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第4話『インプモン改めイルゼの検査報告』
湯気の立ち昇る中で詠春はインプモンと共に湯船に入っていた。
「しっかり肩まで浸かりなさい。疲れが取れるから」
「お、おう」
湯船にはさっきまで入っていた木乃香の置いていった物だと思われるアヒルの人形があり、インプモンは珍しげに触っていると詠春に注意され、それが
何故か逆らえない気がした。
肩までしっかり浸かり、改めて自分の体を見ると、脆弱な肉体が頼りなく見えた。だが、黄色の肌色がジジモンと似ている気がした。
そんな事を考えていると隣で浸かっている詠春が口を開いた。
「インプモン君」
「インプモンだけでいいよ」
「ではインプモン、とりあえず君の名前を考えなければいけないんだが何か候補はあるかい?」
「名前?なんでだよ、インプモンでいいじゃん」
なにを言っているんだとインプモンは詠春を見たが、詠春は困ったような笑顔で口を開いた。
「君はどう見ても日本人だからね。それに、海外でもインプモンという名前は珍しいんだよ。それに、インプという名前に魔法使いが何かを邪推しないとも
限らない」
「…そっか。でも、俺は人間の名前なん…て…。そうだ…」
「?なにかあるのかい?」
「いや、昔さ。ジジモンのパートナーも人間だったからそれがいいかなって思ったけど、俺はそいつの名前知らなかった。ジジモンはいっつも彼とかあの
方とかしか言わなかったし」
「そうか…。別に、日本人の名前にする必要はないし、いろいろと考えてみようか。なにか希望はあるかい?」
「かっこいいのがいいかな」
「かっこいいのか。では、そうだな。インプとなにかを混ぜてみたら…。そういえば、西洋の魔王の名前にベルゼブブというのがいたな。インプモンは子悪
魔だし…。そうだね、イルゼというのはどうだい?」
「イルゼ?なんか変じゃないか?」
「そんな事はないよ。イルゼという名前はドイツやオーストリアなんかでは普通だし、そこからの帰国子女とすればいい。それに、イルゼはバラの一種の
名でもあり、力強い感じがあるよ」
「バラかぁ。バラっていうとなんか真っ赤ないろんな意味で物凄いデジモンがパルモンさんの故郷に遊びに行った時に居たなぁ」
「バラ型のデジモンなのかい?」
「ああ、なんかムチを持って黒いハイヒール履いてる物凄く濃い奴だった」
「…そうかい」
詠春は湯船に入っているのに眉間から冷たい汗が流れるのを感じた。
「それから、これからの事だけどね」
「俺の体の検査の事か?」
「それもあるけど、君にはこれから一年間で人間の生活に慣れてもらいたいんだ」
「?なんで一年なんだ?」
インプモン、イルゼの言葉に詠春は少しだけ寂しそうな顔になった。
「来年から木乃香を私の父の経営する学校に入学させるんだよ」
「学校?」
「人間がいろいろな知識を学び、人として成長するための場所だよ」
「へぇ」
「ただ、そこは凄く遠いんだ」
「それで?」
「君にもそこで学校に通って欲しいんだ」
「は?」
詠春の言葉に目を丸くし、イルゼは硬直した。
「学校に通って、木乃香を護ってあげて欲しいんだ」
「………」
「そしてもう一つ理由があるんだ」
「なんだよ?」
「君もまだ子供だ。人としても、デジモンとしても。私には君にデジモンの子供の生活はわからない。だけど、人間の子供として、楽しく生きて欲しいんだ」
「………」
「これは私の我侭だよ。子供は、子供と遊び、競い、励ましあい、成長していくものなんだ」
詠春の気持ちがイルゼは嬉しくなったが、素直になるのが照れ臭くなり、そっぽを向いて小さな声で一言。
「…ありがとよ」
と言った。
それを聞いた詠春は頬を緩ませた。
まるで、息子が出来たようだと。
デジタルのモンスター、デジモン。彼が電子生命体だという事は紛れもない真実だが、それでも、生身の暖かさを持っている彼は紛れもなく、人間だっ
た。
「そろそろ上がろうか」
「おう…ってあれ?」
「イルゼ?」
「なんか、目の前が白くな…って…」
そのまま、イルゼは湯船の中で転び、気絶してしまった。
「しまった、話が長すぎたか」
詠春はすぐにイルゼを抱きかかえて脱衣所に戻りイルゼに下着と浴衣を着せると自身は着物を着込み、イルゼを抱えて医療室に運んだ。
そして、詠春は途中で木乃香達と会い、イルゼの事を話した後、慌てて駆け出す二人に微笑みながら大きな部屋に入った。
そこには、数十人の男女が物々しい雰囲気で彼を待っていた。
お嬢様にあのような者を身近に置くなどとその場の全員が納得いか無気に詠春の説明を待っていたのだ。
詠春は着物に皺がよらないように皆の前に丁寧に正座をした。
詠春が目を彼らに向けると、一人の男が厳しい目を詠春に向けて口を開いた。
「長、一体どういうおつもりで?」
「どういうとは?」
それを、詠春は涼しげに受けながら聞き帰した。
「あの子供です!あのような得体の知れないものを本山に入れて、ましてやお嬢様の身近に置くなど!!」
男の激昂した声に賛同するかのように何人かが声を上げた。
「得体のしれないですか。たしかに、彼は不思議な少年です。しかし、彼の頭の中を探り、彼は真実信頼を置けると判断したのです」
「頭の中を探ったと言いますが、ならばその内容を教えてください!我々にはあの少年の正体を教えて下さっていないではありませんか」
