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第16話『麻帆良学園一日目・後編』
外に出ると、五人はショッピングエリアから北に向かって歩き出した。
「ちなみに、麻帆良学園都市内の交通設備は全て学生証で乗ることが出来るのです」
夕映は道中で学生証の説明をしていた。
「無茶苦茶万能だな…」
イルゼは学の学生証を見ながら呟いた。
「お二人はお昼にもらうそうですし、二時に麻帆良学園本校女子中等学校でしたらそこまで歩きながら案内をするですよ」
「ありがとぉなぁ、うちらだけじゃ絶対迷っちゃいそうなくらい大きいやもん」
「任せてください…たくさん案内しちゃいます」
のどかは若干顔を赤らめながらもニッコリと笑って言った。
「うん、頼りにしてるでのどか」
「うん」
ショッピングエリアを抜けると、近代的な建物が建ち並んでいたショッピングエリアとは打って変わってレンガ造りのヨーロッパ風の建築物が見えてきた。
「ここが麻帆良初等部なのです。中は入学式の後に案内してもらえるそうなので、私達も未だ探検していないのです」
「なんだかワクワクするね、そういえばこの学園には図書館島って言うのがあるらしいけどここから近いのかい?」
学は好奇心を擽られた様に初等部棟を見ていると、ふと気づいたように聞いた。
「図書館島は、私達も地図で探して行ってみたのですが麻帆良学園本校女子中等学校のエリアにあって、電車移動なのです」
「なんでか、麻帆良学園の主要な施設はみんな麻帆良学園本校女子中等学校のエリアに集約されてるんです」
夕映が残念そうに言うと、のどかが補足した。
「そっかぁ、…そだ、イルゼと木乃香ちゃんを送った後にちょっと帰り際に寄ってもいいかな?」
学は夕映とのどかに聞くと二人はニッコリと頷いた。
「いいですよ、私達もあそこには大変興味があるですから」
「うん」
「ありがとう」
学がニッコリと微笑むと、木乃香が羨まし気な声を出した。
「ええなぁ、うちもその図書館島行ってみたいでぇ…」
「でしたら、明日も暇でしたらまた案内するですよ?明日ならお二人も学生証があるでしょうからもっと色々な所を案内できるですから」
その言葉に木乃香は顔を綻ばせた。
「頼むで」
「サンキューな、夕映。学も一緒に行こうぜ」
「うん、僕もいろいろな場所を見てみたいし行くよ」
学の返事を聞くとイルゼはニッコリしてそのまま歩き続けた。
初等部エリアを抜けると、人通りの少ない並木道に出た。
「そういえば、学の眼鏡ってどこで買うんだ?なんか漫画でしか見た事無いようなでかさだけど…」
イルゼは当初から気になっていた事を聞いた。
学の容姿は大きな丸眼鏡で分かりにくいが腰まで伸びる髪の毛を無造作に肩甲骨の辺りで紐で縛っている。
服装は青いタートルネックに茶色と白のチェックのチョッキを着ており、紺色のジーパンを履いている。
イルゼが気になっていたのはその大きな眼鏡だった。
顔の半分を覆うくらい大きな物だ。
「ふふふ、何を隠そう伊達眼鏡なのさ」
「伊達?」
学の答えにイルゼは当惑した表情になった。
伊達という単語を理解出来なかったのだ。
「伊達眼鏡とは、ただのオシャレの為にかける眼鏡の事で、目が悪く無い人がかける物なのです」
夕映の説明にイルゼは首を傾げた。
「なんでそんなもんかけるんだ?」
すると、学はニヤリと笑った。
「だって…この方が勉強が出来そうじゃないか!」
エッヘンと胸を張る学にイルゼと木乃香とのどかは感心したように嘆息した。
「なるほど!」
「いやいや、なるほどって…納得しちゃうのですか貴方方は?」
夕映は呆れたように言った。
「どうしたの?夕映?」
のどかは夕映の反応に心底不思議そうに首を傾げた。
「いえいえ、なんでもないのですよ…あは…あはは…はぁ」
苦笑いしながら夕映は両手を振って誤魔化し溜息を吐いた。
「麻帆良学園本校女子中等学校エリアは遠いん?」
木乃香の質問にのどかが答える。
