第65話『接近』



白雪姫も終わりに近づいてきた。
由希の扮する女王の策略を、七人の小人が次々に跳ね除けていく。
最初に毒の櫛を白雪姫に商人の姿に扮装して渡し、それをアーダルベルトの扮する小人が真っ二つにした。
次に、魔法の胸紐を渡し、絞め殺そうとするのを葵扮する小人がナイフで切り裂いた。
そうして、いよいよ物語のクライマックスに入り、女王が漆黒のローブを着て白雪姫に毒りんごを差し出した。

「これは、それはそれはおいしいリンゴでございます。どうぞ、お召し上がり下さいませ」

黒いローブの中から、態としわがれ声を出して由希は台詞を言った。
それに対し、長時間ライトを浴び、忙しなく舞台袖と舞台を行ったり来たりして、台詞も多めだったフェイは疲労の色を見せていたが、同時に緊張も無くな
って来て、自然な演技が出来る様になっていた。

「まぁ、何て美味しそうなリンゴなんでしょう。太陽の様に真っ赤だわ。私はリンゴを食べましょう。美味しく美味しく食べましょう」

台詞を言い終わると、フェイはリンゴを食べる振りをして、そのまま倒れこんだ。
そして、舞台は暗くなり、瀬尾のナレーションが始まった。

「魔女に扮した女王の毒リンゴを食べてしまった白雪姫。小人達は嘆き悲しみ、何度も何度もお祈りをしました」

すると、ライトが蘭丸扮する小人に集中した。

「神様、白雪姫を助けて下さい。白雪姫は死ぬには若すぎます。私の命でよろしければ、どうぞ持ってお行きなさい!それでも、白雪姫の命は返してくだ
さい」

台詞が終わると、今度は久保にライトが集中した。

「死んでは嫌だ。死んでは嫌だ。私達は白雪姫が大好きです。白雪姫を助けて下さい」

次に、アーダルベルトにライトが移った。

「全てを捧げましょう。髪も歯も肉も骨も魂すらも、貴方にお渡ししましょう。代わりにどうか、白雪姫を助けて下さい」

そして、葵に移った。

「早すぎる。これでは早すぎる。白雪姫は、幸せになっておりません。白雪姫は幸せにならねばなりません」

そして、紫呉に移った。

「僕の宝物を差し上げましょう。どれだけ大切な物もあげましょう。それでも、一番大切な宝物はお渡し出来ません。白雪姫は、渡せません」

そして、夾に移った。

「帰してくれなければ貴方を恨む。冥府魔道に落ちても許さぬ。どれだけの謝罪も切り捨てる。我等は貴方を殺しに行こう!」

最後に、李にライトが移った。

「返して下さい!返して下さい!朕達の姫を返して下さい!」

李の台詞が終わると、瀬尾のナレーションが始まった。

「七人の小人は何度も何度も祈りました。白雪姫の死体が朽ちないように、魔法の棺を作りました。小人達は魔法が使えます。だけど、白雪姫は取り戻
せません。大切な人は、魔法を使っても取り戻せません。それでも、小人達は涙が枯れても、喉が潰れても、祈りを止めませんでした。そして、遂に小人
達は皆が棺に寄り添いながら天に召されてしまいました。小人達の体は何時しか消えてしまいました。すると、何処からか声が聞こえて来ました」

すると、スピーカーから声が響いた。
声の主はBクラスの担任の弥栄恵美子だ。
恵美子の声を録音したテープを、春が音響室から流しているのだ。

『優しい優しい小人達。貴方達の願いを叶えましょう。そして、貴方達を歓迎しましょう。天国へ』

すると、舞台にライトが点灯した。
そして、ガラスの棺の中でフェイの扮する白雪姫が眠っている。
フェイの眠る棺はやや斜めになっており、観客にも見える様になっている。
そして、天井から金色の紙吹雪が舞った。
天井から学が降らしているのだ。
そうしてようやく、イルゼの出番が回って来た。
地面は金色の紙吹雪にライトが反射して光り輝いている。
そして、舞台袖から外套を纏った、何処か旅人の様な王子服を着ているイルゼが姿を現した。

「これは…」

イルゼは何度も練習した響く声で言った。
手塚に言われ、何度も何度も遠くに声が響くように練習したのだ。
その練習の成果が出ていた。
イルゼはスポットライトを浴びながら、フェイの眠る棺に近づいていく。
すると、再び天井から紙吹雪を舞った。

