第9話『デジヴァイス』


京都、関西呪術協会の総本山。

その屋敷の一室に、4人の人間が座している。

長すぎず短すぎない程度の長さの黒髪の少年、イルゼはその日の朝にこの屋敷に到着した。

九ヵ月の予定だった修行はそれよりも僅かに二週間ばかり早くに切り上げた。

修業先で同じ道場の門下生だった青年が大会に臨む事になり、イルゼは先に修行を切り上げて戻ることになったのだ。

日産のBLUEBIRD SYLPHYに揺られながら東名高速を500km程走破し、若干車酔いに苦しめられながら車が門から1km程離れた駐車場に停車し、今度
は風に揺られながらなだらかな傾斜を歩いて行くと、記憶に残る巨大な門が見えてきた。

そして、入口では関西呪術協会の長である近衛詠春とその娘の近衛木乃香がイルゼを出迎えた。

その際に、木乃香が涙を浮かべて抱きついた為に酔いが治まらなかったイルゼは後ろに倒れてしまい目を回し、木乃香が泣いて謝る姿があり、詠春に
挨拶をしていた麻耶は慌てて木乃香を引き起こし、イルゼの様子を見て、詠春はその光景に苦笑した。

イルゼは刹那にも会おうと思ったのだが、刹那は現在修行のために遠出しており、戻ってくるのは一週間後だそうだ。

茶室に通され、詠春がお茶を点てるのを待った。

「まずは、改めてイルゼ、麻耶君、お帰りなさい」

詠春の言葉に少し照れくさそうにしながらイルゼも返した。

「お、おう。ただいま、詠春」

麻耶も丁寧に膝を折ってお辞儀した。

「さて、お茶を飲みながら向こうでの話を聞かせてもらえるかい?イルゼ。木乃香も聞きたがっているようだしね」

その言葉にイルゼが横で正座している木乃香に視線を向けると木乃香も興味津津といった様子でイルゼを見つめていた。

イルゼは記憶を引き寄せながら話し始めた。

東京で麻耶と二人で暮らし始めた家。

二階建てで広さは一般の家屋と同じくらいだった。

道場までの道はすんなりと分かったのだが、門を開こうとすると最初は閂でも掛っているのかと思ったほどに重かった。

四苦八苦して開かなかったのでどこかにチャイムが無いかを調べていると唐突に開いて中からは巨人が出てきた。

他にも奇妙奇天烈な人達がいて、案内されている間中どこからか断末魔の悲鳴が聞こえ続けて麻耶は涙目で帰ろう帰ろうと言い、イルゼも逃げ腰だっ
たが目の前の巨人からは逃げられないと考え麻耶を落ち着かせるのに一苦労だった。

その後は、中国拳法の師匠に修行を付けてもらうはずだったのだが、向こうはイルゼを5歳の子供だと知らなかったらしく、柔術家の男が専門的にイル
ゼに修行を施すことになった。

と言っても、悲鳴を上げていた青年の修業とは違い、イルゼに施されたのは精神的な修業だった。

具体的に上げれば、頭の上や肩、両手や両膝に林檎を乗せ、刀を握る女性が目の前で林檎を切り裂いていくといったものや、真っ暗で音も無い部屋で
一時間ただジッとしているだけの修行なんかだ。

もちろん、肉体的な修業も無しではなかった。

肉体の成長を妨げない程度の重りを両手両脚に付け、両手を握り拳にしてそのまま腕立て伏せをする修行やもう一人の兄弟子の青年や道場の娘との
組み手などをやった。

さすがに勝てはしないものの最終的には眼で動きを追える程度になった。

とはいえ、師匠の動きはまったく見えず、目では追えても青年に一回も触れられなかった。

時々、師匠の発明品を使った奇妙奇天烈な修業もあった。

四方八方から柔らかいゴムの球が襲い掛かってくるのをひたすらその場で足を固定されながら最低限の動きで躱したり、手で流したりするのだ。

最低限の肉をつけ、只管に自分の肉体を支配する事を目標に定めた修行で、敵の動きを見つめ、常に体を反応させられるようにと。

技は結局教えてもらえなかったが、動きのキレは九ヵ月前とは比べるべくもなかった。

夏にはプールや海で修行したりもした。

崖から飛び降りたり、目の前で道場の長がプールの水を真っ二つにしたりするのを見ながら確実にトラウマを増やしたりもしたが、概ね修行としては満足
のいくものだったと実感した。




