![]()
第3話『詠春とインプモン』
京都
関西呪術協会の総本山の屋敷、その一室で数人の人影が集っている。
中年の男、近衛詠春の前に、真ん中には赤いスカーフを首に巻いた少年、左右には左から刹那、木乃香が正座をしている。
部屋の外には数人の長い刀を脇に差した男女が中の様子を伺っている。
閉じていた目を開き、詠春がゆっくりと口を開いた。
「まず、いくつか質問をしてもいいかい?」
詠春の虚言を許さぬ口調を受け、少年はその目を見つめ返し、視線を外さずにゆっくりと頷いた。
それから詠春は再び何かを吟味するかのように目を閉じた。
再び、少年に視界を戻した詠春は口を開いた。
「まず、君が何者なのかを教えてもらえるかい?」
「俺はインプモンだ」
「インプモン?それが君の名前かい?」
「ああ」
インプモンの言葉を聞き、詠春はふむと考えるようにインプモンを見つめた。
「君は、見たところ日本人のようだがもしかしたら別の国から来たのかい?」
黒髪に黄色の肌色と黒い目、インプモンの容姿は完全に日本人の容姿だった。
「いや、俺は…」
インプモンはその先を言うのに躊躇した。デジタルワールドという、ある意味では別の世界から来た事を言うのが正しいのかと。自分を呼び寄せた男に
話した時は全く信じてもらえなかった。
そもそも、人間という種に関して、ジジモンが語った事程度の知識しかなかったのだ。信じていいのかを疑わずにいられなかった。
インプモンが先を続けずに黙っているのを詠春はただ無言で待っていた。娘達を救ってくれた事に感謝はして居るが、本山の近くで謎の力を持った存在
が居たのだから疑惑を介さずにはいられない。
「教えてもらえないのなら最悪、君を捕らえなければならないんだ。どうか教えてもらえないかい?」
いつまでも喋らないインプモンに痺れを切らし、詠春が話を進めるように促した。
「お父様?!」
その言葉に反応したのは木乃香だった。
自分を助けた少年を父が捕らえるといっているのだ。それを看過することは出来なかったのだ。
「お嬢様…」
刹那はそんな木乃香を抑えようとしたが、少年が捕らえられるのは不義理に思えた。
「…、多分信じられないと思う…。」
ボソっと言ったインプモンの言葉に、詠春は静かに刹那達から視線を戻した。
「信じるかどうかはこちらで考えます」
「デジタルワールド」
「?」
インプモンの口から出た言葉は詠春には理解できなかった。
「デジタルの世界ですか?」
「ああ、ジジモンは人間の使うネットワーク世界と同義だって言ってた」
「ネットワーク世界かい?」
「ああ」
「…、君はそこから来たと?」
「ああ」
そのまま無言の時間が過ぎ去ったが、インプモンの後ろで正座している木乃香がおもむろに口を開いた。
「ねぇせっちゃん」
「なんやこのちゃん?」
「ねっとわぁくってなんやの?」
「うちもわからへん」
「………」
二人の会話に詠春は短く息を吐きインプモンに向き直った。
「話を進めて、最後まで聞いてから判断する」
「わかった」
それからインプモンは間を置いてから語り始めた。デジタルワールドについて、そして、この世界に来た理由を。
ムゲンマウンテンに吸い込まれ、少しずつ体を構成するデータが崩壊を始めた。最初は右手、消えていくのを感じながらもインプモンはジジモンの言葉を
反芻していた。
ジジモンに教えてもらった事はたくさんあり、そのどれもがワクワクする事ばかりだった。
ムゲンマウンテンには人間と呼ばれる者達の世界に続いている。
昔、ジジモンは懐かしそうに、それでも悲しそうに話してくれた。
パートナーを探せ、そう言われた。ジジモンは昔、テイマーと呼ばれるパートナーの人間とファイル島を救った事があるという。
どうしてメガドラモンがジジモンを襲ったのかはわからなかった。