「なんだろう、これは?」

両手を広げながら体を観客に向けてイルゼは天を仰いだ。
すると、音響室の春は、Aクラスの歌からヒントを得て録音しておいた小人役のみんなで歌った歌を掛けた。
台詞や雰囲気を損なわない様に、音量や効果を調整して。
静かな歌で、何度も録音し直した歌だ。
とても綺麗で、とても悲しい曲。
最初に、鼻歌の様にうを伸ばすように始める。

――笑顔が嬉しかったよ、僕達に見せてくれた。貴女の笑顔が。

――夢の様だった。僕達に優しくしてくれたお姫様。

――幸せになって欲しいよ。僕達を幸せにしてくれた貴女に。

小人の気持ちを篭めた詩は、瀬尾が考えた。
それを、春が詩に会うように作曲した。
ギターで弾いた曲を、ピアノを習っている慊人が弾いて。
何度も試行錯誤した曲だった。

――僕達が幸せにしたかった。

――出来なかった。

――それでも、大切に思う気持ちは無くならないよね。

――いつも見ているよ。僕達の大好きなお姫様。

――一緒に美味しい物を食べれたね。

――一緒に楽しく踊ったね。

――大好きなお姫様。僕達を忘れて欲しいな。

――ずっと、大好きだよ。

そして、歌が流れる中で、イルゼは台詞を口にした。

「ああ、見える。感じる。聞こえる。なんと愚かしい事だろう。なんと浅はかだろう。なんと真っ直ぐだろう。なんと…愛おしい事だろう」

そうして、イルゼはフェイの棺に手を掛けた。

「私の魂を貴女に分けよう。これほど愛おしい小人達が愛した姫よ。私は貴女に会いたい。貴女と話したい。貴女の笑顔を拝みたい。どうか、私の命を
貰って下さい。どうか…小人達の願いを聞いて下さい。どうか…どうか、私に貴女を幸せにさせて下さい」

そう、台詞を紡ぐと、イルゼは棺の観客席とは逆の方向に回り込み、フェイの体を抱き上げた。
そして、右腕をフェイの胸に覆い被さる様に抱き締め、左手で頭を持ち上げると、その唇に自身の唇を優しく触れさせた。
その時、観客席に居た近右衛門、エヴァンジェリンだけが、一瞬だけ、本当に一瞬だけ、魔力が通じたのを感じた。
だが、あまりにも微かで、あまりにも僅かな時間だったので、お互いに確認せずに気のせいにしてしまった。
そして、瀬尾がナレーションを始めた。
その間、イルゼとフェイはお互いの唇を触れ合わせたままだった。
呼吸は不思議と辛くなかった。

「七人の小人の願いを聞いた少年は、女王が納める国の隣の国の王子様でした。彼等の気持ちを聞き入れた王子様は、命を吹き込む様に白雪姫に口
付けをしました。それは、奇跡と言うのでしょうか、白雪姫の瞼が動いたのです」

そして、舞台上で、フェイは瞼を開いた。

「私は」

イルゼに縋るように体を預けながらフェイは観客席を見ながら言った。
観客席では、観客は見入る様にしていた。
中には、瞳が揺れている人も居る。
そして、イルゼが口を開いて台詞を言った。

「白雪姫」

すると、フェイはイルゼの胸に顔を押し付けた。
そして、横を向きながら、台詞を言った。

「私は知っております。覚えております。忘れるなど出来ません。大好きなのです。恨みます。私は私を恨みます。愚かな私を恨みます。死んで欲しくあり
ませんでした。生きて欲しくてたまりませんでした。どうして、小人達を死なせて幸せになれましょう。私は彼等の願いを叶えられません。私は何も出来ま
せん」

そして、イルゼが台詞を口にした。

「いいえ。私が貴女を幸せにしましょう。どれほどの悲しみも、癒せぬ傷も、共に引き受けましょう。私と一緒に居てください。私に貴女を笑顔にさせて下さ
い。私に全てを委ねて下さい。私の妻になって下さい」

だが、フェイは首を振った。

「申し訳ありません。私には貴女と添い遂げる資格は御座いません。私は幸せにはなれません」

すると、フェイは立ち上がると、イルゼから離れて観客に向かって歩き出した。

「私は大変な罪を犯しました。どうしてそんな私に幸せになる資格が御座いましょう。私は罪を重ねます。小人達の願いを叶えられません。忘れられませ
ん。幸せになれません」

すると、イルゼはフェイに近寄ると、フェイの足を掬い上げる様に、フェイの膝下に左腕を入れ、右腕にフェイの背中を乗せた。
お姫様抱っこをしたまま、イルゼは台詞を口にした。

