第12話『暗黒進化・デビドラモン』


麻帆良学園にイルゼと木乃香が出発する日が翌日に迫っていた。

木乃香、刹那、イルゼの三人は寝室でデジヴァイスとパクティオーカードを眺めていた。

「それにしても凄かったなぁ、あれがデジヴァイスの力なんやろうか」

刹那は興味津々と行った感じでデジヴァイスを突っついた。

デジヴァイスは再び光を失っていた。

「昨日はうちが戦おう思ったら光だしたんよ」

「戦う意思に反応するって事か?」

「そうやと思う」

イルゼと木乃香もデジヴァイスを突っついた。

すると、突然デジヴァイスが光りだした。

「はえ?」

デジヴァイスの上に光の円盤が現れ、そこにイルゼの本来の姿である、インプモンの姿が映し出されていた。

「これ…俺?」

イルゼは少し自身がなかった。

結局、インプモンだったのはムゲンマウンテンに吸い込まれてから召喚されるまでの本当に僅かな時間だったからだ。

木乃香がデジヴァイスを持つと、一瞬、意味不明な文字が並んだが、細長い四角の枠が出てきたかと思うと、一気に青い色が左から右に侵食し消えた。

すると、意味不明だった文字が日本語に変わった。

種族/インプモン
世代/成長期 
タイプ/小悪魔型 
属性/ウィルス 
必殺技/ナイト・オブ・ファイヤー、ナイト・オブ・ブリザード 
通常技/サモン、ダダダダキック、ダークソング  