ただ、ジジモンが消えてしまった事が悲しかった。
少しずつ、目が霞んできて、体の大半が消滅した。脚も手も肩も胸も。
痛みも無く、ただ体が分解されて行く、そんな時だった。不思議な光に包まれて、目が覚めると、目の前にはジジモンに聞いた人という種族の特徴に合
致した存在が居た。
黒いコートに黒いバギーパンツと黒いワイシャツという見事に全身真っ黒な男だった。
ただ、デジモンにもヒューマンタイプという種族が居るが、決定的に違うのは顔だった。
毛髪を頭部に湛え、二つの目、一つの鼻、一つの口を持つ、そんなのは体外のデジモンも一緒だ。しかし、その皮膚はとても弱く、肉体も脆弱だった。
「人間?」
インプモンが最初に発した言葉だった。
「なんだ、連中に渡された寄り代で上級霊を憑依召喚した筈だが…、お前の名は?」
自分の名前、ヤーモンと呼ばれていたが、進化した時に自分の名前がデータとして入ってきた。
インプモン、ウイルス型の子悪魔型デジモン。
「インプモン」
「インプ…?子悪魔?西洋のか?」
「西洋?…」
西洋という単語がわからなかった。
「?…まぁいい、インプ。お前は少し向こうに行った先にある小屋に待たせている炎鬼と行動を共にしろ。命令は既に伝えてある」
インプモンは男の言葉に不快になった。
何故、自分に命令という行動をしているのだと。
だが、この男は油断してはいけないと思った。
「わかった」
「それでいい」
インプモンは男の指差した方を歩き始めた。
そして、男が見えなくなってから自分の状況を確認した。
何故か自分の視界にチラチラと頭部から糸が垂れていて、その上自分はスカーフ以外に身に着けている物はなかったはずだった。
ババモンがヤーモンになった時にくれたスカーフだ。
だが、今は全身を布で覆われている。
その上、視線を下に下げると黒い短パンと赤い靴の間には真っ白のソックスと何故か、人間のような肌色の皮膚があった。
視線を僅かに上げると黒い半袖のシャツとスカーフが首に巻かれている。
「なんだよ、これ」
進化して、インプモンとなったばかりで今度は人間になってしまった。インプモンの頭は混乱に陥った。
体がまったく別の存在に変わるのは気持ちが悪かった。
進化とは違う。あるべき姿だと納得できるから進化というものがある。だが、人という存在に変わった事は体中が拒絶した。
「ヴぇえええぇえぇ」
インプモンはすぐ近くの木に寄り掛かって地面に嘔吐した。
「ここ…どこだよ」
ずっとはじまりの街で生きてきた。
遠出といってもアンドロモンの管理するファクトリアタウンやヴァンデモンの住む墓場に遊びに行った事もあるが墓地ではバケモンが怖くて泣き叫んでそ
のまま帰ってしまってヴァンデモンに謝罪されたのが記憶に残っている程度だ。
まったく右も左も分からない土地に一人だけ、インプモンに孤独がのしかかった。
召喚された広場から林道を歩き続けると、小さな小屋が見つかった。
扉を開け、顔だけで中を覗くとそこには誰も居なかった。恐る恐る中に入り、真ん中のテーブルに載っているバナナを一房だけ契ると初めてのはずなの
に自然と川を剥いて食べられた。
「俺、どうしてこんな姿になったんだ?」
近くの窓にはジジモンくらいの身長の人間の少年がぼんやりと映っていた。
「なるほど、君は木乃香を狙う者に召喚されたのか」
インプモンの話を聞いて、詠春は目を閉じたまま静かに言った。
「たぶんな。んで、しばらくするとさっきおっさんが倒した奴が帰ってきて、行くぞとか言い出してな。そのまま、チビ達に炎を吐いてむかついたから攻撃し
たんだよ。」
「それで先程の状況になったと…、にわかには信じる事の出来ないことですが…。しかし、君の言っている事に嘘はない気がします」
「嘘なんかついてねぇからな」