「それならば、私も罪を犯しましょう。私は貴女を連れ去りましょう。私は貴女を無理矢理に幸せにしましょう。それでも、決して忘れさせません。世界で一
番愛おしい七人を、私も決して忘れません。 それでも私は幸せにしましょう。貴女を笑顔にして見せましょう。私も罪を負いましょう。貴女の罪も負いまし
ょう。それでも、私は貴女に小人達との思い出を忘れさせません。これも私の罪なのです。どれだけの月日が流れても覚えていましょう。そうすれば、彼
等は生きられるのです。さぁ、行きましょう!」

そう言うと、イルゼは一切ふらつかずに舞台袖にゆっくりと歩いて行った。
そして、舞台上は暗くなり、瀬尾がナレーションを始める。

「白雪姫を連れ去った王子様。何度も何度も頷かないお姫様に、王子様は何時までも辛抱強く愛を囁きました。最高の食事、最高の服、最高の部屋、最
高の生活、それ以上に、王子様は愛を与えました。永い年月が経ち、女王様は鏡の前に立ちました」

すると、舞台は明るくなり、由希が鏡の前に立った、

「鏡や鏡、世界で一番美しい女は誰じゃ?」

「それは勿論、王后さまです」

由希の問い掛けの台詞に、鏡は答えた。
そして、瀬尾が口を開いた。

「女王は何度も何度も鏡に聞きます。世界で一番美しいのは誰じゃ?その答えは何時も女王でした。でも知っています。白雪姫が生きているのを知って
います。白雪姫が嘆いているのを知っています。そして、王子様の愛を拒絶しているのをしっています。そして、年老いた女王は、ようやく心を育みまし
た。親の愛情を育みました。白雪姫を愛しく思いました。そして、女王は神様にお祈りしました」

瀬尾のナレーションが終わると、由希は天を仰いで口を開いた。

「私は罪を犯しました。大変な罪を犯しました。どうかこの命はお返しします。だから、返して下さい。私の娘の幸せを返して下さい。七人の小人を返して
下さい。この命を永遠に貴女に捧げます。どれだけの責め苦も、どれだけの労働も厭いません。だから返してください。娘の笑顔を返して下さい」

すると、スピーカーから声が流れた。

「貴女の願いを叶えましょう。貴女の命は要りません。貴女が居なければなりません。白雪姫は幸せになれません。小人を返しましょう。貴女の命のある
限り、白雪姫を愛しなさい。それが唯一の貴女の罪を洗い流せる方法です」

そうして、舞台は暗くなり、由希にだけライトが当たった。
すると、今度は舞台に現れた蘭丸、久保、夾、葵、紫呉、アーダルベルトに李の扮する小人が一人ずつライトを浴びた。
そして、瀬尾が口を開いた。

「神様は女王許しました。そして、白雪姫の幸せを返しました」

すると、舞台は暗くなった。

「女王は七人の小人と歩き始めました。そして、隣の国の白雪姫に会いに来ました」

再び舞台は明るくなり、明るいお城の内装に変わった。
そして、王座には手塚が座り、イルゼとフェイがその脇に立っていた。
そして、由希はその前に立ち、蘭丸達はその後ろだ。
そして、由希が口を開いた。

「私を許す必要はありません。私は小人をお返しします。白雪姫、私は愚かでございました。どれほどの罰もお受けいたします。それでも、願いを一つ聞
いて下さい」

地面に這いずる様に由希は頭を下げた。
そして、イルゼが台詞を言った。

「隣の国の王后様、どうか顔を上げて下さい。貴女の願いを聞かせて下さい」

そして、由希はしゃがみ込んだまま、本当に泣いてるかのような声で台詞を言った。

「幸せになって下さい。それが、私の望みで御座います」

すると、フェイが口を開いた。

「お母様。私は貴女を許します。私は貴女に望みません。何一つ望みません。それでも、私を愛してくれるのならば、私の婚約を祝福して下さい」

フェイの台詞に、イルゼが一歩前に出た。

「私は必ず為しましょう。貴女の願いを為しましょう。小人達の願いを為しましょう。白雪姫を幸せに為しましょう」

イルゼの台詞が終わると、王座の手塚が立ち上がった。
そして、両手を大きく打ち鳴らし、口を開いた。

「私は貴女をこの国に歓迎しましょう。私は息子と白雪姫の婚約を祝福しましょう。貴女と共に祝福しましょう」

そして、それぞれにスポットライトが当たったまま、瀬尾が最後のナレーションを始めた。

「こうして、改心した女王は隣の国に招かれ、白雪姫と王子様は結ばれました。七人の小人は王子様と白雪姫を祝福しました。女王と王も祝福しました。
国の民も祝福しました。森の動物達も祝福しました。そうして、白雪姫は幸せに暮らして生きました。王子様に愛され、小人に愛され、母に愛され、白雪
姫は何時までも幸せに暮らして生きました」