それは、イルゼのインプモンとしてのデータだった。

「これって、俺のデータか?」

「これが…イルゼの本当の姿…なんや想像してたんより可愛ええなぁ…」

「は?」

木乃香の言葉にイルゼが硬直してしまった。

「なんや、悪戯好きの子悪魔を絵に描いたような…っていうよりまんまやね」

「おい…」

イルゼは刹那の言葉に顔を引き攣らせた。

「ちょっとはかっこいいとか言ってくれてもいいんじゃないですか?」

ガックリしながら何故か敬語で話すイルゼに木乃香と刹那は顔を見合わせて噴出した。

「だって、イルゼのイメージとちゃうんやもん」

木乃香はクスクス笑いながら言った。

「せや、なんやもっと熱血みたいな感じの姿やと思ってたんや。こんな可愛いと思わなかったで」

「熱血なイメージってどんなイメージなんだ?…てか可愛い言うな!!」

イルゼは顔を真っ赤にしながら怒鳴った。

「せや、お父様達にも見せに行こうや!」

木乃香は手をポンと叩くと、立ち上がった。

「そうだ!麻耶姉ちゃんにも見せよう!麻耶姉ちゃんならわかってくれる!!」

修行中にいろいろとイルゼの世話をしてくれたのは一緒に東京に行った麻耶だった。

人間としての生活を学ばせようと修行の合間に色々な所に連れて行ってくれたりもした。

どことなく、イルゼは麻耶をかつての姉のような存在と重ねていた。

幼年期だった自分を連れてファイル島の至る所に連れて行ってくれた子犬の姿をしたデジモン、プロットモン。

時には、グレートキャニオン の見えない橋で知らなかったイルゼは突き落とされたかと思って本気で泣いた。

闇貴族の館に行った時は、白い布を被ってお化けの格好で脅かしてきて本気で泣いた。

その後、バケモン達に会う度に悲鳴を上げていたらバケモン達は凄く悲しそうだった。

フリーズランドに行くと、自分だけいつの間にか防寒着を着用していて凍えるかと思った。

あの時は、迷子になってしまって本当に危険だった。倒れているのをガルルモンが発見して大急ぎでユキダルモンの家に運んでくれて助かった。

流氷岬 では、イルゼの乗っていた流氷を割って、流してしまい、泣き叫んでいるのをホエーモンが助けてくれた。

ミハラシ山では宇宙人の怖い話を散々聞かせた挙句にベーダモンに会わせてその場で気絶してしまった。

目を覚ましたときに看護してくれていたベーダモンに向かって悲鳴を上げたらとても悲しそうな顔をしていて罪悪感に苛まされた。

少しでも暇があるとプロットモンはイルゼを追い掛け回した。

イルゼがジジモンやババモンに泣きつくと、「これは愛情表現です!」と断言するもんだからジジモンとババモンに諭されてまた遊びに行き泣かされるの
だった。

イルゼは過去を思い出して涙を流した。

綺麗な思い出の筈が…思い出されるのは恐怖と悲しみしか出なかった。

「どうしたんイルゼ??」

突然、涙を流したイルゼの顔を覗き込んで木乃香が聞いた。

「いや…ちょっと昔のトラウマを思い出してさ…」

「?」

それから、ちょうど食事の時間なのもあり、大広間に向かった。

イルゼはさっきまでの考えを捨てた。

麻耶姉ちゃんは、あんな悪魔じゃない!麻耶姉ちゃんはババモンなんだ!…と。

本人が聞いたら泣きながら走り去っていくことだろうが…。

イルゼにとって、いつも優しくしてくれる麻耶はババモンと同じ温もりを感じさせてくれたのだ。

大広間に着くと、剣士も呪術師も、詠春や妙、麻耶も挨拶をしてくれた。

それに返しながら三人は詠春の近くの膳の前に座ると、木乃香がデジヴァイスを見せた。

「お父様!これ見てや!」

「デジヴァイス…これは!?」

木乃香が持つデジヴァイスは未だにイルゼ…インプモンのデータが映し出されていた。

「これイルゼの本当の姿なんやて、ごっつ可愛ええやろぉ」

木乃香は悪戯っぽく笑った。

「ふふ、たしかに、なんともヤンチャそうでイルゼにピッタリだね」

詠春は既に知っている筈なのに、まるではじめて知ったかのような表情で言った。

「だぁ!誰がヤンチャだ!!」

イルゼが怒るが、柳に風といった感じで詠春は受け流してしまった。

「はぁ、これがイルゼの本来の姿どすか…なんや、思っとったよりコミカルやなぁ」

妙の言葉にイルゼはむっつりとしてしまった。

そして、麻耶が覗き込むと一途の望みを託したイルゼは横目でチラリと見た。

「あれまぁ、イルゼ、とっても可愛ええなぁ」

その瞬間、イルゼは絶望に打ちひしがれ、畳に蹲ってしまった。

「えっと、あれ?イルゼ?」

麻耶がソッとイルゼの肩に手を置こうとすると、イルゼは突然立ち上がり、走り去ってしまった。

「麻耶姉ちゃんの馬鹿あああぁあぁぁあああぁああ!!!」

と叫びながら。

「…イルゼ!?」

呆然とする麻耶に詠春は肩を振るわせながら笑いかけた。

