乃香は嬉しそうに笑いながら頷いた。

「うん!」

「うん!」

麻耶は、ニッコリ微笑みながら、傍らに避けておいた品々を机の上に置いた。

「これは、うちが選んどいた道具や。他の道具はお嬢様には未だ使いこなせへんかったり、あまり意味の無いのが多いさかい、エヴァンジェリンさんに挑
む時はこれだけを持って行けばええからね」

そう言うと、木乃香が既に習った道具を除けて、木乃香が初めて見る道具を机の上に整理しながら置いた。

「とりあえず、幾つかお嬢様でも使える道具の紹介をしとくで…、まずはこれや」

そう言うと、麻耶はアサメイを指差した。

「これは、儀式用の短剣で、お嬢様が魔力を篭めればそれだけで強力な切り札になりますさかい、ここぞと言う時に使ってくださいな」

「魔力を篭めるんは、符を使うんと一緒なん?麻耶さん」

木乃香の質問に麻耶は頷いた。

「さいです、ただ…このアサメイは一回しか使え無い代わりに用量が途轍もないんどす。せやから、お嬢様は符に魔力を篭める時は調整するようにしなさ
ってらっしゃるんやけど、これには調整は必要あらへん、ただ、全力で魔力を篭めて、『エーミツタム(開放)』と唱えればエヴァンジェリンさん相手でも少し
は効果ある筈です」

「次にこれ」

そう言って、麻耶が指で示したのは、注連縄だ

「これは?」

イルゼはどう見てもただの縄にしか見えないソレに首を傾げた。

「これは注連縄言うんや。エヴァンジェリンさん相手やと、コンマ一秒程度抑えるしか出来へんやろうけど…それでも、戦いの中での一瞬の隙はかなり貴
重なんや」

それを聞いて、感心したように縄を見ている木乃香は、その横にあるタリスマンを見た。

「麻耶さん、これは?」

木乃香の取り上げた物を見ると、麻耶は手にとって解説した。

「これはタリスマンや、中に術が封じられてるんですわ。これに使用方法はあらへん、ただ身に着けるだけで効果がでるさかいね。これはイルゼとお嬢様
にあるだけ身に着けてもらいます。それだけで、防御力は段違いですから」

タリスマンをイルゼと木乃香に手渡しながら言った。

「俺でも使えんの?」

イルゼの疑問に麻耶は大丈夫やと言った。

「タリスマンはそれ自体が常時発動型やさかい、イルゼがなんもせえへんでもええんや。それを持ってるだけで、低級の障壁と同じ効果があるさかい、幾
つかを身に着けておけば護ってくれるんよ」