「途中に麻帆良学園聖ウルスラ女子高等学校があるんです。そこを通って麻帆良学園本校女子中等学校に着くんです。ウルスラを越えれば麻帆良学園
本校女子中等学校エリアなのでそこまではそんなに遠く無いですよ。ウルスラは西洋の寺院みたいですっごく綺麗なのでちょっと寄ってみませんか?」
「面白そうだな、俺は賛成だぜ」
イルゼは親指を挙げて賛成した。
「僕も興味があるね、ヨーロッパって言ってもかなり広いけどどの国がモデルなのかな?僕としてはイタリアの重々しい中に優美さがある感じがいいんだ
けど」
「残念ながらモデルはイギリスのウエストミンスター寺院をモデルにしているらしいのです。イタリアのサン・マルコ寺院とは反対に白亜の華々しい雰囲気
があって彫刻やステンドグラスの宗教画なども素晴らしいのですよ」
「そんな所まで再現しているのか…楽しみだね、イギリスの厳粛なイメージもいいけどイタリアの優雅なイメージもいいと思うよ」
夕映と学は意気投合したように海外の寺院の事で盛り上がった。
「なあ、あの二人は何の話をして居るんだ?」
まったく理解できないイルゼが木乃香とのどかに聞いた。
「夕映は神社仏閣仏像マニアで、最近は海外の寺院なんかにも興味を持ったみたいなの」
興奮しながら学と話している夕映を見ながらのどかはクスクス笑いながら言った。
「へえ、でもイタリアにイギリスかぁ、一度行ってみたいわぁ」
木乃香は遠くの異国を夢想した。
「学も詳しいみたいだし、気が合うんだろうなぁ」
イルゼは学を見ながら苦笑した。
それから並木道から外れると、白亜の二つの塔が付いた巨大な建物が見えてきた。
「すげえ、これがウルスラかぁ」
イルゼが見上げた先には巨大なウルスラの校舎が鎮座していた。
「中には入れないですが、外から眺めるだけでも価値ある建造物なのです」
ウルスラの正門の柵から見えるウルスラを眺め、夕映の言葉に学が頷いた。
「確かに、この学園って本当に凄いよねぇ…」
しみじみと言う学に四人はコクコクと頷いた。
「もう十二時ですね、お昼…を食べるにしても…」
夕映が腕時計を見ながら言うと、木乃香は困ったように頬を掻いた。
「うち、未だあんまお腹へってないんよねぇ」
「ここから学園長室がある所までだとどのくらいあるんだい?」
学の質問に、夕映がうぅんと唸った。
「そうですねぇ、ここから麻帆良学園本校女子中等学校エリアまでは、ざっと一時間程度です」
「そこまで行けば、学園長室は目と鼻の先なんです」
夕映の言葉にのどかが補足を入れた。
「ってことは、一時間あまるから、その間に飯食べればいい訳だ」
木乃香がイルゼの言葉に頷いた。
「せやったら、まずは麻帆良学園本校女子中等学校エリアに入ってから昼食にしようや」
木乃香の言葉に、夕映は頷いた。
「そうですね、あのエリアにはちょっと変わったお店なども建ち並んでいるのです。私達も未だあんまり探索出来ていないので、調査するのもいいかもしれ
ないのです」
「そういや木乃香、あとお金どのくらい余ってる?」
イルゼの言葉に、木乃香はポシェットの中のお財布に入っているお札と小銭を数えた。
レストラン・カワサキのメニューは安かったのと、イルゼも木乃香も一品ずつとドリンクだったのでそんなにはお金は減っていなかった。
「二千と七百八十円や」
「でしたら、余程高い店でなければ大丈夫ですね」
夕映の言葉にイルゼと木乃香が頷いた。
それから、一行は夕映の先導で歩き出した。
ウルスラのエリアには、大きな礼拝堂などもあり、柵の外から観ても素晴らしいものだった。
麻帆良学園の建物の多くは、欧州の寺院や宮殿をイメージされていて、夕映と学は似ている寺院を言い合っては議論を交わしていた。
時折、麻帆良の話から逸れて、世界の名立たる建造物についてを話したりしているのを聞きながら、イルゼは頭から湯気が出そうになり、二人の会話を
シャットアウトした。
ウルスラのエリアを抜けると、時刻は丁度一時を回っており、そのままショッピングエリアに向かって歩き出した。
「お昼は何を食べるですか?」
「そうだなぁ、俺はラーメンとかカレーがいいかな」