「クク…クク…恐らく、イルゼはかっこいいとか言って欲しかったんだろうね。特に、麻耶とは一番長い付き合いになっているから尚更…クク…」

若干、涙が滲むほど笑っている詠春に顔を引き攣らせた麻耶は、イルゼを追いかけた。

「ちょっと、話してきますわ」

後に残された刹那と木乃香はボソっと言った。

「可愛いならええと思うんやけどなぁ」

「せやねぇ」

その後、しばらくしてイルゼは若干不貞腐れながら帰ってきた。

イルゼが戻ってきてから食事が再開され、若干冷めてしまっていたがそれでも絶品だった。

イルゼが食後のデザートの羊羹を口に運んでいると、詠春が口の周りを拭いて口を開いた。

「明日の朝、10時に木乃香とイルゼには麻帆良に行って貰うからそのつもりでいなさい」

その言葉に、木乃香とイルゼ、刹那は僅かに顔を俯かせた。

麻帆良に行く。…それは、お別れを意味する。

刹那は麻帆良には行かず、関西呪術協会の京都神鳴流剣士の修行場に行く。

それからは修行が終えるまで出る事はできないと言う。

最低で6年。

食事が終り、三人は無口のままだった。

10時を回り、三人はいつしか眠ってしまっていた。

僅かに開かれた障子から零れる、暖かな陽射しと、少し冷たい風。

妙が一度、お昼ご飯で呼びに来た時にも、気持ちよさそうに眠っていた。

薄いタオルケットをかけ、枕を首の下に入れ。

最初に目を覚ましたのは木乃香だった。

障子の隙間から、暗くなった外が見えた。

木乃香は慌てて眠っている二人を起こし、起きた二人も、最後の日を寝て過ごしてしまった事を知り、思わず涙が溢れてしまっていた。

真っ暗な夜天の帳の下で、木乃香が閃いた。

「なあ、せっちゃん」

「なに?このちゃん…」

上擦った声を出した刹那。

一番寂しいのは刹那だった。

その刹那に、木乃香は微笑みかけた。

「明日は早くに出なきゃあかん…だから…」

「?」

「せっちゃんのお母さんとお父さんのお墓に挨拶をしに行ってもええかな?」

「!?このちゃん?」

木乃香の言葉に刹那は驚いた。

こんな時間に抜け出す等許してもらえるはずが無い。

「黙って行くんやよ。うち…ちゃぁんと、せっちゃんのお父さんとお母さんに挨拶したいんや。うちがせっちゃんのお友達ですって」

木乃香の瞳は真剣だった。

それを見ていたイルゼが言った。

「危なくなったら俺も居る。…刹那、俺も…刹那の母さんと父さんに挨拶してもいいか?刹那の友達だって」

イルゼの言葉に、刹那は今度は先ほどとは違う涙がでそうだった。

「わかったえ…うちも…うちもお母さんとお父さんに言いたい…大切なお友達が出来ました…て」

刹那は顔を上げて言った。

「よっしゃ、なら早く行こうぜ!たくさん寝たから元気一杯だしよ」

「せやね」

そのまま、少し寒かったのでタオルケットを肩にかけて、三人は出て行った。

一昨日、詠春に連れて行かれた道を辿りながら。

空を見上げると、太陽はまだ完全には沈んでいなかった。

どうやら、建物の影になっていたために、障子の隙間からは夜中に見えてしまったらしい。

数時間後、呼びに来た麻耶が慌てて三人を探し、それから数十分後に屋敷のみんなで至る所を探しに行く事になる。

そして、一昨日刹那君に教えた道に小さな足跡がみつかる。

詠春は、麻耶と妙だけを連れて駆け出した。

そんな事は知らずに、出発から何時間もかけて、三人は鳥居を見つけ出す。

だが、イルゼと木乃香には鳥居の先に行く事が出来なかった。

だから、イルゼと木乃香は鳥居に向かって叫んだ。

「俺はインプモン!デジモンです!今は、イルゼ=ジムロックと言います!俺は刹那の友達です!!」

「うちは、近衛木乃香と言います!!うちも、せっちゃんの…桜咲刹那の友達です!!」

遠くまで聞こえるように、刹那の両親に聞こえるように叫んだ。

そして、その言葉を聞きつけた者が居た。

その事には気づかず、刹那も鳥居の前から叫んだ。

「うちにとって!このちゃんと、イルゼは大切な…大切な友達です!!お母さん…お父さん!!うちは…今幸せです!!」

それだけを告げ、満足そうな顔をした三人は顔を見つめ合わせ、ニッコリと微笑んだ。

そして、下の来た道を辿って帰途についた。

すると、どれくらい歩いただろう、きちんと来た道を辿った筈だったのだが、行きには通らなかった川に出てしまった。

「あれ?ここ…こんな川の近く通ったっけ?」

イルゼの問いかけに刹那も木乃香も首を横に振った。

空気が静まり返っていた。

何かがおかしい。そう思っても、ただ、川の下流につけば知っている場所に辿り着くと思った。

ゆっくりと、月明かりを頼りに歩いていく。

それからどれだけ歩いたのだろう。

木乃香が疲れ果て、転んでしまった。

咄嗟に、イルゼが抱きかかえるように木乃香を支えたが、限界だと察した。

イルゼは刹那と一緒に木乃香を近くの木の下に座らせた。

「ごめんなぁ二人とも…」