「教えないのではありません。教えられないのです」
「何故ですか!」
今度は別の男が厳しい目を詠春に向けながら言った。
「あの少年の過去は、少年の物です。私はそれを無断で見てしまった。それを彼は許してくれた。その上でさらに他人にベラベラと話し、罪を上乗せせよ
と?」
「それは…」
「木乃香の近くに置くのも彼が信頼を置けると判断したからです。彼は親御さんと死別したばかりです。だから、彼には木乃香の護衛を任せ、代わりに私
は彼の親代わりになろうと考えています」
「長?!」
「なにを考えてるんですか!?」
部屋中の人間が詠春の言葉に衝撃を受けていた。今日あったばかりの少年にお嬢様の警護を任せ、あまつさえ、親代わりをしようなどと。数年前には、
かの英雄と肩を並べて戦った男の言葉とは思えなかった。
「長、情に流されては困ります!」
「ただでさえ、あのような半妖もどきを近くにいさせるだけでも問題だというのに」
誰が言ったのかはわからなかった。ただ、その言葉は詠春の怒髪点を突くものだった。
「今、なんと言いました?」
「………」
誰一人声の出せる者はいなかった。歴戦の勇姿の逆鱗に触れたのだと理解した彼らは、特に、その引き金を引いた者はいっそ、その殺意だけで死ねる
ような思いだった。
「刹那君は人間です、あのような子を迫害し、責めるなど言語道断ですよ。次にその言葉を口にした者は二度と人と会話できなくなるのでそのつもりでい
なさい」
詠春の殺気はその場の者達を包みこんでいた。
「あの少年の事はイルゼと呼びなさい。刹那君の事も、イルゼの事も、反論は許しません」
「は!」
詠春の言葉に逆らえる者などその場にはいなかった。
翌日から、イルゼは検査を受ける事になった。
血液検査から魔術の適性検査に至るまで。
それらのデータは詠春と、彼の信頼の置ける部下だけの機密となった。
イルゼのデータは不思議と普通の狭間だった。
詠春は集められたデータをまとめたレポートを見定めた。
名称はイルゼ。真名はインプモン。
姓は現状、近衛を名乗らせることに決定。
国籍はドイツに留学していた事にし日本国籍を偽装。
肉体は5歳児の少年そのもの。
魔力は皆無である。
気に近いエネルギーの観測。
解析不能の力を感知。
筋肉の膨張傾向あり。
身体的成長速度は5歳児の幼児のそれと同様。
記憶解析による進化のメカニズムの解析不能。
デジタル要素解析不明。
知識量はジジモンからの『お話』とアンドロモンなどから得た知識のみ。
数学に関しては学力優秀。
読解能力も優秀。
戦闘技能は皆無に等しい。
個人技能として、『ナイト・オブ・ファイヤー』、『ナイト・オブ・ブリザード』、簡易精霊の召喚『サモン』が本人の証言とその後の検証で明らかに。
謎のエネルギーを脚部に流すことができる模様。本人は『ダダダダキック』と読んでいるが、正式名称不明のため名称を仮名称『気脚』と命名。
言語能力は日本語と英語が使えるらしい。どこまで使えるかはネイティブがいないため、英語で何通りかを話した結果問題なく話せた事から確認。
装飾品に関しては魔力で編まれていることが確認。至って特殊な構成は無く、ただの装飾品であることから、別の服を別途用意する事に決定。
立場は近衛木乃香の護衛として、近衛詠春が保護者代わりとなる事に決定。
記憶の解析中にジジモンの所持していたデジヴァイスという存在の解析不能。
ムゲンマウンテン以外にも現実世界(人間世界の呼称として扱う)に繋がる扉がある可能性は極めて高く、メガドラモンの目的が現実世界へ行くことだっ
たのではないかという懸案事項を調査する必要がある。
デジモンの脅威に関して、イルゼの説明により幾つか判明。
デジモンには、ウイルス・データ・ワクチンの種族があり、成長過程、進化の過程とも呼ばれ、幼年期に一度姿が変わり、成長期となり、成熟期、完全
体、究極体が存在するらしい。また、ジジモンからの知識のみらしいが、アーマー体やその他にも未知の形態が存在する模様。
イルゼことインプモンはウイルス種、成長期の子悪魔型デジモンらしい。
インプモンの進化後の姿は不明。
記憶を通し、悪魔型で確認できたのは数体。
成熟期はヴァンデモンの部下のデビモンとバケモン、デビドラモン。
完全体はヴァンデモンのみ。
その他に関してはイルゼの記憶には情報無し。
現状では、インプモン→デビモン→ヴァンデモンとなる可能性が濃厚。
しかし、インプモンという種はデジモン達もよく知らなかったらしい。
現状ではこれ以上の調査は不能。
最後まで読んでいくと予想外にいろいろな事がわかった。
だが、進化についてや、イルゼの技に関してはわからない所がかなりある。
詠春はレポートを読みながらお茶を飲んだ。
調査を始めて、既に三ヶ月が経過していた。
明日、イルゼを木乃香達に会わせる予定だ。
刹那と木乃香、イルゼの三人が共にいられる時間は残り九ヶ月を切ったが、いずれ再開するときに思い出をたくさん作って欲しいと願っている。
詠春は度重なる検査や調査で眠りこけているが、明日から晴れて自由になると聞いた時は大喜びであった。
レポートを読み終えると、それを自分以外には決してあけられないように結界をはってある棚に納め、布団に潜った。
彼にとっても久しぶりにゆっくりと眠れるのだ。
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