「僕もラーメンが食べたいな」
「ラーメンかぁ、うち食べた事ないんよ…」
「とっても美味しいですよ。試しに食べてみませんか?」
イルゼと学の意見に、木乃香は悩んだが、のどかの言葉に頷いた。
「せやね、モノは試しや!」
「では、ラーメン屋でいいですね。でも、私もおいしいラーメン屋さんはわからないので…、ちょっとした博打になってしまうのです」
「そっか…、ラーメンってまずい店は本気でまずいからなぁ」
学は経験があるのか、項垂れた様子でいった。
「まあ、麻帆良は名店が揃っていると聞きますから、そこまでまずいのは無いとは思うです」
「とにかく、ラーメン屋さんをさがしましょう」
のどかが手を叩いてそう言うと、四人は頷いた。
「だな、まずは店を探さないと」
イルゼは辺りを見渡しながら言った。
「あそこなんてどうだ?ラーメン・小次郎」
イルゼの視線の先には、小次郎という暖簾の架かったラーメン屋がある。
「ここから見当たる範囲には他にありませんし、あそこでいいですね」
夕映の言葉に、四人は頷くと、暖簾をくぐり、横開きの扉を開いた。
中は喚起が行き届いているらしく熱気は感じなかったが、お客さんは多く、食べているラーメンからはいい匂いがして、五人が涎が出そうになった。
「へい、らっしゃい!」
気風のいい中年の男が叫んだ。
「ふえ!?」
木乃香はその声に驚いたらしく、心臓の辺りを押さえた。
イルゼ達は、空いている大きめの席に男女で座ると、若い眼鏡をした青年が水を置きに来た。
「ご注文が決まりましたら呼んでください」
そう言うと、メニューを置いて、席を立ったお客さんのお勘定の為にレジに歩いて行った。
「どれどれ…、へえ、この店の豚骨って海鮮の出汁も使ってるんだ…うん、僕はこれにしよっと」
学は、『海鮮豚骨ラーメン』を選んだ。
「さっぱりしたのがええなぁ…」
「でしたら、塩か醤油ラーメンが良いですよ」
木乃香が迷っていると、夕映が助け舟を出した。
「うち、醤油好きやから醤油ラーメンにするわ」
木乃香は『醤油ラーメン』に決めた。
「私も醤油ラーメンにするです」
夕映も『醤油ラーメン』に決めた。
「俺は…そうだなぁ…豚骨もいいけど…味噌も…ううむ」
イルゼは豚骨と味噌で迷っていると、のどかがメニューの下の方を指差した。
「味噌豚骨っていうのもあるみたいですよ」
「味噌豚骨か、んじゃ、俺はそれにするぜ。のどかは何にするんだ?」
「私も醤油ラーメンにします」
それぞれが食べたい物を決めると、イルゼが若い店員を呼んだ。
熱々のスープとスープの染み込んだ麺に舌包みを打ち、店を出たときには一時半を回り、一行は若干急いで学園長室を目指した。
学園長室があるのは麻帆良学園本校女子中等学校の校舎のニ階で、一年生の教室と同じフロアだ。
ちなみに、一階は音楽室などの施設が集まっている。
校舎に着くと、夕映が校舎の見取り図の場所に先導し、地図を観ながら学長室のある二階の中央階段の近くの部屋の場所を指し示した。
「中央階段を二階に登ってすぐの場所が学園長室のようです」
「そっか、ありがとな夕映、のどか」
「ほんに、助かったで、ありがとぉな、夕映、のどか」
イルゼと木乃香は案内してくれた二人に礼を言った。
「いいのですよ、明日はもっと色々な場所を案内するです」
「二人とも、また明日ね」
夕映とのどかはニッコリしながら言った。
イルゼと木乃香の二人も笑い返すと、イルゼが学に顔を向けた。
「学も付き合ってくれてありがとな、また明日な」
「ううん、お礼をいうのは僕のほうだよ。ありがとう。また明日ね」
「学、ほな、また明日や」
それぞれ別れを言うと、木乃香とイルゼは中央玄関の中に入って行った。
玄関には大きな木製の下駄箱があり、スリッパが大量に放り込まれている木箱があった。
「あれに履き替えるみたいやね」
木乃香の言葉にイルゼも頷いた。
「だな、靴は…ここに置いておいて大丈夫だよな?」
「どうやろ…でも、勝手に下駄箱使うたらあかんやろうし…」
「ビニールなんかがあればいいんだけど…なさそうだしな」
