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第64話『白雪姫』
時間までリハを繰り返し、前の組が終わり、お昼休憩になった。
掌理と元也、春、宇喜田、克、学、零弦の劇に出ない裏方の仕事をする面々がたくさんの食べ物を買って来た。
一度、全員衣装を脱いでお昼にした。
イルゼは、腹に貯まるホットドッグややきそば、イカ焼きなどを次々に食べて行った。
「あと三十分か」
イルゼはヤキソバを頬張りながら時計を見て言った。
「そうだね。さすがに緊張してきたかな」
フェイの言葉に、手塚がフェイの肩を揉んだ。
「まぁ、ヒロイン役だしな。仕方無い。だがまぁ、今日が過ぎれば後は最終日に思いっきり遊べる。それに、直に夏休みだ。今日は、頑張れ」
手塚の言葉にフェイが頷くのを確認すると、イルゼは台本を広げた。
「一応、台詞は頭に叩き込んだけどな。…まぁ、なるようになるだろ」
台本のページを捲りながら、イルゼは時間が過ぎるのを待った。
そして、午後の部が始まる時間になった。
イルゼ達は衣装を身に付けている。
手塚が最後に皆を鼓舞し、舞台に向かった。
音響やライトの係りは既に舞台のセッティングを完了させて持ち場でスタンバイしている。
舞台袖で、手塚が瀬尾に口を開いた。
「もうすぐベルが鳴る。そしてたら、いいな?」
手塚の言葉に、瀬尾は頷くと、ちょうど天井のスピーカーからけたたましいベルの音が鳴り響いた。
そして、場内アナウンスが流れた。
『これより、午後の部を開始します。最初は、麻帆良学園本校初等部一年B組の劇。『白雪姫』です!』
瀬尾は舞台に出ると、ライトに照らされた。
そして、小さく呼吸をすると口を開いた。
「あるお城に、一人の女王がおりました」
序文を暗唱し始める。
瀬尾の声は透き通るようにマイクを通じて響く。
淡々と、感情を一切篭める事無く、それでも場面場面で口調を僅かに変える。
そして、序文が終わり、幕が開くまでに最初に由希と慊人、洞爺がスタンバイした。
ちなみに、洞爺は漆黒のローブを着て、ガラスの姿見の向こうに立っている。
そして、由希は髪を後ろで結い上げて、金色の縁の白い豪奢なドレスを着込んでいる。
そして、幕の向こうから瀬尾のナレーションが聞こえてくるのを耳を澄まして聞き、タイミングを学と零弦が計っている。
幕を上げるのは二人の仕事なのだ。
幕の向こうなので、若干声が聞こえにくいが、瀬尾のナレーションが終わりに近づいた。
『そして、女王は何時もの様にお城の広間で魔法の鏡に問い掛けるのです』
その台詞と同時に、学と冷厳は幕を上げた。
そして、中央にドレス姿の由希、ガラスの姿見の向こうに洞爺、そして、黒い騎士服を着込んだ慊人が立っている。
そして、由希が観客席に向いたまま右手を洞爺の居る姿見に向けたまま口を開いた。
「鏡や鏡、世界で一番美しい女は誰じゃ?」
由希が遠くに囁く様に台詞を言うという謎の高等テクニックを披露すると、洞爺は姿見の向こうから一生懸命に台詞を言った。
洞爺は上がり性な所があるので、噛まない様に必死に口を大きく開けて台詞を言った。
「それは勿論、王后さまです」
洞爺が言うと、由希は大袈裟に上半身を上下させた。
「そうであろう。そうであろう。妾こそがこの国で一番美しいのじゃ」
すると、舞台上のライトが消え、瀬尾にライトが集中する。
そして、瀬尾がマイクに向かって口を開く。
「女王は、魔法の鏡の答えに大層満足すると、何時もの様にパーティーを開き、たくさんの国々の王子様達を侍らすのでした。そうして、女王にも子供が
出来、子供の世話を従者に任せたまま、毎日の様に魔法の鏡に『世界で一番美しいのは誰?』と問い掛ける日々を過ごしたのでした。そんな、ある日の 事です。女王は歳を取り、女王の子供の『白雪姫』は、それはそれは美しく育ちました。そして、その日も女王は魔法の鏡に問い掛けるのです」
瀬尾のナレーションが終わると、再び舞台上にライトが点灯した。
そして、由希が観客席に体を向けたまま再び口を開く。
「鏡や鏡、世界で一番美しい女は誰じゃ?」
そう言いながら、由希は観客席を見渡すと、目を見開いた。
由希の視線の先に、居る筈のない人が居るのだ。
母に連れられて、会えなくなった父が、席から立って手を振っているのだ。
――え?え?え?