「でしょうね」
そのまま両者無言になると、詠春が口を開いた。
「君の事を信じましょう、ただ…」
「ただ?」
「君の体を調べさせてください。電子生命体の君が人間の肉体を纏っているのには何か理由があるはずだ。それがなんなのかを調べる必要がある」
「…わかった」
「では、今日は部屋を用意しますからゆっくり休みなさい。いろいろあって疲れたでしょう?」
「まあな…」
「木乃香と刹那君も。ほら、涙を拭って」
詠春の言葉にハッとなってインプモンは後ろを振り向いた。
すると、木乃香と刹那は俯いて目から雫を垂らしていた。
「なんで?」
インプモンは訳が分からずに木乃香と刹那を見た。
すると、木乃香が顔を上げてインプモンに顔を向けた。
「だって…。インプモン君、育ててくれたお父さんが目の前で死んで、知らない土地で独りになって…、それなのに…」
「なんでなん?」
木乃香は言葉を言い切る前に堪え切れなくなって顔を俯かせ、刹那がキっとなってインプモンを睨みつけた。
「なんだよ」
インプモンが睨みつけられて顔を顰めると刹那は口を開いた。
「なんでうちらを助けてくれたん?」
「は?」
その言葉に、インプモンは呆気に取られたように硬直してしまった。
「そんな、大変な目にあってたのになんで他人を助けられるん?」
刹那は右目を服の裾で拭いながら言った。
「そんなの、まだチビじゃんかお前ら。それに、偉そうなアイツラにも頭きてたし」
「へ?」
インプモンの言葉に今度は刹那が呆気に取られる番だった。
自分達が子供だから、相手が偉そうだったから。それが理由。
辛い目にあったはずなのに、その考えはどこまでも正常だった。
そんな簡単な事だったのだ。
「ありがとう」
「ありがとうね、インプモン」
「へ?」
いきなりの二人の言葉に理解がついてこなかった。
そして、しばらくしてからそれが感謝の言葉だと理解し、インプモンは頬を赤らめてただ一言ぶっきらぼうに。
「おう」
と言った。
「それじゃあ、まずは食事にしましょうか」
詠春は立ち上がり、三人を立たせた。
部屋を出る際に、詠春は小声ですぐ近くに居た女性に話しかけ、三人を食事の用意をした部屋に案内した。
食事を取る間は木乃香と刹那はインプモンに話しかけ、それに答えるという感じだった。
特に、デジタルワールドの話しは二人には夢のような世界だった。
天使がいて悪魔がいて。
そして、インプモンは二人が風呂に行っている間に詠春に呼び出された。
「話しってのは?」
「木乃香のことだよ」
「木乃香の?」
詠春の口にした言葉はインプモンには予想外だった。
出て行けと言われると思っていたからだ。
「何の事だよ?」
「魔法というのは、私達の世界では隠匿するものなんだ」
「?」
「木乃香には魔法を使う為の魔力という源が常人では計り知れないほどあるのだ」
「…、何が言いたいんだよ」
「魔法は使い方を間違えれば危険な力になる。巨大な魔獣、魑魅魍魎、鬼や悪魔を召喚し、巨大な炎を生成し、絶対零度の氷を操る。雷や光、闇すらも
操るのだよ。それを使うために必要なのが魔力。人は欲深い生き物なんだよ。だから、そう言った力を使いたがる。そのためには木乃香の魔力は喉か ら手が出るほどに欲しい力なんだよ」
「…、何が言いたい?」
「木乃香を護ってくれないかい?」
「?!」
詠春の顔には冗談の陰もなかった。
だから、インプモンにはわからなかった。
何故、そのような事をいうのかと。
「木乃香の警護は刹那君に任せているんだ」
「…、本気かよ」
「今は未だ、彼女は今回のような事になるでしょう」
「わかってるなら…」
インプモンはそこでようやく詠春の言いたい事がわかった。
「でも、俺に任せられることじゃないだろ」
「君は、この世界では一人だ」
「だからなんだよ」