その言葉に、刹那は頭を振り被った。

「せっちゃんは悪くあらへんから。謝らんといて」

イルゼは、どこからか嫌な視線を感じた。

それは、勘だったが、そこでようやく、ずっと気になっていた違和感を理解した。

「風が…」

「え?」

刹那は突然のイルゼの言葉に当惑した。

「風がどうしたんや?イルゼ」

木乃香の問いかけに、イルゼは足元の砂を少し摘み、それを下に落とした。

砂はそのまま真下に落ちていった。

「風が無い…」

「?…イルゼ?」

刹那にはイルゼの言いたい事が分からなかった。

だが、木乃香は辺りを見渡した。

「おかしいでせっちゃん」

「このちゃん?」

刹那は木乃香の反応にさらに当惑した。

「だって…いくらなんでも、ここは山奥や、夜中やからってなんで動物の鳴き声が聞こえんの?」

「!?」

風だけではない、動物の鳴き声も虫の鳴き声も何も無い。

刹那もここに至り気が付いた。

「結界!?」

刹那の言葉に、木乃香が頷いた。

「多分…そやろうね」

屋敷の結界ではない…それは、まるで檻のように中からは何も出さずに、外からは何も入らせない。

刹那の手元には、用心の為に持ってきた太刀がある。

夕凪や、黒桜鈴華は未だ、刹那が使いこなすには難しすぎる。

この太刀は、刹那の稽古の時によく使う物だった。

刹那と木乃香は、空いている手に符を握り、木乃香のもう片方の手にはデジヴァイスが握られていた。

イルゼはパクティオーカードに手を掛けている。

イルゼは辺りを警戒したまま刹那に聞いた。

「刹那、飛べるか?」

その質問の意図を察して刹那は頷いた。だが、木乃香が口を開いた。

「あかん…かなり広範囲の結界や…多分、強度もかなりある。簡単には出られへんよ」

木乃香は結界の力を推測して呟いた。

「ナイト・オブ・ファイヤーで敗れないか?」

だが、木乃香は首を横に振った。

「多分、無理や…結界を破壊するんは、その結界を圧倒する攻撃力があらんと…これだけの結界やと…炎だけじゃ…」

そこで、イルゼは一つの事を閃いた。

「なあ…冷やして暖める…なんてどうだ?」

「冷やして暖める?」

イルゼの言葉に、刹那と木乃香は疑問の声を上げた。

「前にテレビでやってたんだけどさ…硬い鉄板を、焼いて、冷やして、焼いて、冷やしてを連続でやると段々脆くなるんだって言ってたんだ」

「でも…どうやって冷やすん?…多分、空間遮断系やのうて、空間壁系の結界やと思うから、うまく出来ればいけると思うんやけど…」

空間断絶系の場合は、月の光も通さない。何故なら、空間を断絶した場合、その断絶した空間外の全ての存在は切り取られるからだ。

空間壁系の結界は、言ってみれば魔力で編んだ網だ。

恐らくは認識阻害や防音、防呪の力が備わっているだろう。

だが、相反する力を連続で加えれば構成が崩れるかもしれない。

炎の反対は水や冷気。

それを察して木乃香は案に賛同したが、肝心の冷気が無い。

「うちは、冷気を発生させる術は使えんよ…」

刹那も不安げに言った。

「木乃香、ナイト・オブ・ブリザードだ…」

「え?」

「俺の技。もしかしたら、その技を使いたいって願えば使えるかもしれない。デジヴァイスの力で増幅させれば…もしかしたら」

「…わかった…やってみる…でも、まずは結界の端に行かな!」

木乃香はそう言うと立ち上がった。

「大丈夫?このちゃん?」

刹那が心配そうに言った。

「大丈夫…もう歩けるよって、せっちゃん」

そのまま、当ても無く歩くわけには行かず、木乃香が探知の術を使った。

持ってきていた符の中にあった一枚だ。

「マケスラ」

摩醯首羅天の符が僅かに輝き、光の粒子となって木乃香の左の方向に飛んで行った。

三人はすぐに追いかけ始めた。

どれ位走っただろう。

イルゼは周りを警戒するが、ある程度以上の距離には視線は近づいて来なかった。

そして、符がある時点で何かにぶつかったように消滅した。

「ここや…」

目の前には何も無い虚空だった。

その先には林と…遠くの方で大きな明かりが見えた。

「屋敷だ…」

イルゼの言葉を聞いて木乃香と刹那は頷いた。

「木乃香、頼む」

「行くで…」

木乃香は、イルゼにデジヴァイスを向けた。

すると、デジヴァイスは輝き始めた。

ナイト・オブ・ファイヤーと心の中で呟くと、左側面の石版は昨晩…否、既に一昨日の晩の時と同じ状態に文字が浮かび上がった。

震・坎・兌・離

木乃香はその順番どおりにでじヴぁいすを動かす。

「震!!」

右方向に大きく印を切る。

「坎!!」

上に突き出すように印を切ると、坎の文字が現れる。

「兌!!」

掛け声と共に、デジヴァイスの光が増す。

「離!!」

最後の印と共に、震・坎・兌・離の四文字が、イルゼの背中に当たる。

緑色の閃光はイルゼの両手に吸い込まれ、イルゼの両手から、巨大な炎が生成される。