頭が混乱してしまうと、父、ディックは隣の席の金髪の少女に抑えられて座らされていた。
亜里抄である。
亜里抄はエヴァンジェリン達と別れた後に、劇場前で右往左往しているディックを見つけて保護者席に連れて来たのだ。
だが、ディックの行動が不安になり、一緒に隣の席に座ったのだ。
そして、洞爺の危なげな台詞を聞いて正気に戻った。
「それは勿論!世界で一番美しいのは、『白雪姫』にございます!」
由希は混乱する頭をなんとか宥めて台詞を思い出した。
「どういう事じゃ?妾の耳には、鏡。お前の言葉がよく聞き取れなかったぞよ。もう一度答えるのじゃ!」
由希の台詞に、洞爺が口を開いた。
「世界で一番美しい女性。それは、『白雪姫』にございます」
洞爺の台詞が終わると、由希は息を大きく吸い込んだ。
「なんじゃと!妾よりも白雪姫が美しいと申すのか!」
大きな声で、それでいて耳障りにならない声で、由希は台詞を口にした。
「おのれ魔法の鏡よ、妾をお主は愚弄するつもりか!」
由希の恐ろしげな声で言う台詞に、洞爺は本気で怖がりながら台詞を言った。
「私は事実しか、申しません。世界で一番美しい女性、それは白雪姫なのです」
その台詞を聞くと、由希は大きく足を上げると、床に落とした。
すると、音響室の春が大きな足音を流した。
「許さぬ!妾よりも美しいなど許さぬ!」
オーバーアクションで両腕を大きく広げて言うと、大袈裟な動きで二回、手を叩いた。
その度に、スピーカーからパンッ!パンッ!と大きな音が流れた。
「お呼びでございますか、皇后様!」
慊人が恭しく傅くと、由希は傅く慊人に右手を向けると、台詞を口にした。
「今から森に居る白雪姫を殺してまいれ!その証拠に、姫の一部を持ってまいれ!」
由希が台詞を言うと、慊人は立ち上がり、恭しくお辞儀した。
「ははぁ。必ずや為しえて見せましょう」
そして、再び舞台上は暗くなった。
そして、瀬尾のナレーションが始まる。
「女王に白雪姫を殺す様に言われた従者は困り果てておりました」
そうして、再び舞台が明るくなると、それまで城の大広間だった装飾が一変して森の中の様な装飾になった。
木や草の舞台装置が沢山並べられている。
そこに、慊人は一人立っていた。
「ああ、どうすればいいのだろうか!白雪姫は私が手塩を掛けて育てた可愛い娘も同然!殺すなど、どうして出来ましょうか」
大袈裟に自身の体を抱き締める様にしながら悲嘆にくれる演技をしている慊人の前に、狩人の役の不破が歩いて来た。
「どうしたました」
完全に棒読みだったが、慊人はそのまま演技を続けた。
「私は大切な白雪姫を殺す様に命じられたのです。ですが、私は殺したくありません。証拠に姫の一部を持って行かなければいけません。私はどうすれ
ば良いのでしょうか」
両手で顔を覆う様にしながら慊人は台詞を言った。
そして、不破は棒読みながらも懸命に台詞を言った。
「それなら、私の獲物の肉を持ってお行きなさい。それを姫の一部と偽るのです。姫には私が伝えましょう」
不破の台詞が終わると、慊人は不破を抱き締めた。
「ありがとう。これで姫を死なせずにすみます」
そうして、再び舞台上は暗くなった。
そして、瀬尾がナレーションを始める。
「それから、狩人は森の中を進み、森の小人達と戯れる白雪姫を見つけます」
すると、再びライトが点灯した舞台の上には、赤い屋根の小さな家と、木の舞台装置と、緑のローブを来た小人役の蘭丸、久保、夾、葵、紫呉、アーダル
ベルトに李の七人。
そして、イルゼの選んだ青白い可愛らしく純朴なイメージのドレスを着たフェイが切り株の舞台装置の上に座っている。
そして、蘭丸が口を開いた。
「はぁい、お姫さま。やっぱり女の子なら着飾らなきゃね。これ、僕からのプ・レ・ゼ・ン・ト」
そう言いながら、蘭丸は増加のバラをローブから取り出すと、フェイの頭に何故か手馴れた手付きで差した。