「ここに置いておいても多分大丈夫やろ」
「んじゃ、行くか」
「うん」
木乃香とイルゼは靴を脱ぐと、木箱に入っていたスリッパを取り出すと床に置いて足を入れた。
「でかいけど…子供用のはなさそうだな…」
「多分、保護者用なんやと思うで」
「みたいだな、とりあえず行こう」
春休み中なので誰とも合わずに中央階段を登り、大きな両開きの木製の扉の前に、二人は立った。
「ここみたいだな」
「せやね、学園長室って書いてあるわ」
「んじゃ…開けるぜ?」
イルゼの言葉に、木乃香は緊張しながら頷いた。
木乃香も祖父である近右衛門に会うのはかなり久しぶりなのだ。
イルゼが扉を開こうとすると、開ける前に止まった。
「開ける前にノックした方がいいよ…な?」
「せ、せやね…」
改めて、イルゼは右手で思いっきり扉を叩いた。
ドンドンという音を立ててノックすると、中から老人の声が聞えてきた。
「開いておるから入ってよいぞ」
その言葉に、イルゼは学園長室の扉を開いた。
扉を開くと、中にはそれなりの人数の大人達が居た。
木乃香とイルゼが入ってくると、一斉に視線が降り注いだ。
「イルゼ…」
「なんだよ…」
木乃香は視線に怯えてイルゼの背中に隠れた。それを護る様にイルゼは視線を睨み返した。
「ああ、すまないね。脅かせるつもりはなかったのだよ」
すると、老年の男が謝った。
「私は矢部と言う、君達が近衛木乃香君とイルゼ=ジムロック君だね?」
矢部と名乗った男は、白髪をオールバックにし、無精ひげを生やしている。
ブランド物の皺一つ無いスーツを着込み、靴もピカピカに磨き上げられた革靴だった。
男はしゃがみこんでイルゼと木乃香に視線を合わせた。
「お…おう」
イルゼが答えると、顔中の皺を歪ませて微笑みかけた。
「それでは、ガンドルフィーニ先生達は自分達の仕事に戻りなさい」
すると、矢部の背後でイルゼ達に入室を促した老人の声が響いた。
「しかし、学園長!やはり私は納得…!!」
「既に、その話は終わった筈じゃ」
有無を言わさぬ口調に、不満をあらわにしたまま、黒人の男性が一瞬、イルゼを見てから去って行った。
他の者達もイルゼを睨む様に見て出て行った。
「なんだよ…あいつら…」
去って言った者達の視線に不快感を顕にするイルゼに矢部が頭を撫でながら謝った。
「すまないね、君の事がコチラに情報としてきた時に魔法先生たちに知られてしまってね…、その上エヴァンジェリンに弟子入りすると聞いて…一部の者
が不満に思ってしまってね」
「………」
その言葉に、イルゼと木乃香は不満を顕にして俯いた。
「それにしても、久しぶりじゃのう木乃香や」
その言葉に、初めてイルゼと木乃香は学園長を見た。
その瞬間、イルゼは自分の目を疑った。
「…、えっと、木乃香のじっちゃん?」
だが、イルゼは初対面なので気にしない事にした。
イルゼの問いかけに、木乃香が頷いた。
「せや、うちのお爺様や。久しぶり!お爺様!」
イルゼの後ろから出て、木乃香は近右衛門に笑いかけた。
「えっと、俺…イルゼ=ジムロックです。よろしくお願いします」
イルゼはそう言ってお辞儀をした。
「ほう、礼儀正しいのう」
近右衛門は優しげな笑みを浮べていった。
「麻耶姉ちゃんに、じいちゃん…じゃなかった、近右衛門さんにちゃんと礼儀正しく挨拶しなさいって言われたんだ」
「ほっほっほ、じいちゃんでよいぞ。麻耶君は先ほどの連中のおかげで怒ってしまっての…少し待てば戻ってくるじゃろう…すまんのう」
近右衛門は頭を下げた。
「あ、頭上げてくれよじいちゃん!別にじいちゃん悪くないんだしさ」
慌てたように言うイルゼの言葉に、近右衛門は顔を上げて微笑んだ。
「なるほどの…、婿殿が木乃香をお主に託した気持ちがわかる気がするのう」
「え?」
曇り無い瞳を見て、近右衛門は優しげに微笑んだ。
すると、イルゼ達の背後の扉が開き、麻耶が入ってきた。
「失礼します」
どこか憮然とした表情の麻耶に木乃香とイルゼは顔を向けた。
「あ、麻耶姉ちゃん」
「麻耶さんや」