「ナイト・オブ…ファイヤー!!!」

炎は、結界に当たった瞬間に爆発し、結界の表面を一瞬だけ隆起させた。

しかし、結界は崩れる気配を見せなかった。

「木乃香、ナイト・オブ・ブリザードを頼む」

その言葉に、木乃香は心の中でナイト・オブ・ブリザードと反芻する。

すると、今度は石版から、今度は違う順番で文字が浮かびだした。

兌・坎・震・離

木乃香は、その印の通りにデジヴァイスを振るった。

「兌!!」

左に大きく振りかぶる。

「坎!!」

坎の文字が出た瞬間に、同じ軌跡を辿らせる。

「離!!」

「震!!」

そして、最後の印と共に、兌・坎・離・震の順番で緑の閃光を纏った字がイルゼに到達する。

その瞬間、先ほどの再現のように、イルぜの両手に光が吸い込まれ、イルゼの両手に周りとの温度差によって白くなった空気が回転を始める。

「ナイト…オブ!!!」

「ブリザァァアアアァアアド!!!!」

その叫びと共に、凄まじい冷気と、空気中で凝固した水分の塊が、結界に到達し、結界は再び脈打つように隆起した。

「いいぞ、木乃香!今度は、ナイト・オブ・ファイヤーの印だ!!」

イルゼの言葉に、木乃香は頷くと、印を切った。

「震!!坎!!兌!!離!!」

デジヴァイスから印が飛び出し、イルゼに力を与える。

「ナイト・オブ・ファイヤー!!」

炎が結界に到達する前に、木乃香はナイト・オブ・ブリザードの印を切る。

「兌!!坎!!離!!震!!」

即座に、冷気がイルゼの両手に集まる。

「ぐっ!?」

その瞬間、イルゼの顔に苦痛の表情が走った。

「イルゼ!?」

冷気、熱気を連続で至近距離に発生させているのだ。

その力が、結界よりも先にイルゼの体を傷つけていた。

だが…。

「大丈夫だ…」

「ナイト…オブ…ブリザー…ド!!!」

迸る冷気に顔をゆがめる。

その苦しげな表情を見て、木乃香は印を切れなかった。

「木乃香!!印を!!」

イルゼの叫びに木乃香はイヤイヤをするように顔を振った。

「いやや!これ以上やったら、イルゼが!!」

「大丈夫だから!!」

だが、イルゼの言葉に木乃香は首を横に振るうばかりだった。

その時、刹那が持っている攻撃用の符を全て、自分の太刀に貼り付けた。

「イルゼ、退いてて!!」

「刹那!?」

刹那の声にイルゼが振り向くと、刹那が符だらけの太刀を後ろに構えていた。

刹那は、全ての符を物理衝撃の方向性に向ける呪文を唱えた。

「ノウマク・サマンダ・ボダナン・ラタンラタト・バラン・タン・ノウマク・サマンダ・ボダナン・ガララヤン・ソワカ」

それは、阿修羅と呼ばれる鬼神の呪。破壊の力のみに集中させる。

本来は、それは符に内抱されている魔力を破壊の方向に向けるだけの呪文。

それを幼い刹那は、懸命に符から出る破壊の魔力を太刀の周りに渦巻く様に纏わせていく。

その魔力の操る技術は荒々しく、拙い物だった。

しかし、集中するために噛み締めた下唇からは鮮血が垂れ、滅茶苦茶な魔力の奔流に、手はズタズタになり、それでも、太刀の周りに貼り付けられた符
は全てが魔力を放出し、渦巻く様に太刀を囲った。

「ああああああああああぁぁぁあぁあぁぁぁぁぁぁあああぁああぁあああああぁあああ!!!!!!」

気絶しかねない…いや、それは死を予感させるほどの痛みだった。

体中を逆流する魔力が蹂躙し、渦巻く魔力に服や服の中の肌を切り裂いていく。

だが、刹那は太刀を全身の力を持って、結界のイルゼの傷つけた部分に叩きつけた。

集中した魔力が爆発する。

それまで呆然としていたイルゼは、全力で刹那を抱えて木乃香の方に離脱した。

背後から、破裂した魔力の一端がイルゼの背中を傷つけた。

イルゼに抱えられた刹那は、痛みのあまりに失神していた。

全身の力が奪われたのか、刹那の来ていた剣道着の下腹部の袴に染みが広がった。

ただでさえ、これ前の道中でトイレなど無かった。全身の体力が枯渇した事で尿が垂れ流しになってしまったようだ。

木乃香の視線の先では、荒れ狂った魔力が結界にヒビを入れた。

だが、魔力は徐々に霧散していく。

だが、イルゼは刹那の呼吸を確かめ、生きているのを確認すると、ホッと息を吐いてからすぐに背を気に預け、結界に向かって立ち上がった。

すぐにでもここから脱出して医者に見せなければ行けない。

刹那の体は血だらけだった。

だからこそ、刹那の作ったチャンスを、無駄にするわけには行かなかった。

「木乃香、ダダダダキックだ」

「え?」

イルゼの言葉に一瞬だけポカンとしたが、すぐに、今朝のインプモンのデータの中の技の一つが思い浮かんだ。

「うん!!」

木乃香は立ち上がり、心の中で、ダダダダキックの名を唱えた。

それに反応するようにデジヴァイスの石版に新たな印が浮かんだ。

離・震・離・兌

「離!!震!!離!!兌!!」

木乃香は印を一気に切った!