すると、夾がどこからか出したハリセンで蘭丸を叩いた。
「お前は何してんだ!」
「何って、お姫様にプレゼントしてるんじゃないの。いいかい?お花は女の子の可愛さ引き立てる一番手近なアイテムじゃないのぉ」
「いや、意味判んねえし!!」
蘭丸が言葉の掛け合いをしていると、李が一個のリンゴを持ちながらフェイに近づいた。
「朕はお姫様にリンゴをあげるよ」
ローブから手を出さずに両腕の裾で支えてリンゴをフェイに渡した。
フェイがそれを受け取ると台詞を言った。
「まぁ、おいしそうなリンゴ。ありがとう小人さん」
リンゴを大切そうに抱えながら、若干硬くなりながらもフェイは何とか棒読みにならないように言った。
すると、不破が舞台袖から出てきた。
「おお、貴女が白雪姫ですね」
不破は声が震えない様に必死だったので、かなり台詞が棒読みになりがちだった。
フェイは切り株から立ち上がると、少し息を吸い込み台詞を言った。
「はい。私が白雪姫です。貴女は狩人さん?」
「はい。私は狩人です。女王の従者からの伝言を預かって参りました。女王は貴女を殺そうとしております」
「そんな!お母様が?」
叫ぶ様に、どこか悲痛そうな声は、演技としては満点だと、舞台袖の手塚は思った。
そして、不破は台詞を言おうとして止まってしまった。
「はい!……」
小声で、「次…なんだっけ…」と言っているのが聞こえ、蘭丸が何とか教えようとしたが、パニックを起してしまった不破は今にも叫び出しそうだった。
すると、突然、不破の口から僅かに低い声が漏れた。
小さく、「仕方無い…俺がやる」と言って。
瞳の色が変化する。
黒い眼が血の様に紅くなり、目付きが鋭くなった。
そして、何故か態と棒読みにしているかのような余計変な口調で台詞を言い始めた。
「貴女のお母様は、貴女のその麗しい容姿に嫉妬なされたのです。貴女は死んだ事になっております。努々!お城に戻らぬようお願い申し上げるとの
事」
突然、様子の変化した不破に戸惑いながらも、アーダルベルトは台詞を言った。
「それならば、白雪姫。我等の小屋に住むといい。我々は歓迎します」
そして、フェイが台詞を口にした。
「お母様の心が判りません。私はどうすれば良いのか判りません。今は、小人さん達に助けて頂きます。狩人さん、ありがとうございます」
それに、不破は恭しくオーバーアクションでお辞儀をすると、「それでは、白雪姫。さようなら」と言って舞台袖に消えた。
舞台袖に戻ると、目の色と目付きが元に戻り、不破はへたり込んだ。
「ふぁぁ、緊張したぁ…」
戻って来た不破に、イルゼが水を持って来た。
「お疲れさん。一瞬ビビッたけど、巧く持ち直したな。途中から一気に巧くなったじゃん」
それに、手塚も「同感だ」と頷いた。
「一体どうしたんだ?あんなに上手に演技が出来るなら最初からやって欲しかったよ」
責める気も無く、ただ苦笑しながら手塚が言うと、不破は首を横に振った。
「違うよ。僕、台本の台詞を忘れちゃったんだ。だから、ドルが代わってくれたんだ」
「ドル?」
イルゼが首を傾げると、不破は「うん」と頷いた。
「ドル…もしかして、この前言ってた友達の事か?」
手塚が思いついた様に言うと、不破は「そうだよ」と肯定した。
「二重人格…なのか?」
手塚が僅かに声を震わせて聞いた。
「うぅん、判らないよ。二重人格ってなぁに?」
まるで、虚空に問い掛けるように不破が言うと、突然、不破の目の色と目付きが変化した。
「あぁっと…。面倒くさいから俺が出るよ。これなら、信じるだろ?俺の事は…」
そう言うと、雰囲気の代わった不破は一瞬だけイルゼを見た。
「まぁ、ドルって呼んでくれ。本当はもっとイカス名前なんだが…これも間違いじゃねえしな。イルゼと手塚だよな?翔一の中から見てたから知ってるぜ。
よろしくな」
そう言うと、不破…ドルはイルゼに手を差し伸べた。