「へえ…」

渡された一つの翼を持った女神エリスが描かれているタリスマンを持ち上げながら窓から漏れる陽射しに照らしながら眺めた。

「麻耶さん、これは?」

木乃香は、麻耶の脇にある不思議な文字の刻まれた石を持ち上げて聞いた。

「ソレはルーンや。かなり難しい魔法やさかい、これはエヴァンジェリンさんに弟子入りさせてもらえたら教えてもらいなはれ。使いこなせれば強力この上
ないさかい」

そう言うと、麻耶は木乃香の手から石を取り上げると、他のルーン関係の物と一緒に棚にしまった。

「…さて、それじゃあもう八時を過ぎてもうたし、ご飯食べに行きまひょか」

「はぁい」

「ういぃ」

「イルゼ…ういぃってなんやの?」

気の抜けたような返事を返すイルゼに麻耶は呆れたように聞いた。

「なんか体伸ばしたら出た」

「欠伸かいな…」

「それじゃあお嬢様、出かける前に簡単に髪を梳いてあげますさかい、こっち来てくださいな」

そう言うと、麻耶は木乃香を連れて洗面所に言ってしまい、中から叫ぶように言った。

「イルゼは、勉強机の上に着替え置いてあるさかい、着替えておきなはれ」

イルゼは自分の机を見ると、そこに茶色と黒のチェック柄に白い線の入ったYシャツと黒のジーパンと黒にブランドのマークが赤い糸で刺繍されたソックス
が置いてあった。

それを身に着けると、机の引き出しに入れておいた学生証をジーパンの後ろの左のポケットに入れた。学生証は革のブルガリ製のカードケースに入れ
てある。

ちなみに、カードケースや財布は洋服ダンスの中に入っている小さな棚の引き出しの中に大量にあった中から選んだものだ。

時計は、子供用の黄色い電気鼠の絵柄の描かれている物を腕に着けた。

木乃香とイルゼの机の間に置いて有る大きな鏡で髪の毛が邪魔になら無いようにかき上げた。
      
すると、洗面所から髪を整えて着替えた木乃香と麻耶が出てきて出発した。

麻耶はエレベーターを降りて管理人室の窓をノックすると、管理人の夢水誠司に鍵を手渡して外に出た。

ショッピングエリアに到着すると、麻耶は昨晩に近右衛門から教わったお勧めのカフェを見つけた。

店の前の木製の立て札に貼り付けられている黒板には『CAFE・GREEN』と可愛い字で描かれている。

可愛らしいロッジ風の概観が若干、ショッピングエリアの他の近代的な建物とそぐわない気がしないではないが、三人は扉を開いて店内に入った。

店内には、結構な人が居て、三人がキョロキョロとしていると、黒髪のエプロンを来た男性が歩いてきた。

「いらっしゃいませ、三人でよろしいですか?」

麻耶は頷きながら答えた。

「は、はい。三人です」

店員の男性は驚くほどの美形で思わずドモってしまった。

通された席は円形の四人掛けだった。

座って、男性が置いて行ったメニューを開くと、ケーキや簡単なモーニングセット、ドリンクが並んでいた。

「二人ともモーニングセットでええなぁ?」

木乃香とイルゼはメニューを眺め回してから頷いた。

麻耶が右手を上げると、茶色く長い髪をした眼鏡の女性が注文を取りに来た。

「はい、ご注文はお決まりになりましたか?」

「はい、モーニングセットを三つお願いします」

「モーニングメニューを三つで、かしこまりました。メニューをお預かり致しますね」

そう言うと、女性はメニューを手に取った。

「それでは、少々お待ちくださいませ」

女性が去ってから、麻耶は二人に微笑みかけた。

「二人とも、頑張りぃな」

「おう!絶対弟子入りしてやる…」

「ちゃう」

イルゼの言葉を遮って、麻耶は首を横に振った。

「これからの生活の事や…。これからは、なんも一人一人でやらなあかん事ばっかりなんやで?…せやから、頑張りや」

麻耶は、イルゼと木乃香にこれ以上ないほどの慈愛の念を篭めて言った。

二人は頬を緩ませながら頷いた。

「お待たせいたしました!」

すると、オーダーを取った女性が大きめのお盆にサラダのお皿とスープの器を三つずつ運んできた。

そして、その後ろから、黒髪の男性が同じく大きめなお盆を持ってベーコンエッグとポテトサラダと香ばしい香りのロールパンの乗った大きなお皿をそれ
ぞれの前に置いた。

「それでは、ごゆっくりどうぞ」

そう言って去って行った。

「いただきます!」

三人は手を合わせてから食事を始めた。

残り僅かな時間を惜しむように楽しげに談笑し、食事は終った。

「そう言えば、お昼からは夕映ちゃん達に案内してもらうんやったな?」

「そうだけど?」

麻耶の質問にイルゼは答えた。

イルゼの口についているケチャップを麻耶はテーブルの中央に置いてある紙にお水を少し付けてで拭った。

「せやったら、お昼もここに来るとええで、近右衛門様がここのランチメニューはとてもおいしいって言ってらっしゃったさかい」

「わかった」

そして、席を立つと、木乃香とイルゼは会計を済ませる麻耶に学生証を渡して、先に外に出た。

外に出ると、三人組の女の子達とすれ違い、ぶつかりそうになってイルゼは謝った。

それから、出てきた麻耶に学生証を受け取ると、三人は歩いて麻帆良45パーキングに向かって歩き出した。

麻帆良学園の広大な敷地には、パーキングが100もあり、関係者はその内の50を無料で使える。

西洋風の校舎が立ち並ぶ通りには、人がほんの一握りしか居なかった。

そして、駐車場に着くと、麻耶の愛車の後ろの座席に荷物を入れて、麻耶がブレーキを踏みながら鏡と座席の調整をしてキーを回した。

「それじゃあ、イルゼ、お嬢様。しっかりね」

「麻耶さん、うち…頑張る!」

「麻耶姉ちゃん…またな!」

「うん、お嬢様、イルゼ、頑張りや。じゃあ、少し離れときなさい」

木乃香とイルゼが車からはなれると、麻耶はウインカーを光らせ、アクセルを踏んだ。

「じゃあな!麻耶姉ちゃん」

「麻耶さん、ばいばい!」

「ばいばい!二人とも!」

車の窓から腕を振って、それっきり、麻耶は車を一気に走らせた。

残った二人はなんとも言えない虚無感を感じた。

「イルゼ、戻ろっか」

「だな…、学の部屋にでも行くか…」

二人は、少し寂しく思いながらも、寮に戻って行った。




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