四つの印がイルゼの右足に力を与えた。

イルゼは駆け出すと、左足で地面を蹴り、全力で既に修復の始まるヒビを蹴った。

デジヴァイスで増幅されたダダダダキックがヒビの入った結界に大人が通れるくらいの穴を空けた。

だが、すぐに結界は修復し始めた。

慌ててイルゼはパクティオーカードを取り出した。

「アデアット!!」

現れた韋駄天に木の下寝かせている刹那を木乃香と二人で乗せ、韋駄天を押しながら結界の穴に向かって駆け出した…が。

突然、符が飛んできて、結界が一瞬で修復されてしまった。

「な!?」

木乃香とイルゼが驚愕していると、イルゼは背後に気配を感じた。

後ろを振り向くと、底には巨大な赤い鬼を従えた呪術師が立っていた。

すると、呪術師は口を開いた。

「ふむ、後少しと言う所で割り込んで絶望感を味合わせてあげようと思ったのだがな、まさか破られるとは…」

呪術師の言葉に、この結界がその男の術だと確信した。

「お前がこの結界を張ったのか?」

イルゼは心を落ち着かせて言った。

イルゼ自身も満身創痍だった。

両手はボロボロ、背中には大きな傷がある。

さっきのダダダダキックで最後の力を使い果たしてしまった。

だが、弱音を吐ける状況ではなかった。

目の前に立つ鬼も呪術師の男も万全な状態でさえやれるかどうかわからないほどだ。

詠春の鬼を倒したのだって詠春が手加減をしてくれたからだ。

イルゼは油断無く敵を睨みつけた。

その状況は、ある意味一年前の再現であった。

一年前の出会いの日、炎鬼と言う鬼に襲われていた木乃香と刹那の前に躍り出た時と同じ状況…。

いや、同じであるはずが無い。

あの時は、呪術師はいなかった。

刹那も起きていた。

自分も無傷だった。

だが、それ以上に、詠春が来てくれた。

この結界の中では、詠春が来てくれるなんて望みは持たないほうが懸命だろう。

ならば、出来る事はたった一つ。

そして、小声で鬼を睨みながら木乃香に語りかけた。

「木乃香、サモンだ」

「え?」

唇を出来る限り動かさずに木乃香とイルゼだけが聞こえる程度の声だった。

「サモンで俺達の幻影を作る。そしたら、韋駄天に乗って、逃げられるところまで逃げろ…」

「でも、韋駄天じゃ三人は乗れないよ?」

木乃香の疑問に、イルゼは微笑みかけた。

「逃げるのは木乃香と刹那だ、逃げたら出来る限り姿を眩ます結界を張れ」

「な!?」

木乃香は眼を見開いた。

イルゼは自分が囮になると言っているのだ。

幻影だけではすぐに気付かれる。

それに、イルゼのサモンは、視界に入っていなければ消えてしまう。

本来ならばデジタルワールドの電子生命体を呼び出す技だ。

この世界では、最下級の精霊を呼び出し、自分達の姿を真似てもらうくらいしか出来ない。

それは、デジヴァイスでも同じだろう。

だが、それでも数を多く召喚できるかもしれない。

そして、木乃香達が朝まで隠れられればイルゼにとって勝利なのだ。

朝になれば、いくら結界を張ってても詠春が気付くだろう。

だが、木乃香は首を横に振った。

「いやや…イルゼを残していけるわけないやん…」

肩が震えている。

余裕なのか、鬼と呪術師は幼い二人の様子をニヤニヤして見ている。

声は聞こえなくとも作戦を練っているのだろうと予測はついたのだ。

だが、子供の考える策と侮り、最後の足掻きをさせているのだ。

後により深く絶望させるために。

「木乃香…刹那は拙い状態だ…」

「!!」

木乃香は刹那を見て涙が溢れそうになった。

イルゼを囮に逃げなければ刹那は死ぬだろう。

囮に使っても、運が悪ければ死んでしまう。

その上、イルゼは間違いなく…死ぬ。

死の選択を迫られた木乃香は足がふらついた。

無理も無かった、木乃香はようやく今月に入って6歳になったばかりなのだ。

どちらかの死を選べなどという選択に心が追いつかなかったのだ。

木乃香は白眼を向き気絶してしまった。

それを見て、イルゼはため息をついた。

自分の能力だけでサモンを使わねばならないからだ。

イルゼは木乃香をなんとか韋駄天に乗せた。

「おやおや、近衛のお嬢様は気絶してしまったのかね?君は護れるのかい?女の子二人を?」

おどける様に、蔑む様にイルゼを見つめながら男は言った。

「さてな、護れるか?じゃねえよ…護らなきゃ…いけないんだ!!」

イルゼは地面に手をつくと、サモンを発動した。

地面から陣が発生し、下級の精霊が何体も出現した。

その瞬間、イルゼは韋駄天に右手を駆け、ギア3で木々の合間に飛んだ。

そして、林に入った瞬間にナイト・オブ・ブリザードで木乃香を起こしてからすぐに手を放した。

「ひゃん!?」

木乃香が眼を覚ますと、いつの間にか韋駄天に乗っていた。

その瞬間、恐ろしい考えが頭に浮かんだ。

つまり、自分が気絶した為に、イルゼは囮をして自分を逃がしたのだと。

それも、自分のデジヴァイスでの助けも無しに。

木乃香は韋駄天の向きを変えようとしたが、韋駄天はただ只管にまっすぐギア3のままで駆け抜けた。

木々を避け、木乃香と刹那を護るように。

すると、突然、韋駄天の速度が落ちた。

韋駄天に実際に乗っていたのは数十秒。