詠春の言葉にインプモンは顔を顰めた。
「実は、君に探査の魔法を使わせてもらったんだ」
「探査の魔法?」
「その者の過去を見て、本質を知るというものだよ」
「な!?」
インプモンは絶句した。
自分の過去を見られたという事に顔を赤くして怒りに震えた。
「君の言ったことには嘘はなく、君は信頼を置けると判断できた」
「そんな事…」
「頼めないかい?」
「ふざけんな!俺の過去を勝手に見やがった上に命令する気かよ!」
「いいや、命令じゃない、お願いだよ」
その言葉には、断固とした意思が存在した。
「ふんっ、ジジモンの話と違うじゃないか…」
人間は優しく一緒に生きていける友達…、ジジモンはそう言っていた。
しかし、目の前の人間は考えが読めなかった。悪意のある言葉だけど、その顔には悪意とは違うものがあった。
「俺は、探さないといけないんだ…」
「パートナーを…ですか?」
「ああ、ジジモンが言ってたんだ。パートナーを見つければデジモンは強くなれるって、友達になれるって」
「それは、木乃香じゃ駄目かい?」
「は?」
「君の過去を見たと言ったのは、君に嘘をつきたくなかったんだ。利用しようと思えば出来るほど、君の心は純粋なようだった。探査の魔法は心に壁があ
ったり、嘘で塗り尽くしている者には効きにくい、だが、君にはそれがなかった。それに、君がパートナーを探しているのも知った。」
「………」
「お願いします、木乃香を護ってあげてください」
「な?!」
突然、詠春が警護を使い、頭を下げたのにインプモンは驚きを隠せなかった。
「なにしてんだよ、さっきまであんなに…」
「木乃香は、今日の事で魔法についてしってしまった。本当ならば、なにも知らずに過ごして欲しかったのだよ。だが、知っているという事は、それだけで
も魔を惹きつける。加えて魔力の事もある。信頼を置ける者に木乃香を護って欲しいんだ。」
「刹那はどうすんだよ。刹那は木乃香を護ろうとしてたんだぞ、お払い箱にするのかよ!」
「刹那君は、修行をしてもらうつもりなんだ」
「修行?」
「刹那君はここ、関西呪術協会の神鳴流という流派を授けています。しかし、今は未だ未熟。彼女にしっかりとした修行を貸したいんだ」
「…なあ」
「なんだい?」
「おっさんが護ってやるんじゃ駄目なのか?」
インプモンの言葉に、それまで少しも変わらなかった表情が崩れたのを感じた。
それはほんの少しだが、インプモンには悲しげに見えた。
「私は、組織の長だ。木乃香をずっと観ている事は出来ないんだよ」
「子供より…組織ってのが大事なのか?」
「耳が痛いね、それでも…、投げ出すには大き過ぎるものなんだよ」
詠春の顔を見て、一瞬だけジジモンと重なった。
インプモンは肩を撫で下ろし、小さくため息を吐くと口を開いた。
「いいぜ」
「………」
「木乃香を、俺の…パートナーに選んでやるよ。まあ…仮のな。あいつが、俺なんか必要なくなって、俺のパートナーを止めたくなるまでは…な」
「きっと、一生のパートナーになるかもしれませんよ?」
「…、ジジモンに聞いたんだ。人間には人間の未来がある。だから、いつかは別れの時が来るって」
「未来はわからないよ。とにかく、ありがとう」
「…へっ」
「ふふ」
お互いに口元を緩ませた。
「あいつは、悪い奴じゃないみたいだしな。ジジモンも子供のパートナーだったって言ってた。でもよぉ、木乃香はいいのか?あいつには言ってないんだ
し。後で嫌って言われたらここでの会話意味ないんじゃねぇか?」
「大丈夫だと思うけどね。それじゃあ、私達も風呂に入ろうか」
そう言って立ち上がる詠春を見ながらインプモンは一言。
「ところで、風呂ってなんだ?」
詠春はインプモンに風呂について説明するのに結構な時間がかかった。
![]() |