イルゼの話を聞きながら詠春は穏やかに微笑みながら口を開いた。

「そうか、よく頑張ったね」

「へへ。でも、まだまだだ。もっと修行して強くなんねぇと」

「ふふ、ああそうだ」

「?なんだよ詠春」

「麻帆良には二週間後に出発してもらうよ。麻帆良小等部で男子クラスで手続きは終了しているからそのつもりでいてくれ」

「男子クラス?」

「ああ、麻帆良学園の小等部は女子クラスと男子クラスが分かれて交互に並んでいるんだよ。男子女子合わせると1年生だけでも20クラス前後あって
ね、便箋を図ってもらって木乃香の隣のクラスにしてもらってある」

「わかったよ」

「学校かぁ、うちなんだか楽しみや」

木乃香は小学校への期待を膨らませて言った。

「でさ、木乃香の護衛って具体的にどんな感じなんだ?」

「そう言えば教えていなかったね。麻帆良学園は多くの魔法使いが教師や生徒として生活しているんだ。ただ、狙われやすいモノも多いから夜には割と
侵入者なんかもいてね、その為に魔法使いの多くが警備員として出向いているんだ。護衛っていうのはそんな時だね。麻帆良学園には学園結界っていう
のがあって、その外に出かける時や夜に侵入者の対処の為に内部への注意が散漫になっている間をイルゼには頼みたいんだ。昼間なんかは結界内な
ら魔法使いがいつも目を光らせているから平気なんだけどね」

「なら、護衛は夜とどっか出かける時だけでいい訳か」

「そういう事になるね」

「うぅん、うちは昼間もイルゼと一緒にいたいんやけどなぁ」

唇を尖らせて言う木乃香に詠春は苦笑しながら口を開いた。

「イルゼにも普段は普通の生活をしてもらいたいからね、友達を作ってどこかに遊びに行ったりもするかもしれないだろう?」

「せやなぁ、でも夜は毎日一緒なんやろ?」

「ああ、一応小等部の寮は男女共同だからね」

「友達かぁ、俺に出来るかなぁ?」

イルゼの不意に漏らした不安に詠春はイルゼの頭を優しく撫でた。

「大丈夫、イルゼはいい子だからね。きっと友達が出来るよ」

「…おう」

頭を左右に振って詠春の手を振りほどきながらそれでも嬉しそうにイルゼは返事をした。

それから、一週間は瞬く間に過ぎた。

基本的には木乃香とイルゼは毬で遊んだり、イルゼの自主トレーニングを木乃香が隣で見ていたりするのだ。

イルゼは修行中に兄弟子の青年の戦いをずっと見てきた。

といってもその時は師匠同伴でだ。

青年の戦いを目に焼け付けて来たイルゼは青年が戦った相手の動きを思い浮かべてイメージトレーニングをする。

組み手の相手として、時には呪術協会の人間が相手をしてくれる事もあった。

前はイルゼを異物として見ていた者達も既に仲間としてイルゼを認識して修行の手伝いを自主的に勧み出ることもあった。

そういった時には修行は有意義なモノが出来た。

元々、呪術協会にいるのは呪術師や神鳴流の剣士、巫女といった人達で、その中でも修業に付き合ってくれるのは呪術師や剣士であり、ただの組み手
であっても着実に意味があった。