だが、元々一分しか使えない上に体力の限界で使っていたのだ。一気に減速した韋駄天は一気に高度を下げて地面擦れ擦れに降下した時には既に止
まっている状態だった。

そして、地面に完全に着陸した。

すぐに、イルゼの元に戻ろうとしたが、刹那が突然咳き込み始めたので動きが止まった。

こんな場所で刹那を置いて行けばどうなるか…そんな事はすぐにわかった。

「う…ああ…嗚呼あぁぁあぁああああああ!!!」

木乃香は膝を折り、泣き叫んだ。

そして、涙を無理やり拭って、少ない癒の力の符と結界の符を取った。

結界の符をばら撒き、呪文を唱える…その時、突然、木々の間から微かな音が聞こえた。

その音はどんどん近づいてきた。

木乃香は刹那を護るように符を握り、音の方向を睨みつけた。

すると…現れたのは詠春だった。

詠春だけではない、多くの呪術師や神鳴流剣士が続々と現れた。

「戦いの場はもう一方か…木乃香、よく頑張ったね。イルゼの方にも麻耶と妙が行っているが私も行くよ。刹那君はこの人達に任せて待っていてくれ」

詠春は彼方を見やってから、木乃香の頭を撫でて言った。

そして、傍に落ちている韋駄天と血塗れの刹那を見て、詠春は唇を噛み締めた。

「これを借りるよ…」

詠春は、木乃香が落としたデジヴァイスを拾った。

何かの役に立つかもしれないと思って。

「生きててくれ…イルゼ!!」

一瞬で詠春の姿は掻き消えた。

すぐに、呪術師が回復の術を刹那に掛けた。

徐々に刹那の息が整うのを見ながら、木乃香は肩を震わせて泣き続けた。

それを、女性の呪術師が抱きかかえた。





それは、ほんの数分前の事、木乃香と刹那を逃がしたイルゼは韋駄天に奪われる体力とサモンに奪われる力に立っているのもすでに限界を突破してい
た。

それは、韋駄天から降りた瞬間からだった。

それからもどんどん力を奪われ続ける。

そして、呪術師の笑い声が聞こえた。

「おいおいおい、まさか…クク…こんな下級精霊の分身で俺の目を誤魔化せると?可愛いねぇ…アハハハハハハ!!」

イラつかせるような声で笑い声を上げながら、男は鬼をその場に置いてイルゼの隠れる場所に歩み寄った。

「女の子を逃がしたか…でも無駄さ。すぐに場所はわかる。結界を張ったってね、ここは俺の領域、テリトリーだ!すぐに見つけて捕まえて上げるよ」

「木乃香を…どうする気だ…」

イルゼは隠れていた木の影から出ると、呪術師の男を睨み付けた。

「簡単だよ、洗脳して、魔力タンクに使うんだ。女の子だしねぇ、他にも用途はいろいろさ!そういう趣味の輩には金を払ってくれる奴も無数に居るだろう
しね」

イルゼには後半の意味はわからなかった。だが、それが許しがたい事だと言うことだけは悟った。

怒りだけでイルゼは体を動かす。

既に死に体と言っても過言ではない身で、全身には、目の前の男に対する憎悪が身を焦がした。

体のどこかが、警戒音を鳴らす。

それ以上進めば戻れなくなると。

それ以上の感情の爆発は引き金になると。

だが、イルゼは歩みを止めなかった。

そして、木々の合間から、麻耶と妙が飛び出してきた瞬間、イルゼの姿は変貌した。

突如、黒と赤の交じり合った閃光に包まれた。

”進化”…だが、それは本来の進化ではなかった。

自力で通常の進化を行うには長い年月が必要となる。

成熟期以降は、さらに長く、気の遠くなるような時間が必要だ。

パートナーが居れば別だが、一年前にインプモンとなったばかりのイルゼが進化できる筈がなかった。

だが、本来ならば憎悪などと言う感情が存在しないデジモンでありながら、人の身で過ごした事で、育んでしまったのだ。

それは、愛や、友情、勇気などの正の心でもあり、憎悪のような負の心でもあった。

正と負、二つがあってこその人間。

イルゼは、既に人として存在していたのだ。

イルゼの体が漆黒と真紅に包まれ、光が消え去った後には、禍々しい龍の姿がそこにあった。

そして、詠春は木々の合間を抜けながら見た。

その、荒々しい姿を。

すると、デジヴァイスがイルゼの新たな姿のデータを空中に投影した。


種族/デビドラモン
タイプ/邪龍型デジモン
属性/ウィルス 
必殺技/クリムゾンネイル
通常技/レッドアイ、デモニックゲイル

すると、今度は文章が映し出された。

『インプモンが憎悪に身を焦がし暗黒の進化を遂げた“複眼の悪魔”と呼ばれ、恐れられている邪竜型デジモン』

「暗黒の進化…あれが進化?間違った…憎悪に身を焦がされて…イルゼ…」

詠春は、イルゼの変わり果てた姿を見ながら涙を堪える事が出来なかった。

「こんな姿になるほど…怒ったんだね?私の娘と大事な友達の為に…でも…駄目だ…」

詠春はイルゼの動き出す前に、イルゼの前に躍り出た。

「長!?」

妙の叫び声に顔も向けずに叫んだ。

「イルゼはこのままでは戻れなくなる!!妙、麻耶!!私はイルゼを止める、あの愚か者を始末しなさい!!」

詠春の叫びに、一瞬だけ目を見開いたが、すぐに、イルゼをあの姿にした要因を作った男に殺意の目を向けた。

「なんだあの化け物は!?それに、何故貴様ら、俺の結界にいる!!馬鹿な…なんで!!それに!!俺よりも先にあの化け物を始末するのが先だ
ろ!!あんな化け物を放っておいたほうが何倍も危険だろ!!」