「あれまあ、二人とも来とったんか。…せや、さっきまでここに腹立つお人らが仰山おったんやけど、二人はあってないやろね?」
腕を組みながらそう言う麻耶にイルゼが口を開いた。
「さっき俺にむかつく視線送ってきた奴らの事か?」
「あぁぁ、会ってもうたか、ああいうのは教育上良く無いさかい、合わせとうんあかったんねんけど」
「うちもあん人ら…なんか嫌や」
木乃香の言葉に、矢部が溜息を吐き麻耶に頭を下げた。
「本当に申し訳無い…、何度も言い聞かせたのですが…。エヴァンジェリンもこの学園に来た当初は荒れていたが、それでもまじめに学園生活を送って
いたのです。ただ…サウザンドマスターが死亡したと聞いて不真面目になり、それが彼らに不快感を募らせてしまったらしく…。それで、イルゼ君が人間 とは別種の存在である事がエヴァンジェリンと重なってあのような態度に…」
「あ、いえ…矢部先生でしたよね?少し興奮してしまいまして…こちらこそ申し訳ありません」
「頭を上げてください、落ち度は全てコチラにあるのですから…」
矢部が麻耶の手を取りながら頭を下げた。
「矢部先生…」
「ふむ、あやつらは潔癖過ぎるのが欠点なんじゃ…。自分達とは違う存在はどこまでも迫害する…、愚かしい事じゃて…」
近右衛門は疲れたように呟いた。
「お爺様…」
「じいちゃん…」
「ふむ、何時までもこんな話をしていては二人にせっかく来てもらった意味が無くなってしまうのう。それから木乃香や、わしの事はおじいちゃんって呼ん
で欲しいんじゃが…」
突然、さっきまでの厳格な雰囲気が霧散し、孫好きのお爺ちゃんの様になってしまった近右衛門に二人は面を食らった表情になったがすぐに頬を緩ませ
た。
「わかったえ、おじいちゃん」
「うむ、ありがとう木乃香。二人は学校を見て回ったかの?」
近右衛門の質問に、二人は頷いた。
「ああ、夕映とのどかと学と一緒に見て回ったぜ」
イルゼの言葉に近右衛門は、はて?と首を傾げた。
「夕映とのどかと学とは?」
近右衛門の質問に、イルゼが答えた。
「夕映は綾瀬夕映、のどかは宮崎のどか、学は伊集院学っていって、夕映とのどかは俺達に学園内を案内してくれたんだ。学は、昼飯を食べようと思っ
て行ったところで知り合って一緒に回ったんだ」
「ほほお、もう友達が出来おったのか、そうかそうか、それは良かったのう」
近右衛門は自分の事のように嬉しげに言った。
「明日は学生証使うて、色々な所を案内してもらう約束なんやで」
木乃香が言った。
「それに、学のルームメイトは学校が始まってから来るらしいから荷物の運び出しとかも一緒にやるって約束したんだ」
得意げに友達との約束を報告する二人にそうかそうかと頷きながら近右衛門は微笑んだ。
麻耶と矢部も微笑ましげにそれを見ていた。
「そうじゃ、二人には矢部先生の事を紹介せんとな」
近右衛門の言葉を受けて矢部が学園長の座る机の前に移動した。
「改めて、矢部雅彦と言う。イルゼ君の方の担任になる予定だからよろしく頼むよ」
ニコッと笑いながら矢部はイルゼに握手を求めた。
「よろしく、矢部先生!」
イルゼもニカッと笑って矢部の手を握った。
「木乃香ちゃんもよろしく」
深く刻まれた皺を歪ませながらも優しげな笑みを浮かべる矢部に木乃香も握手した。
「よろしくや、矢部先生」
「それから、矢部先生は広域指導員というのもやって貰っておってな。何か困った事があれば相談しなさい」
近右衛門の言葉に二人は頷いた。
「矢部先生、二人にこれを」
そう言うと、近右衛門が二人の学生証を引き出しから取り出した。
そして、受け取った矢部が二人にそれぞれの学生証を手渡した。
「これが学生証かぁ」
イルゼ達が受け取った学生証は、どちらかと言えばIDカードのような感じだった。
写真と名前、学校名と校章、クラスが刻まれている。
「俺は一年二組だ」
「うちは一年一組やえ」
「初等部は男子クラスと女子クラスに別れてはおるが共学の方針を取っておるのでな、校舎は一緒なんじゃ」
近右衛門は、簡単に学校での生活について説明した。