そうして、全てのライトが消え、舞台の幕が下がって行った。
瀬尾も幕の中に戻って行った。
すると、幕の向こうから爆発する様な拍手が起こった。
その音を聞き、フェイも、イルゼも、手塚も、蘭丸も、李も、皆笑顔になった。
そして、手塚は満面の笑みを浮かべて言った。

「大成功だ!」

それに答える様に、イルゼも右手の拳を振り上げた、

「おう!!」

他の面々も、皆笑顔だった。
只二人、台詞も無く、ただ立っていただけで殆ど目立たなかった二人の門番を除いて…。





観客席の最前列に座っているエヴァンジェリンはカメラをタカミチに任せ、ハンカチで溢れる涙を拭くのに忙しかった。

「あらあら、泣き過ぎよエヴァったら」

クスクスと笑いながらも、桃子も目の端に涙が僅かに零れていた。
桃子の隣のさよも目を潤ませてその隣の近右衛門とハンカチでお互いの涙を拭いていた。
タカミチも感心した様に言った。

「凄いですね、小学一年生であれだけの劇が出来るなんて…」

それにアスナも現実感の無い感覚を感じながら頷いた。

「……白雪姫…凄いね」

「ああ、あの子の演技は凄かったね」

アスナの言葉に、アスナは「違う」と首を振った。

「え?」

タカミチは当惑の表情を浮べた。
すると、アスナは口を開いた。

「お母さんに殺されかけて、小人達が死んでしまったのに、それを忘れないで、生きて行こうとするのが…凄いって話」

「……そうですね」

アスナの言葉はどうしてだか、他人事の様には聞けなかった。
それ故に、タカミチはアスナの頭を優しく撫でた。
アスナも、それを抵抗せずに受け入れ、悲しげな表情を浮べていた。





舞台袖の扉から控え室に戻ったイルゼ達は開放感に包まれていた。

「さて、それじゃあ解散としようか」

手塚が皆に言うと、唐突に扉が開いた。
入ってきたのはAクラスの朝倉和美だった。

「ヤッホー!写真撮影に来たよん!」

朝倉は自慢のカメラを掲げながら言った。
全員、未だに衣装のままだったので、手塚は「そうだな」と言った。

「朝倉、写真をお願いしていいか?」

それに、朝倉は大きくウインクをして答えた。

「もっちろん!その為に来たんだからね。最初に集合写真撮っちゃお!」

そう言うと、朝倉は次々に指示を飛ばした。

「ほら!白雪姫と王子様はもっとくっ付いて!王様は後ろ!小人達は三、四で分かれる!」

朝倉の指示に従い、数分後に漸く準備が完了した。
ちなみに、背景はお城のセットの壁を運んで来ていた。

「次の組は別の控え室と言っても、その次のクラスが入って来てしまう。急いでくれ!」

手塚は若干焦れた様に言うと、朝倉は「了解」と言うと、何度か撮影した。
その後も、イルゼとフェイ。フェイと由希。蘭丸達と由希。蘭丸達と由希とイルゼ。音響組やライト組など、色々な組み合わせで写真を撮っていると、次の
組が始まる寸前まで掛かってしまった。
写真撮影が終わると、次々に部屋から出て行き、残ったのはイルゼ、フェイ、学、手塚、由希、不破、零弦、春、葵の9人だった。
イルゼとフェイ、学も急いでエヴァンジェリン達の元に行こうとしたが、その前に入り口に二人の人物が姿を現した。
亜里抄とディックである。

「パパ!!」

ディックの姿を見た瞬間、由希はディックに駆け寄った。
その事に、イルゼ達はディックを知っていたので驚かなかったが、手塚や不破、何時もは無表情の春までもが目を丸くした。