男の叫びに妙と麻耶は歯を噛み締めすぎて血が滴った。

「イルゼ…が化け物?…貴様…もう…喋るな…殺す!!」

妙は、愛刀の『蘭火』を握り締めた。

「イルゼは優しい子や…それを…あんな姿になるほど怒らせて…そこらの血はあんたのもんやないな?」

麻耶は、周囲に滴り落ちている大量の血を見て壮絶な殺気を男に向けた。

男は麻耶と妙の殺気に当てられ傍らの赤鬼に命令した。

「馬鹿野郎!!何やってんだ!!アイツラを始末しろ!!!」

その命令に、鬼は心底嫌そうに舌打ちしながら二人の前に立った。

「主の命令だ…悪いが戦ってもらうで…勝てる気がせんがな…」

鬼は太刀を構えて二人に突進した。

しかし…、気が付いたときには目の前には二人の姿は無かった。

その後ろで、いつの間にか妙は蘭火を、麻耶も愛刀の『瞬歌』をそれぞれ抜刀していた。

そして、次の瞬間に、鬼の体は胸の中央で斜め十字を描いて切り裂かれていた。

見事すぎる太刀筋に、血が噴出す間も無く鬼は消滅した。

「な…これが神鳴流なのか?!なんだよ…なんなんだ…」

男は最後まで喋る事が出来なかった。

麻耶と妙は一瞬の内に何十もの斬撃を放っていた。

「奥義も勿体無い…」

それは神鳴流ですら無かった。ただの斬撃、早過ぎるその太刀筋は目で追える者など殆ど居まい。

そして、二人の背後で、詠春とイルゼの戦いも始まっていた。

暴走したイルゼは翼をはためかせ、デモニックゲイルを放った。

「ふっ!」

凄まじい切れ味の風の刃が詠春に迫り、詠春は瞬動と呼ばれる移動術で避けた。

普通の者ならば決して避けられぬだろう速度の風の刃を、詠春は傷一つ負うことなく避けた。

詠春の技量ならばその程度の事は容易かった。

少し本気を出すだけで、イルゼを制圧するのは可能だろう。

だが、イルゼを傷つけたくは無かった。

イルゼは子供だ。

大切な友達を傷つけられたから怒っているのだ。

詠春は戦いの場の情報を得ようと、呪術で戦場の会話を聞いていた。

その時の会話は詠春ですら怒りに我を失いそうだった。

詠春はイルゼの怒りが痛いほどに理解でき、イルゼに決して傷を負わせず…そして、誰にも傷を負わせてはいけないと考えた。

決して自分を傷つけさせてはいけない。

詠春を傷つければ、イルゼの心は詠春以上に傷つくだろうから。

詠春は符を取り出した。

「                        」

その瞬間、イルゼは空気は弾けるほどの雄たけびを上げながら赤い瞳で詠春を睨み付けた。

レッドアイ、技を受けてしまった詠春は体の自由が効かなくなってしまった。

そして、イルゼの鉤爪が赤く輝きだした瞬間、詠春の懐に仕舞われたデジヴァイスがとてつもない光を発した!

「ぐるる…うう…ううう…」

その光に、イルゼは怯えたように唸っりながら後退した。

そして、デジヴァイスの輝きが、詠春の拘束を打ち破った。

「デジヴァイス…もしかしたら!!!」

詠春はイルゼのデモニックゲイルを持ってきていた夕凪に代わる名刀『春夏秋冬』に気を纏わせて切り裂いた。

「斬風剣!!」

風の刃を、気を纏った春夏秋冬で次々に切り裂いていく。

そして、デジヴァイスをイルゼの胸元に投げつけた。

「                                     」

声にならない悲鳴が周囲の空気を切り裂いた。

無茶苦茶に暴れるイルゼのクリムゾンネイルを紙一重で躱し、詠春は後退した。

すると、徐々に、イルゼの姿はいつも通りの少年の姿に変わっていった。

イルゼはそのまま気を失ってしまった。

そして、詠春が大事に抱え上げた。

すると、木の陰から木乃香が飛び出してきた。

その傍らに刹那も傷が癒え、木乃香と共に泣き叫んだ。

詠春はイルゼを抱えたままその場に座りこみ、イルゼを右手で抱えて木乃香と刹那の頭を優しく撫でた。

「大変だったね…よく生きててくれた…ありがとう」

詠春の瞳からは涙が零れていた。

それから、ますます勢いよく泣き出してしまった二人はそのまま泣き疲れて眠ってしまった。

その様子を見ながら麻耶と妙、他の者達も鼻を啜った。

三人の内、誰か一人欠けても、イケナイ。

三人が生きていた事を、皆が喜んだ。

そして、イルゼを麻耶に託し、刹那を妙に抱かせ、詠春は木乃香を抱きかかえて屋敷に戻った。

その日は、周囲を多数の呪術師や剣士が調査した。

あの規模の結界を一人で張れるとは思えなかったからだ。

想像どおり、後ろには小規模の組織があった。

詠春自らその者達を捕縛した。

その者達をその後見た者は誰も居ない…。






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