また、木乃香の魔法の修行もかなり進んでいた。

元々、並ではない才能と魔力を持つ木乃香は特に結界や障壁の術に重点を置いていた。

符を使えば認識阻害、防音結界、防呪結界、八卦結界、防御結界、防霊結界の6種の結界が張れるほどだ。

認識阻害はその結界でなにを行っていてもそれを見た人は脳で認識が出来なくなるのだ。

防音結界は音、防呪結界は今は最下級呪文、防御結界は一般的な成人男性の拳程度、防霊結界は下級霊を遮断する事ができる。

八卦結界は地脈や霊的な場所で魔力を回復させ、呪文や結界の能力の底上げをしてくれる。

それを見たイルゼは感嘆の声を上げ、心底羨ましげにして木乃香を喜ばせた。

それから、刹那が屋敷に戻ってきた。

刹那もイルゼを見た途端に泣きながら突進して危うくイルゼは頭を部屋にあった壷でぶつけるところだった。

それから、4日が経ちイルゼと木乃香は刹那の様子がおかしい事に気がついた。

何故か他人行儀な態度をとるのだ。木乃香は気が付かないふりをしてあげようと言ったがイルゼが納得いかずに刹那に聞いたのだがはぐらかされるだ
けだった。

それから、また一日が経った日に詠春が三人に話があると告げた。




詠春に呼ばれた場所には修行に付き合ってくれた呪術師の女性や神鳴流剣士の男性が何人か挨拶をしてくれた。

そこは微かに香の香りが鼻腔をつき、薄暗い部屋だった。

部屋の中央には大きな円があり、そこには意味不明の文字列が並んでいた。

「来たね」

詠春が部屋の中央に手招きした。

「お父様、これってなんやの?」

部屋の中央の円を指さしながら木乃香が詠春に問いかけた。

「これはね、パクティオー。仮契約の為の魔方陣なんだ」

「パクティオー?」

とイルゼ。

「仮契約?」

と刹那。

「なんやの?それ」

と木乃香が言った。

「仮契約っていうのはね、魔法使いにとっては絆を作る為の儀式なんだよ」

「絆を作る儀式?」

と木乃香。

「絆って儀式で作るもんだっけ?」

とイルゼ。

「まあ、絆自体というか…絆を形ある物にするって言った方が正しいかもね。魔法使いは従者という存在を傍に置くんだ」

「従者?」

「本当は呪術師なら鬼を使役したりするんだけどね、木乃香には西洋の魔法使いに倣ってイルゼと刹那君を従者にしてもらいたいんだ」

「でも、お父様」

「なんだい?」

「従者って主人に傅くものなんやろ?」

「難しい単語を知ってるね、その通りだよ。言葉の上での意味なら」

「うちはイルゼやせっちゃんに傅いて欲しいんとちゃうよ!」

木乃香の言葉を予想していたように詠春は微笑みを浮かべて言った。

「言葉の上ではと言ったね。西洋の魔法使いは従者とは言ったけど、正確にはパートナーっていう意味なんだよ」

「パートナー?」

「そう、魔法使いが力を与え、魔法使いを守り、その間に魔法使いが呪文を完成させる。主従という表現というよりは姫と姫を守る騎士といった感じなん
だ」

「へぇ…」

今一ピンと来ていないようだったが詠春はそのまま話を続けた。

「仮契約をするといろいろと特典がついてくるんだ」

「特典?」

イルゼが繰りかすと詠春は頷いた。

「そう、念話、召喚、アーティファクト、魔力供給。まあ説明はまずは仮契約をしてからの方がいいだろう。準備はできているから、まずは木乃香とイルゼ、
中央の円に入りなさい」

そう言って手招きする詠春に木乃香とイルゼはお互いに顔を見合せて、刹那は二人を心配げに見た。

それから、不安そうにしながら木乃香とイルゼは円の中に入った。

すると、円とその中の文字が唐突に光りだし、そこから光の波が噴き上げた。

「な、なんだ!?」

「うひゃあ!?」

突然の事に木乃香とイルゼは慌てて外に出ようとしたが詠春が制した。

「大丈夫だから円の中にいなさい」

有無を言わさぬ口調に頷きながらお互いに手を握ると光の波を吹き上げ続ける円の中で二人は立ちつくした。

「それでは始めます。契約の祝詞を唱え、最後に額をお互いにつけなさい。木乃香の祝詞は妙君、イルゼの祝詞は麻耶君が唱えるので順番に復唱しな
さい」

すると、妙と麻耶が巫女装束で部屋に入ってきて詠春の隣に立った。

「麻耶姉ちゃん…」

「妙さん…」

不安そうにする二人に妙と麻耶は安心させるように微笑んだ。

「大丈夫やえ、イルゼ。痛い事もないし、ちょいっと祝詞を唱えるだけやさかい」

と麻耶が言った。

「せや、お嬢様も安心してください」

と妙が言い、二人は一旦目を瞑ると、決心した用意お互いに顔を向い合せにした。

「わかった、やるよ」

「うちもええで」

すると、詠春が妙と麻耶に向って頷いた。

「それでは、私の祝詞の後に妙、麻耶の順に祝詞を唱えるから、二人はそれぞれの後に習って唱えなさい」

「はい!」

「おう!」

「では、…。契約の精霊よ、季節の変わり目に満ちた月の加護の下、幼き二人に仮初の絆を与えよ…。立会し我が名を近衛詠春」

詠春の祝詞が唱え終わると妙が口を開いた。

「契約の精霊よ、我を主とし、我が方翼を担いし彼の者に従者の刻印を、我が名、近衛木乃香」

妙の言葉が途切れると、木乃香が復唱した。

「契約の精霊よ、我を主とし、我が方翼を担いし彼の者に従者の刻印を、我が名、近衛木乃香」

木乃香の祝詞に間違いが無いことを確認し、麻耶が口を開く。

「契約の精霊よ、我を従者とし、我が剣を持ち盾となる者に主の祝福を与えよ。我が名、イルゼ=ジムロック」

麻耶の言葉が途切れる。

ジムロックはイルゼの姓だ。

詠春は当初はイルゼに近衛を名乗らせるつもりだった。だが、いくらイルゼの事を認める者が増えてきたとはいえ、未だ不服に思う者が居る中で刺激す
るわけにもいかず、已む無くドイツ語圏の姓を名乗らせることに決まったのだ。