「由希だ!久しぶりだね。ちっちゃい由希。僕の可愛い由希!」

ディックは駆け寄って来た由希を抱き抱えた。
由希も嬉しげな笑みを浮べてディックを抱き締め返した。
それを見ながら、イルゼは小声で手塚に聞いた。

「なぁ、パパって何だ?」

「………まぢで聞いてんの?」

手塚は呆れ返った声で聞いた。

「いや…まぢで聞き慣れないんだが…」

イルゼの言葉に、手塚は溜息を吐くと答えた。

「要は、お父さんって意味だよ」

「そうなのか」

「そうなの。それにしても驚いたね。由希があそこまで感情を出すとはさ。何時も…人当たり良いけどあんまし感情みせないのにな」

手塚の言葉に、イルゼは肩を竦めた。

「実の父親の前で、感情を動かさない人間が居るか?…居るかもしれないけど、由希はそこまで人間止めてないだろ」

イルゼが言うと、手塚は苦笑した。

「まぁな。誰でもそうだ。余程の事が無ければ、親との絆は何よりも強い物…。いや、本当にそうなのかな…?」

「手塚?」

「いや…何でもない。それよりも、親子水入らずを邪魔する訳にはいかないだろ?」

「そうだな…。手塚」

「何だ?」

「何かあるなら言えよな?相談くらい乗れるぜ?」

手塚のどこか寂しげな表情にイルゼは言った。
だが、手塚はフッと笑いながら首を振った。

「何、問題はないさ。ちょっとだけね。それよりも、さっさと行こう。Aクラスの出し物が始まってしまう。俺も、あやかちゃんには怒られたくないからね」

ニッと笑いながら、手塚は先に部屋を出た。
何時の間にか、春、零弦、葵は既に部屋を退出していた。
イルゼは学、フェイ、不破、亜里抄の元に歩み寄った。

「それじゃあ、俺達も行こうか」

イルゼが言うと、学達も頷いた。
すると、ディックが声を掛けた。

「イルゼ達、どっか行くの?」

ディックがイルゼに話し掛けたので、由希は目を丸くした。

「ああ、友達の出し物を見に行くんだ。ディック、親子水入らずに楽しみなよ。じゃあな」

イルゼが笑いかけながら部屋を出ると、学達もディックと由希に手を振りながら出て行った。
残されたディックと由希はお互いに笑い合った。

「今日は一緒に遊んでくれるの?」

「うん!勿論だよ。ちゃぁんと休暇届けは出してきたんだ。ディック、何度も何度も練習してうまくやったんだよ。由希、一緒に遊ぼう」

「うん!」

そのまま、由希とディックも出て行った……。





廊下を歩くイルゼは、不破に話し掛けた。

「なぁ、不破もAクラスの劇を見て行かないか?」

イルゼが聞くと、不破は「うぅん」と難色を示した。

「駄目か?」

「僕、ちょっと疲れちゃった。イルゼ君にはもう教えてるんだから良いよね?」

虚空に話し掛ける様に、不破が呼び掛けると、次の瞬間に、不破の瞳の色は真紅に染まり、目付きも鋭くなった。
何故か髪まで僅かに広がるようになった。

「ドルか?」

イルゼが聞くと、ドルは「おう」と答えた。

「?ドルって?て言うか…目の色変わってない!?」

「気にすんなよ学。ちなみにドルってのは、今の俺の名前だ。よろしくな」

ニッと笑いながらドルは学に言った。

「え?あ、よろしく。…じゃなくて!どういう事!?」

「ほら、不破が言ってたろ。友達」

イルゼが答えると、学は「へ?」と間抜けな声を出した。

「ま、俺は翔一に憑依したお化け…みたいに思ってくれればいいさ。フェイもよろしくな」

「え?あ、はっ!はい!」

呆気に取られていたフェイも、慌てて頷いた。

「さて、そろそろ本当に時間が拙い。急ぐぞ」

イルゼが言うと、ドルは「おう」と言って頷いた。

「っと、そうだ。いい機会だ。俺じゃあ持ってても仕方無いしな…」

廊下を歩き出すと、直ぐにドルは立ち止まって言った。

「?何の事だ?」

イルゼが後ろを振り向いて聞くと、ドルは何時の間にかイルゼの背中に手を当てていた。

「いや、ちょっと所有権をね。もう、ソレはお前の物みたいだし。お前なら信用できると思うからな。アイツもそろそろ干渉して来る頃だろうけど、多分お前
なら大丈夫だ。…どっちに着いても、自分だけは見失うなよ…」

途中からは、ドルの言葉は聞こえなかった。
強烈な痛みが一瞬全身を貫いたのだ。

「イッ!?」

「?どうしたの?イルゼ」

フェイが目を丸くして聞くと、イルゼは痛みが引いているのを感じた。

「おい、ドル!今のは!?」

「ん?ちょいっとノロノロしてっから背中押してやったんだよ。さっさと行こうぜ?」

「え?あ、ああ。……?」

イルゼは首を捻りながら歩き始めた。

「ドルの奴…何か言ってた気が…駄目だ。思い出せない…」

眉を顰めながら、イルゼは劇場の客席に進んで行った。







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