その表情は何故か品定めをしている様に、イルゼは感じた。
「?まいっか、よろしくな。にしても面白れぇな。自分の中にもう一人の自分ってとこか?賑やかそうで羨ましいぜ」
ニッと笑いながら言うイルゼに、ドルはキョトンとした目で「に…賑やか…ククッ」と、突然笑い出した。
「そうだな、二人で頭の中で会話出来るから結構楽しいぜ。手塚もよろしくな」
「あ…ああ、よろしく頼む」
手塚も笑顔で答えた。
「んじゃ、俺達の出番はもう終わりだし、ちょっと休憩して来るぜ」
言うと、ドルは引っ込み不破の人格が戻った。
「それじゃあね」
そう言って、不破は手を振ると控え室に向かって行った。
そして、不破がいなくなると、手塚は深刻そうな表情をした。
「なぁ、イルゼ…」
「なんだ?」
手塚の口調に、イルゼも只ならぬ気配を感じ、目を細めて聞いた。
「二重人格…、解離性同一性障害…どういうモノか知ってるか?」
手塚がイルゼに聞くと、イルゼは困惑した様に首を振った。
すると、手塚は言った。
「解離性同一性障害は、解離性障害の一種で、虐待などの強い心的外傷から逃れようとした結果、解離により個人の同一性が損なわれる疾患の事な
んだ…」
「!…それはつまり…」
「判らない。多重人格の原因の一つとして、こういう症例があると言うだけだ。だが…、多重人格は、普通ではおかしいのは事実だ」
手塚は眉間に皺を寄せて言った。
すると、イルゼはその肩を掴んで言った。
「待てよ…。もし…不破が虐待を受けているとしたら…」
目付きを鋭くしながら言うイルゼに、手塚は「待て」と言った。
「早まるな。原因の一つというだけで、実際にそれが原因かは判らない。だが、調べる事に価値は在る筈だ…。あまり、友達を詮索したくは無いが。虐待
を受けているとしたら、ほっとくわけには…」
「そうだな」
手塚の言葉に、イルゼは小さく頷いた。
そして、手塚は舞台を見て言った。
「そろそろ、イルゼの出番だ。とにかく、不破に関しては麻帆良祭が終わってからだ。今は…」
「ああ、判ってる。余計な事は考えないさ」
イルゼの返答に満足し、手塚はニッと笑った。
観客席では、エヴァンジェリンがフラッシュを焚かないようにしながらフェイの姿をフィルムに納めていた。
「あの白雪姫、可愛いだろ。あの子も男なんだが、イルゼの部屋の隣の子でな。これがいい子でな」
エヴァンジェリンは本当に小さな声で桃子に囁くと、桃子もコクコクと頷いた。
「そうねぇ、本当に女の子みたい。あの女王様役の子もかなり可愛いけど。白雪姫の子のドレスはなんだかピッタリ似合ってるわ」
その言葉にエヴァンジェリンは頷いた。
「全くだ。それに礼儀正しく、料理も中々の手際でな。男にして置くには勿体無いと思うくらいだ」
エヴァンジェリンの言葉に、桃子はクスクスと小声で笑った。
「でも、木乃香ちゃんには良かったんじゃない?恋のライバルになったら結構手強そうだわ」
桃子の言葉に、エヴァンジェリンは複雑な顔をした。
「結婚か、でもイルゼは…。まぁ、孫を待つのも一つの楽しみか」
不意に思ってしまった考えを打ち消し、エヴァンジェリンはニッコリと微笑んで言った。
「そうね。恭也も早く忍ちゃんと子供を作ってくれないかしら。鈍くもないし、奥手でも無い筈なんだけど、あの子はどうしてか…」
桃子も少し憂いを秘めた様に言うと、エヴァンジェリンは溜息を吐いた。
「ままならんな…」
「そうね…」
そうして、二人が話しているずっと後ろの最後列の右端で、亜里抄はディックが大声を出さない様に必死だった。
「な…希…ない…!」
「だぁぁ、頼むから落ち着いてって、由希は出番が終わったから引っ込んだだけだよ!あんまり暴れると追い出されちゃうから。ディックぅぅ」
亜里抄の苦労はまだまだ続くのだった…。
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