ドイツ語圏にしたのはイルゼという名がドイツ系に多いからだ。

ちなみに、ドイツでどんな暮らしをしていたか…なんて聞かれても返事など出来る筈も無いので、移住して来たドイツ人の父と日本人の母の間の子で早く
に両親を亡くして詠春の下で過ごした…という事にしてある。

そして、イルゼも祝詞を始めた。

「契約の精霊よ、我を従者とし、我が剣を持ち盾となる者に主の祝福を与えよ。我が名、イルゼ=ジムロック」

妙と麻耶の声が重なる。

「「パクティオー(仮契約)」」

それに習い、額を合わせながらイルゼと木乃香の声も重なり合った。

「「パクティオー(仮契約)」」

その瞬間、イルゼと木乃香の足元の円からそれまで以上の光の奔流が二人を取り込み、瞬く間に消え去った。

残った二人の間には一枚のカードと一個の光の塊が浮遊していた。

「これは…?」

木乃香がその光の塊に触れた途端、剥がれ落ちるように光が消え去り、後には銃身の無い銃の持ち手のような物体が木乃香の手に残った。

不思議な光沢を持ち、色は全体的に薄緑色で、左側面に四角く漆黒の石が嵌めこまれており、常磐色の模様が施されている。

右側面にも常磐色の模様が施され上半分程の場所に澄んだ鶸色の水の雫のような形の紋章がある。

そして、エメラルドの様に深い翠色の四角い宝石が銃身の在るべき場所、僅かに突き出している場所に嵌めこまれている。

「デジ…ヴァイス?」

イルゼの言葉に木乃香だけでなく、刹那や詠春達も驚愕した。

「これが!?」

詠春は光の収まった円の中に入り、木乃香の手元の機械を見つめた。

「いや…、そうかなって思っただけなんだ。ジジモンが持ってたのはもっとなんか…四角くて小さかった。ただ…ここ」

そう言ってイルゼは機械の右側面の紋章を指差した。

「これは?」

詠春が聞き返した。

「紋章…純真の紋章だと思う」

「純真…?」

木乃香がイルゼの言葉を繰り返した。

「ああ。昔、ババモンが見せてくれた古い絵に描いてあった。10個の紋章、勇気、友情、愛情、純真、知識、誠実、希望、光、優しさ、奇跡。これは純真の
筈だ」

「純真の…紋章」

木乃香が紋章を見ながら言った。

「紋章…では、これは少なくともデジタルワールドの存在という事だね」

「ああ、デジヴァイス…なのかな?」

「恐らく、そうなのだろうね。デジヴァイスはデジモンと人とを繋ぐ絆なのだろう?なら、人と人とを繋ぐ絆である仮契約でデジヴァイスが顕現したのかもし
れない…」

「調査は後にしよう。イルゼ、円から出ていてくれ。刹那君、入ってくれ」

そう言って、詠春はカードとデジヴァイスを傍らにやって来た巫女の持つ盆の上の布の上に丁重に置くと円から出て行った。

「おう」

「はい」

円から出るときにイルゼは刹那の肩をポンっと叩いた。

それから再び円が輝きだした。

「それでは、刹那君は麻耶君の後に、木乃香はさっきの通りだよ」

「はい」

「はい」

木乃香と刹那の返事を聞いて詠春は祝詞を再び唱えた。

「契約の精霊よ、季節の変わり目に満ちた月の加護の下、幼き二人に仮初の絆を与えよ…。立会し我が名を近衛詠春」

その言葉の後に、妙、そして木乃香が続き、麻耶の後に刹那が続いた。

「「パクティオー(仮契約)」」

閃光が部屋を見たし、瞬く間に光が収まると、そこには一枚のカードが浮遊していた。

「これが刹那君のだね。では、カードについて説明したりもしたいから大広間に向かおう」

そう言うと、詠春は円の中で浮遊するカードを手に取り、巫女の持つ盆の上に置いた。

「えぇ、ここで見たらあかんの?」

木乃香はカードをすぐに見たくて不満そうに言った。

「大広間に着いたらすぐに渡すから、仮契約が成功したかどうかを調査するだけだからね」

「はぁい」

「ちょっと楽しみだな」

「せやね」

「…」

イルゼが刹那に話しかけたが刹那は表情だけで目は悲しげだった。

「なあ、ほんとに何かあったんじゃねえのか?」

「なんもあらへんよ。うちは大丈夫やえ」

イルゼが心配そうに声を掛けるが刹那ははぐらかすばかりだった。

木乃香も心配そうに刹那を見たが刹那は先に行ってしまった。

「せっちゃん…」

それから一向は大広間に移動した。





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