といっても本当に簡単な事で、廊下は走らない、授業中は寝ない、遊びもいいけど勉強も頑張る。などの一般的な注意だけだった。
「次に、お主達が弟子入りするよう婿殿…近衛詠春に言われたエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルなんじゃが、本人が頼み込みにくれば考えると言って
おる。じゃが、彼女は女子供は殺さぬが恐ろしいほどの力を持っておる。二年前に大事な人間の訃報を聞いてから若干荒れておってな、頼みに行くのも 困難なのじゃ、二人はどうするかね?もし良ければ他の者を付けてもよいのじゃが…」
しかし、近右衛門の言葉に二人は首を横に振った。
「俺達は最初っから自分で頼みに行くつもりだったからいいよ」
「それに、凄い人に弟子入りするんや。試練があるんは当然やえ」
「それに、詠春が信じた人なら…俺も信じる」
「うちもや」
二人の言葉に、近右衛門は一瞬目を見開いたが、すぐにそうかと呟くとニッコリと微笑んだ。
「二人がそう決めたのならば止めはせんよ。じゃが、それなりに準備と覚悟が必要じゃぞ」
その言葉に、二人はコクンと頷いた。
「うむ、後は言う事は…そうじゃ、二人とも設備に不満はないかの?」
その言葉に、麻耶が声を荒げた。
「近右衛門様!」
「な、なんじゃ?麻耶ちゃん??」
近右衛門は麻耶の怒声にビクっとしながら聞いた。
「言わせていただきますが、小学生の部屋にあんな設備は過剰です!百歩譲ってもサウナ室は逆に安全面で危険です!」
麻耶の言葉に、近右衛門はしょげ返ってしまった。
「じゃってのう、孫の生活空間はなるべく良い物にしたいと願うのは仕方ない事じゃろ?」
近右衛門の言葉を、麻耶は冷酷に切り捨てた。
「あんな過剰な設備は逆に子供の為になりません!」
「…、すまん」
シュンとなった近右衛門にイルゼと木乃香は心配そうな目を向けた。
「えっと、でもじいちゃんのおかげで住みやすいから感謝してるぜ!」
「せ、せやで!おじいちゃんにほんま感謝しとるから、ショゲないでおじいちゃん」
子供二人にあやされる老人を見ながら、麻耶と矢部はどちらが子供なんだかと呆れた目を向けていた。
「すまんのう、そうじゃ、お小遣いをあげとこうかの」
そう言って、近右衛門は引き出しから万札の束を取り出し、矢部に怒られた。
「子供に何万渡す気ですか!!」
「じゃ、じゃが、もし足りなくなって友達と遊ぶのに困ったら…」
「一万円程度あれば十分です!今時の高校生だってそんなにお小遣いもらってませんよ!!」
そう言うと、近右衛門の手にある万札の束から二枚を抜き取ると、矢部は木乃香とイルゼに一枚ずつ手渡した。
「いいかい、お爺ちゃんからのお小遣いだけど、無駄遣いしちゃ駄目だよ?きちんと考えながら使いなさい」
二人は一万円ずつ受け取るとしっかりと頷いた。
「はい!」
「はい!」
それにニッコりと笑いかけながら頷くと、矢部は立ち上がった。
「まあ、エヴァの所に向かうのは今度でいいじゃろう、今日はおじいちゃんと食事にいかんか?」
近右衛門の言葉に木乃香とイルゼは元気良く頷いた。
「おう!」
「はい!」
「麻耶君も来るじゃろ?せっかくじゃ、矢部先生も来るかの?」
近右衛門の言葉に麻耶は頷いた。
「ええ、うちは明日の朝にはここを出ますさかい、二人とはちゃんとお別れしたいですから。ね?」
そう言って二人にニコッと笑いかけると、寂しげに麻耶を見た二人はそれでもニカッと笑い返した。
「ふふ、ではご一緒させて頂きます。麻耶さんともイルゼ君達の事をお聞々したいですから」
「ならば、善は急げじゃ。これからすぐに向かおうかの。美味しいお店を予約しておいたからのう」
そうして、木乃香、イルゼ、麻耶、矢部、近右衛門の五人はショッピングエリアの『料亭・海山』に着いたときには真っ暗になっており、麻帆良での二日目
の夜が賑やかに過ぎ去って行った。
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